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お嬢様と秘密の恋。 作者:庚 真守
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3/15

中年執事と令嬢

 上座である二人掛けのソファーを勧められ、萌花は遠慮がちに座る。
 校長は一人掛けのソファーに腰を下ろしたが、小太郎は萌花の隣にぴったりと寄り添う。
 小太郎の中で萌花は、まだ別れた時の幼女のままなのだろうか。
「これ小太郎。お嬢様にべたべたと……お前こそセクハラで教育委員会に訴えてやる」
「ジジイと違って、俺には加齢臭はない」
「誰が加齢臭だ。若作りしても三十すぎたら、中年だろうが」
“若作り”という犬飼校長の言葉に小太郎の眉がひくっと動く。

「……俺が中年なら、あんたは即身仏か?」
「即身仏なら、もう少し敬え」
「今すぐ姥捨て山に捨ててきてやろうか」
「即身仏は、姥捨て山じゃなくて富士山だろうが……外国のミイラばっかり相手にしているから」


「あ、あの!!!」
 二人の陰険な漫才が始まる前に萌花が止めに入った。
 昔から、このやりとりは変わっていない。
「あの、あの、校長先生も、お兄ちゃ……いえ、犬飼先生も……あたしは“お嬢様”なんかじゃ……」
 へらっと笑おうとして顔が引きつった。
 目の前にいる二人の顔色が暗く沈んでしまったからだ。
 上司相手に、くだらない口ケンカをさっきまでしていたとは思えない。
 今にも泣きだしそうな痛みをこらえるような……そんな不可解な男性の表情を萌花は、これまでの人生において見たことがなかった。
 あえて表現するならば、捨てられた仔犬そっくりなのだ。

「あ、あの、こんな立派な学校に通わせてもらえるなんて……なんてお礼を言っていいか……」
 せめて気持ちを引き立てようとして萌花は、あわてて言ったが、もう遅い。
 二人はテーブルの茶碗をひっくり返す勢いで立ち上がった。

「いいえ、今の犬飼があるのも、大恩ある大旦那様のおかげでございます」
「いや、この学校の編入試験に合格したのは、萌ちゃんの実力だ」
 まるで、息をそろえたように同時に二人が叫ぶ。トリッキーな動きは、まるで漫画だ。
 やはり親子なんだな……と、変なところで感心してしまう。

 確かに編入試験は、がんばったけど……。
 奨学金やこまごました手続きをして、この学校に通えるようにしてくれたのも二人のおかげだった。
 電話やメールでは何度か連絡を取り、その時にお礼を言うこともできたが、彼らもまた多忙である。
 両親は彼らと何度も会っていたようだが、萌花自身は機会がないまま編入する当日にようやく再会できたのだ。
「あたし……本当に、何度お礼を言っても言い足りないほどです」
 萌花は、立ち上がって深く頭をさげた。



 ようやく落ち着いた空気になったところで、小太郎がテーブルの上を手早く片付け、あらためて緑茶と菓子を勧められた。
「お嬢様は、銀座の“空也もなか”がお好きでしたね」
 そう犬飼校長が言うと、すかさず小太郎が言い返す。
「違う。“空也餅”だ」
 小太郎の言う通り萌花が好きなのは“空也餅”だが、それは冬季限定の生菓子で予約してもなかなか手に入らない。季節外れのこの時期に……もち米に包まれた団子が懐紙の上に並んでいる。

「どうして……お兄ちゃん……」
 長い間、口にすることのなかった生菓子を前にして萌花は、つい昔のように呼びかけてしまう。
「萌ちゃんが好きだから、ちょっと再現してみたんだ」
 小太郎に促されて、そっと団子をつまんで口に運ぶ。
 粒の残る餅生地がよく晒したつぶし餡を包んでいる。上品な甘みでさっぱりとした口当たり……。
 ずっと昔に食べたことの懐かしい味。でも、それは老舗の和菓子屋の味とはまた違う。
 これは“お兄ちゃんの味”とでもいうものだろうか。
 いつも遊んでくれた大好きなお兄ちゃんは、いつもこうやっておやつを作ってくれた。
 口の中に広がる甘い味は、幼い日を呼び起こさせる。

「そういえばお嬢様は、もう一歳になるかならぬかで哺乳瓶を卒業して離乳食になりましたね。小太郎が虫歯になるからといって」
 犬飼校長が感慨深げに言う。
 幼い萌花を育てたのは、母でもベビーシッターでもなかったそうだ。
「お嬢様は、甘いものがお好きでいらしたが、食べるものには小太郎がとにかくうるさかったんですよ」
 確かにあのころは過保護だった。普段の食事はもちろん……おやつも手作り。
 お兄ちゃんは、まだ高校生だった。いつも学校から帰ると、萌花を抱き上げて厨房へ行っておやつを作ってくれる。
 住み込みの家政婦たちの作るものよりや、市販品よりも、遥かに美味しかった。
 両親よりもじいやよりも誰よりも側にいてくれたのは、お兄ちゃんで……。
 懐かしさに、じんわりと涙が込み上げてくる。
 団子をほおばったまま萌花は、涙をこらえた。

「お嬢様は、オムツのとれるのも早くていらして……」
 涙ぐむ萌花を見て、犬飼校長が感慨深げにため息をもらす。
「ふぐっ?!」
 いきなり思いもかけない方向へ話が向かって、萌花は団子が喉に詰まる。
 茶碗に手を伸ばす萌花の背中をさすりながら小太郎が不機嫌に答えた。
「お嬢様のオムツを取り換えたのは、俺だ」

 小さいころには、お兄ちゃんがオムツから何から面倒を見てくれていたというのは、両親からは何度も聞かされた話だ。
 さすがにオムツのことまでは、記憶がないのだが、あのころは本当の兄妹だと思っていた。

「小太郎は、あのころからお嬢様には触らせてくれないから……」
 犬飼校長が子供みたいに、口をとがらせる。
「お嬢様は、すぐにおむつかぶれをされるのに、紙おむつを使おうとするからだ。オムツは布だろ?!」
 ――どうしてオムツから離れないんだろう。
 “お嬢様”というわりにまるで、お嬢様扱いされている気がしない。

「今の紙おむつは、なかなかの優れものなんだぞ! お嬢様には、産婦人科でも使用されているというあの有名な……!」
 オムツのおかげで、再会の喜びもどこかへ飛んで行ってしまった。
 萌花の気持ちが通じたのか、どうかは分からないが犬飼校長は恨めしそうに小太郎に訴えた。
「小太郎……お父さんだってお嬢様と」
「校長のせいで、今後の学校生活に支障があったらどう責任を取るつもりですか?」
「もちろん。私はわきまえているつもりだよ。犬飼小太郎教諭」
 冷たくあしらわれて犬飼校長は、わざとらしいほど仰々しく言った。ここでお互いの立場を見せつけたいところなのだろうか。
「どこが?」
 肝心の小太郎は、気にしている様子もない。萌花の茶碗に新しいお茶を注いでいる。
「きみを産休代替教員として、大学から呼び寄せたのもそのためだ」

 ――え?
 思いがけない犬飼校長の言葉に驚いて小太郎を見上げる。
 萌花の頭に小太郎は、そっと大きな手をのせた。
 ふっと優しい微笑みを見せながら、犬飼校長に対してだけドスの効いた声で言う。
「エスカレーター式の女子校で編入生は珍しいんだ。お嬢様、いや、“わたしの生徒”に迷惑をかけないようにしてください。校長先生」
「そのへんは大丈夫だ。犬飼小太郎教諭。お嬢様がおひとりでは寂しいかと思って、たまたま編入生がいたので同じクラスに……」
 そう言いながら犬飼校長は、正面の席からテーブル越しの萌花に近寄ってくる。

「近寄るなって言ってんだろが! このボケ老人が!!!」
 すかさず小太郎は、校長の顔を掌底打ちにする。校長を突き放しておいて、萌花の腕をつかんで引き寄せた。あまり強くひっぱるので小太郎の胸に顔から飛び込んでしまう。
「お嬢様の前で、その言葉遣いは止めなさいといっただろう。小太郎」
 ソファの上で後ろに倒れ込みながら、校長は顎を押さえた。親子だからよいが、そうでなければ懲戒処分だ。
「宇佐見は“わたしの生徒”です。むやみに触らないでください。加齢臭が移ります」
 職場における上下関係は、すでに崩壊している。

 おそらくこれが平素の小太郎なのだろう。
 萌花のほうは、心臓が口から飛び出そうな思いをしていた。
 抱き寄せられたまま鼻先に小太郎の胸がある。優し気な面差しからは想像もできないほど、がっしりとして厚い胸板だった。
 幼いころはともかくとして、年頃になって家族以外の男性と身近に接するなどなかったから、これが一般的な男性の胸なのかもしれないし、小太郎が筋肉質なのかもしれない。
 どちらにしてもこれまでの“小太郎のいなかった”萌花の人生において、男性に抱きしめられるなどあり得ない状況だった。

「失礼だな。お父さんは、加齢臭予防のために念入りに首の後ろを洗っているんだぞ。そもそも加齢臭というのは、だな……」
 校長の加齢臭の話は、まだ続いている。
 その間も小太郎は、萌花を腕から放そうとはしない。
 小さいころには、いつも抱きしめてもらっていた。だが、今はお互いに子供ではないはずなのに……。

 校長の加齢臭はともかくとして、じつは小太郎にも男性的なかすかな匂いがある。
 昔の小太郎は、たぶん学生服を着ていた。そのせいだろうか、汗と埃の入り混じったようなそんな匂いだった。
 子供のころとは、まったく違う匂いだ。
 温かみのある甘苦い煙草の匂いの中に……薄荷草の香りが混じる。
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