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  EYES 作者:佐野光音
はじめまして。光音と申します。
拙い長編作品ですが、どうぞ宜しくお願い致します。




-お願い-
この作品の著作権は、作者・光音に属します。
設定の引用・転載等は固くお断り致します。
厳守下さいますようお願い申し上げます。


■ EYES 1st  一章 最悪な出会い
 


 あたしは最近、ロクなことがない。
 そろそろ誕生日だというのに、気が滅入ることばかり起こってる。

 足を踏み外して地下鉄の長いエスカレーターを滑り落ちたり。歩いていたら麻雀荘の古い看板が落ちてきて頭に直撃しかけたり。街の中でヨダレを垂らした野良犬四匹に追われたり。暴走ダンプの下敷きにもなりかけたり。
 反射神経はいい方なので、どうにか難を逃れてきたけど、十六歳の身空で遺書を書いておかなきゃならんかもと思うほど最悪続きだ。

 こんなブラックな状況と気分を追い払い、心機一転するためにも、あたしは決意した。


 そして、十七歳の誕生日を迎えたその日、あたしはフラれた。
 決意の心機一転は、見事にお先真っ暗暗転。


「気が強い女はニガテで」

 即答されて、ぼう然。
 

 気が強い? あたしの? どこが!? 

 あんたに告白するのだって、一年二ヵ月半悩んだんだよ、おいっ。一年二ヵ月半よ? 一年二ヵ月半。
 四月のあの日、入学式に一目ぼれして、今年同じクラスになってからさ。どんだけ毎日恋焦がれて、ガマンしてきたと思ってんの? 
 一年二ヵ月半、恋する乙女の自分の勇気のなさにむせび泣きながら、こっそりあんたを眺めてきたわけよ。

「おはよう」って、声かけるのも躊躇っちゃたりして。それだけでバコバコもんよ、心臓が。
「おはよう」って返ってきたら、「ああ、今日も頑張って学校に来てよかった!」と、好物の苺シェイクな気分になれたわけ。それだけでも幸せだったけど、やっぱりガマンもできなくて。

 なのに、思い切ってキモチを告げた健気けなげな女の子に、そういうこと言うかよ!?


 びっくりして。びっくりしすぎて、手にしていた学生カバンでバコッと殴ってしまった。

 頑丈な革の鞄を振り上げながら、「今日は教科書が多い日で、しかも英語の辞書まで入ってるんだった。重くてイタイかも」とは、思ったんだけど。止められず、振り下ろしていた。

 檀君は、「うっ」と声を発して。体育館の裏の湿った土の上に倒れて、ノビてしまった。



「あんた一生、檀と口きけないね」
 事後報告を待って校門辺りにいる文月ふづきを携帯で呼び出して、二人で檀君を保健室まで運んだ。
「重い!」と文句タラタラで足の方を抱えてくれている文月は、小学時代からの友達で、中学も同じ、高校も同じとこに合格した上、二年でまた同じクラスになれた腐れ縁。

 その後の保健室で、あたしは、養護教員とクラス担任にこってり絞られてしまった。
「バカモノ! 首の骨折って死んだらどうするんだ!」と、怒鳴られる始末。
 担任の大鳴、通称・怒鳴りの大鳴りに頭を数発叩かれながら、先生だって叩いてるじゃんよ、と文句を言いたいのを堪えていた。
「大体、学生の本分は勉強なんだよっ。ナニ色づいてんだ、バカモノが。告白なんか十年早いんだよ!」
 そんなこと言ってたら、三十過ぎても先生みたいに独身になるじゃんか、とは、さすがに言わない。それくらいの知恵はある。

 大鳴先生の怒鳴り声で、檀君の目も覚めたらしい。運んでから十五分。ほっといてあそこに置いたままでもよかったかも、と、心で毒づく。
 好きなキモチなんて、一瞬で冷えきってしまった。あたしの一年二ヶ月半は、なんだったの?

 檀君は、先生を呼び止めて、言った。
「オレ、全然平気です」
 痛そうに頭を左右にひねって、動くのを確かめてから、ベッドに上半身を起こしている。
「大丈夫? 気持ち悪くない? 吐き気とか、頭痛とか、目がおかしいとか」
 養護の先生が、檀君の顔を覗き込むようにして、質問する。
 檀君は、「平気です」とはにかんで答えて。それから体をずらして、あたしのほうを見た。

「高橋。ごめん」
 思わぬ「ごめん」の言葉を聞いて、あたしは驚いた。
 何も言えなくて、彼を見ていたら、
「俺が言いすぎた。ごめんな」
 もう一度、真剣な顔で、あたしに「ごめん」を言ってくれた。


 
 ……だから、好きだったんだなぁ。

 一目ぼれしてからも、あの真っ直ぐさというか、頭も良くて器用そうなのにふと見せる不器用さ、男の子らしい素直なとこが、ますます好きになっていた。
 マックのポテトとアップルパイと苺シェイクを、文月におごってもらい、あたしは悲しくなって泣いてしまった。フラれたことよりも、いい人だって知ってたのに、とっさに殴ってしまった自分が、ブルーだった。

「奮発してごちそうしてるんだから、元気だしなよ。こっちがおごって欲しいくらいだよ。あんの重い檀、運ぶの手伝わされて」
 泣きながらパイにかじりついていたから、呼吸と返事に詰まってむせそうになってしまう。
「いいよ、今日はさ」
 いちゃもんをつけてから、文月はちょっと満足そうに笑った。

「ガマンしてたんだよね、あたし。去年の入学式からずっと」
 文月が頷いて相槌を打ち、あたしも頷いて言い続ける。
「心臓バコバコでさ。いざってなると、やっぱりバコバコで」
「うん」
「でも、やっぱ駄目で。いざとなったら痛いかもって思ったのに、止められなくて。やっぱガマンできなくて。檀君が『うっ』て叫んでから、いけないことしちゃったって青くなって」

「ちょっと待って」
「でも、確かにバコバコしてて、よくわかんなかったけど」
「待って!」
 手で制されてから、ぽかんとして文月を見る。
「なに?」
「あんたの話、微妙なんだけど。それは、体育館裏で、告った話でいいんだよね?」
「そうだよ」
「体育館裏で、初体験した話じゃないんでしょ?」
「――違うよっ! ナニ言ってんのっ」
「隣りのテーブルの子たちが、ヘンな顔してこっち見てたよ」
「え?」
「あんたの話、微妙なんだよ。なんか、卑猥っていうの?」
 文月が、微妙を繰り返して言う。

「ヒワイ?」
「ガマンできないだの、バコバコだの、痛いだの。うっ、て叫んでとか、やめれ。並べるとマジエロくさい」
「エロくさい!? やめてよっ。文月はエロ漫画読みすぎなんだよ!」
「漫画は芸術よ」
「ええ? あのすぐに脱いじゃうやっちゃうの話が?」
「そういうのばっかじゃないし。……それより」
「でもそういうの、多くない? この間、文月から借りたレイプものも怖かったよ? 俺がイカせてやるとか、俺じゃないとイケない体にしてやるとか、犯されても体は正直だとか。ふざけてるよ、レイプはレイプじゃん」
「そうなんだけど。いや、そうじゃなくて。あの話は、男の心の深い闇が、癒されていく繋がりについてさ。そうじゃなくて、後ろ」

「癒されていく繋がり? なんかやらしー」
 シェイクを飲んで、ケタケタ笑ってると。
 目を見開いている文月の顔がただならぬ様子だったので、何事と思って視線の先を見た。
 あたしの背後。


 知らない外人が立っていた。
 
 どう見ても外人。胸の辺りまで伸びてる、まっすぐな金髪もそうだけど、目鼻立ちが。
 サングラスをしていて瞳の色は見えなくても、背が高くて、身のこなしも日本人とは違う。

 で、その外人は、あたしのほうを見ていた。正確には、あたしたちのほう、だと思う。
 ストローを加えたまま、あたしはその外人を見上げた。
 文月を振り返って「知り合い?」と訊くと、勢いよく首を振り返す。外人を眺めたままで。


高橋阿見香たかはしあみかって、どっち?」
 流暢なイントネーションの日本語。

 透明感のあるハスキーな声を聞いて、男だったのか、と、思う。身長が高くても、髪が長くて顔立ちも綺麗に見えるから、どっちなのか分かりにくい。

 文月があたしを指差すと、
「こいつ? さっきからレイプだのイカせてやるだの、犯されても体は正直だの、頭がおかしい発言を大声で繰り返してる、これ?」
 親指であたしを示して、その外人は深刻そうに首を振った。


「最悪」


「なにが?」

 カチンときて、聞き返す。

 初対面の人間に、「最悪」ってなに!? 「最悪」って!


「勘弁してくれ」

「はぁ!?」

 その男が振り返ったので、後ろのほうに違う外人がさらに二人いるのが目に入った。男性と女性。肌が浅黒っぽい、背の高いモデルみたいな男性と、向日葵色の金髪でふわふわ頭の、凄く綺麗な女性だった。
「失礼よ、ミハイル」
 女性も流暢な日本語で言い、心から申し訳なさそうにあたしを見た。

「念のためと、どっちか訊ねてみたが、最悪としか言いようがない。失礼もなにも、女扱いどころか人間扱いもできないね、こんなやつ」


「だからあんた、さっきから何なのよ?」


 夕方の、混雑しているマックの中は、静まり返っていた。
 この外人三人がやたら目立ちすぎて、誰も彼も度肝を抜かれて見入っているらしい。あたしだって、こんな三人、雑誌でも、テレビでも見たことないくらい。
 でも凄く腹が立ってて、この三人と一緒に注目を浴びてるのを気にしてる余裕もなかった。


「あんた?」
 サングラスの奥で、男が目を細めたのがわかった。
「あんただって、すごいひどいこと言ってんじゃん。文句ある?」
「バカはすぐにケンカを売る」
「はあ?」
「ミハイル!」
 女性が割って入ろうとした時、再び首を振ったその男が身を翻して立ち去ろうとした。
「無理。こんなやつ」
「そうは言っても」
 歩き出すのを止めてくる女性の手を避けて、肩越しにチラッとあたしを見た。



「こんなやつと結婚なんかできない」





 …………結、婚? 


 ケッコンーーー!?





 とっさにその外人の腕をつかんで、
「こっちこそごめんよっ」
 怒鳴っていた。

「なに言ってんの? あたし、あんたのことなんか知らないし! あんたのほうがよっぽど頭、おかしいよ。イカれてんじゃないの?」
「他人への口の利き方も知らないのか」
「ヒトに言える言葉!?」
「触るな。バカが移る」


 気づいたときには。その外人の頭がピンク色になっていた。
 金髪も、黒いサングラスも。
 顔から胸元にまで、ピンクの流れが滴っている。

 飲みかけの苺シェイクの中身を、その不愉快極まりない男めがけて、ぶちまけていたらしい。怒り心頭で。

 そして、呆然としている男にさらに、クシャッと潰したシェイクのカップを投げつけた。


「なにふざけてんのか知んないけど。こっちこそ願い下げだわ、あんたみたいなの。この世から男が全部いなくなっても、あんたなんかまっぴらゴメンよ」

 啖呵を切って、文月に「帰ろう」とうながし、集まってきていた人波を掻き分けて店の外へ出た。
 文月が、目を白黒させて、息を切らしながらついてくる。

「どういうこと!? どういう知り合いなの!?」
「知るわけないじゃんっ、あんな失礼なの!」
「でも、名前言ってたよね? 高橋阿見香って」
「関係ない。たまたまでしょ」
「いや、アミカはあんまり見かけない名前だよ」
 言ってから、走り歩きのあたしの腕をグイッとつかんで止まらせた。
「結婚って、なんなのよ? 阿見香っ」
「だから、あたしも何も知らない」
「あんた、今日、檀に告ったばっかりじゃん? なのに、結婚って、なんなの!?」
 文月に攻め寄られて、さっきよりもどんどん、脳ミソが混乱してきた。


「だから、知らないんだって!!」

 スクランブル交差点の真ん中で、叫び返していた。怒り心頭。アンド。超パニックで。





 
 あたしの父親は、外国人だったらしい。らしい、というのは、一緒に暮らした記憶がないから。あたしが三歳の時に亡くなって、うちには写真が一枚あるだけだ。
 しかも、お母さんは、その人と籍を入れずにあたしを産んで、認知もされなかったので、あたしは私生児になっている。

 俗に言うハーフの生まれ、なんだけど、お母さんの血が強烈に濃すぎたのか、あたしはどっからどう見ても日本人そのものに育った。髪の色、肌の色、顔の作りも体型も、日本人のもの。
 でも、よくよく見ると、まつ毛が長いとか、肌が白いとか、鼻筋が外人ぽいとか、足が長めとか、言われる。それも、お父さんが外国人と聞いて、じっくり観察されて、「そういえば……」と気づく程度。

 ただ、瞳の色は、普段は黒なのに、太陽の光を帯びるとちょっと緑色がかって見える、フシギな色をしてるらしい。
 外でよく鏡を見てるわけじゃないので、自分じゃよく分からない。微妙にチャームポイントかな、と思ったりはする。悲しいことに他にはナイとも言えるけど。

 生まれも育ちも日本で、外国に旅行に出たことすらない。あたしにとって外人も外国も、遥か彼方の存在だった。それがいきなり、名前どころか、国籍も知らない外人と、結婚って。
 ありえないでしょ。


 お母さんは、世間で言うシングルマザーであたしを育ててくれた。母一人子一人の生活は、けっこう悪くない。十年は住んでいる六畳二間のアパートで、仲むつまじく暮らしている。
 夕食の支度をしていると、お母さんが帰ってきた。
 仕事で遅くなる日が多いから、あたしが晩御飯の支度の大半を担当している。

「今日はなに? え? 野菜炒め!?」
「豚肉入りだよ。あとは温泉卵をのせた冷や奴、コチュジャン風味。と、おみそしる。上等じゃん」
 文句でもあるの? と口を尖らせたら。せっかくの誕生日にと呟いて、肩を落としている。

 あーーそうだったっ。忘れた!! 
 失恋のショックと、あの無礼者のパツキンのせいで。

「誕生日なのに、あなたに食事の支度をさせてる私も悪いんだけどね」
 ケーキは買ってきたからと、テーブルに白い箱を置く。結構大きそうで、かなり奮発してくれたみたいだ。給料日前なのに。うちは貧乏ではないけど、余裕がある生活でもない。
 指についたコチュジャンを舐めながら、「ありがと」と、気楽に言う。恥ずかしさが先立って、子供の時のバースデーみたいに大袈裟に喜ぶのが、もう出来ないお年頃だ。
「プレゼントは、お給料が出てからね。ボーナスも入るから。もう少しガマンしてて」
「いいよ。別に」
 嬉しいけど、無理しないで欲しい。そんなことも、言いにくくて。突き放した言葉になってしまった気がして、仕事着のスーツを脱ぐ母親から、目をそらした。


 毎日一本だけ飲む350mlのビール、お母さんの楽しみを、コップに注ぐ。
「生き返るわ」なんて喉を鳴らして飲んで、満足そうに息をつかれると、あたしも安心する。
「阿見香も一口どう?」
 ごくたまに、一口だけ付き合う晩酌。未成年だけど、ちょっとだけ。
「これをおいしいとは、なかなか思えないね」
 苦さに口をゆがめたら、
「早く大人になりなさい」
 冷や奴をほお張って、笑っている。

 早く楽させてあげたいな。まだ、時間はかかるけど。
 あたしは、マザコンなんだと思う。だから時々、記憶にない父親を、責めたくもなる。
 なんで、お母さんをシングルマザーにしたの、って。死んじゃったから、だけじゃなくて。なんで、認知もしてくれなかったの、って。
 あたしは、望まない子供だったのかもしれなくても。お母さんの事をちゃんと思いやってくれてたら、認知しないとかありえない。ご飯を食べながら思いつつ、ふと顔をあげた。

「お父さんの写真、あったよね?」
「ええ? あるけど」

 たぶん、十年近く、あたしは父の写真を見ていない。見たくなかったから。
 父親がいないって、幼稚園でもいじめられて。父なんか嫌いだと、ずっと思っていた。

 見てもいい? と言うあたしに、お母さんは、どういう風の吹き回しかしらと言いながらも、どこか嬉しそうだった。寝室の鏡台へ行き、引き出しを開ける。
 そんなとこにあったのか、と、眺めているうちに、綺麗な銀細工の写真盾に収められた古い写真が、目の前に置かれた。見知らぬ外国人と、まだ若いお母さんがいて。それから、男性の胸に抱かれている、白いおくるみに包まれた赤ちゃん。


「これ、あたし?」
「そうよ」
 お母さんが、幸せそうな笑顔で頷く。写真で見ても、分かる。赤ちゃんのあたしが、そっと慈しむように抱かれているのが。小さい頃に見たときには分からなかった、愛情みたいなものが、伝わってくる。

「すごく、ハンサムな人だね」
 素直に、そう思う。で、あたしはやっぱり、どこもかしこも母親似なんだなって。
 いや、お母さんが、ブスだとは思わないけど。平均的な東洋人顔っていうか。
 娘の感想に、お母さんが微笑んで。少女みたいに、はにかんでいる。

「どういう人だったの?」
 訊くと、
「……また、追々、話すわ」
 寂しそうに、答えた。

「一つだけ。阿見香。あなたの名前は、この人が名付けたのよ」
「そうなの?」
「漢字は、私が考えたの」
 言いながら、あたしを見つめた。
「瞳が、お父さんと似てるのね」
「そうかな?」
 写真と見比べる。
「とても美しい、エメラルド色の眼差をしていたの」

 写真を見ながら、あたしは、別のことを考えていた。
 今日会った、外人に、どこか似ている気がする。あの人は、サングラスをしていても顔立ちの綺麗さが分かる、ズバ抜けたの美貌の持ち主だった。
 それと比べると、ハンサムさでは、写真の中の父のほうが半分以下に劣るけど。どこがって言えないものの、どこか、似ているように思えてくる。
 同じ外人で、白人だからかもしれない。日本人が、海外の人から見たら、見分けが付きにくいっていうのと、同じかも。

「阿見香?」
「なんでもない」
 言って、別な質問を返す。
「なんで、アミカ、って名前を、つけたのかな?」
 お母さんは、しばらく黙ってから、
「分からないわ」
 呟いた。





 次の日、教室に入ると、真っ先に檀君と目があった。
 げっ、と思ったものの、気まずさをはぐらかしたくて「ゴメン」と手を合わせる仕草をしたら、「いいよ」ってカンジで苦笑してくれた。
 やっぱ、いい人かも。と、昨日に続いて再認識。人差し指でちょっと手招きされたので、ドキドキしながら檀君の机のそばに寄る。
 檀君が、周りにさっと目をやった。クラスメイトが聞いていないか、確認してるっぽい。

「なに?」
「昨日のことなんだけど。……まぁ、お互いに、気にしないでいかない?」
「ああ、うん。そ、そうだよね」
 って言われても、あたしは気にするけどさ。

「ってか、あたしも、ものすごく……ってわけで、言ったわけじゃないし」
 全然、そうじゃないんだけどね。
 気にしないで、って意味で言ったら、
「クラスメイトとして、ま、これからもヨロシク」
 あえて気にしないって苦笑を見せて言ってから、声をひそめて。
「俺、別に、嫌いってわけじゃないよ? 昨日、言いそびれたんだけど」
「……そうなの?」
「大人しいほうが好みってのはあるけど。高橋のこともそこまでよく知んないから、答えに困って、とっさに、ヘンなこと」

「でも、昨日、気が強いって」
「いや、それは分かるよ」
「そう? あたし、気が強い? 自分じゃ、まだまだだなって思うんだけど。気弱すぎて」
「…………」

 檀君の目が笑ったまま、沈黙している。

「自分観察苦手?」
 訊かれて、
「あ。それは得意」
 普段から自認してるので、正直に答えたら。檀君てば、お腹を抱えて笑い出した。
 そんなに派手に笑うと、他の人たちに注目されて、二人で何を話してるかって怪しまれそうと、あたしが慌ててしまう。
「むっちゃ天然入ってんだな」
 笑いを止めずに言う。

「檀君って、よく笑う人なんだね」
 明るいのは知ってたけど、近くで二人だけでこんなに長く接したことがないので、新鮮に思えた。
「俺? ああ、ヤバイキノコ食ってんじゃね?って、たまに言われる」
 ヤバイキノコ。笑い茸のことかと訊くと、頷きながら言った。
「俺のこと、檀君じゃなくていいから」
「え?」
「みんな、ヒリって読んでるし。それでいいよ」
 気軽に言われて、「実はヒリって呼んでみたかったの!」と言いそうになり、口を押さえる。さりげなく。
 檀、聖。ヒリ。本名のヒジリからとって、みんなヒリと呼んでいる。
 檀君にとっては、こだわるトコロではないらしい。男子も女子も、そう呼ぶ人が多いから。
 そうする、と、何気なさそうに答えて。じゃあ、と、席を離れた。


 長話をしてると、目に付くし……と警戒していたそばで、三、四人の女子の塊の顔がこちらを見ていた。いつも、「ヒーリィ、やだぁ」とか奇声を発して、檀君に絡んでる子たちだ。
 中の一人は、ファッション誌の読者モデルに選ばれた事があるとかいうお洒落好きな子で、その子が中心にいてグループになっている。気が合うとか、合わないとかはともあれ、まったく違う価値観の子たちだなと思って、同じクラスになってから一言も話していない。
 化粧は禁止の高校で、マスカラをつけた目をこっちに向けて、睨んでいる。あたしは、見なかったふりで自分の席についた。なんか言われてたら言い返せばいい。それだけのことだ。


 鞄から出した教科書を机に突っ込みながら、「あれ?」と思う。急いで教室を見渡して、文月がまだ来ていないのにようやく気づいた。
 あたしより早く登校しているのに慣れていたので、珍しくて、もう一度室内を確認する。
 いない。休みなのかな? どうしたんだろ。
 予鈴が鳴って、遅刻ぎりぎりで飛び込んできた時には、更にびっくりした。
 どうしたの? と、視線を送る。でも、気づかなかったように、文月は視線をそらした。 
 見ていたのに。まさか、昨日の夕方の一件を、まだ怒ってるのかな。あのバカ外人のせいで。

 授業が始まると携帯使用は厳禁なので、机の陰で手早くメールを送る。
『遅かったね。何かあったの?』
 二分ほどで、返信があった。『後で話す』
 返信が来たことに安心して、携帯を机にしまう。
 怒ってるわけではなさそう。よかった。そう安堵したのも、つかの間だった。

「えーー。今日は突然なんだが。転校生を紹介する」
 大鳴先生が咳払いをして言い、教室のドアから顔を出した。数秒を置いて、現れたその顔に、あたしは言葉を失う。




 ……あれは……あの男は。



 一瞬、ここはどこ?? と、辺りを見回してしまった。
 斜め後ろの文月を振り返ると、口元にそっと人差し指を当てるジェスチャー。

 ん? どういう反応!? え? 来ることを、知ってたってこと? 
 なに? どうして? どういうこと!?


「転校生の、ミカエル・ス……ス、マクラグドス君だ。……しかし、背が高いねぇ、君。先生の三倍はありそうだな」

 場を和ませる冗談のつもりなのか、慣れない笑いにチャレンジして、一人で乾いた笑いを浮かべる。「いや、三倍もあったら化け物ですよ、大鳴先生」とは、誰も突っ込まない。
 クラス中が、そんなことも思いつかない呆然とした空気で、一点を見つめていた。
 
 あの、外人。

 あたしが昨日出会った、あの不愉快極まりない男の顔を。 

 
 見間違えるハズがない。サングラスがなくても、同一人物だと断言できる。
 どう逆立ちしても、高校二年には見えない態度とツラ構えで、あの外人が制服を着て立っている。

 公立高にしてはかなりオシャレと噂されている濃紺の学ランを、パリコレのモデル服さながらに着こなして。
 ……制服に見えない。どこぞの国の王族に仕えるお仕着せのような。身近に例えれば、高級ホテルのホテルマンのような。行ったことはないけど。
 六月に入って制服が夏服になっても、梅雨の肌寒い日は、学ランでくる男子も多い。白い清潔なシャツと、濃紺のネクタイの夏服も、この人なら素敵に着こなせそう。

 って、ホメてどうするよ、あたし! それどろじゃないっ!!


「えーーっと。みんな、びっくりしてるな。そうだな、じゃ、自己紹介を」
 大鳴先生が、持て余した指揮棒を投げるがごとく、さっさと外人に言葉を託す。

「只今、ご紹介に預かりましたミカエル・スマクラグドスです。国籍はギリシャです。名前の読み方はギリシャ語読みではミハイルになりますが、どちらで呼んで頂いてもかまいません。宜しくお願いします」

 ギリシャ国籍。
 腹が立つくらい流暢な日本語で、「外人なのか!? 高校生なのか!?」と誰もが疑う整った挨拶を手短かにされ、一同あ然。
 大鳴先生もかなり困った様子で、頭を掻いている。
 四月からこれまで、こんなに困った顔をする先生は見た事がない。怒鳴りの大鳴りと全校で有名で、皆から避けられていて、生徒に隙のある態度を見せる先生じゃないのに。
「じゃあ、席は……そうだな。高橋の隣り。高橋大吾じゃなくて、女子な。阿見香のほう」

「は?」

 手を上げて、と言われる前に、あたしは即座に反応してしまった。しかも、大声で。


 
「は? じゃないだろ、高橋」
 いつもなら怒鳴ってるとこで、先生が受け流した。
 いや、でも、あたしの両隣りは空いていないわけで。と思ったところで、
「倉持。おまえ後ろに移動して……と言いたいとこだが、ス、スマクラグドス君、背高いんだよなぁ。一番後ろじゃないと……どうすっかな」
 慣れない呼び名にどもり、あたしの隣りの倉持君に指図しながら、迷いだす。すると、
「後ろでいいです」
 あの男からのひと声。
「じゃ、とりあえず、一番後ろの空いてるとこで。後で席替えでもいいな」

 先生の君付けにも、しゃあしゃあと意見をする転校生にも、呆気にとられて。皆が、教室の後ろへ行く外人を見つめた。

 美しく背筋の伸びた後姿は、思わず見惚れそうなほど。均整の取れた肩幅や頭身、腰にかけてのラインも、足の長さも、日本人のものではない。
 全校中の男子を、一瞬にして敵に回す存在だわ、これは。
 昨日は解いていた金色の長い髪は、一つにきちんと束ねられている。学校指定の上履きではなく、黒いレザースニーカーを履いている足元まで、何か嫌な感じ。

 椅子を引いて席に着くと、皆が一斉に前へと向き直る。
 いつまでも見ていたらマズイような、「いつまでも見てんなよ」的な、ピリッとしたオーラを発しているからだ。
 あたしは、前から二列目の席から、文月のいる席とは反対側の、ずっと斜め後ろを眺めた。

 あの男。一度もこっちを見なかった。先生が、あたしの名を呼んだときも、あたしが即座に反応したときも、こちらを見なかった。
 目をあわせる意志がないのを見てとって、あたしはカチンと来ていた。

 上等じゃんよ。世界で一番気に入らない男から、宇宙で一番嫌いな生き物になっただけだわ。                      
 




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