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春の夜の宴

作者:知花 けい
 サクラを愛でる。美しいものを愛するこの国の人たちにとって、それは古の頃よりの習慣らしい。特に、ほんのり桃色のそれを一等好む。木々の足元で風呂敷を広げ「新しい出会いに!」だとか何とか言いながら杯を交わし浮かれる姿は、それ自体が春の風物詩となっている。

「花粉症が辛いから、春なんかはやく終わってほしい」

 つい先日までそうボヤいた人たちも、短い花見の時期ばかりは素直に春を堪能するのだから不思議だ。

「夜桜って初めて見ました!キレイですねぇ」
「やっぱり春のこの時期が最高に気持ちいいよな」
「やっと冬が終わったって感じがするわ」
「ホッとする反面、身が引き締まるっていうかさ」
「わかるわかる。新しい自分に出会える気がするわよね」

 新しい職場に、新しい仲間たち。多少の緊張をもって始まった宴会も、ライトアップされたサクラの幻想的な雰囲気と酒の力も相まってゆるりとほぐれていく。

「千秋先輩も、春は好きですか?」

 ふいに問われた質問に、千秋は思わず苦笑いを浮かべた。

「春は苦手かな」

 そしてその応えは、大概の人を驚かせるのだ。

「えっ、花粉症ですか?」
「サクラが嫌いとか?」
「うーん、そういうわけじゃないけど……息苦しくてね」

 春は、今まで眠っていた草木が一気に芽吹く季節だ。新しい生命、新しい世界、新しい旅へかける希望。そういった類の、夏とはまた少し違った瑞々しくも「漲った」エネルギーでごった返す春の空気は、平穏・静寂を好しとする自身にとっていささか賑やかすぎるらしく、どうも落ち着かない。

「季節の変わり目は体調崩しやすいって言いますしね」
「自覚してなくても花粉症ってこともありますよ。一回診てもらうといいかもですね」
「ありがとう。そうしてみるよ」

 どうやら本気で心配してくれているらしい後輩たちに笑って礼を述べると、ふわりと吹いた甘い夜風に乗って背後から聞き覚えのある声がかかった。

「千秋」

 向かい合って座っていた女の子たちが「きゃあっ」と黄色い歓声を上げた。振り返ると、果たしてそこにいたのは社内一の色男と謳われる同期・佐倉その人であった。

「隣いいか?」

 そう言うと、彼はこちらの返事を待つことなくさっさと腰を落ち着ける。唐突に現れた憧れの先輩を前に、周囲の新入社員は慌てて新しい飲み物と取り皿一式の用意に走る。程よくゆるんでいた場の空気に、先ほどとは異なった種の緊張の糸が張られた気がした。温度も多少、上がった気がする。

「……相変わらず人の返事を待たない人ですね」
「いいじゃん、別に減るもんじゃなしに」

 出会った当初はこの強引さに辟易し、時に大いに振り回されもしたが、四年目ともなると最早諦めの方が強い。ちらちらと女性社員たちから投げて寄越される羨望と嫉妬の視線を一身に受け、困ったことになったなと小さくため息を吐いていると、新しい缶ビールを手にした佐倉が口を開いた。

「体調悪いのか?」
「え?」

 思いもよらぬ問いかけに、意図せず素っ頓狂な声があがった。問いかけた本人は「違ったか?」と、こちらの声に若干驚いたように目を瞬いている。

「さっき医者に診てもらうだのなんだのって聞こえた気がしたんだが」
「……ああ」

 花粉症の、と続けようとした矢先、タイミングを見計らっていたらしい後輩たちが、時は着たり!と言わんばかりに一斉に口を開いた。

「秋山先輩が春は苦手って言ってたやつですね」
「息苦しいとかなんとか」
「季節の変わり目だから体にきてるのかなって」
「あるいは自覚してないだけで花粉症化もしれませんね、って話してたんです」

 立て続けに提供される情報に佐倉は一瞬面食らうも、すぐに笑って応じた。

「なるほどね。俺の勘違いってわけか……せっかく介抱してやろうと思ったのに」
「間に合ってます」

 間髪入れずにぴしゃりと返すと「冗談だよ」と笑わた。

「俺はてっきり、千秋先輩はサクラが嫌いなのかなって思ったんですけどね」

 酔った後輩が横槍を入れると、すかさず周囲の女の子たちが反応を示した。

「サクラが嫌いな人なんて聞いたことないわよ。私は好き」
「サクラ、すごくきれいだもの」
「夜に見るサクラも、また格別よね」
「あんまりサクラ、サクラ、って言われると自分のことを言われてるみたいでこそばゆいな」

 こんな時でさえ、朗らかに笑う佐倉はあくまでも爽やかだ。嫌味一つ感じさせない。その爽やかさで、妙な緊張感が漂っていた場の空気を和ませることもまた、一瞬だった。

「もう、先輩ったら!」
「先輩がカッコいいのは周知の事実っすよ」

 彼が人から好かれるのは、天性のものなのだろう。顔立ちだけでなく、気づくといつの間にか相手の懐に飛び込んでいる。飛び込まれた側は、なんとなく手を取ってしまう。そんな不思議な魅力が、彼にはあった。

「で、どうなのよ?ホントのとこ」

 ぼんやりと手元のコップを弄びつつ思考していると、再び問いかけの声がかかった。応じるように視線を上げると、いやにまっすぐな瞳とぶつかり、ほんの一瞬、きらりと濡れた美しい黒に見入ってしまった。

「サクラ、嫌い?」
「……」

 振り切るようにして視線を頭上へ向けると、ヒヤリと冷たい冬の名残の中に、銀色に光る月と柔いピンクに染まった桜が目の前に広がった。

「サクラも春も、苦手ですね」

 賑やかすぎる春の息吹に、酔うことは叶わない。
 なりを沈めていた思いが、じわりじわりと溢れ出す。



 だから僕は、サクラの咲く春が苦手だ。


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