5,幼き刻 血が告げたもの 肆
峨瑛はすぐさま文面に目を通し、楚雀を呼んだ。
楚雀。
字は槇抄という。
峨瑛の軍師の1人で、数いる軍師の中で彼ほど峨瑛の内々の相談にのった者はない。
やがて、涼やかな顔が現れると、峨瑛はその顔に向かって文を放った。
「冱斡国相からの文だ。読んでみろ」
「拝見します」
白く長い指が乱雑に扱われた物を拾い上げた。
彼が視線を落とすと、長い睫毛が目の下に影を作る。
色の白い顔だからこそ余計、その影が濃く目立ってしまうようだ。
彼が文字を追っている間、峨瑛は楚雀の整った顔をジッと眺めていた。
見る見るうちに、綺麗に整った眉が歪められていくのが分かった。
そして、それだけで次に言わんとすることも知れた。
「殿を試しておられるようですね」
「お前もそう思うか」
「ええ。渕州は今や瓊倶の支配下にあります。冱斡国は渕州。
――娘を娶りたければ、直々に貰いに来いとは、
殿が瓊倶をどのように思っているのか見ているようにも思えます」
反呈夙連盟が崩壊した後、それに参加していた者たちはそれぞれ拠点とする地を求めて散った。
峨瑛は郷里の琲州霖国を選んだ。
その地で2年間、ジッと世の動きを見守っている。
一方、瓊倶が選んだ地は渕州だった。
渕州ならば5万の兵を養うのに十分過ぎる程の土地がある。
そして、更に兵を募るためにも適した土地だった。
「瓊倶の兵は10万に達したとか。多くの将が彼に下ったからでしょう。
殿も瓊倶に下る気があるのかどうか、冱斡国相は見定めるつもりでしょう」
うむ、と峨瑛は唸った。
おそらく蒼昏は、誰かの部将になる程度の男に娘を嫁がせたりはしないだろう。
瓊倶の部下となり、平然と渕州にやってくるような男ならば不要。
そうかと言え、瓊倶を恐れ、渕州に足を踏み入れられないような男ならば問題外といったところか。
「今はまだ、はっきりと瓊倶と敵対しているわけではありませんが、
殿に下る気がない限り、敵地に踏み込むようなものです。
危険極まりないですが、ここは、行かないわけにはいかないでしょう」
それに、と楚雀は続ける。
「渕州を支配下に置いたとは言え、まだ日が浅い。
おそらく渕州全土に瓊倶の目が行き届いてはいないかと思います。
特に冱斡国は皇族に連なる者が相として治める地。瓊倶も容易には手を出せないかと」
楚雀の滑らかな言葉が途切れると、峨瑛は薄く笑みを浮かべた。
手を軽く振る。
「お前を呼んだのは、意見を聞こうと思ったからではない。
しばらく留守にすることを伝えようと思ったのだ」
「そうでしたか」
楚雀は眉を下げて、柔らかに微笑んだ。
ならば自分が言うべき言葉は一つだと、その言葉のみを口にした。
「殿の留守は、この楚雀がしかとお守り致しましょう」
この従兄に対して、峨瑛はあまり言葉を必要としなかった。
常に、従兄に対して、言うべき事と言う必要のない事を峨瑛は併せ持っていたが、
従兄はそれら大半を、峨瑛の口から聞かずとも承知しているようであった。
彼曰く、眼の動きだけで分かるのだ、と。
そして、現状を考えれば自ずと、峨瑛が言いたがっている事も、隠そうとしている事も判るだと言う。
故に、この従兄と話す時は簡単な単語の羅列で事が足りる。
この時も、蒼昏から文が来た、楚雀に留守を頼んだ、という二言で彼は全てを承知したようだった。
必然的に、話題が斉郡のことに移った。
斉郡は渕州の内にある。
瓊倶の支配下ではあるが、今、そこでちょっとした叛乱が起きていた。
瓊倶は乱鎮圧を斉郡の太守に命じようだが、その者が無能なのか、少しも治まる気配はない。
峨瑛は嗤った。
瓊倶がどう動くか、見物だ。
「あの男が、儂の思っている通りの男であれば、近々使者が来るな。書状を携えて」
「来るだろうとも」
薪塢が頷く。
彼は、どういう内容の書状なのかとは訊かなかった。
それに満足して、峨瑛も頷いた。
「敵か、味方か。配下になるのか否か、そろそろはっきりとしろと言ってくるだろう」
「お前は常に言っていたのだがな。なかなか伝わらなくて苦労をした」
「まったくだ」
峨瑛は苦笑を漏らした。
瓊倶の下に付く日など、来るわけがなかった。
従うのか否かと問われれば、即答してやろう。否だ!
なぜ、もっと早くに問わなかったのだ、と罵ってやりたい。
幼い頃から答えは決まっていたのだ。
例え、命落とすようなことになっても、お前の下には付かない、と。
「儂はいつか、あの男の上をいく。その為の血を手に入れる。あの男の血に対抗できるだけの血を。
そして、いつか、どちらも切り捨ててやる。
あの男の血も、あの男に匹敵するような血も、すべて根絶やしにしてやる。
――高貴な血? そんなもの無用だ。
血は血。万人が皆、赤い。高貴でも、腐ってもいない。皆、同じ血だ。――そうだろう?」
そうだな、と従兄が微笑む。
厳つい顔だ。
だが、その顔が笑うと、ホッとする。
とても安心するのだ。
その安堵感を得たくて、幼い頃、よく彼を昼夜問わず呼び付けたものだ。
そして、それは今も大して変わっていない。
臥牀の足下に腰を下ろしている薪塢を見やり、峨瑛は、ふっと眼を細めた。
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