49,朝を臨む刻 音に聞く 肆
静寂が恐ろしい程である。
人の気配が遠い。目に映る距離に、人の姿などなかった。
しばらく待って、蒼絃がやって来た。玉座に座す。
片手を上げ、従者を下がらせると、再び静寂が戻ってきた。蒼潤は彼を見上げた。
――彼が恨めしかった。
彼の持つすべて、立場も、玉座も、本来ならば自分のものだったと信じていた。
――玉座が欲しかった。
いつか必ず玉座に着こう望んだから、あらゆる苦汁を呑む決意もできた。
だが、どうしたと言うのだろう?
もはや、それに座りたいとは思わない。
玉座。自分は本当に玉座に座りたかったのだろうか?
過去を懐かしむ祖母が、父が、哀れだった。
祖母を慰めたくて、彼女を訪れた。 すると、彼女は言うのだ。
玉座を手に入れてくれ。
妾の無念を晴らしておくれ、と。
父が繰り返す。
――あれはわたしが座るべき椅子だった。そして、お前が座るべき椅子だ。
取り返せ。奪い返せ。
蒼彰がいない。自分を置いて都を去っていった。
逃げなければ峨瑛に殺されていただろう。逃げて良いのだ。逃げてくれたことを幾度も安堵した。
だが、自分は置いて行かれたのだ。姉に捨てられた。
蒼彰は蒼邦を夫に選び、自分を捨てたのだ。
蒼彰がいない。祖母の想いも、父の想いも、今の蒼潤には何も手の内に残っていなかった。
何もない。自分を縛るものはない。それは、自由だということだ。
翼は峨瑛によって、折られた。
だが、彼は自分を解き放ってくれた。蒼家の翼を折ることで。
蒼潤は蒼絃の前で膝を折ると、頭を垂れた。
もはや自分は皇子ではない。公主でさえなくても構わない。
唯、峨瑛の傍にあり続けたい。 彼が自分に、生きる意味を与えてくれるだろうから。
そうして、蒼天連は、生きていく――。
▽▲
峨瑛邸。
蒼潤は真っ直ぐに峨瑛の居室に足を向け、断りもなく戸を開いた。
「戻ったか」
書簡から目を離すことなく、彼は言った。
こちらを見ていないことを承知で、蒼潤は黙って頷いた。
峨瑛の元へ歩み寄る。すぐ傍に腰を下ろした。
「なあ」
「なんだ?」
峨瑛は顔を上げない。
「玉座が欲しい」
「……」
「それは、別に、俺が座る椅子でなくても構わないんだ。古ぼけた玉座に変わる、新しく、強い力のある椅子が欲しいんだ」
峨瑛は、いずれ自分が玉座に着くと言っていたが、その玉座とは蒼潤が望んだ玉座とはどう異なるのだろうか?
彼の想いを知りたかった。彼の望みとはなんだろうか?
彼の眼に映っている未来を、この国の行き着く先を、同じように見つめたい。
「お前の望みを聞きたい。お前がこの国をどうするつもりなのか、聞いておきたい」
チラリと、峨瑛が蒼潤を見やった。
「乱世の平定か? それとも、乱世に乗じて、国を乗っ取るつもりか?」
今の蒼潤ならば、何を聞かされても驚かない。
少し前ならば、国を簒奪するつもりだと聞かされれば激怒したことだろう。
だが、青王朝には、もはや乱世を平定する力はない。
平穏を望む民には新たな力が必要なのだ。新たな王朝が。
ようやく峨瑛が蒼潤に振り向いた。
「初めてお前と出会った時、お前は民と一緒になって馬のお産に立ち合っていた。羊水でドロドロだったな。なんて汚らしい餓鬼だと驚いたものだ。だが、その餓鬼が皇子だと言う。皇族のくせに、民に混じり、遊び、野を駆ける」
蒼潤は小首を傾げた。自分の問いとの関係が掴めないでいた。
峨瑛は笑う。淡く微笑むような笑い方だった。
「儂は宦官の孫だということで、腐った血だと後ろ指を指されて育ってきた。皇子であるお前にはわからんことかも知れんが、その悔しさは今でも度々思い出し、腸が煮えくり返る」
家柄が何だと言う?
名門だから何だと言うのだ?
ただ単に、その家に生まれてきたというだけではないか。
祖先の栄光を鼻に掛け、己自身には何の力もないくせに威張り散らす。
「血が何だというのだ? その血が高貴だといったい誰が決めたと言うのだ? 身分など……」
ギリリッ、と唇を噛み締める。顔が赤い。怒りの色だ。
「皓煽?」
「身分など関係ない。実力を重視した国だ。高貴な血など不要。力だ。力なのだ」
「……それが、皓煽の望む国か?」
それが正しい国の有り様なのかは、分からない。
ただ分かることは、もはや青王朝では駄目だということ。
峨瑛が新しい王朝を立ち上げてくれる。 国を新しくしてくれる。彼にはそれを為せるだけの力がある。
自分はそれに賭けてみたい!
「分かった。――やはり俺はお前の妻に収まる気はない」
「何?」
「お前の右腕になる!共に乱世を羽ばたきたい!」
蒼家の血など、峨瑛には不要かもしれない。
――だったら、己自身の力で彼を支えるまでだ。
剣だ。弓もある。蒼潤には騎馬隊だってあるのだ。
もっと己を磨き、峨瑛の力になろう。彼の望む国と、その国に住まう民の為に。
「新しい世に、蒼家の血は必要ない。身分もいらない。その者の実力が物を言う。そんな世、国をつくっていこう。皓煽、俺はお前の片翼なのだろう? ならば、俺も羽ばたかなければならない。そうだろう?――もしもお前が許してくれるのなら、俺はお前の妻ではなく、臣になりたい!」
言うべきことを言い終えると、グッと唇を閉じ、彼を見上げた。
彼は目を細める。まるで、眩しいものを見るかのように、蒼潤を見つめた。
「お前の好きにするが良い」
ごく短い答えだった。
だが、穏やかで優しい。胸に染み入るような響きだった。
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