挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
お嬢様と秘密の恋。 作者:庚 真守
4/15

ビスク・ドールと令嬢

 すでに朝の礼拝が始まっている時間だった。
 キリスト教の学校なので毎朝の授業前20分間ほどの礼拝があり、讃美歌斉唱に始まり祈祷で終わる。
 父兄を含め生徒たちにもキリスト教徒は多くない。キリスト教他派教徒、仏教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒など……萌花の家も仏教徒だ。
 職員室に戻ったころには、小太郎と萌花のほかに誰もいない。校長室でゆっくりとお茶を飲んでいたせいだろう。

「もう一人の編入生は、本来なら別のクラスになるはずだったんだけど……かえって目立つことになるな。悪いことをしてしまったね」
「そんなこと……ありがとうございます……」
 ぎこちない微笑みを萌花は浮かべる。
 昔のように“お兄ちゃん”と呼ぶことも甘えることも“してはいけない”ような気がする。
 校長先生はともかく、小太郎は担任教師なのだ。
 これからも一年間、彼が先生でいるかぎり自分だけが甘えてはいけない。他にも生徒はいる。
 抱きしめられてドキドキしていたのは自分だけで、小太郎にしてみれば、かつて自分が面倒をみた赤ちゃんが大きくなっただけのことだ。
 赤ん坊をあやすのと同じような気分だったのだろう。
 そもそも“抱きしめられた”など、ただの自意識過剰だ。
 そう思うと余計に恥ずかしかった。

「そろそろ、もう一人の編入生がくるころかな」
 小太郎は、腕時計を確認しながら言う。
 それを聞くと萌花も背筋を伸ばした。
 いつまでも“あたしだけのお兄ちゃん”ではないのだ。きっちりけじめをつけなくてはいけない。
「はい。犬飼先生」
 萌花が言うと小太郎は、穏やかな微笑を広げた。
 子供のころのよく知っている顔と今の表情が一瞬、重なる。形のよい唇。わずかに甘さをにじませる微笑。
 でも、昔の“お兄ちゃん”とは違う。
 観る者に抵抗しがたいような魅力を感じさせる。
 惹きこまれそうになる気持ちを深呼吸して、萌花は自分を落ち着けさせた。

 やはり違う。かつての小太郎は、こんなふうには笑わなかった。



 職員室のドアをノックする音がした。
 小太郎が答えると、静かに扉が開かれる。
 その扉の向こうから滑るように白い人影が現れた。
 萌花と同じ制服を着た背の高い少女。おそらく彼女がもう一人の編入生だろう。
 彼女もすぐにこちらに気付いたらしい。ゆったりとした足取りでこちらに近づいてくる。
 波打つような長い褐色の髪。白い肌、虹彩の薄い眸も日本人離れしたような美貌だった。

「失礼します。姫宮真雪です」
 低いハスキーな声。落ち着いた立ち居振る舞いも、とても同学年とは思えない。
 近くで見ると、まるで豪奢なビスク・ドールのようだった。

「わたしが担任の犬飼だよ。ここまで迷わなかったか」
 小太郎がそう聞いたのは、この学園内がやたらと広いせいだろう。
 萌花の場合は、自宅に車で迎えがきたのだ。古いアパートの前に不似合いな黒塗りのベンツには閉口した。
 ただ西洋の王城のような学校の前で下ろされた時には、もう何の違和感もない。
 尖塔のある講堂。レンガ造りの校舎。薔薇窓とステンドグラスから差し込む光は、まるで中世の童話の中に紛れ込んでしまったようだった。
 この学校の創立はそれほど古くはないらしいが、建物自体は明治期の西洋館を移築したという。
 一人では、迷子になっていたかもしれない。
 あらかじめ話が通してあったのか、運転手は校門にいる警備員のところまで連れて行ってくれたし、警備員は校長室の前まで案内してくれた。
 萌花と違い彼女は、親の付き添いもなく一人で職員室まで来たのだろう。

「別に……方向音痴でもありませんもの」
 冷え冷えとするような物言いだが、小太郎は気にする様子もなかった。
 萌花のほうは、いたたまれない。自分だけが特別扱いされたのだ。
 別に彼女がそのことを知っているはずもないのに、萌花は申し訳なさに身の縮む思いがした。
「こちらはきみのクラスメイトになる宇佐見萌花くんだ。同じ編入生だよ」
「はじめまして……姫宮真雪と申します」
 まっすぐにこちらを見据えてから彼女は、静かに目礼をする。
 その瞬間、しゃなり……と銀片の触れ合う音がしたかのような錯覚を覚えた。
 礼法の教師よりも美しいきっちりとした所作。

 ――こんな女の子がいるんだ……。

 萌花は、胸がざわめくのを感じながら、ぎこちなく会釈をした。
「あ、あの、宇佐見萌花です……よろしくお願いします」
「ウサギ・モエカさん?」
「あ、ウサギじゃなくて、ウサミ……です」
 同級生のはずなのにつられて敬語を使ってしまう。真雪には、圧倒されてしまうような存在感がある。
「可愛らしいお名前ですわね。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
 ――か、可愛いって……名前を褒められたのなんて初めて……。

「萌花さん……と、お呼びしてもよろしいかしら?」
「も、もちろん……です」
「では、わたくしのことも真雪と呼んでくださいな」
「は、はい」
 萌花は、自分の声が上ずっているのを感じて恥ずかしくなった。
 真雪のほうは、にこりともしない。まるで表情が変わらないのだ。それでも萌花は嬉しかった。

 小太郎は、二人の生徒に向かって柔らかく微笑んだ。
「この学校で編入生は珍しいんだ。中高一貫の女子校で外部入学も滅多にないしね。注目されて戸惑うことも多いかと思う。困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
 すぐに真雪が応じる。遅れて萌花が小さく返事をした。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ