19,光差す刻 衣脱ぎ捨てる 伍
蒼昂の腕は、さすがに自身で言うほどのものがあった。
薪塢は蒼昂と剣を交わらせながら、舌を巻く。
何と言っても、動きが速いのだ。躰が軽いからだろう。
その小さい躰が消えたと感じる時もある。
冱斡国から連れてきた兵を率いさせてみたが、これも見事に動かした。
調練中の新兵を薪塢が率いて戦わせれば、蒼昂はこれを軽く撃ち払った程だ。
千や二千の兵ならば自在に動かせるようだ。
だが、それ以上は無理だろうと、薪塢は見た。
将の器ではない、と。
将の器の有無を言えば、蒼昂の副将を務めている甄此の方が有ると言える。
陣の組み方にも唸らせるものがあり、時を見定めることもできるようだ。
負けそうだと思えば、直ぐさま引き、別の角度から再び攻め入る。
また、その動きは、薪塢すら苦戦する程、執拗だった。
蒼昂は将の器ではない。
もしや帝王の器なのではないかと思ったのは、調練を終えて、斉郡城の峨瑛の居室に寄った時だった。
峨瑛は女に頭を揉ませていた。
彼は薪塢の姿を認めると、片手を振って、女を下がらせた。
「どうだ?」
「蒼昂のことか?」
「ああ。あれは使えるか?」
「予想以上に」
「そうか」
久しく峨瑛とは剣を交わらせていないが、あの剣は峨瑛と似ている。
ふと、蒼潤の剣を思い出して、そんなことを思った。
あれは、まだ幼かった峨瑛と似ている。
迷いのない剣。
己の力を十分に知っており、それを最大限に利用した動きをする。
強いか、弱いかと言えば、けして強くはない。
だが、けして負けはしない。屈する事のない何かを秘めている。
そして、それは、誰かを守る剣ではない。自身の志を貫く剣だ。
何故、という思いがあった。
何故、蒼昂は峨瑛の下にいるのだろう、と。
峨瑛にしても、蒼昂にしても、こういった剣を持った者を服従させることは容易ではない。
事実、蒼昂には峨瑛に対する忠誠心がまるでないように思えた。
峨瑛がもし蒼昂を帰順させようと考えているのであれば、それは難しいことだろう。
どういった経由か、今の時点では、蒼昂は峨瑛の下にいる。
いったい、いつまで、蒼潤がそれに甘んじていられるのだろう。
空恐ろしいものを感じる。
――厄介な餓鬼を押し付けおって。
薪塢は峨瑛に、呆れたような目を向けて、苦笑した。
「予想以上にできるもんでな、少し手荒く扱ってしまった。幾つか傷を作ったはずだ。 これを、あの坊主に渡して置いてくれ」
「うむ」
薪塢が峨瑛に手渡したのは、茶色い小瓶だった。
中を覗くと、緑色の塗り薬が入っていた。緑と言うよりも茶色。黒に近い。
ツン、と鼻を刺激する臭いがして、峨瑛は頷く。
都でも使われているという傷薬だ。噂通りよく効くので、峨瑛も使用している。
「直接渡してやろうと思ったのだが、調練が終わったとたんに姿を消した。 いったいどこにいるのだ? この邸内にいるのだろう?」
「奥にいる」
峨瑛はそれ以上のことを言わずにおいた。
蒼昂に関する情報は少ない方が良いだろう。
あれが自分の正室だと、どこでどう知れるか、分からない。
薪塢は余計なことを聞かなかった。彼の美点である。
軽く礼を取って、下がっていった。
峨瑛が蒼潤の居室に出向くと、蒼潤は傷の手当てをしているところだった。
房室の入り口――扉から入ってすぐのところに、大人の背丈程の衝立が立っている。
房室は三間続きで、分厚い布で仕切ってある。
衝立の陰から姿を現した峨瑛は、布をたくし上げ、蒼潤の前までやって来ると、腰を下ろした。
蒼潤は、簡単に腰布を巻き、剥き出しの肩に薄い衣を一枚羽織っているだけで、
ひどく無防備な姿を晒していた。
「汐銚は加減しなかったらしいな。良いことだ」
「おかげさまで、傷だらけだ。文句はないけどね」
蒼潤が口角を引き上げると、峨瑛は手を突き出す。
見せてみろ、と言う。
蒼潤はわずかに身を引いた。
「もう手当は済んでいる」
「黙って見せろ」
蒼潤が広げた距離だけ、峨瑛は膝を進める。
仕方なく、蒼潤は先程羽織ったばかりの布を滑り降ろした。
峨瑛が息を漏らした。
「ずいぶんとやられたものだ」
やや目を細め、懐から小瓶を取り出した。
「都の薬だ。これ以上に効くものはないだろう。使え」
「……ありがとう」
確認するように蓋を開けた蒼潤が顔を顰めた。
ツン、と鼻を刺激する臭いに対する嫌悪感がそのまま顔に出てしまったのだろう。
峨瑛は笑った。
「塗ってやろう」
「いい。手当ては済んでいると言った」
「だが、お前はそのままそれをしまい込んでしまいそうだ」
「うっ」
蒼潤の考えなど、容易に分かる。
蒼潤は素直すぎるのだ。
彼は蒼潤の手から瓶を奪い返すと、中の物を指先ですくった。
蒼潤の腕を引く。躰を引き寄せると、肌に指を滑らせた。
「痛っ」
蒼潤の頬に赤が走った。息が殺す気配がする。
相当傷に染みたのだろう。
「っん」
わずかに肉の抉れた肩。
打たれ、青痣となっている背。
切り傷、擦り傷も全身に散っていて、それら全てに峨瑛は指を滑らせた。
峨瑛自身も経験ある痛みだ。如何ほどに染みるのかは、容易に想像付く。
おそらく、傷に針を突き刺しているような痛みだ。
蒼潤が痛みに顔を歪ませ、縋るように峨瑛の背に腕を廻し、肩に額を押し付けてきた。
「……あ。痛っ」
長時間の激しい乗馬の為、鞍で擦れた股にはうっすらと朱が滲んでいる。
峨瑛はそこにまで手を滑らせていた。
峨瑛の指の動きが止まった頃には、蒼潤の躰はグッタリと彼にもたれかかっていた。
苦痛に耐えたこともあったが、過度な運動で疲労した躰だ。仕方ないことだろう。
ふと、気配を感じて振り向くと、徐姥が家具の影のように控えていた。
いったいいつからそのようにしていたのだろうか。
徐姥は、峨瑛が薬を懐にしまったのを見て、静かに口を開いた。
「この時分のお越し。今夜はこちらでお休みですか?」
一瞬、峨瑛は驚いたような表情を浮かべた。
そうして、自分の腕の中を見やる。蒼潤が荒い息を繰り返していた。
「――そうだな。そうしよう」
「では。そのように」
峨瑛が頷くと、徐姥は礼をし、奥の房室に行く。
しばらくして戻って来、支度が整ったことを告げた。
何か言いたげに蒼潤を見る。だが、蒼潤の方は、彼女を見返す余裕などなかった。
峨瑛の腕の中、指一本として動かす気力さえない。
抱き上げられ、寝室の方へと運ばれていく主を、徐姥は、じっと見守っていた。
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