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天と地の境目

私と、妻と、二人の翔太

作者:天崎 剣
「大切な人を失った悲しみに、あなたは耐えられますか?」
 最近よく耳にするフレーズに、胸が痛む。まるで、私たちのことを言われているかのようだ。
 優しく微笑む恋人たち、子供たち、家族の肖像を効果的に使った、見開き広告。経済新聞の紙面を割いて宣伝しているのは、ヘヴンというロボット製作会社。故人のデータを元に、生前を忠実に再現したロボットを作ってくれるらしい。科学はとうとう、ここまで進んだのだ。当初は倫理的観点から問題視されたロボットも、精神病、認知症の治療に一定の成果があることが証明されると、瞬く間に広まっていった。

 息子の翔太が、一歳と二ヶ月でこの世を去ってから、早半年が経つ。
 春先のあの日、公園からの帰り道のことだ。妻の美佐子はベビーカーごと、居眠りの大型トラックに()ねられた。睡眠不足の運転手は、ブレーキを踏むことなく、二人を車体の下敷きにした。翔太は即死だった。幸い美佐子は軽症で済んだが、自分だけが助かってしまったという自責の念に駆られ、鬱状態に陥っていった。
 現場に居合わせなかった私は、ただ、彼女を抱きしめることしか出来ない。彼女が必死に、血だらけの息子を呼んで、止まってしまった心臓の音を探していたとき、冷たくなっていく息子をどうにも出来ず、駆けつけた救急隊員が残念ですと首を横に振ったとき、私は何も知らず、仕事をしていたのだ。真っ赤に染まった彼女の服と、無残に潰れたベビーカー、そして、決して握り返してくれることのない、翔太の小さな手を、震える両手で握り締めた感覚は、今でも忘れられない。
 茫然自失して、ただ日々を過ごす、美佐子。悲しみから押し潰され、彼女は遺影すら、押入れに隠した。息子の服も、おもちゃも、彼の残した形跡も、何もかもが、妻を苦しめる。事故直後から、私たちの日常は、崩れ去っていった。柔らかかった家庭が、どろどろと溶け出し、不気味な音を立てながら、出口のない闇の中に引きずり込まれていく。

「あなた、翔太が、翔太が帰ってくるのよ!」
 一ヶ月ほど前、追い詰められた美佐子が、私に内緒でヘヴンに電話し、契約をしていたのを知ったとき、私はなぜか反対する気にはなれなかった。前金まで払ってしまった彼女が、久しく見せなかった明るい表情で語りかけてくるのを、拒むわけにはいかないとでも思ってしまったのだろうか。翔太が死んだときに手にした保険金、その金で、ヘヴンに翔太のロボットを作ってもらうのだと、妻は無邪気に喜んだ。
 赤や黄に色付いた中庭の並木が、マンションのベランダから見える頃、私は彼女とともに、都心にあるヘヴンの本社ビルを訪ねた。ロボットの製作に必要な資料を提出するためだ。これで本当に、翔太のロボットが作れるというのか。半信半疑のまま、近代的なオフィスに通され、私たちは出迎えた数人の社員に説明を聞く。
「ベースロボットはレンタルになります。生前の画像・映像データ、ご遺族の記憶、DNAを元に、忠実に再現します」
 社員の男は、そう言って、私たちにパンフレットを差し出した。カラー写真で紹介されたサンプルロボットは、本当の人間と見分けが付かない。
「外観の製作と、ベースのレンタル費用、合計で三百万。一ヶ月後に完成予定です。完成次第、ご自宅にお届けにあがります。事実、亡くなった方のコピーロボットですので、くれぐれも、法律に反するご使用はご遠慮くださいね。違反した場合は……」
 淡々と話す社員の言葉は、次第に耳に入らなくなる。それよりも、本当に、息子が帰ってくるのだという実感が少しずつ湧き始め、私と美佐子は、知らず知らずのうちに、互いの手を握りあっていた。

 ヘヴンに赴いた頃から、妻の状態は急激に回復していった。かかりつけの精神科医に相談すると、
「あまりお勧めはしませんが、きっかけとしては、必要かもしれません」
 医者は言葉を濁す。それでも、服用する薬の量が減ったことで、少し心が軽くなる。
 翔太が戻ってくれば、もしかしたら、昔の生活を取り戻せるかもしれないと、一縷(いちる)の望みをかけながら、私たちはその日を待った。
 ヘヴンから連絡があったと美佐子が職場に電話をかけてきたのは、昨日の昼過ぎだったろうか。明日、土曜の午前中に、配達に伺うということだった。私は胸踊り、仕事を早めに切り上げ、家路を急いだ。木枯らしの舞う薄暗い秋空の下を、武者震いの腕を必死に振り、駆けていくときの気持ちは、翔太が生まれたときのそれに似ていた。
 予定日より三週間近く早産で、首にぐるぐるとへその緒が巻きついて出てきた翔太。産声を上げず、死産かと頭を抱えたと、妻が言っていた。二八〇〇グラムで生まれた小さな命は、一命を取り留めたが、よその子供より一回り小さく、産院で新生児室に並べられるのが嫌だった。丸く、赤ら顔の中に、ちょこんと座った小さな鼻は、私に似たと助産師にまで言われた。職場から駆けつけ、初めて抱いた、あの感触。幼いながらも必死に生きようと、私の人差し指にしがみつく、小さな手。ほんの少し前の出来事なのに、私は、翔太の死とともに、全ての思い出も封印してきたのだ。

 あの日以来、過ごすのも辛かった我が家は、期待と不安の入り混じったなんともいえぬ緊張感に包まれた。翔太が帰ってくる、二人、申し合わせたかのように、今まで片付けていた遺品を引っ張り出した。私は部屋の隅に、小さなカーペットを敷き、おもちゃを並べた。生前の、翔太の特等席だ。妻は着替えをダンボールから引っ張り出し、一枚一枚、思いを巡らせながら畳んでいる。久しく飾らずにいた遺影は、やっと出窓の中央に飾られ、その周りに、翔太の好きだったぬいぐるみを置いていく。
 あとはただ、翔太を待つだけ。約束の十時まで、数分。私は緊張でキリキリと痛む胃を力強く掻き(むし)りながら、畳んだ新聞をそっと食卓に置いた。椅子に掛け、気をもみながら、コーヒーをすすって待つ。妻も、落ち着かないのだろう、意味なく部屋中を右往左往し、何度も時計を確かめている。
 不意にチャイムが鳴った。
 互いに顔を見合わせ、二人同時に玄関へと急ぐ。
「ヘヴンです。お届けにあがりました」
 男性社員数人が、大きなダンボールを抱えて現れた。「HEAVEN BABY SIZE」と黒文字で書かれた、一メートル四方の箱が、ゆっくりと廊下を通り、リビングへと運ばれる。とにかく、早く中身を改めたくて、私たちは置かれたダンボールを囲うように座り込んだ。
「お待たせいたしました。……開封の前に、お借りしていた資料の返却と、確認事項を」
 一人の社員が勿体ぶって、別の小さな箱と一枚の紙切れを、私たち夫婦に渡した。箱の中身は、先月ヘヴンに渡したDVDや遺髪、写真だ。チラと中身を確認し、小脇に置く。
「あくまでも、ロボットです。記憶はデータを元に、ある程度保存してありますが、新しいことを覚えるのには容量の限界がありますので、ご注意を。特に、ベビータイプですので、月齢以上のことは求めませんよう。人間と違って、成長がないのです。いいですね。飲食・入浴は出来ません。使用前には、首の下にある起動スイッチを、ご両親に押していただきます。万が一、返却する場合は、ヘヴンにご連絡を。回収に伺います」
 はい、はいと相槌を打ちながら、それでも殆ど聞き流していた。
「開封しますよ」
 カッターの刃が、ダンボールのガムテープを切って走っていく。私たちは息を飲みながら、その光景を凝視した。
 社員たちの手でゆっくりと開かれていく箱の中に、丸い発泡スチロールの緩衝材が、ぎっしり詰まっている。その真ん中に、眠るように横たわった、小さな人間。
「しょ、翔太……!」
 妻は、その衝動を抑えられなかった。箱を囲う社員を押しのけ、緩衝材の海へダイブする。途端に小さな白い泡が、リビングいっぱいに散らばった。彼女の腕に抱かれたそれを、はっきりとこの目で捉えた私は、息を呑んだ。
 柔らかな、ふうわりと揺れる、こげ茶の髪、白いが、丸みを帯び、張りのあるほっぺた、長いまつ毛、そして、妻の腕にすっぽりと包まれる、小さな小さな体。それは、紛れもなく、あの日のままの、
「──翔太!」
 自分でも気が付かないくらい自然に、私の体は、翔太を求めた。美佐子とともに、白い泡の中で、ぎゅっと、翔太のロボットを抱いた。なんて精巧な作りなんだろう。なんて懐かしい感触なんだろう。
「スイッチを、入れなければ、動きませんよ」という声に、私たちはハッと顔を見合わせた。美佐子が慌てて、首の下の、丸いボタンを押す。
 次第に赤みが増し、温かくなるロボット。ほんの少し、起動音がするが、気になるほどではない。
「乳児の型ですので、設定温度は三十七度、体温とほぼ同じにしてあります。もう少しして、温まってきたら、目を覚ましますよ」
 言葉通り、起動から三分近く経った頃、翔太はゆっくりとその目を開けた。円らで可愛らしい、茶色の瞳が、私たちの顔を確認し、優しく微笑む。私はこみ上げる感動を抑えきれず、更に力強く、妻と翔太を抱いた。翔太の温もりがじわじわと全身を伝う、目頭が熱くなる。
「無事、起動できましたね。それでは私たちはこれで。説明書をよくお読みになってください。わからないことがあれば、専用のフリーダイヤルで、いつでもご相談を」

 こうして、私と妻と、翔太のロボット、三人の暮らしが始まった。
 妻は、憑きが取れたようににこやかになり、私の心もすっかり晴れた。昨日まで、互いに気を使い、触れずにいた翔太の思い出、遺品を、苦しむことなく、存分に見ることが出来る。
 翔太が生まれたとき、おろおろしながら初めて抱っこしたこと、笑ってくれたこと。双方の両親を呼んで、みんなで記念写真を撮ったこと。お座りして、ミルクを飲んで、ハイハイして。つかまりたっちが出来るようになり、声を発して、私や美佐子を追いかけてきて。たった、一年二ヶ月の、短い思い出が、思いもよらないくらいたくさん、私の胸の中から溢れ出してくるのだ。
 子供がいる、それだけで、私はこんなにも幸せだと──それは、本物の翔太ではないのだけれど──、そう、思った。
 翔太が帰ってきた夜、私たちは翔太をベッドの真ん中にして川の字で寝た。ほんのりと甘い匂い、呼吸の度におなかが上下するところなど、とてもよく出来ている。
「大金を払って、手に入れたとはいえ、後悔はしないな」私はボソッと呟いた。
「うん」と、美佐子は微笑み、ゆっくり目を閉じた。
 あまりの感動に、朝になったら夢が覚め、翔太はやはりいないのではないのかという不安に駆られたが、そんなことはない。
 夜間しっかり充電していたおかげか、翔太は朝からよちよちと室内を伝い歩いている。「ほら、おいでおいで」と両手を差し出すと、生前のお気に入りの新幹線のおもちゃを持って、ふらふらと近寄ってくる。「よしよし、上手上手」私の胸に飛び込む翔太を、ぎゅっと、抱きしめてやる。
 久しぶりの感覚だ。
 半年前、一歳を一ヶ月過ぎて、ようやく歩けるようになった翔太の手を引いて、部屋の中であんよの練習をしていた。一メートル歩くとくたびれて、重たいおしりをドシンと床につけてしまう、その仕草が可愛くて、美佐子と私は、何度も何度も手を引いた。「あっあっ」高く可愛らしい声が、私の耳に残っている。
 ロボットの翔太は、ミルクも離乳食も要らない。便も出さない。そこが不満だと美佐子が言う。母親からしたら、そういう、「生」に直結したことが一番大切なんだろう。私は男だから……というのは言い訳に過ぎないが、元々そういうのは無頓着で、わからない。翔太のご機嫌のよいときだけ、きっと、相手をしていたのだ。
 最初の数日は、さすがに外出をためらっていた美佐子も、買い物などでどうしても家を空けねばならなくなると、覚悟を決めて翔太を連れ出した。スーパーで、近所の顔見知りのおばさんが、「あら、翔太君……?」と不思議そうに話しかけてくるので、美佐子は心底ドキドキしたそうだ。「今流行りの『ヘヴン』ですよ。よく出来てるでしょ」と、交わすのが精一杯だったらしい。
 人目は確かに気になる。この間まで、悲しみに暮れていた分、金で息子を買って、開き直ったのだといわれれば、返す言葉がない。私たちは、道徳的に考えて、決してよい選択をしたとは思っていない。お互い、息子が死んだ衝撃に耐えられず、生きていくための希望を見出せずにいた。それを何とか打破したい、少しでも前に進みたいと、最終的にこの道を選んだのだ。後悔などするものか。
 翔太が戻ってきて、何より嬉しいのは、仕事から帰ってくると、家で美佐子が翔太を抱きかかえ、にこやかに迎えてくれることだ。温かい食卓を三人で囲う、それだけで癒される。事故の後、憔悴(しょうすい)しきった美佐子は、家事にも手を付けられない状態だった。そう考えれば、これほど嬉しいことはない。愛する妻と息子、私たちの失っていた時間が取り戻されていく。充実した日々が、そこにあった。

一ヶ月経ち、年賀準備の季節になると、私は一気に現実に戻される。
「今年は、喪中だったな……。翔太は、死んだんだ」
 たとえ今、私たちの傍らにいたとしても、本物の翔太が死んだという事実に変わりはない。
 去年は「産まれました」の挨拶を、家族三人の写真で飾った。近所の写真館に行き、私はスーツ、美佐子と翔太は着物姿で、綺麗に写っていた。泣きぐずり、なかなかタイミングよくシャッターが切れないものだと、写真屋さんも大変だった。「また来年も、よろしくお願いします」と、美佐子と頭を下げたことを思い出す。
 リビングのソファーに腰掛け、年賀印刷予約の折込チラシをぼうっと見ていると、美佐子が翔太を抱きながら近付いて来た。ゆらゆらと翔太を揺さぶりながら、彼女は言う。
「今年は、どんなお年賀にする?」
 美佐子の台詞に、私は唖然とした。
「喪中だろ」
 私は思わず、強い口調で言う。
「喪中……? 何言ってるの、あなた」
 全身の毛が、ぞわぞわっと逆立った。私は目を見開いて、美佐子を見上げていた。
「翔太が、死んだんだぞ。喪に服すのが当たり前だろう。喪中用の葉書、急いで出さないと」
 それでも私は努めて冷静に、チラシの隅にある、お悔やみ用の印字プランを指差す。
「あれから、もう、七ヶ月経つが、まだ知らせていない友人や恩人もいるんだからな」
 立ち上がった私の手から、美佐子はチラシを奪い取った。何をすると言う間もなく、彼女は翔太を抱きかかえたまま、びりびりとチラシを破き始めた。やりきれないような、納得できないような様子で、紙くずをばら撒き、わっと泣き出した。
 美佐子は、混乱し始めていたのだ。その腕の中にいる翔太と、墓に眠る翔太。二人の翔太の間で揺れていた。
 半年前に死んだ翔太は、生きていれば一歳と九ヶ月になる。お喋りも上手になってくる頃だし、どこまでも一人でずんずん歩けるようになっただろう。すっかり大きくなって、前に買った服もどんどん小さくなって、新しい物を買い足して、成長を実感しているはずだった。
 だけれども、今、我が家にいる翔太は、成長しないロボットだ。夜になるとコンセントで充電する。何も食べない、出さない。いつまで経っても、よちよちあんよとハイハイだけ。どんなに待っても、私たちのことを「パパ」や「ママ」とは呼んでくれない。
 本当に、よかったんだろうか、と、最初の決意が揺らぐ。
 もしかして私たち夫婦は、翔太というロボットの作り出す、無限ループに巻き込まれたのではないかと、だんだん思うようになった。息子の消えた現実に、太刀打ちできない弱さを誤魔化すために、ヘヴンに力を借りてしまったのではないのか。私たちは、死という名の真実に、目を背けているだけではないのか。

 数日後、妻の精神安定剤をもらいに、三人で精神科を訪れる。初老の医師は「これが話題の」と、興味深げに翔太を撫ぜながら、妻に言った。
「息子さんを失った現実を、最初は受け入れられず、ヘヴンに頼ったのだろうが、あなた方は、気づいたのではないですか。いくらそっくりだとはいえ、彼はロボットで、それ以上でも、それ以下でもないという現実に。そこまでわかっているのなら、心の病も少しずつ、快方に向かうと思うのですがね」
 妻はうな垂れ、はい、はい、と、機械的に返答している。その腕の中で、無邪気に笑う翔太を、力いっぱいに抱きしめ、
「だけれど先生、この子は、確かに翔太です。たとえロボットでも、私は、本当の翔太だと思って、精一杯接しています。思っているからこそ、どうしたらいいのか、わからないんです。怖いんです、また、翔太がいなくなるのが。怖くて、たまらなくて、先生、どうしたら……」
 泣き崩れる美佐子の肩を、私は無言で後ろから両手で覆う。
「焦らなくていい。せっかく、ここまで回復したんだから。二人とも、どうしたいのか、じっくり話し合ったことはある? 思っていることを、お互いに喋ってみたらどうだろう。いつまでも遠慮しあっていたら、何も解決しないよ」
 医師の言葉に、私はハッとした。
 その通りだ。私は、美佐子の話を、じっくり聞いたことがあっただろうか。美佐子に、自分の考えをじっくり話したことがあっただろうか。翔太が死んだあの日から、無意識に距離を置いてきた。何も喋らないのが、マナーみたいな、変なこだわりが私の中にあった。本当に、美佐子のことを、翔太のことを考えているのなら……、タブー視しないで、きっちり、話し合うべきだったんだ。

 その夜、翔太を挟み、いつものようにベッドで眠る美佐子に、私は意を決して、切り出した。
「翔太を、ヘヴンに返そうかと思っている」
 暗い寝室に響いた私の声に、美佐子は酷く驚いた様子で、だけれども、心のどこかでいつかそういうことになるのではないかと思っていたような、そんな声で、「うん……」と答えた。
「どんなに時間が経っても、このままだと私たちは事実を受け入れられないし、状況も変わらない。この、翔太が、決して可愛くないわけじゃない。だけど」
 そこまで言って、息を詰まらせた私の髪を、美佐子が翔太越しに撫ぜてくれる。
「私もね、本当は、このままじゃ駄目なんだって、わかってたの。だけど、私が言い出したことだから、簡単に、言い出せなくて。翔太がいなくなったのも、この翔太がやってきたのも、全部私の」
「それは違う。君のせいじゃない。交通事故には、こっちの過失はなかったって、裁判でも決着付いただろ。ヘヴンの広告は、ずっと私も気にかけてた。君がやらなかったら、きっと私が契約してた。誰のせいとかじゃなくて、お互い、弱い心を誤魔化すために、必死だったんだよ」
 私はそうっと、右隣に眠っている翔太の右手を握った。
「私たちは人間で、年をとる。そして、いつか、死ぬ。残念ながら、私たち自身の心も、日々移ろい行く。翔太を失ったときの、あの衝撃から、少しずつ立ち直ろうとしている今、私たちは、翔太の死を見つめなおさなければならないんだ。潮時だったんだ」

 次の日、私たちはヘヴンに回収願いの電話を掛けた。クリスマスの朝、社員が引き取りに来るという。
 一気に肩の荷が下りたように、私たちは深く息を吐いた。受話器をそっと置き、振り返ると、そこにはいつもの笑顔で歩み寄ってくる、ロボットの翔太がいる。二人、どちらからということもなく、翔太に手を伸ばした。私と美佐子の真ん中に大きく両手を広げて、息子が飛び込んだ。このよちよちあんよとも、もう少しでお別れだ。
 休日の午後、初盆以来ずっと行けずにいた、翔太の墓へと向かう。美佐子の精神状態の酷さから、盆は私だけが墓参りをしたから、彼女は納骨以来、約半年振りになる。墓地へ向かうタクシーの中、翔太を抱いたままぼんやり景色を見つめていた美佐子。彼女の目に映るのは、住宅街に見え隠れする庭々のイルミネーションか、それとも、清々しいくらいに澄み切った、冬空か。
 郊外の墓地、静まり返った林の奥に、タクシーを降り、歩いていく。三人、手を繋ぎ、ゆっくりと墓を目指した。不意に冷たい風がひゅうと吹き、美佐子の首に巻かれた茶色のマフラーを靡かせる。枯葉がばっと舞い、私たちは慌てて肩を縮めた。寒いね、と、白い息を吐きながら、微笑みあう。
 なぜかしら、心は澄んでいた。今までの、張り詰めた空気が解き放たれたように、私は落ち着いて、翔太の墓の前に立つことが出来る。
「翔太、来たよ」
 と、私は持ってきていた佛花を供えた。蝋燭(ろうそく)に火を点け、線香を()く。一方で、妻が翔太の手を引きながら、そうっと墓に水を掛けてやる。
 三人、(そろ)ってしゃがみ、手を合わせた。無言で、何分も、何分も。不思議そうに真似る翔太に構おうともせず、じっと下を向いていた間、妻はどんな気持ちでいたんだろう。顔を上げたとき、互いの目から、二本の筋が流れていた。
 クリスマスまで、一週間、私たちは最後の日々を、噛み締めるように過ごした。ロボットの翔太を朝起こし、コンセントを抜く。私はいつものように出勤し、妻は日中、翔太とゆっくり散歩する。もう、他人の目など、気にならなかった。私たちはただ、ひたすら懸命に、愛情を注いだ。決して上手くならないあんよの練習、おしゃべりをさせてみたり、踊らせてみたり。翔太に出来なかったことを、もっとしてやりたかったことを、何度も、何度も。
 イヴにはケーキを買って、たくさんの料理をこしらえて。テーブルを囲み、ご飯をあげる真似事をして、クリスマスソングを歌ってやった。サンタの帽子、クリスマスプレゼントのサンタブーツ。今までのありがとうをこめて、二人で頬にキス。
 夜が明け、クリスマスの朝、約束の午前十時。ヘヴンの社員たちが、空のダンボールを抱えてやってきた。
「よろしいんですね」と、社員。
「はい」「後悔しません」と、私たち。
 胸のスイッチを、二人で押す。翔太のロボットは、次第に力が抜け、起動音が小さくなり、やがて、止まった。赤みを帯びていた小さな頬は、棺桶に入ったあの日の翔太のように、真っ青になった。抱きかかえ、小さな丸い粒々の緩衝材の海へと戻してやる。体の重みで次第に、翔太は泡の中へと沈んでいく。
「ありがとう、翔太」「さよなら、翔太」
 ゆっくりと閉じられていく(ふた)を、断腸の思いで見つめた。
「それでは、これで。──本当に、よろしかったんですか。あまりにも短い期間でしたが」
 去り際に、玄関で社員の一人が声を掛けてきた。眉間にしわ寄せ、哀れむような顔で見つめる彼に、私は言った。
「大丈夫。大丈夫です。もう、気持ちの整理は付きました。それに」
「翔太は、気持ちを引きずりながら生きていく私たちを、褒めてはくれないでしょうから」
 妻も重ねて言う。
「ロボットの翔太が、しっかり、教えてくれましたよ。いつまでも、思い出に(すが)っていてはいけない。本当に大切なのは、私と妻が、息子を愛していたということなのだと」

 それからも、ヘヴンの広告はよく見かける。私たちのように、大切な家族を失った人たちが、同じように電話を掛け、家族を取り戻している。そして、やはり、同じように、現実を知り、立ち直っていく。翔太だったロボットも、今はきっと、別の外見に変わって、小さな家族を失った人たちの天使になっているのだろう。
 実に嫌なシステムだ。こんなものがなかった時代でも、同じような境遇で、立ち直り、再スタートを切った人は、いくらでもいる。本当は、ヘヴンに頼らなくても生きていけるはずなのに。技術に頼った私が恨めしい。
 いつか、また新しい家族が増えたら、翔太と同じように成長していく過程で、私は、彼の思い出に(ふけ)る。悲観などしない。あの日、失われた命は、私たちの中で、次に繋がっていくのだから。
 福岡の飲酒運転事故から1年と少したった頃、新たな命に笑顔で会見した夫婦に、一部世間から厳しい声が寄せられた。
「子供が3人も死んだのに、なぜ、子供が生まれたとあんなに笑っていられるのだ」
 私は、このような声に疑念を抱いた。
 立ち止まってばかりいるのは、決して良いことではない。夫婦が一緒に揃って無事だった、それだけでも、救われる要素がたくさんあるのに、同情どころか、非難するというのは、どうか。命の大切さ、死への向き合い方。昔はなんともなかった、このような事柄が、なぜか神聖化され、タブー視されてしまっている。とても大変なことが起きている。
 この小説の夫婦は、立ち止まることだけで、前に進むことが出来ないでいた。責め続け、鬱になる妻、おろおろする夫。──それを打破するための息子のロボットは、幻影を実体化させただけのもの。結局は、人間の心が立ち直らなければ、何も解決しないということに、最終的に気づいていくのである。
 人を失う悲しみは、確かに大きく、辛い。しかし、人間はいつか死ぬ。出会いと別れは表裏一体、決して、逃れられない運命なのだ。
 当然のことながら、死について扱うことは慎重でなければならないし、軽々しく断定的な意見を押し付けることは避けなければならない。それでも、いつまでも死に固執しているわけにはいかない。前を向いて歩いていかなければ、きっと、天国へ行った子供たちは救われないのである。
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