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お嬢様と秘密の恋。 作者:庚 真守
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くちづけと令嬢

「心配になって様子を見に来たんだが……編入生二人を同じクラスにしたのは、かえってまずかったな」
 今さら……だとも思ったが、そんなことが犬飼親子には通じない。
 甘すぎるほど優しかった“執事”
 遠い昔の記憶の中でも、彼らのことだけは今でもよく覚えている。
 かつて、自分が“お嬢様”と呼ばれ、大切にされていた時代があった。そんなころのことは覚えていないことも多く戻りたいとも思わない。
 それでも彼らに再会できたことは懐かしくも嬉しかった。
 愛されて育ったという幼い日の思い出は、これから先、大人になっても宝物になるだろう。
 ……まさか、あの当時のお嬢様扱いが今でも続くとは思ってもみなかったけど……。

 ――お兄ちゃんは、見違えるほど素敵になった。
 大人の男性だ。当たり前のことなのに、ひどく寂しい気がする。
「ここで、一人で食べるのか」
「うん……」
「クラスに馴染めないのか?」

 いきなり核心をつかれた! と思う間もなく、小太郎の顔が近づいてきた。今にも鼻先がぶつかりそうな距離になって、あわてて萌花は後ずさった。
 肩をつかまれたままなので、すぐに引き戻されてしまう。
「困ったことがあったら、何でも言えって、さっきも教えたろ?」
 小太郎の手に力がこもる。つかまれた肩が痛いほどだった。
「ご、ごめんなさい……ちょっと慣れてないだけだから……平気」
「平気じゃないだろ。萌ちゃんは、そうやってすぐ一人で抱え込む」
 その場にひざまずいて視線を同じ高さにすると小太郎は、いっそう顔を近づけてきた。
 ――こういうところは、小さいころと変わってない。

“お兄ちゃん”は、華奢でちょっと可愛くて……あの頃の写真を見たら、どことなく女の子みたいにも見えた。
 だけど、今は雰囲気がまるで違う。
 猫科の動物みたいな大きかった目も眦が切れ上がって、鋭くなっている。喉仏のありかが見て取れるし、声も匂いも、何もかもが違う。
 肩に置かれた手の大きさや力も……当たり前のことなんだけど……やっぱり男の人なんだ。
 それなのに、まだ萌花のことは子供扱いにする。
 変わったのは、お兄ちゃんのほうだけで、自分自身は小さかった頃と何も変わっていないらしい。
 そう思うと萌花は、少しがっかりしたような安心したような複雑な気分になる。

「あの、先生。痛い……です」
「ごめん……」
 小太郎は、すぐに手を放してくれた。
 せっかく心配してくれたのに、そんなことしか言えない自分がイヤになる。
 気まずい雰囲気をなんとかしようとして萌花は、犬飼校長が言っていたことを思い出す。

「あ、あの……産休でお休みの先生の代わりなの?」
「大事なお嬢様がオヤジの学校に編入するっていうからね。萌ちゃんこそ、いろいろ大変だったね」
 昔のことは記憶に薄い。覚えているのは、一緒に遊んでくれたお兄ちゃんのことばかりだ。
 お兄ちゃんは、いつも優しかった。
 でも、時々なんだか寂しそうな……どこか、遠いところを見るような不思議な眼の色になる。
 つかみどころがなくて本物の猫みたいにクルクルと変わる眸だけは、昔と変わらない。

「そんなことないです。全然、平気だった、です!」
 妙に力を入れて言うと小太郎は、ふっと笑った。
「旦那様のお仕事が思わしくなかったから、使用人たちも、少しずつ減っていってね」
「あたし……何も知らなかった」
「萌ちゃんは、子供だったからね」
「でも、今は子供じゃないです」
「親からしたら、いくつになっても子供は子供だよ」
「……先生は、どこであたしたちのこと……聞いたの?」
 萌花がそう言うと小太郎は、わずかに眉を上げる。
「“お兄ちゃん”も大人になると、いろんなツテもできるからね」
 何も言ってくれないのは、小太郎だけではない。両親もそうだった。
 いつも分からないまま流されていくのは、自分が子供だからだろうか。

「あのね、お兄ちゃん……」
 つい、つられて先生ではなく“お兄ちゃん”に戻ってしまっていた。
 自分でも分かっていたけど今さら“先生”と言い直すのも気恥ずかしい。
「こうして学校に通えるのも、お兄ちゃんと犬飼さんのおかげです。本当にありがとう」
「……お嬢さ、ま……」
 ふいに小太郎の声が詰まった。
 からかってお嬢様と呼んでいるのだと思ったら小太郎は、萌花の手を両手でおし戴いた。

「はぅ?」
 驚いたはずみで声が裏返った。
 近々と見つめられて、どうしたらいいのか分からない。
「萌……」
「は、はい?」


 この状況は、なんなんだろう。
 ――からかっているのかな?
 萌花は、小太郎が面白がっているのかと思った。
 だが、まるで貴重なものを扱うように萌花の手を小太郎は、恭しくささげ持つ。そうして自分の唇を押し付けた。
 小太郎の唇が触れた手の甲が、ひどく熱く感じる。
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