元彼がヤンデレ攻略キャラに転生した結果
※暗いお話です。シリアス、鬱展開に抵抗のない方のみお読みください。
よろしくお願いします。
「あなたの元彼の伊月さんのせいで、大変なことになっちゃいそうなんです」
何言ってんのこの人。
白一色の不思議な空間で目覚めた私は、怪しい女性を睨みつけた。女神と名乗られたが全く信用できない。だって白衣着てるし、手にイケメンのイラストが描かれたゲームのパッケージを持ってるし。
なにより元彼の名前を出されたことで私のテンションは底辺まで落ち込んだ。
「伊月くんの話はしないで。まだ傷が癒えてない……」
高一から二十歳まで四年近く交際していたけど、半年前に別れを告げられた。連絡は一切取れなくなり、アパートも引っ越して、失踪に近い形で彼は私の前からいなくなった。
ちょっと変わったところはあったけど、伊月くんは素敵な人だった。いつもにこにこしてるのに、たまに暗い瞳でぼんやりしている。死に場所を探す野良猫のような危なっかしさに私は惹かれてしまったのだ。
なぜだろうと思い返せば、彼は私の妹に少し似ていた。健康が取り柄の私とは違い、妹は病気がちで厭世家だった。そんな妹の面倒を見ていたせいか、昔から私は危なっかしい人を放っておけない性質なのだ。
そしてつい最近、彼は亡くなった。
大雨で増水した川に落ちてそのまま……。
ごうごうと流れる濁流を見つめる彼の瞳を想像して、私は泣いた。嵐や雷が大好きだったから、彼らしいと思った。
彼の訃報と同時に、二股をかけられていたことも知った。「どうしてこんな男を好きになっちゃったんだろう」と思わずにはいられない。
失踪、二股、そして死に別れ。私のトラウマは相当なものだ。
「まぁまぁそう言わずお話だけでも」
女神は勝手に話し出した。
何でも、不慮の事故で死んだ人間を乙女ゲームの世界に転生させ、うきうきウォッチングをするのが最近の神々のブームらしい。
乙女ゲーム……失恋のショックで死にかけていた私に友達が勧めてくれたので何本かやってみた。
確かに楽しい! 現実逃避にはもってこい!
ヒロインそこ変われと言ったのも一度や二度じゃない。
でも実際にヒロインになりたいかと言われると……ね。
「伊月くんと付き合ってた私が言えたことじゃないけど、リアルの男だったらダメでしょっていうDQNだらけじゃない? 乙ゲーのヒーローって」
「そんなことありません! ヒーローたちをディスらないで下さい!」
女神激怒。天罰が下ったら嫌なので黙り、話の先を促す。
「ブームも盛りを過ぎ、さらなる刺激を求めて段々と過激なことをする神々が増えてきました。結果、伊月さんみたいな“本物”をヤンデレキャラに転生させたらどうなるか、試そうとした残酷な神がいまして……ヒロインの癒しが勝つか、生来の病みが勝つか……」
「ああ……」
ひどい。ていうかヒロインが可哀想。
項垂れる私に女神は淡々と告げた。
「辿り着く結末は一つしか思い浮かびません。だけど私はエンディングの読める物語に興味はないのです。どうにかしたくて、あなたを呼びました」
女神はその世界には深く干渉できないらしい。他の神の領域だから、せいぜいモブキャラを送り込むことしかできない、と。
「……ちょっと待って。私、もしかして死んでるの?」
こんな亜空間で女神と会っている時点で気づくべきだった。
「ご安心ください。ただの昼寝中です。伊月さんをなんとかしてくれたら、ちゃんと元の世界へお帰りいただくこともできます。もちろん、そのまま暮らしても良いですけど」
「いやいや、帰らなきゃ。私、今死んじゃうとすっごく困るんだ。妹の看病があるし……」
そうですよね、と女神は笑った。こちらの事情は全て知っているらしい。
「……いや、待って。なんかすっかり流されるとこだったけど、私があなたに協力する理由なくない? いくら元彼に関わることとはいえ、これって横暴だよ。さっさと元の世界に帰して」
「そうですか? あなたにだってメリットはあります。だって、あなたはこんなことになってもまだ伊月さんのことが好きでしょう? 会いたいはずです。また彼が自分以外の女性を選ぶと聞いて、黙っていられますか?」
言葉を詰まらせる私に、女神は粛々と告げた。
「それに、ヒロインを救うのはあなたでなくてはならないのです。真昼さん」
私の名前を呼び、女神はとんでもないことを口にしたのだった。
私はタイミングを見計らって、廊下の角から飛び出した。
「きゃっ」
歩いてきた人影にぶつかり、転びかけた私を力強い腕が攫う。どさくさに紛れ、私は目の端によぎったカフスボタンを「はぁっ」ともぎ取った。ぶちっと嫌な音が響く。
「大丈夫?」
恐る恐る、という風に目を開けると、とんでもない美形の顔面が間近にあった。暗い印象の長い金髪と、ぎょっとするほど明るい緋色の瞳がアンバランスだ。上品な微笑みにはどこか陰があって、私の心臓は跳ねた。
トレイル・アジェロット。
攻略対象の一人。
……この微笑み、伊月くんだ。間違いない。
私は地味な服に身を包んだ侍女である。爵位を持たない貴族の子女で、行儀見習いのために城勤めをしているという設定。
転生というよりは憑依と言った方がいいのかな。まだ死んでないし。けどまぁ、形式上前世の元彼って呼ぶ。彼は容姿の変わった私に全く気付いていなかった。当たり前か。一目で正体を見破るほど愛が強ければ、二股なんてかけられないよね。
「まぁ、なんてはしたない」
「公爵家の跡取りにぶつかるなんて」
「それに今の音は……」
周囲にいた人々が囁く。みな一様に着飾り、冷ややかな目でこちらを見ていた。
今夜は城の舞踏会で、たくさんの来客が大広間に集まっている。トレイル――というか伊月くんも広間に向かう途中だった。
「も、申し訳ありません! ああ、なんてことを……」
衆目の中、かなり格上の身分の人間にぶつかった。その上舞踏会のためにあつらえた衣装に傷をつけたのだ。ボタンが取れただけでなく、袖口がびりびりに破れていた。
それだけではない。カフスボタンにはアジェロット家の紋章が施されている。場合によっては公爵家に喧嘩を吹っかけたと取られてもおかしくない。
この醜態に表面上の私は青ざめて震えたけど、内心はそんなに焦ってない。だって……。
「気にしないで」
伊月くんは私の手からカフスボタンを取り戻し、にっこりと笑った。
「着替えの用意はあるから。それより、いくら忙しくても走ってはいけないよ。次に転んだらきっと助けてあげられない。じゃあお仕事頑張って」
彼はお付の者を伴って控えの間に戻っていった。着替えるのだろう。これで舞踏会の開始には間に合わず、アミィナとダンスを踊って中庭に行く時間が無くなる。計画通り。
寛大な対応に周囲からため息が漏れた。令嬢などはうっとりとトレイルの背を見つめている。
ああ、あなたならきっとそう言ってくれると思っていた。
変わっていないね、伊月くん。
記憶や人格はそのままだから当たり前だけど、彼が優しく細かいことを気にしない性質であったことに私は安堵した。
遠慮はしなくていいね。
私はこの世界で大切な人を取り戻す。
この乙女ゲームは西洋風の剣と魔法の世界で、突如王女に祭り上げられた少女が呪われた国を救うお話だ。
ヒロインのアミィナはこの国の正統の王女様。でも訳あって最近まで庶民の子として孤児院で育ったんだって。だから王族としての感覚はもちろん、マナーやエチケットも身についていない。天涯孤独だったから家族の愛情も知らず、父である国王ともぎこちない。
王族にしか使えない魔法の剣を目覚めさせ、国を蝕む呪いを解くのがゲームの最終目標である。
継母にいじめられたり、貴族令嬢に庶民上がりの王女と馬鹿にされたりしつつ、一癖も二癖もある婚約者候補と恋愛し、魔力を高めていく……モデルの乙女ゲームのタイトルは『魔と憂愁のプリンセス』。なんかベタだね。
だけど隠れた名作らしい。私はやったことないけど、友達はすごく面白いって言ってた気がする。
メインヒーローは隣国の王子様なんだけど、その辺りは割愛。
大切なのはトレイルルート。
トレイルは公爵家の跡取りとして何不自由なく育ち、人当たりも良い優しい青年だ。でも両親が不仲だったせいか、実はひどく不安定で寂しがり屋。ようするにヤンデレ。心を許してからは、アミィナちゃんが少しでも離れると狂ってしまう。
伊月くんにはぴったりだね。あ、褒めてないです。
好感度を上げてベストエンドを迎えると、トレイルはアミィナとの交流を通じて「まとも」になるらしい。
伊月くんでなければ、素直に改心してくれるってこと。
今回、この世界に転生しているのはトレイルとアミィナと私だけだ。他のキャラは原作のままの言動をする。
アミィナちゃんが伊月くんに惹かれなければいい。
そう女神様は願っていたみたいだけど、残念ながらアミィナちゃんはトレイルルートに入ってしまった。
お互い中身が転生者だってことは知らないって女神様は言ってた。
なのにどうして……私は嫉妬やらなんやらで胸糞悪くなりながらも、こまめに二人の接触を潰していった。
といっても、私にできるのは城内での限られたイベントの妨害だけ。
二人が城下町でデートしているときや、城内で偶然行き会ったときは何もできない。四六時中付け回すことはできなかった。私にだって表向きは仕事がある。それをクビになったら二人の恋路の邪魔もできないわけで……。
ちなみにこの世界は亜空間にあって、元の世界とは時間の流れ方が違う。だから時間が経つのは大丈夫。私の元の体は今も爆睡中だ。
私の妨害工作も空しく、二人の距離はどんどん縮まっていった。
しかしトレイルの心が癒されていく様子はない。瞳の暗い光は変わらない。伊月くんは伊月くんのままだ。
このままじゃ、まずい。
私は焦っていた。
女神に取りつけた約束を思い出す。
この世界で私が起こした一切の犯罪行為について、罪に問わない。
元々この世界は神がモニタリングを楽しむために創られた。
何が起こっても一興。むしろ退屈させないエンディングを期待されている。倫理観はない。
私は兵士の詰所に忍び込み、短刀を盗んだ。
二人が最悪のエンディングに辿り着いてしまうのなら、いっそ……。
そしてその日は訪れた。
魔法の剣が封印された神殿。
アミィナとトレイルは二人でここにやってきた。私に跡をつけられているとも知らずに。
そして、魔力と愛の力()で剣を目覚めさせると、聖なる光が世界に溢れた。
これで国を蝕んでいた呪いは解かれた。各地を襲っていた魔族は滅び、不毛の土地にも植物が生える。人々の心に巣食っていた悪意も消え、他の攻略キャラの病気も治るだろう。
あ、ちなみに他のルートをやると上記の問題にぶち当たるらしい。
「これでこの国は救われたのね……!」
素直に喜びを露わにするアミィナちゃんに、トレイルは、伊月くんは優しく微笑む。
「そうだね。これでもう、この国に未練はないよね? アミィナ姫、僕との永遠を誓ってくれますか?」
「ええ、もちろん……トレイル?」
伊月くんは、魔法の剣を握りしめたままのアミィナちゃんの手を取る。
感動的なエンディングを迎えようとしていたのに、ものすごく不穏な空気が漂い始めた。
「僕と一緒に死んでください」
その言葉にアミィナは凍りついた。
「ど、どういうこと? あなたは何を言って……」
「そのままの意味です。僕は死にたい。どんなに満たされても、愛されても、生きているのが辛いんだ。生まれついての死にたがりなんだ。僕の望みは一つ。愛するあなたと一緒に……」
伊月くんのカミングアウトに混乱するアミィナちゃんは魔力を上手く操れない。剣がアミィナちゃんの細い首元に迫った。
「待って! 伊月くん! 私の目の前でそんなことさせないんだから!」
私は柱の陰から飛び出すと、二人は目を見開いた。
冴えない侍女の私。この物語においてはモブに過ぎない。だけど、この二人にとっては特別な存在だという自負がある。
「きみは……?」
「分かんないよね。私、真昼だよ」
伊月くんは息を飲む。
「まさか」
「初デートは自殺の名所の崖だった。誕生日プレゼントは首つりのためのロープだった。多分バレてるけど、伊月くんが車に積んでた練炭セット、サークルのバーベキューで使わせてもらったわ。ごめんね」
短刀を懐に隠したまま、私は二人に歩み寄る。
「本当に真昼? どうして……きみがこの世界にいるなんて……きみも死んだの?」
「ううん。私は向こうで絶賛昼寝中。生きている。あなたを止めるためにこちらに来たの」
「良かった……」
答えを聞いて伊月くんは笑った。心底安堵したようなその表情に非常に腹が立った。
「もう何度同じことを聞いてるのか分からないけど……ねぇ、どうして? どうしてそんなに死にたがるの? 何が不満なわけ?」
前世では、放っておくと死のうとする彼を、私が必死につなぎとめていた。私は彼と美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見たり、手を繋いで町を歩きたかった。生きて幸せになりたかった。
彼は一緒に死んでほしがったけど、私は全く死にたくなかった。それに私の両親は高齢で、この先ずっと妹の看病を任せるには不安がある。だから、死ねない。
私が百回心中の誘いを断った頃、痺れを切らした彼は二股をかけたようだ。そして私と別れて姿を消し、半年後に伊月くんは新しい恋人と川に飛び込んだ。
「何度も答えてると思うけど、自分でも分からないんだよ。ただただ生きていたくないんだ。でも一人で死ぬのは怖い……ごめん真昼」
「謝っても許さない! 勝手に死んだことも、心中相手に妹を選んだことも!」
私は短刀を彼の胸に突き刺した。アミィナちゃんが悲鳴を上げる。
生々しい血の温かさで私は震えた。泣かないつもりだったけど、瞳からは涙がこぼれていた。
倒れた伊月くんは嬉しそうだった。血だまりがどんどん広がっていく。
「ごめんね、ごめんね、真昼……きみは生きていた方がいいと思って、幸せになってほしくて、だから、美夜を選んだんだ……愛がなくなったとか、そういうんじゃないよ」
知っていた。それは、知っていたわ。
「謝っても許さないって言ったでしょ。何で笑ってるの?」
「だって、きみの手で殺してもらえるなんて……一緒に死ねないならせめて殺してくれないかなって思ってたんだ……」
「最低」
私が冷たい一瞥を向けると、伊月くんはふわりと笑った。
「死にたがりの僕のまま転生してしまって、とても困っていたんだ。でも、これでさすがに終わりだよね。今度こそ僕は死ねるよね……?」
「そう願ってるわ。もう二度と生まれ変わらないでね。さようなら。……大好きだったよ」
「ありがとう。僕も、同じ気持ち……」
伊月くんは目を閉じ、安らかに逝った。
愛する人を殺した恐怖や悲しみが胸に広がる。でも、それ以上に達成感や幸福もあった。
ようやくこの人の望みを叶えてあげられたから。
私は涙を拭って、手に付いた血を拭って、その場に尻餅をついたままのアミィナに視線を向ける。
「帰るわよ、美夜。お母さんもお父さんも心配してるんだから」
「え……わたし……」
青ざめて震える姫君を私はそっと抱き寄せた。
「大丈夫。あんたはまだ生きてる。意識不明の重体だけどね。この世界から帰れば、きっとあんたも目を覚ませるわ。これに懲りたら二度と馬鹿なことしないで」
病気がちの妹は、学校にも行けず、仕事にもつけず、世を儚んでいた。伊月くんからの心中の誘いは甘美に響いたのだろう。健康な姉に対する嫌がらせだったのかもしれない。
馬鹿な子。
でもごめんね。気づいてあげられなくて。
健康な私には、この子の辛さを真に理解してあげられなかった。
私は中途半端だった。
伊月くんだけを見つめることも、妹の看病につきっきりになることもできなかった。
どちらかを選んでいれば、きっとこんな最悪なことにはならなかったのに。
「この世界でアミィナとして生きたほうがあんたは幸せかもしれない。でもやっぱり、もう一度元の世界でやり直させて。お願いだから……」
「お姉ちゃん……! ごめんなさい! ごめんなさい! わたし、なんてことを!」
「もういいの。さぁ、元の世界に帰ろうね」
アミィナちゃんは――私の妹の美夜は、声を上げて泣いた。
ごめんね、伊月くん。
もしもこの世界であなたが妹を愛し、幸せになって生きていってくれるなら見逃しても良かったけど、あなたがアミィナを見つめる瞳にはまるで熱がなかった。四年付き合った私にはお見通しだったよ。あ、また同じことをするつもりだって。
あなたのことは大好きだけど、今の私は妹の方が大切なの。
あなたに二度も奪わせはしない。連れて行かせはしない。
そのために私はこの世界に来た。
神殿が眩い光に包まれ、私と美夜は世界から引きはがされるような痛みを覚えた。
こうして私は大切な人を取り戻した。
ありがとうございました。