ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  蒼い翼 作者:海土龍
59,心叫ぶ刻 共にある光と影  壱
 コツン、コツン、コツン。
 小石が石畳の上を弾みながら去っていく。
 額に痛みを感じ、やがて痛みは熱を帯びてきた。
 ――またか。
 峨瑛は思う。また夢を見ているのだ、と。
 幼い頃は一人で城郭を歩いていると決まって年長の少年達に絡まれたものだ。
 ――腐った血。
 彼らは口々にそう言い吐いた。峨瑛の祖父が宦官だからだ。
 当時は、宦官などの養子になった父親を恨んだものだ。
 宦官の家に生まれてきた己自身も恨めしかった。
 だが、峨瑛は祖父が好きだった。
 祖父の生き方が好きだったのだ。
 けして今の己に満足しない生き方が。
 上へ上へと手を伸ばしていくような生き方だった。


 手を伸ばす、空へ。
 空はどこまでも蒼い。


 見上げる蒼の眩しさに目が眩み、瞼を閉ざし、再び開くと、少年達の姿は消えていた。
 代わりに現れたのは瓊倶だ。
 少年の姿をした瓊倶。
 次第に彼は大きく成長していった。
 成人した瓊倶が、幼い少年の姿をした峨瑛を見下ろして嗤う。
 お前はわたしには勝てん、と瓊倶は言い、峨瑛の頭を片手で押さえ付けてきた。
 その力の強いこと。
 峨瑛は必死で頭を持ち上げようとしたが、瓊倶の力にどうしても勝てず、ガクンと膝を折った。
 地に両手を着く。 土下座をするような格好を強いられ、峨瑛の頬に汗が伝う。
 ――勝てない!
 上目遣いで瓊倶を見、峨瑛は思った。
 ――勝とうとするにはでかすぎる相手だ。瓊倶には勝てない!
 ガクン、と肘が折れる。顔が地に着く。
 まるで、人間に踏みつけられた蛙のような格好だ。己の姿を思い、峨瑛は思った。
 悔しい。
 だが、瓊倶には適わない。どうすることもできないのだ。
 頭痛がする。 耐え難い痛みだ。
 割れるようであり、いっそう壁に頭をぶつけて割ってしまった方がらくになれるような気さえする。
 ――助けてくれ!
 いつも助けてくれる従兄を求めて手を伸ばす。
 手は空を掴んだ。










▽▲




 
「……うせん? 皓煽?」
「……」
「おい、大丈夫かよ? うなされていたぞ?」


 瞼を開くと、すぐ目の前に蒼潤の顔があった。彼は訝しげに自分を覗き込んでいる。
 引き寄せて、口付けをする。
 そうしてから、自分がひどく汗をかいていることに気が付いた。


「すぐに徐姥を呼ぶ。躰を拭かせよう」
「お前が拭いてくれないのか?」
「なんで俺が?」

 心底疑問に思っているらしく、蒼潤は眉を寄せる。
 峨瑛は笑って片手を振った。

「徐姥を呼んでくれ」

 蒼潤が寝室から出ていくのを見守ってから、峨瑛は躰を起こし、寝台の上で胡座を掻いた。
 久々に嫌な夢を見た。
 昔ならば、こういう朝は従兄を呼び付けたものだが、今朝はその必要はないようだ。
 蒼潤が戻ってきた。後ろに徐姥と数人の女達が桶を持って続く。
 女達に躰を拭いて貰って、峨瑛は蒼潤を寝台に座らせた。
 徐姥達を下がらせると、蒼潤の夜着を脱がした。
 昨晩の情事の痕が散っている。
 濡らした手拭いで清めてやったが、赤く鬱血した痕は消えそうになかった。
 ――消えなくていい。消えなければいいとも思う。


 先日買え与えてやった絹で作られた女物の衣を着せて、以前買ってやった装飾品を付けさせる。
 20歳にもなるというのに、こういう格好をさせれば、相変わらず蒼潤は女にしか見えない。
 自分が20歳の時、どうだっただろうか?
 葵暦175年のことだから、葵陽の北部尉に就任した頃だ。
 成人し、職に就くような年齢なのだ。20歳とは。


「まもなく朝議の時刻だな」
「俺は?」
「今日一日、お前はその格好をしていろ」

 何か言いたげな顔をしたが、結局、蒼潤は頷いた。

「怠いし、腰痛いし。今日は寝ていることにする」
「ああ。大人しくしていろ」

 峨瑛は目を細めて、蒼潤の頭を軽く叩くと、彼の寝室を出た。










▽▲

 朝議後、峨瑛は楚雀と薪塢、柢恵を居室に呼んだ。
 三人が自分に対面するように座ったのを見て、峨瑛は床に地図を広げた。
 和州、渕州、敖州は、瓊倶の支配下にある。
 壬州、併州、雅州、楢州、琲州は峨瑛の支配下にある。
 州の数と土地の広さならば峨瑛が勝っているようだが、接する他州がないだけに瓊倶には敵がいず、有利だと言える。
 峨瑛は、豫州の範匡、瑞州の蒼閤、帷州には凌州をも制した柁泰を敵としなければならないのだ。
 豫州の範匡には、兄の範珪の元に蒼潤の妹の蒼麗を嫁がせて、とりあえず動きを封じている。
 瑞州の蒼閤の元には、蒼潤の姉の蒼彰がいて、よもや彼女が蒼潤の不利になるようなことはしまい。
 残るは柁泰だ。
 自分が瓊倶と戦っている間に、柁泰が雅州に攻め込んできたら、今のところ打つ手がなかった。  


「雅州の守兵は削れません」
「豫州と瑞州も完全に安心できるという状況ではないでしょう」
「すると、瓊倶に割ける兵は……6万というところか」

 峨瑛が言うと、薪塢と楚雀が無言で頷いた。

「瓊倶の兵は?」
「渕州から併州に向けて、35万の兵が南下してくるとのことです」

 薪塢が低く唸った。峨瑛は目を伏せ、地図を探るように見つめた。

「戦場はどこになる? 利杜か? ――いや、猩瑯にしよう」
「しょうろう?」


 併州の東、数里行けばすぐに雅州に入るような土地である。
 利杜はそれより西北に位置する。渕州と併州の境にある土地だ。


「初め利杜に陣を敷き、後、猩瑯まで撤退する。下がるのは猩瑯までだ。後はないと思え。そこで負ければ終わりだ」
「しかし、なぜ猩瑯なのですか? すぐに葵陽ではないですか」


 現在、峨瑛の本拠地は併州城である。
 葵陽には青王朝の皇城と帝が形ばかりに存在するだけだ。
 瓊倶ならばそんな形ばかりのものよりも峨瑛の本拠地に攻め込んでくる、と考えるのが普通だ。
 峨瑛には併州城に攻め込んで欲しくない理由があるかと、楚雀は怪訝に思ったのだろう。
 柢恵が分かったと手を打った。


「その方が死に物狂いになれるってことですよね? それに、敵は戦線が伸びることになります。戦線が伸びれば伸びただけ、兵糧を輸送することに苦労します」
「なるほど」
「――兵糧と言えば、先日、足りないと申し上げましたが、蒼夫人の姉君おかげで、瑞州の商人から易く買い入れることができそうです」
「天幸殿にはあまり借りを作りたくなかったが……」
「致し方ありません。――もしや、併州城を戦から避けるのは、蒼夫人のためですか?」  


 峨瑛は思わず楚雀の顔に目を向けた。しまったと思ったが、すでに遅い。
 楚雀はやはりと頷く。


「此度は、天連は併州に置いていく」
「天連は怒りますよ?」
「勝てる見込みの薄い戦だ。もしも儂が破れたら、瑞州に逃す」


 瑞州の蒼彰の元へ。
 ――そのためにも、蒼潤のいる併州城はできる限り戦から遠ざけたい。
 柢恵が頭を左右に振った。何かと問えば、わずかに眉を吊り上げて言う。 


「負けた後のことを考えているとは、殿らしくないです。それに、自分だけを逃されても、天連は喜びませんよ。天連に剣を持たせてやってください。あいつは漢なんですから」








 葵暦200年、瓊倶軍が併州に向かって南下して来た。
 向かい討つ為に峨瑛軍は利杜に陣を弾いたが、結局、その中に蒼潤の姿はどこにも見当たらなかった。  


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。