『言霊袋』 ―さがしもの―
『言霊袋』
日曜早朝の公園。
パジャマ姿の男が、茂みの中をごそごそとかきまわしている。 胸元まで茂みに突っ込み、尻だけ出した姿で、しばらく、ごそごそごそごそすると、男は道をたどり始めた。
田植えでもするように、腰を屈め、口ではぶつぶつ何かを言いながら、あたりを窺いつつ、ゆるゆると進んでいく。
「なにか、探し物ですかな?」
犬の散歩中の老人が、男に声をかけた。
男は思わぬ声に驚き、ぜんまいが巻き戻るように、ぴんっと腰を伸ばし、老人に斜め三十五度くらいに向き合った。
昨晩はうつ伏せで眠っていたらしく、男の伸びた前髪は右に流れるように、中途半端な形で立ってる。
「先ほどから見ておりましたら、何やら、かなり必死なご様子。 この辺りで何か落とされたのですかな? それとも、犬か猫かをお探しですかな?」
男は、視線を右に下に左にと、落ち着きなく動かした後、はぁ、と大きく息をついて、ぽつんと言った。 だらりと垂らした手には、紫色の巾着袋が握られている。
「言葉、なんです」
老人は、思いもよらぬ男の返答に目を丸くした。 空いた手でひとつ咳払いをすると、男のつま先から頭まで見て、問い直した。
「言葉、ですかな?」
「はい、言葉、です」
頬がこけた顔色の悪い男は、やはり視線を右下左と彷徨わせながら、言葉を続けた。
「正確に、言うと、言葉を入れた、封筒なんです。 ぼくは、そこのマンションの、四階に、住んでいて……」
老人は、抱えて歩く方が早いであろう犬を足下に引き寄せると、男の顔を覗きこみ、驚き言った。
「おや、これは奇遇ですな。 私はその向かいの家に住んでいるんですよ。 あのマンションの方は、よくお見かけするので、たいてい知っていると思っていましたが、失礼ながら、あなたのことは存じ上げませんでした」
男は胃の辺りをしきりに摩りながら、今にも消えてしまいそうな、不明瞭な言葉で語った。
「越してきたのは、半年前で。 毎晩、帰りは深夜、ですし、朝も、ぎりぎりまで寝て、走ってますので」
「それはご苦労なことですな。 それで、その言葉は、昨日の帰りに、ここで落とされたと?」
男は朝だというのに、深夜のようなため息を吐いて、ぼつぼつと続けた。
「いえ、普段は、自宅の引き出しに、しまってあるんです。 この袋に入れて。 昨日、色々ありまして、やはりその言葉を、しまっておくのはやめよう、と思いまして。 残業で遅くなって、疲れていたんです。 封を開けるのは、今日にしようと、思っていたんですが、気になって。 以前にも何回か、この言葉、逃げ出したことがあって。 だから、寝る前に、ちゃんと入っているか、確認したんです。 ちゃんといるって確認したら、安心して、寝てしまって……。 今朝、目が覚めた時には、いなくなっていたんです。 袋の紐をきちんと結んでいなかったのが、いけなかったんです。 前逃げ出した時は、部屋の中で、捕まえられたんです。 でも今日は、部屋中探してもいなくて。 窓を開けっ放しにして寝ていたから、きっと窓から外に逃げたんです。 明日は、明日こそ、もう、使ってしまおうと、思っていたのに……」
話しているうちに気持ちが昂ぶったのか、男は泣き崩れるように、頭を抱えその場に座り込んだ。
老人は、その姿があまりにも痛々しかったので、男に「私も一緒に探しましょう」と提案をした。
男は一瞬迷ったそぶりを見せたが、背に腹はかえられなかったのか、「よろしくお願いします」と、丁寧に頭を下げた。
男が言うには、言葉を入れた袋というのは、ハガキ大の黒色の封筒であるという。 糊でしっかり封をしてあるので、口は開かないようになっており、中身だけが出る心配は、雨でも降って濡れない限りない、のだという。
公園には、老人の他にも、朝のジョギングなどの運動をしに来ている人が多くいた。
老人は、それらの多くの人々と顔見知りらしく、声をかけ、男の探し物の手伝いを頼んだ。
男は、大勢の人々に協力を求めることに戸惑い、謝意を示して遠まわしに拒絶したが、老人は、「探しものは、手を分けて行った方がはやいですよ」と、にこやかに、次々と顔見知り声をかけていく。
人々は、好奇心をそそられたのか、朝食前の時間だというのに、二つ返事で言葉探しを引き受けてくれた。
「しかし、なんですな。 文字ではなく、形のない、言葉、自体を入れておける封筒とは、また珍しい物をお持ちですな」
老人がベンチの下を探しながら言った。
「通販で、買ったんです。 一袋三百五十円。 三枚セットだと、千円になるんです」
男の声は、はじめより明瞭になっていた。
「通販ですか。 私の家でも妻がよく利用していますよ。 なんですかな、電話一本で、どんな物でも自宅まで届けてくれるから、たいそう楽なんだとか。 そうそう、おまけにいくらかの金額を超えると、送料が無料になるとか言って、よく必要以上の数を買っているようでしてね」
「そうなんです、よね。 ぼくも、買い物に出る時間もあまりないし、この辺りの店は地理不案内で、通販ってありがたい、んですよ。 どんなものでも売って、ますし。 奥様の気持ちも、よく、分かります、ぼく。 つい、そういった言葉にひっかかってしまって、そこまで必要のないものまで、つい、買ってしまうんです。 実は、あの封筒も、そういった経緯で、買ってしまって。 あと三百円で、送料無料になって。 でも、三百円のために、千円のものなんか追加したくない。 素直に送料を払うか、どうしようか迷っていた時に、収納の頁で、あの袋の宣伝文句が目に入ったんです」
《失敗の引き金になる言葉、口にしてはいけない言葉。 口からでる災の〈言葉〉を、選んで収納!》
――その一言を言ってしまったために、友達と喧嘩をしたり、恋人と別れてしまった苦い思い出はありませんか?
たった一言。
その一言が、取り返しのつかない結果を作ってしまうことも、人生ではよくあることです。
言葉は生き物です。 管理をしっかりしておかないと、この先また、うっかり口から出てしまうことがあるかもしれません。
けれどご安心下さい!
この〈言霊袋〉に、禁句の言葉をしまっておけば、その言葉は永遠に、あなたの口から出ることはありません。
一度この袋にしまえば、封を開くまで、その言葉があなたの口から出る心配は、永遠にないのです――
「〈言霊袋〉ですか。 つまりは、腹にたまった愚痴や不満を、その封筒の中に封じ込める、ということですな」
「はぁ、まぁ、そういうことに、なりますね。 ぼくはもともと、はっきりと、思ったことをを口に出来るタイプではないんですが、その、不満を、言ってしまいたいと思うことが、時々あって。 でも、言ってしまったら最後、たいそう痛い目……その、そう、周りで聞く人達に不快な思いを、させて、その、一度口にしたことがあった、んですが、それ以来、そういった言葉を口にしては、いけないと思って――」
「不満のひとつやふたつ持つことは、普通ですよ。 それをしまいこんで、口から出さないようにしようとする、あなたは周囲にずいぶん遠慮をされる、我慢強い方ですな。 しかし、ですな。 こう言ってはなんだが、その袋は確かに、使えるものだったのですかな?」
男は、老人の顔を始めて正面から見ると、それまでの気弱そうな表情を一変させ、いきいきと話を始めた。
「そう、そう思われるでしょう? ぼくも、これはマユツバだと思って、冗談で一枚だけ買ったんです。
届いたその日は、ちょうど土曜で休みだったんで、上手い具合にすぐに受け取れて。 早速箱を開けると、他の商品の上に、紫の布袋に入った封筒と使用説明書が入っていたんです。
それに書いてあるとおり、ぼくは、暦で言霊をしまうのに良い日付を決めると、その日の太陽が昇る前に起きて塩水でうがいをして、東に向かって正座し、しまっておきたい言葉を、その日一日かけて封筒の口に向かって言ったんです。
最後の言葉を言い終わると、付属の専用糊で封をして、なんの言葉をしまったか但し書きも書いて、この外袋に戻して引き出しにしまったんです。
この外袋には、言葉を鎮める呪いがしてあるとかで、言葉を眠らせておく作用があるんだそうです。 この袋に入れないと、言葉が封筒を支配して、外に逃げようとするんです。 言葉というものは元来、外に出たがるものらしくて、きちんと保管しないといけないと、説明書には書いてありました。
実際、言葉をしまった後からは、封筒が意思を持った生き物みたいに、暴れ出したんです。 説明書にも、そう書いてありました。
〈しまった言葉の種類によっては、封筒が暴れだしたり、徘徊したりする可能性がありますので、言葉の収納後は、速やかに外袋に入れるようにして下さい。〉って。
でもですね、あの封筒は本当にすごいんです。 しまった言葉は、本当に口から出なくなってしまったんです。 以前なら思わず口に出してしまいそうな状況になっても、形にならないまま、すうっと、消えていくんです。 霧が散らされるみたいに、決して、ぼくの中では言葉にならないんです」
「それはすごい封筒だね」
老人に声をかけられ、一緒になって探してくれていた酒屋のかみさんが、首に巻いたタオルで、にじんだ汗を拭きながら二人の会話に加わってきた。
「あたしもひとつ買いたいものだよ。 いやさね、うちのダンナがさ、酒飲みのろくでなしでね、酒漬けの狸みたいに毎晩まいばん、居間に転がってるからさ、あたしゃ毎晩『このロクデナシの役立たず』って怒鳴り散らしてんだけどね」
かみさんは、ベンチにどかりと腰を下ろすと、老人と男にも座るようにと、腕を引っ張った。
「頭にきたそん時は、怒鳴ってすっきりしてるんだけどね、後でこう、あんなこと言わなきゃよかったって、もやもやしてさ。
あたしが怒鳴ると、ダンナも怒鳴って大喧嘩になるし、子ども達は呆れて寄り付きもしなくなるしさ。
娘には『母さんがあんまり父さんを罵るから、父さんは余計に酒を飲むんだ』なんて言われてさ。 あんたなんかにゃわかんないよって、思うんだけどさ、一理はあるかって思うことがあってさ。 その、なんだい〈言霊袋〉ってやつに、その言葉を入れてしまっておいたら、口から出なくなるんだろう? 口から出なくなりゃ、少しはダンナとの喧嘩も減るんじゃないかって思ってね。 ね、あんた、そう思うだろっ?」
男は、かみさんの同意を求める言葉に、どう答えてよいか分からず、腰を浮かせ気味に、視線を右下左と彷徨わせ、「はぁ、まぁ、その――」と、曖昧な言葉をなんとか口にした。
「おまえさんとこの夫婦は、どっちも口がたつからな。 だいたい、言い合うことが、互いのストレス発散手段になってるんじゃないのかね? 言い合うことを止めたら、他のところでストレスがたまるんじゃないのかね?」
犬を抱えた老人が、苦笑の混じった、やんわりとした言葉で、かみさんの勢いを受け止めた。
「まぁ、確かにそうなんだけど、試してみないとわかんないからね。 で、その袋ってのは、どこの店で売ってるんだい?」
かみさんが、男に急かすように問うと、男は曖昧で卑屈な笑いを浮かべた後、うつむき、謝るように言った。
「その通販の店、いまはもうないんです。 潰れたみたいで。 でも――」
「でも、なんだい?」
「この方の、言われるとおり、ですよ……」
男は胃の辺りを摩りながら、他では見たことがない、その店オリジナルの商品だったと、付け加えて言った。
「おやま、そりゃ仕方がないね。 しかしさ、それならその袋はよけい貴重なモノじゃないか。 おまけに、明日入用なんだろう?
早く探しださないと、もっと遠くに逃げちまうかもしれないよ」
周りから賛同する声がたくさん聞こえてきた。 男が顔を上げてみると、いつの間にか二十人以上の人々が、一緒になって逃げた言葉探しをしてくれていたのだ。
人々は、口々に、口笛を吹いたり、ちっちっと舌を鳴らして、封筒を呼んだりしていた。
男は、目頭が熱くなるのを感じた。
毎日上司に怒鳴られ罵られ、同僚に無視され舌打をされ、後輩に影で笑われている、という噂を、社員食堂で聞いたりする自分に、こんなに協力をしてくれる人たちがいる。
じんわりとした、温かな思いが、胸の奥底で生まれるのを感じた。
「いた、いたよっ。 ここに隠れてるっ」
まだ声変わりもしない男の子の声が、公園西口近くであがった。
最初に声をかけてくれた老人が、男の肩をぽんと叩き、「よかったですな」と笑いかけると、男に急いで行くよう促した。
男の後に続き、言葉捜索に参加した人々が、一斉に子どもが指さしている、西のジメジメしたトイレ裏の茂みに集った。
男の言ったとおり、それは黒い封筒だった。
器用に、四隅を手足のように使い、下二隅で立ち、上二隅で、追いつめられたトイレの外壁に寄りすがっていた。
「間違いない。 これです。 この封筒です!」
男は嬉々とした声を上げた。
周囲からも拍手と歓声が上がった。 皆でひとつのことを全うした達成感が、その場に漂っていた。
「さ、はやく捕まえなよ。 そうしないと、終わんないよ」
酒屋のかみさんが、男の肩を力いっぱいに叩き言った。 他の人々も、そうだそうだと励ますように言い連ねた。
男は、じりじりと封筒に近寄ると、しばらく睨みあった末に、さっと封筒に飛びかかった。 しかし、封筒はするりと男の手を逃れると、下二隅をフル回転させ、人々の足下をすり抜け、道へと逃げ走った。
薄っぺらで柔軟な封筒は、取り押さえようとする人々の手から、器用にするすると逃げまわる。 時には上二隅を動かし、追いかける人々を、からかうような仕草さえとった。
黒い封筒に翻弄され、人々が汗をかき始めた時。 突然、多量の水が横手から勢いよく放たれた。
「あー。 ごめんなさい。 封筒だけにかけようと思ったのに……」
水道の蛇口につけられたホースから、じょぼじょぼと水を出している子どもの姿が、人々の目に入った。
男は、呆然とした。
足下には、水に濡れ重くなった封筒が、虫の息で、横たわるように落ちていた。
地面にできた浅い水たまりの水を吸って、封筒は更に膨らみ、大きくなっていくように見える。
その上に、一筋の太陽の光がすっと射した。
「ほら、やっぱり! 水をかけたら、封筒動かなくなったよ。 紙は水につけるとふにゃふにゃになって、ボロボロになるもんね」
子どもは得意げに走りよってくると、男の足下にある封筒を拾い上げた。
笑顔いっぱいに男を仰ぎ見ると、はい、と男の手に封筒を渡した。
水気を吸った封筒の封が、はらりと開いた。
しまいこまれていた言葉が、堰を切ったように封筒の中から溢れ出た。
封筒の色のままに、どす黒い言葉の、大洪水だった。
黒い封筒の隅には、白のペンで小さく
『罵詈雑言五十選』と、書かれていた。
それからの男。
つかの間築かれたかに見えた、近所の人々との関係は、ただ気まずく、奇異な視線を向けられるだけの間柄となった。
そうして、
男はますます通販生活にのめりこんで入った。 外出は、会社との往復だけになった。
男は、二度と、通販で不要な買い物はすまい、と心に誓った。
しかし、もし、衝動でまた何かしらを買った場合には、使用説明書を熟読し、その内容を違えてはならないのだと、深く心に刻み付けたのだった。
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