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  蒼い翼 作者:海土龍
39,夢馳せる刻 青嵐の都  肆
 空が蒼い。
 澄み渡った空は、どこまでも広かった。


 蒼潤は峨瑛の後ろに控えていた。
 玉座は遠い。その玉座に座る者こそが、皇帝である従弟――蒼絃だ。
 まず峨瑛が言葉を交わし、蒼潤を紹介する。
 蒼絃は気がなさそうに聞いていた。 小さい頷きが、蒼潤の耳にまで届いた。
 許しを得て、蒼潤は顔を上げる。遠く、蒼絃が見えた。
 ああ、と言葉を吐く。彼が己の従弟なのだ、と。


 不思議な感覚だった。
 今の彼の立場も、玉座も、本来ならば自分のものだった。
 そう思うと、何か不思議だ。
 自分がいるべき場に、別の何者かがいる。
 そう思うと、それが何か気味が悪いもののように思える。
 彼が憎い。彼が恨めしい。
 ――返してくれ。それは自分のものだ。
 蒼絃が手にしているものすべて、本当ならば蒼潤のものだ。
 返せ。返してくれ。
 

 あともう少しだ。玉座から、もう少しの距離に自分はいる。
 胸が高鳴った。押さえ付けるように、蒼潤は胸を押さえる。唾を呑み、大きく息を吸い込んだ。




「わたしは蒼潤。胡帝の孫、斡公の子」


 謁見の大広間だ。静まり返っていたそこに蒼潤の張り上げ声が響いた。
 峨瑛の表情を確かめる余裕がなかった。
 余裕?――いや、違う。彼の表情を知るのが恐ろしかった。
 広間には帝の廷臣が大勢いた。耳はそれ程に多くあるのだ。
 すでに吐いてしまった言葉を再び腹に戻すことは、不可能だ。
 ゴクリ、と蒼潤の咽が鳴る。
 遠く、玉座を見上げると、ようやく蒼絃が蒼潤に焦点を合わせたようだった。すくっと立ち上がる。


「今、何と?」
「斡公の子、と」
 玉座の傍らに控えた廷臣の一人が蒼絃の問いに答えた。蒼絃がたたらを踏んだ。蒼潤を呼ぶ。
「近くに」
「はっ」


 峨瑛の方には目を向けなかった。彼の背を追い越して、前へと足を進める。
 遠かった玉座がわずかに近くなった。
 蒼潤は、蒼絃が立ち上がった後の空の玉座をジッと見つめた。
 ――ここまで来た。やっと、ここまで。あと、もう少し。


 蒼絃の命で蒼昏が直ちに呼び付けられ、皆の前で蒼潤が自分の息子であることを証言した。
 母親は蒼昏が皇太子だった頃からの妃で、嫡流の子であること。
 故に蒼潤には帝位継承権があることを主張した。


 実は、今まで、蒼昏や冱斡国の民などは、蒼潤や蒼彰、蒼麗のことを『公主』として扱っていたが、正しくは『公主』とは皇帝の娘のことであるから、廃太子された蒼昏の娘である三人は本来ならば『公主』とは言わない。
 だが、蒼絃が陰謀の末に廃された蒼昏の無念を想い、その過去を取り消し、一度帝位を着いた後に退位し、斡公に報じられたということにしたため、改めて蒼彰たちは公主という身分になり、世間にも認められるようになったのである。  
 そして、蒼潤だ。蒼彰と蒼麗が公主であるならば、蒼潤は『皇子』である。
 これを認めないわけにはいかず、蒼絃は蒼潤を青王朝の皇子だと認めた。
 蒼絃に皇子はなく、他に帝位を継承する意志のある皇族がいないため、ここに蒼潤が第一帝位継承者となったのだ。











▽▲
 我に返ると、床に蒼潤の躰が倒れていた。峨瑛は己の拳を見下ろし、息を付いた。
 血が頭に上っていた。裏切られたという想いよりも、ただ、ただ、腹ただしかった。
 蒼潤が帝の前で名乗りを上げた。そうして、皇子として公認されたのだ。
 峨瑛は蒼絃から、潤皇子を保護し、その後見人としての役目を担っていたことを感謝された。
 ――感謝だと。
 腸が煮えくり返る思いだった。
 怒りに任せて思わず殴り飛ばしてしまった蒼潤を横目に人を呼んだ。
 彼を室に運ばせると、峨瑛は次に楚雀を呼んだ。


 飼い犬に噛まれたという気はあったが、気を落ち着かせてみれば、それほどの大事に陥ったというわけではない。
 おかげで、蒼潤の後見人という新たな目で見られるようになり、宮中における峨瑛の立場は良くなりそうな気配だ。
 風当たりも良いものになってくるだろう。
 それにこれは、なるべくしてなったことだ。
 いずれ蒼潤と争うことになることは、前々から分かっていたことだった。
 だからこそ、峨瑛は蒼潤に問うたのだ。


 ――都に上ることにした。お前も来るか?


 都に上るということは、天子奉戴を暗に意味していた。
 そうなった時、峨瑛における蒼潤の価値がどうなるのか、考えればすぐに分かるはずだ。
 蒼潤よりも、皇帝である蒼絃を取ったのだ。
 あの時、もしも蒼潤が、都には行かないと答えていたのならば、峨瑛も都には入らなかったかもしれない。
 帝を擁することは、楚雀が強く主張していたことだが、峨瑛はそのために起きる制約を考えれば、
どちらでも良いことのように考えていた。
 蒼潤が都に行くと言った。
 彼の都への想いを知らない峨瑛ではない。それは野心だ。蒼潤の中の男としての野心。
 蒼潤が野心を捨てていないというのならば、峨瑛はそれに立ち向かうしかないだろう。
 都。葵陽に入ると決めた時から、蒼潤との対立は決まっていたことだった。






 楚雀がやってきた。彼も大したことではないという顔をしていた。
 まず、峨瑛が言った。蒼潤は死なせたくない、と。
 楚雀は綺麗に整った眉を歪める。


「もう役には立ちませんぞ」
「あれを眺めていると、愉しいのだ。儂の玩具だと思って、捨てずにおいて欲しい」
「ならば、一つ条件があります」
 なんだ?と峨瑛は楚雀に目をやった。
「帝位継承権を放棄すること。それができなければ、いらぬ企てを立てる者がありましょう。その時に果たして助けられるかどうか」
 蒼潤が峨瑛を裏切った時、その時は切り捨てるしかない、と楚雀答えた。
 彼は、今回のことはまだ裏切りのうちには入らないと考えているようだ。
 帝を擁した今、蒼潤に利用価値などない。
 むしろ今回のことから、この先の峨瑛の禍となる可能性が高いのだから、すぐに切り捨ててしまった方が良いに決まっている。
 それでも、峨瑛が生かすことを望むのであれば、その道を考える。そして、まだその余地はあった。
 牙も爪も剥ぎ取ってしまえば良いのだ。
 分かった、と峨瑛は頷く。 牙や爪を剥ぎ取れなかった時は、切り捨てるという意味を込めて。






▽▲
 半年ばかりが過ぎ去った。
 峨瑛も、蒼潤も、それぞれに忙しく外を出歩いていた。 特に蒼潤は、帰ってこない日もあるほどだ。
 三日を空けず宮中に足を運び、帝に謁見しているようだ。
 時には蒼絃と二人だけで会うこともあるらしい。
 そのまま夜更けまで話し込み、泊まってしまうこともあるようで、皇居内に室を賜ったらしいとの噂もある。
 それらを確かめようという気に、峨瑛はなれなかった。
 本人に直接聞けば済むことだったが、その本人がなかなか捕まらないのである。
 人を使い、調べようと思えば、できないことではなかった。 だが、そうするだけの気力もない。
 放っておくことにした。
 

 姉の蒼彰ともよく会っているようだ。
 蒼彰がおかしな動きをしている。人を度々屋敷に呼ぶようになった。
 蒼邦に蒼彰が嫁したのも、つい数ヶ月前のことだ。
 これは蒼潤にとって、予期せぬ事態だったらしい。動揺し、峨瑛の室に駆け込んできた。
 何とかして二人の婚姻を取りやめにさせてくれ、と訴えてきたが、聞いたところによると、蒼潤自身が勝負に負けて、それを認めると約束したのだという。
 それを峨瑛がどうこうできるわけがなかった。
 それよりも、蒼邦という男に峨瑛は興味を抱いていた。
 蒼邦は元々敖州で百姓をしていたのだが、己が皇室に連なる身分だという誇りから、
叛乱が相次ぐのを見て義勇軍を募り、立ち上がったという。
 壬州にたどり着き、しばらくそこを治めていたが、晤貘によって奪い取られ、峨瑛の元へ逃げてきたのが、昨年のことである。
 だが、ずっと以前から徳の将軍だという噂を耳にした事があった。
 実際に会って、なるほど、と思った。
 蒼姓を名乗っているばかりで集めた兵ではない。
 民の支持もあり、それに見合うだけの戦いをこなしてきていると感じたのである。
 この男を手に入れられたら、と思った。 何とか幕僚に迎えたい、と。
 そんな時のこの縁談である。都合が良いと言えば、良かった。
 妻の姉の夫であれば、親戚と言えよう。下せる可能性も十分にある。


 これは蒼彰との戦だった。
 目立って動いているのは蒼潤だが、彼の後ろには蒼彰がいる。
 蒼邦を夫に選んだのも、彼が実戦を知っている部将であるからだ。そして、民からの人気を持っているから。
 なかなか小賢しい。本気で自分を排除するつもりなのだろう。
 蒼潤と蒼彰の仲を引き裂いてやるべきだった、とも思わくはない。だが――。
 峨瑛は笑みを浮かべた。冷ややかな笑みだ。
 やれるものなら、やってみろ、とも思っていた。
 負ける気はしない。
 むしろ利用してやるつもりでいた。
 これを機に、自分に反抗する力を根こそぎ切り捨ててやるつもりだった。


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