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誰もいない

作者: 尚文産商堂

その物件に興味を持ったのは、不動産屋からの注意だった。

「裏野ハイツに近寄るな」

それがきっかけで、俺はその裏野ハイツなるハイツに住むことを決めた。


駆け出しの弁護士の俺は、いろいろと昔から興味があるものに首を突っ込む性格だった。

鍵を受け取ると、唯一の空き室であった203号室のカギを、部屋の紹介とともに不動産屋から受け取る。

「家賃は4.9万、一番近い駅までは歩いて大体7分くらいだから。間取りは1LDKで、リビングが9畳、洋室が6畳。でもお客さん、本当に住むつもりなのかい?」

「ええ」

荷物はあとで運んでもらうことにしてもらっている。

最近の弁護士業と言うのは、なかなかにお金が稼げない。

とくに、俺みたいに伝手も何もない開業弁護士はまずは客となる人から探すことが必須だ。

玄関周りや、部屋の様子のできるだけ多くを、不動産屋の前でインスタントカメラに収めていく。

後で傷をつけたとか、つけてないとかで訴訟になった際、証拠となるためだ。

そして契約書へとはんこや署名などを済ませると、正式に俺はここに住むこととなった。


翌日、不動産屋に聞いてこのハイツの中で一番の長老格である201の女性を訪ねることとした。

ここに住んでいる方は70代になるらしい。

すでに年金生活であり、いろいろと面倒見がいいことで有名だ。

近所にある公園へよく散歩に行くらしく、日中はもしかしたらいないかもしれないといわれていた。

インターホンを押し、少し待つ。

内側から扉が外側へと向かって開き、わずかに腰が曲がった老婦人が姿を見せた。

和装が似合いそうではあるが、残念ながら洋装だ。

それでも、化粧をしていなくても、肌はつやつやと輝いており、いいところの育ちであったことをうかがわせる。

「あらあら、これはご丁寧に、どうもありがとうございます」

玄関先で正座をして、俺に向かって手をついてくる。

それも三つ指だ。

「いえいえ、こちらこそ。これから一つ離れて隣人となるのですから」

そうだ、と言って、俺は持ってきたそばをご婦人に渡す。

「こちら、粗品ではございますが、どうぞお納めください」

「ありがとうございます。最近の子にしては、よくできた子ねぇ」

とても感心されたように、俺が渡した袋入り298円のそばを受け取る。

「ええ、母からいろいろと教わりましたから」

「そうですか、あら、お茶でも飲んでいかれますか?」

ご婦人は立ち上がりつつ、俺へと尋ねる。

「いえ、これで本日は失礼します……」

立ったとき、はらりと何か紙きれのようなものを落とす。

「あ、こちら、落とされましたよ」

その紙きれを拾う。

たまたま写真の中の青年と目があった。

「返してっ」

先ほどの老婦人の雰囲気とは一転、急に叫んだかと思うと俺からその写真をはぎ取っていく。

「あ、いえ、失礼しました」

鬼気迫る、とはまさにこのことを言うのだろうか、ただ、歳のせいか、気道へと唾液が入ったのか、急に背中をくの字にしてせき込みだす。

「大丈夫ですか」

俺が尋ねるが、老婦人はわずかにうなづくだけだ。

そして、30秒ほどで落ち着きを取り戻す。

「お見苦しいところを見せてしまいましたね」

「いえ、では、これで失礼します」

あの写真は誰だったのか。

一瞬だけ見た写真の右下にあった日付けは10年以上昔だ。

町中で歩いていても、おかしくはないという服装はしている。

青色のパーカー、誰かに向かって向ける笑顔、そして何よりも、20歳かもう少し下か、というぐらいの見た目の年齢。

誰かは分からないが、とにかく今はこの部屋にはいたくないという気持ちの方が強かった。


引越しから1週間、生活もどうにか落ち着いてきた。

プライバシーがドウノコウノという理由で、ここのハイツでは昔はついていたのだが表札はつけていない。

ただ、部屋番号が書かれたプラスチックの、それも色あせた番号標のようなものが扉の左上側に貼られているだけだ。

俺は近所のコンビニへとその日は夜食を買いに行っていた。

ついでにではあるが、写真の現像も頼んでいる。

最近はめったにないが、コンビニでフィルム写真の現像の受付をしてくれているのだ。

ただし、コンビニ内でするわけがないので、外注のようだ。

その影響で、1週間はかかるといわれ、日付の時間に取りに来たということだ。

うまくとれているかどうかの確認も必要だし、しっかりとアルバムに張り付けて、何かあった時の証拠としたいという気持ちが強かった。

「……合計で、1982円になります」

1000円札2枚、2千円を出してお釣りを受け取る。

夜食はカップ麺に、野菜ジュースだ。

それ以外にもお菓子類が袋の中に入っている。

ついでに年金も支払った。

「ありがとうございましたー」

店員は棒読みでそう俺に言って、次の客へと声をかけていた。


家に帰る途中、ハイツのそばまでくると、202号室に電気がともっている。

不動産屋によれば、あそこは201号室の老婦人の関係者がいるという話だった。

というのも、あの老婦人は2部屋分の家賃を支払っていて、202号室、201号室の両方に住んでいるということらしい。

これを聞いた時には、眉唾だと思った。

隣には、誰かが出入りしたということはなく、たまに換気扇のような音が聞こえるが、その時には、201号室で室外機が必ず動いていたからだ。

202号室にもクーラーの室外機はあるが、そこが動いていたかどうかの意識はない。

少なくとも、不動産屋には何も打ち明けまいと思いなおしつつ、家へと入る。

台所でやかんに水を入れ、ガスコンロに火をつける。

お湯が沸くのを待ちつつ、写真の確認をし始めた。

「……ん?」

写真の一部がおかしい。

おかしいというよりも、なにか違和感を感じるおかしさだ。

わずかに傾斜した部屋に入って、めまいを起こしそうな、そんな感覚が近い。

なぜ、そんな違和感を覚えるのか、それを写真をじっくりと眺めて探した。

そして、あるポイントを見つける。

それは202号室側の壁の写真だ。

「こんな染み、あったかなぁ」

青色に見える、なにかのっぺりとした染みのようなものが写真に写っている。

そこでその壁を確認するが、青色はおろか、壁紙は真っ白なものであり、シミや穴の類は見つからない。

1枚や2枚なら、それも光の向きでという言い訳が立つだろう。

だが、これらは違う。

何十枚、何百枚と撮った中で、その壁に必ず染みが出来上がっているのだ。

これでは証拠写真として使うことはできない。

どうしようかと考えていても、そればかりはどうしようもない問題だ。


翌日、気になった俺はもう一度写真を取ることにした。

運がいいことに、段ボールが2段ほど積み重なっているだけだったので、片付けるのは簡単だ。

ほとんど初めの時と同じような状態にして、再びインスタントカメラを使って写真を撮る。

そしてコンビニに現像へと向かった。


さらに1週間後。

シミは影と言うほどに大きくなっている。

この写真を撮ったのは1週間前ということを考えると、今はさらに大きくなっているだろう。

「なるほど、不動産屋が言っていたのはこういうことか」

ただ、タダでは起きないと自負している俺は、気になったということもあり、202号室へと伺うことにした。


インターホンを押す。

誰も出ない。

それはそうだろう、今日は電気がついていなかったのだから。

きっと誰もいない、そう思っていったん帰ろうとする。

だから、中から人がでてくるとは思いもしなかった。

「……何の御用かしら」

老婦人が出てくる。

「いえ、ちょっと騒がしいので、何かあったのかなと」

ツンと鼻につく臭い。

大学の時、嗅いだことがある臭いだ。

「それに、ホルマリンのにおいもしてきまして」

「何でもないわよ」

「ホルマリンはさすがに一般家庭では使わないでしょう」

ちなみに、日本薬局方という文書では、その第十六改正においてホルマリンはホルムアルデヒド35~38%にさらにメタノール5~13%をうわえているものとされている。

アルコールのような、少し頭がくらくらするというのは、もしかしたらこれらの影響なのかもしれない。

「…いいわ、入っておいで」

老婦人はあきらめたようにして入れる。

俺が入ってから、老婦人は真っ先に鍵を閉じた。


中はカーテンもしっかりと閉められていて、全く見えない。

玄関で立ったままな俺に、老婦人は懐中電灯を向けてくる。

顔に向けてくるということもあり、まぶしくて、顔をそむけてしまう。

「若さというのは、いつでもほしくなるものなの」

老婦人は冷静な声で俺に話す。

「……若さですか」

「ええ、若さ。必要なのは、生命エネルギーともいうべきものね。もう歳を取ってしまうと、なかなか手に入らないものなのよ」

懐中電灯は、相変わらず顔に向けられている。

部屋の様子を、完全に見せたくないといった雰囲気がある。

「それで、私は若さをたもつ秘訣をずっと研究してきたの。あるとき、一つの回答へと達することができたのよ」

パッと部屋の電気が付けられる。

部屋の真ん中には、男性が座っている。

寝ているのか起きているのか、その表情は虚ろでまるで魂が抜かれてしまったのような印象だ。

「若さは若い者から採るのに限るのよね」

最初にあった時の写真の男性は、どうやら彼のようだ。

「若さ採る……いや、それよりも監禁罪ですよ」

「あら、それがどうかしたの?」

老婦人は一向に介さないようだ。

「だって、貴方もこれから吸われるというのに」

左側頭部を鈍い痛みが襲う。

床へと倒れた俺を、さらに老婦人はありえない力で後頭部へと一撃を食らわせた。

それが、俺が覚えている全部だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。こういう思いきったおばあちゃん、好きです。
[一言] 霊なんかより生きている人間が一番怖いですね
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