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EYES  作者: 佐野光音
9/10

ミカエルの憂鬱 9


 双子の妹のことについて知っていたことは、ダンジズの家に養女に出された、それだけだった。


 タブー視されてきた自分の家族の話題をダンジズは拒み、俺からも干渉はしなかった。


 ダンジズもその両親も人柄の評判はよく、風の噂で「彼女は幸せにやっているようだ」と聞くだけで充分な『妹』という繋がりは、他人よりも遠い存在だったと思う。


 数年前に、公的に名を変えたらしいとの話を耳にしても興味はなく、家族との関わりが希薄だったせいもあり、一度も会ったことのない妹と関わりたいとも思わなかった。


 何万といる一族の人間の一人、程度の認識しかなく、いちいち気にかける余裕もなく過ごしてきた。




 大学を休学し、ロンドンのホテルに滞在するようになったシャラとは、会うたびに、沈黙と言い争いを繰り返していた。


 それでも、会わずにはいられなかった。


 恋人として触れることが叶わなくなっても、好きだったし、精神的にまいっているシャラが心配で目が離せなかった。


 まいっているのは俺も同じだったが、昼間は忙しくしている分、なんとか持ち堪えることが出来ていた。



 人口の九割以上がカトリック教徒であるアイルランドに生まれたシャラの養母は、インドの血やスマクラグドスの血を引くアイルランド人で自身もカトリック教徒であり、養子のシャラも義兄のダンジズと共に洗礼を受けていた。


 兄妹の姦淫。


 知らなかったとはいえ、慣れ親しんだ教理にも背く禁忌の罪を犯したことも、シャラの精神を限界まで追い詰めたのだと思う。




「一緒に逃げて」


 心のバランスを崩して、彼女はしきりにそう訴えるようになった。



「二人でどこかへ行きましょう。誰も私たちを知らない所でなら、二人でやっていけるわ」



「高等教育を受けてきてはいても、俺も君もまだ十五だ。二人だけで社会に出て、しかも逃亡者としてやっていけるとは思えない」


「じゃあ、私、どうすればいいの? あなたは私なんかいなくてもいいってことね?」


「そういうことを言ってるんじゃない」


「じゃあ、どういうこと?」


「君は自分が温室育ちだと分かっているのか? 俺も同じだ。手厚く守られて育ってきた」



「私はそんな冷静な意見が聞きたいんじゃない! あなたがどう思ってるかを知りたいのよ。私をいるのか、いらないのか」


「いるかいらないかで、決められるわけがないだろ。それに、俺は、俺個人で生きられる立場にいない。一族に生まれ育って、教育を受けて、ここまで来て捨てる身勝手は許されない」


「私より、そっちが大事なのね?」


「どっちが大事だとかの問題じゃないし、最初から別れることも決まっていた。君も納得していただろう」



「私は、別れたくなんてなかった」


「シャラ」


「いつか、どうにかなると思ってた」



 泣き叫んで俺を困らせるシャラを、慰める術はなかった。



 普段が聞き分けの良すぎる人間のたがが外れると、どうにもならない。


 養父母やダンジズが、俺にはもう会うなと説得しても、シャラは絶対に耳を貸さないでいた。


 特に彼女は、ずっと自分を抑えて生きてきた。

 模範的な養女であり、ふざけた悪戯を楽しむ生徒でありながら学校では学生代表を務め、国際交流にも率先して借り出され各国で講演を行い、俺とは違う場所で矢面に立つことを求められてきていた。


 頭脳明晰で何でも器用にこなし尊敬を集めても、人には理解されない苦しみを抱えていた。



 泣かれても、喚かれても、抱きしめてやることはもうできない。


 けれど…………シャラが限界まで来ているのは、俺にも分かっていた。


 このまま突き放した距離でいるより、身内となって見守る姿勢でいるより、彼女の望むようにしてやったほうがいいのだろうか。


 精神を病んでいく彼女を見つめながら、俺も自分がどうするべきなのか、見失いそうになっていた。





 急に一人旅に出ると言い始めたシャラに、毎日必ず、俺かダンジズに電話をするように言い含めて送り出し、ひと月あまりが過ぎた頃。


 約束を守ってダンジズに連絡を入れていた様子のシャラに安心していたある日、ダンジズから携帯に電話が入った。


 ロンドンからクィーンパレスに戻っていた俺は、常に冷静沈着な従兄の動揺した声に、言葉を失う。



 まだ春の訪れの遠い、ヨーロッパの最果ての国、最果ての断崖からシャラが飛び降りて、危篤状態にあるという報せだった。


 運命の全てを呪うかのように、彼女は、十六を迎えた三月の自分の誕生日に、自らの命を絶とうとした。




 アイルランドのバレン高原の南東に、八キロに渡って海に迫り出したモハーの断崖は、大西洋を望む壮観な絶景で有名な所だ。

 大地には木々もなく、石灰岩の隙間を乾いた苔のような芝草が覆う岩盤地面が延々と続き、一年の大半を荒涼とした風が吹き渡るそこは、古アイルランド語のゲール語で「破滅の崖」とも呼ばれている。


 夏季には数十万人以上の観光客が訪れるが、冷たい疾風に晒される三月はまだ人影も疎らな一帯だった。



 高さ二百メートル以上の崖から飛び降りたシャラが、通りかかった船に救出されたのは、奇跡だったと思う。


 助かりはしても酷い状態で、水面に叩きつけられた衝撃で頭蓋骨の一部と肋骨が折れ、内臓も破裂していた。


 地元の病院から首都ダブリンの病院にヘリで輸送され手術を受けても、「もう手の施しようがない」と医者に宣告され、急遽クィーンパレスに運ばれてきた彼女の変わり果てた姿に対面したとき、俺は、気を失いそうな後悔に陥った。


 顔色は死人のように青ざめ、可愛らしかった唇は黒ずんで変色し、豊かで美しかった髪は頭部の治療のために剃髪されている。



 …………一緒に、逃げてやればよかった。


 妹と、分かっても、抱きしめてやればよかった。



 そうすれば、こんな目に遭わせることも、なかったのに。





 パレスに運ばれてきたのは、通常の医療では助からないと判断されたからだ。


 スマクラグドスの総帥や、その息子で(みそぎ)の儀式を行い修業を積んできた者には、現代科学では説明しきれない能力がある。

 祈りを捧げて手当てを行うことで、病気や怪我を治癒する力もその一つであり、血族婚で血を守り続けているのもその力を存続させるのが主な理由だった。



 パレスに駆けつけてきていた父と母は、養子に出したとはいえ実の娘の危篤に絶句して、母はむせび泣いた。


「おまえが聖なる手当ての儀式を行うように」

 父親に言い渡され、

「俺は出来ません」

 即答する。


 祈りの修練はしてきても、手当てを人に施した経験もなかった。



「彼女の為だけではない。自分の為にも、おまえがしなさい」



「…………助かったほうが、いいんですか。このまま目を覚まさないほうが、もしかしたら、彼女は楽かもしれない」



 血の気なく虫の息で眠るシャラを見つめる自分も、絶望しか感じられない。


 生きていく理由なんか、自分にもシャラにも、ないように思える。



 こんな状態で、精神統一をして儀式をするのは、不可能だとも思っていた。



「何が正しいかは、私も断言はできない。しかし、こんな悲惨な死に方をする為に、人は生まれてくるのではない。それは真実だろう」




 父親に背中を押され、半日がかりで手当てを終えた後には、精も魂も尽き果てていた。


 集中している間は思い煩うこともなかったが、シャラが一命を取り留めて体に生気を宿しはじめたとき、頬にそっと触れながら、涙が絶えなく零れるのを止めることはできなかった。




 その後三日三晩、昏睡状態で眠った俺が、ようやくシャラを見舞うと、彼女は意識を取り戻してベッドで安静にして過ごしていた。



 俺を見て、視線をそらした彼女を、付き添っていたダンジズの前で思いっきり引っぱたく。



 それだけしか、できない。してやれない。


 助かってよかったとも、言えない。



 泣きながら、「ごめんなさい」を、繰り返す彼女を。生きていてよかったと、抱きしめることもできない。




 無言で部屋を出た俺を、ダンジズが追ってきていた。



「……妹を、助けて下さって、ありがとうございます」



 言葉少なく、誠心誠意の感謝を告げてくる従兄が男の顔をしているのを、黙って見つめる。




 こんな時に、知らされる。気づいてしまう。


 こんな時だからこそ、本心は隠せない。


 彼にとって、シャラは、妹なんかじゃない。女なのだ。




「……彼女を頼む」



 それ以外に、伝えられる言葉はなかった。


 彼女のそばに、自分の居場所はもう、ないのだから。



 未練さえも根こそぎ奪い去る、寒風が吹き荒れる殺伐とした断崖に独り置き去りにされたような、どこにも行き場のない恋の終焉だった。


 愛した彼女は断崖から飛び降り、命がけで恋の絆を引き千切った。


 俺は、飛び降りることも許されない地の果ての崖に佇み、乾いた想いがひび割れて粉々になり、凍える烈風に散っていくのを、見つめるしかなかった。



 ――――二度と、恋なんかしたくないと、思っていた。














 シャラの十九歳の誕生日に、彼女とダンジズは婚約した。


 献身的に自分を支え続けた男に心を開いて、幼い頃から傍にあった愛に気づいた彼女は、偽りなく幸せな笑顔を俺にも見せるようになっていた。



 婚約を発表した後で、クィーンパレスの俺の執務室に顔を出したシャラを迎え入れる。



「…………ミカエル。私……私だけが、幸せになっていいのかしらって、思うの」




 口重く気がかりを切り出した彼女に、俺は書類に目を通しながらあえて軽口を装った。


「君がさっさと幸せになってくれなきゃ、こっちは命がいくつあっても足りない。俺に余計な心配をかけたくないなら、明日にでも嫁に行って思う存分幸福に生きてくれ」



「ミカエル……」



「俺の前で泣くな。君が涙を見せていい男は一人だけだろ」



 涙を堪えながら、笑顔になろうとするシャラに、俺も微笑を浮かべて見せる。


 あの日から三年を経て、シャラには、幸せを望む気持ちだけがあった。




「ねぇ、お兄様」


「なんだ、いきなり。気持ち悪い」



「結婚式の時は……ヴァージンロードを、一緒に歩いてくれる?」



 途中まで、と、呟きが添えられる。



「……嫌じゃなければ」



「妹のワガママくらい、聞いてやるよ」



 笑いあって、彼女が部屋を出て行った後で。


 ドアの外で、一人で泣いている。そんな気がした。



 俺は、二度とシャラを女として見ることはないし、シャラも俺を男として見ることはない。


 お互いに、辛すぎた恋に未練や悔恨はない。


 それは、確かなこと。



 けれど、すべてを割り切り、兄と妹になるには、まだ時間が必要だろう。


 そう思っていた。








 それから数ヵ月後。俺は日本で、阿見香に巡り会った。



 彼女と出会えたことを、心から感謝したい。



 シャラのことを、ただの妹として見ている自分がいる。


 心の中でも、すべては終わっていたんだと、阿見香のそばではっきりと確かめている。


 ダンジズのそばで、幸せそのもので笑うシャラの中でも、過去は終わっているのだ。



 シャラが、幸せな恋を見つけて。俺が、二度と恋なんかしたくないと思っていた自分が、新たな恋を始めて。


 ようやく、暗闇から解放された。そう実感している。





 シャラが特別弱い人間だったとは思わない。


 綺麗な水の中でしか生きられない人間がいる。


 シャラは、そういう女なのだと思う。



 死へと引きずられたシャラを目の当たりにして、自分も崩れかけていた。


 怖かった。人の弱さと、自分の弱さが。


 人間が、こんなにあっけなく壊れていく脆いものだとは、思いもしなかった。



 だからこそ、俺は阿見香に強く惹かれたのだ。


 自分の弱さ、人の弱さを、醜さを知りながら、へこたれないしなやかさが。まっすぐな温かさが。限界に突き当たっても、壁に負けずに乗り越えていく強さが。


 少しくらい狡くても、したたかに、自分の心に正直に、信じる道を掴もうとする前向きさにも惹かれていく。



 どこにでもいるように見えながら、どこにでもいる女じゃない。


 泥をかぶっても、どこまでも透明で。自分を失うことなく、澄んでいる。


 葛藤にまみれても損なわれることのない瑞々しさも、素直さも、ありのままでひた向きに生きる飾らなさも。抱きしめたくなる。


 守りたいと思いながら、彼女の大きさにも包まれたくなる。



 真っ先に俺の気持ちを察していたシャラも、「阿見香となら、あなたは絶対に幸せになれるわ」と言い、陰日なたなく阿見香を支えてくれている。


 阿見香の存在が、俺とシャラの間に、優しい絆を結ばせてくれていた。



 幸せな恋とは言えないかもしれないけれど、まっすぐに心をぶつけてくれる日本で出会った少女に、過去の深い痛みが癒されていくのを、俺は感じていた。






 最近になってふと気づくと、阿見香が、俺とシャラを不愉快そうに眺めている時がある。俺が視線を向けると、何でもなさそうに目をそらす。


 もしかして、何かを知っているのか。俺とシャラのことを噂で耳にしたのか。緘口令を敷いていても万全とはいえないだろうと、気がかりではいた。


 イギリスに居た時の突然の自暴自棄も、まさかと勘ぐってはいたが、阿見香が何も言わないので、俺から訊ねることもしなかった。

 阿見香の性格ならば、もし知ったら、納得出来ないことはおざなりにしないのではないかと思い、自分から暴露するのは避けていた。


 自分の過去を話すべきかと悩みながら、話して嫌悪されるのを、今以上に距離を置かれるのを、恐れてしまう。




 シャラと阿見香の噂をして笑っていたとき、ドローイングルームに入ってきていた和服姿の彼女を見て、視界から彼女以外のものが消えた。


 駆け寄って抱きしめたい衝動を覚えながら、彼女の噂をしていた気まずさで視線をそらすしかなかった。



 シャラと恋人だった頃、秘められた関係上、公の場に二人で出ることはなかったけれど、たまに街を並んで散策すると連れ立って歩く男を誇らしい気持ちにさせる女だと気づいたのは、行く先々で男たちの視線を浴びるようになってからだった。


 阿見香は、そういう女じゃない。自慢になるかと訊かれたら、お世辞にも自慢にならないと思っていた。特に社交界なんかに連れ出して歩けば、育ちのせいもあり顰蹙(ひんしゅく)を買うようなタイプだ。シャラとは正反対の。


 自慢できる相手だから惹かれたわけじゃない。むしろ見せびらかすのではなく、自分の腕の中に閉じ込めて、他の誰にも見せたくない。

 

 彼女の眼差から、自分以外に映るすべてを、奪いたくなる。



 自慢になる女じゃない。そう思っていたのに、今は、果たしてそうだろうかと疑問になっている。


 最近の彼女の変わりようは、目を見張るものがある。


 この年頃の少女特有なのか、日一日と印象が変化していく。



 夏休みが明けてから、阿見香を見る学校の男たちの目の色も明らかに変わった。

 当の本人はまったく無頓着でいるが、廊下でも教室でも、男子が彼女を目で追っている。


 一学期とは違う意地悪さで嫉妬の眼差を向ける女子もいれば、憧れるように見る女子もいる。


 早速告白してきた身の程知らずの男たちもいて、安全とは別な思いで、家から出さないで隔離したい思いに駆られていく。どうにかして自分の腕の中だけにしまって、大切に慈しみたいと願ってしまう。



 注目を浴びるようになったのは、本人の異議もおかまいなしにシャラがあれこれ磨かせている影響もあるのだろうが、自分の手入れに興味がなかった人間が磨かれると、こうも女は変わるものかと驚きを隠せない。


 シャラやダンジズたちの特訓で英会話も身に付き、渡英したクィーンパレスでも、自分の立場を弁え一生懸命に行動していた。今までと違う環境に接して内面にも起こった変化や、忙しくても充実している生活も、彼女を輝かせているのだと思う。


 あの、くだらない奴と両想いになって、うきうきしてるのもあるだろうが。



 …………背筋に寒気が走る。夕方から自覚している微熱の悪寒だけのせいじゃない。あの目障りな愛玩犬のせいだ。好青年気取りなのが、後ろから蹴り倒したいほどムカつく男。


 嫌なことを思い出して、抹殺したい顔を頭の中でぶっ飛ばしながら、三階の部屋へと上がる。どうせあのゆかたも、あの男のために着たのだろう。


 そう思うと不愉快極まりないが、シャラが「写真を」と騒いでも首をふった彼女の、清楚で色っぽい姿を、もう一度見たかった。




 阿見香は部屋におらず、バルコニーで外を眺めていた。


 帰宅した時から心なしか元気がないと思っていたが、やはり憂鬱そうにしている。


 話しかければ、「婚約解消後は、母親と祖父母の住むマンションを賃貸で貸して欲しい。できれば格安で」と持ちかけられ、何をそんな深刻に悩んでいるのかと脱力させられた。

 マンションの譲渡を断り続けている母親といい、この娘といい、金銭感覚が慎ましく欲が薄いようだ。


 この母娘を見ていると、叔父ジャーメインの、人を見抜く眼に敬服したくなる。おかげで俺は、阿見香に出会えたのだから。



「マンションはやるし、結婚しなくても経済的なことで協力はする」と一方的に伝えても、阿見香はまだ塞ぎ込んだ顔をしていた。


 何かあったのだろうと思ったが、しつこく訊いても答えないだろう。



 それよりも――――このゆかた姿は、反則だ。


 自制心をかなぐり捨てて、押し倒したくなる。



 去ろうとする彼女を引き寄せて、背後から抱きしめた。


 すんなり長い首筋。細すぎず、すっきりした形のいい顎、そこにかかる艶やかな黒髪が、ゾクゾクするほど色っぽい。



 うなじに唇を這わせて肌を味わう。



 匂やかに交じり合う、彼女の肌の香りと、俺と同じ石鹸の残り香。


 髪からも、自分の髪と同じシャンプーの芳香が漂い、胸が熱くなって彼女の髪に頬をうずめる。



 ……同じ香り。それだけのことが、愛しくてたまらない。


 何の隔てもなく、二人の間を染めて、溶かしあうもの。



 このまま、誰の香りにも染まるなと、言いたくなる。


 誰にも渡さないと、束縛したくなる。





「あんたって……セフレいっぱいいたんでしょ。あたしに遠慮しないで、そういうお付き合い続ければいいじゃん」



「セフレ? どういう意味?」



 彼女の抵抗をからかって、やわらかな耳たぶを舌でなぞる。ビクリと反応する腕の中の彼女に、背後から忍び笑いを向けながら。


 日本語で言う、下半身の交友関係のことか。


 誰だ、そんなことをバラしたやつは。


 素早く思考を巡らせ、阿見香と俺の共通する人間を消去法で省き、残ったアティアナとブレイズから、ブレイズをはじく。

 ――多分、アティアナだ。俺の悪口を吹聴する命知らずが。ったく、ロクなことを言わない、何がセフレだ。


 早いうちに「阿見香に余計な事を吹き込むな」と電話で脅しておくしかない。

 俺を毛嫌いしているアティアナは、メールを送っても開かないで処分する可能性が大だ。パソコンごと。


 前にもそれをやられたことがある。

 なぜ返事がないのか追及したら、「パソコンが故障しちゃったから知りません」と答え、嘘じゃないと言わんばかりにパソコンを買い換えたクレジットカードの明細書まで見せてきたのだ。それを三回もやられたら、こっちも学習する。


 考えながら、気持ちをはぐらかしても、募る思いは留まるところを知らなかった。


 抱きしめれば辛くなると、求めたくなると分かっているのに。抱きしめずにいられない。



「別な人だっているじゃない」なんて、憎らしいことを言う唇を塞いだ。



 何度触れても清らかさを失わない、不思議な唇。


 阿見香の感触は、俺をあっけなく欲望の奴隷にする。


 嫌いだったキスに俺を夢中にさせるのだから、うぶな顔をした小悪魔って、いい加減に自覚してくれよ。



 しかも、別な人だって? 今の俺のどこを見て、そんなことを言うんだ。



 君以外の女は、いらないと思っているのに。


 君だけが欲しくてたまらないのに。


 俺の本音を言えば、君が困惑すると分かっているから、我慢してるのに。


 なのに、どこまで憎らしい女なんだ。



 ずっと触れたかった唇に、彼女を追い詰めすぎないように、キスを重ねる。


 二週間前にキスをしてからずっと、毎日触れたいと思っていた。寝ている姿にだけでなく、ちゃんと目を覚まして、俺を見てくれる彼女に。


 キスだけじゃなくて、それ以上のことも。



 唇と首筋とはだけさせた肩に、繰り返しキスをしながら。


 今日はあの男に会って、抗うことなく、甘い時間を過ごしてきたのかと思う。



 SPの代表に口を割らせているところによれば、「とても清い交際をされている」らしいから、それを信じたくはあるけれど。


 女性のSPは同性の阿見香に気を遣って吐かないが、代表の藤枝は立場上、俺が無言で睨めばある程度のことは報告するので、把握はしている。本当かどうかはともかく。




「あいつにも、こんな君を見せているのか」


 つい、嫌味を言ってしまう。



 口が悪いのは自覚しているが、阿見香に対してはより毒舌が止まらなくなる。


 顔を見ると、自分の感情のコントロールが難しくなって、イライラしたり。嫉妬したり。いじめて困らせたくなったり。


 彼女の怒った顔を見るのも、生意気そうに顎を上げてツンと澄ました態度を見るのも、好きでたまらない。


 ムキになって食ってかかってくるのも、面白い。口の利き方が対等な人間があまりいなかったのもあると思うが、相手が阿見香だからこそ許せる部分も多々ある。




「ミカエル……もしかして、熱があるんじゃない?」



 俺の嫌味に怒っているくせに、気遣わしげに眉を寄せてくる。忙しい女だ。



 抗いながらも、俺の体温を知る君。怒りながらも、心配してくれる君。


 可愛くて、愛しくて。どうにかなりそうだなんて言ったら、君は、どんな顔を見せるだろう?




 これからも、知ることはないだろうその顔を、見たいと望みながら。


 無言で君を抱きしめて。言葉で伝えるかわりに、キスをする。







ミカエルの憂鬱は、あと一話で終わります。



ちょっとこぼれ話など。

モハーの断崖を、リュックを背負い一人うろうろしていたときのこと。

(自殺の名所だとは帰ってから知った……)

真夏だったのもあり、火曜サスペンスで有名な日本海の東尋坊のような侘しい雰囲気はありませんでしたが……

絶壁をこわごわと見下ろして、仰天。

数メートル下にせり出したほんの少しの岩のでっぱりに、カップルが腰かけていて、熱烈なキスシーンの真っ最中。

地元のティーンエイジャーだろうけど、こっちは衝撃で目玉が飛び出そうになりました。(苦笑)


どれだけの高さかというと、東京タワーが333メートル(だったと思う)なので、

タワーの三分の二の高さの地点で命綱も付けずにラブラブしているのを思い浮かべてもらえれば、

どんだけ酔狂かが伝わるかと思います。

まさに、お互いしか目に入らないってヤツですね。。

ぜんっぜん、羨ましくなかったですけど。(爆)


阿見香とミカエルだったら、やれそうかな~……

運動神経が化け物レベルだし。(^▽^)

阿見香がミカエルの悪ノリを拒否らなければ。(笑)



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