29,独り想う刻 真昼の月 弐
呈夙が死んだ。
親子の契りを結んだ晤貘に裏切られたという。
瓊倶はその知らせを渕州の州城で聞いた。
晤貘は呈夙の他の配下に追われ、併州に去ったという。
併州で力を付けようというのだろうか。だが、併州には峨瑛がいる。
峨瑛は渕州斉郡の乱を鎮定し、壬州までも鎮め、更に併州赴郡を手に入れている。
瓊倶にとっても目障りな存在になってきたが、晤貘とぶつかり、共につぶし合うことになるかもしれない。
峨瑛と晤貘が手を結ぶ可能性は低い。双方とも飼えない獣のようなものだ。
あの呈夙でさえ晤貘を飼えきれず殺され、この自分でさえ峨瑛を飼えきれず、業を煮やしている。
飼えない獣は殺すのみだ。殺される前に手を下さねばならない。
呈夙は晤貘の扱いを間違えたのだ。だが、自分はけして誤ったりはしない。
ただ誤算が一つあった。峨瑛が蒼昏の娘を娶ったことだ。
これが意外なほど人心を集めているようだ。
峨瑛もようやく血の尊さが分かってきたということか。
反呈夙連盟を結成した時のことを思い出して、瓊倶は嗤った。
人は血を見る。家柄の善し悪しで人を判断するものだ。
名門出である自分の元に集まってきた兵に比べ、峨瑛の元に集まってきた兵の少なさ。
それこそが、血が示した決定的な差である。
瓊倶と峨瑛の差。
生まれの差。そして、力の差である。
青王朝は終焉を迎えつつある。蒼家の時代はもはや終わりだ。
蒼昏の娘の血に縋る峨瑛など、自分の敵ではないだろう。
次の世は瓊家の血が作り上げるのだ。
――峨皓煽。今だけだ。
お互いに幼少の時から知っている。 頑なな奴だったという覚えがある。
どんなに瓊倶が手を差し伸べてやっても、峨瑛はけしてその手を取ろうとはしなかったのだ。
だが、皆がそうであるように、最後には必ず自分の足下に屈するはずだと思っていた。
そうはならない、と分かった今、潰すしかない。
あれは、敵だ。
瓊倶は晤貘宛てに、そして、併州椎郡太守宛てに書状を届けるよう命じた。
▽▲
晤貘が併州に流れてきた。併州の端、珉郡に落ち着いたようだ。
これでますます動き辛くなった、と峨瑛は卓に広げた地図を睨んだ。
蒼潤が居室にやって来た。珍しく浮かない表情をしていて、無言で文を峨瑛に突き付けた。
「何だ?」
「姉上からだ。お前に」
「天幸殿が?」
蒼潤の姉は蒼彰という。字は天幸だ。
蒼潤と蒼彰の仲は並の姉弟の仲ではなく、強い絆で結ばれていた。
嫁いできた後も文のやり取りをしているらしいことは、蒼潤の元に放ってある間者から聞いている。
蒼潤が余計なことを蒼彰に吹き込んだのだろう。
蒼潤にその気がなくとも、蒼彰には蒼潤の他愛もない言葉から峨瑛の現状を知ることができる才がある。
蒼彰とはそういう少女だ。聡明で、実に小賢しい。
峨瑛は苦々しく思いながら、蒼潤から文を受け取った。
文面に目を通し、すぐに楚雀を呼ぶ。それから、蒼潤に振り返った。
「お前の妹は幾つになった?」
「麗のことか? 12だ」
「12……」
以前会った時は10歳の童女だった。
だが、妙に色気があった。これは、と思わせる美しさを持っていた。
「姉上はなんて?」
「天鈺殿を晤貘にやれ、と」
「何だと!?」
蒼潤は足を鳴らして立ち上がった。
「麗はまだ12だ。年端もいなかない妹を、よりによって晤貘などにやれるものかっ!」
もっともな反応だった。蒼彰も蒼潤の拒絶を予想して、対応策を文に記している。
峨瑛は蒼潤に向かって文を投げつけた。
「天連、座れ。天幸殿にはきちんとした考えがあるようだ」
「考え?」
「天鈺殿の幼さを理由に輿入れの約束だけをし、同盟を結ぶこと。ただし、この同盟は一時的なものであって、椎郡を手に入れた後はこれを破棄する」
「つまり、実際には、麗は嫁がないってことか?」
頷くと、蒼潤は安心したように再び腰を下ろした。
「だけど、それは騙すことにならないか?」
「そうだな。それに儂は同盟というものが好かん」
「好く、好かないという問題でしょうか?」
不意に声がして振り向けば、楚雀が障子戸の後ろに膝を折っていた。
入室の許可を出すと、ゆっくりとした動作で御辞儀をする。
彼が座すのを待って、峨瑛は口を開いた。
「天幸殿は儂の質を承知のようだ。晤貘との交渉は自身がやると言ってきている」
「任せても良いものでしょうか?」
「良いだろう。――これで椎郡に移れるぞ。瓊倶もどうやらしばらくは和州にかかりっきりで動きそうにもないからな」
「椎郡に移るのか?」
「渕州は瓊倶の影響下にある。斉郡を手放す気はないが、このまま渕州内に留まり、斉郡を拠点にすることはできない。それより、併州を手に入れ、壬州、琲州と合わせる。更に栖州、雅州をも合わせる」
「雅州……」
雅州には都、葵陽がある。
峨瑛には蒼潤を都まで連れて行ってくれる気があるのだろうか?
都にたどり着いたら、自分はどうするのだろうか?
胸がざわついた。
不安を押し込めるように、蒼潤は胸を押さえ付ける。
視線を感じて峨瑛に振り向いたが、彼は蒼潤など見てはいなかった。
194年、春。
峨瑛は居を椎郡城へと移した。
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