第250話 ファーストコンタクト
それは数年前のこと――
エル先生は海運都市グレイに所用で出向いたらしい。
用事を済ませ、街中を歩いていると、目の前で見知らぬ子供が転んだ。
子供は膝をすりむいて泣き出してしまう。
この異世界でもっとも聖母に近いエル先生が、そんな子供を見過ごすはずがない。
彼女は駆け寄り、服についた土を払って、子供を立たせた。
すりむき血が滲む膝を治癒魔術で躊躇いなく治癒する。
しかし、不幸にもそのことがエル先生と子供の2人を危険にさらしてしまう。
2人の側を通りかかった馬車の荷台――そこに積み上げられた木材のロープが切れてしまったのだ。
治癒魔術を使っていたため、エル先生は咄嗟に他魔術で防ぐことができなかった。それでも子供を守るため、抱き締めて木材から庇ったらしい。
だが、2人は木材に押しつぶされることはなかった。
『大丈夫か?』
声に顔を上げると、ギギさんがエル先生達を守るため割って入り、魔術で落下してきた木材を防いでいたのだ。
『は、はい。ありがとうございます。お陰で助かりました』
『……そうか』
エル先生や商人からお礼と謝罪を聞き流し、ギギさんはすぐにその場を離れた。
エル先生はそんなギギさんに慌てて駆け寄り、声をかけたらしい。
『あ、あの本当にありがとうございました! お名前を教えて頂いてもよろしいですか?』
しかしギギさんは振り返りもせず、
『名乗るほどの者ではない』と断言。
人混みに紛れたらしい。
「――そんなギギさんはまるで昔の婚約者のようで……じゃなくて! その……」
エル先生が珍しく、顔を赤くしてパタパタと手を振り必死に誤魔化そうとする。
どうやらつい口が滑ってしまったらしい。
現在、オレ達は孤児院の裏手にある広場に集まってエル先生の話を聞いていた。
机やテーブル、お茶、茶菓子などは全てリースの『無限収納』から取り出した。
可愛らしく慌てるエル先生にオレが代表して告げる。
「大丈夫です。アルさんからお話は聞いているので。ここに居るメンバーはほぼ知っていますから」
「そうだったの? もうあの子ったら、子供達には内緒にしててって頼んだのに」
オレの言葉に、エル先生は頬を膨らませ双子の妹に腹を立てた。
「でも、どうしてわたし達にまでお姫様って黙っていたんですか?」
スノーの質問にエル先生は微苦笑を浮かべる。
「姫と言っても本当に小さな国だし、私が『お姫様』だなんて似合わないでしょ?」
「いえ! そんなことまったくありませんよ! エル先生がお姫様って知ってオレはすぐに納得しました! 話を聞いて昔を振り返り高貴な雰囲気とか出て、『どうして気付かなかったんだろう!』って思うぐらいですよ!」
「ありがとう、リュートくん。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃありませんよ!」
エル先生はオレの言葉に恥ずかしそうに微笑む。
ちくしょう! 可愛すぎる!
こんな素晴らしい人が、ギギさんに惚れているなんて!
だいたいオレがその場にいたら、ギギさん以上に上手くエル先生と子供を助けていたね!
憎い! その場にいなかった自分が憎い!
はっ!? とオレはある可能性に気が付き、エル先生に進言する。
「でも、一目ですぐ助けてくれたのがギギさんって分かりましたね。もしかしたら違う人かも知れませんよ?」
エル先生を助けた時のギギさんは、旦那様を捜すため北大陸へ向かっている真っ最中だった。
時期的にその途中で寄った時、エル先生と子供を助けたのだ。
昔のギギさんに比べて現在は、傷が増え、右目を眼帯でおおっている。
昔と比べて大分、容姿が変化している。
これなら『他人のそら似ではないか?』と押し通すことができるだろう。
スノー、クリス、リース、シアは、オレがどうにかしてエル先生とギギさんを引き離そうとしていることに気付く。
妨害はして来ないが、あからさまに呆れた視線を向けてきた。
……だが、エル先生とギギさんを引き離せるなら、嫁達の冷たい視線ぐらい耐えきってみせる!
だてにPEACEMAKER団長として修羅場をくぐっていない!
恐らくこの日のためにオレは今までの試練を乗り越えてきたのかもしれない!
「ギギさんはどうですか!? 身に覚えなんてありませんよね! よね!」
「確かにそんなことをした記憶はあるが……緊急事態だったのであんまり顔や特徴を気にせず助けたからな。リュートの言う通り、『人違い』という可能性もあると思うが……」
オレの必死な言葉に、ギギさんは過去を振り返る。
ギギさんの自信なさげな言葉に、エル先生が笑顔で答える。
「大丈夫よ、リュートくん。助けてくださった恩人を見間違えるなんて失礼なことしないわ」
「そう……ですか……」
「ギギさん、あの時は助けて頂き本当にありがとうございます」
エル先生の言葉に、ギギさんは黙って頷く。
大天使であるエル先生に断言されては、それ以上オレが言及するわけにもいかず黙るしかなかった。
(リュートくん、リュートくん)
落ち込んでいるオレへ隣に座るスノーが小声で話しかけてくる。
(気持ちは分からなくはないけど、でもギギさんって前にリュートくんが言ってた条件に凄く当てはまる人だと思うよ?)
(条件?)
確かに昔、『どのような男性ならエル先生の夫として認めるのか?』と妻達に尋ねられた。
その時――『真面目で、優しくて、働き者で、自分のことより妻を大切にして、他の女性に目移りしない一本気のある性格で、収入が安定していて、エル先生を守れる強さがあって、義理堅く、周囲から一目置かれ、地位や名誉に胡座をかかず努力して、僕が尊敬――まで行かなくてもエル先生を『この人なら任せられる』と思える人なら許す!』と言った記憶がある。
……た、確かにギギさんは見た目こそ強面だが、真面目で優しく、ブラッド家でも評判のいい働き者だった。
またギギさんなら性格上、妻を大切にするだろう。
受付嬢さん、アルさんに言い寄られても気付かないほど鈍感のため、結婚すれば奥さん以外は目にも入らないはずだ。
魔術師Bプラス級のため、収入面も問題なし。エル先生を守れる強さもある。
義理堅く、周囲から一目置かれ、地位や名誉に胡座をかかず努力している。
そして何よりオレはギギさんを師匠として尊敬している……確かにそう考えると、ギギさんは嫌というほど条件を満たしている人物だった。
さらにギギさんには恩がある。
奴隷に売られ女性と間違えられてブラッド家に買われた時、ギギさんが後押ししてくれなければ自分は返品されていたかもしれない。
3日間でクリスと距離を縮めることが出来たのも、ギギさんが絵本を持って来てくれたからだ。
他にもギギさんが剣術や体術を教えてくれたから、今こうして生き延びることができたわけで……。
「んギギギギギ……ッ」
「どうしたリュート。凄い顔をしているが、体調でも悪いのか?」
オレが過去を振り返り、あらためてギギさんにお世話になっていたのと尊敬していることを自覚してしまい苦悶する。
そんなオレにギギさんは心配そうに声をかけてくれる。
その優しさが今はオレを苦しめていた。
悩み抜いた結果、オレは――
「いえ、大丈夫です。急に頭痛がしただけですから」
「大丈夫、リュートくん? 念のため治癒をかけておく?」
「すみません、エル先生、心配をかけてしまって。でも、本当に大丈夫ですから」
オレはエル先生を心配させないため、意識して爽やかな笑顔を作る。
考え抜いた結果として、オレはこの問題を考えないことにした。
ギギさんは、自分に対する好意に酷く鈍感だ。
下手にオレが動いてエル先生から遠ざけようとして、2人の間にフラグが立ったらたまったものではない。
ここはギギさんの鈍感力に賭けて、静観しておくのが得策だろう。
オレは頭と気持ちを切り替え、エル先生に何故オレ達が孤児院に慌てて駆けつけたのか話をする。
もちろん、エル先生にこの異世界の真実を告げるわけにはいかない。
ゆえにオレ達、PEACEMAKERが始原に目を付けられ、敵視され。始原がオレ達の尊敬するエル先生を人質として押さえようと動いていることを告げる。
一通り話をした後、オレは頭を下げた。
「すみません、エル先生。軍団同士の争いに巻き込んでしまって!」
「顔を上げてリュートくん。リュートくんが悪いわけではないんでしょ?」
「はい。自分が絶対的正義とはいいません。でも、エル先生に顔向けできないようなことは断じてしてません。それだけは信じてください」
オレの言葉をジッと聞いていたエル先生は、微笑みを浮かべる。
「分かりました。リュートくんを信じます。それで、私はどうすればいいのかしら……」
「エル先生には申し訳ないんですが、始原との問題が片付くまでオレ達が準備する安全な場所へ移っていて欲しいんです」
とりあえず、獣人大陸のココリ街に戻り、それからミューアの手を借りて隠れ家にエル先生を匿う予定だ。
しかし、この提案にエル先生は困った表情を浮かべる。
「でも、それだと子供達が……」
「もちろん、子供達を残していくようなマネはしません。全員連れて行きます」
始原の問題も早急に解決するとダメ押しする。
「分かりました。それならリュートくんの指示に従います」
「ありがとうございます! それじゃお疲れのところ申し訳ないんですが、必要な荷物を纏めて飛行船に移ってください。準備が出来次第、すぐに出発しますから」
この指示を受け、エル先生が孤児院の建物へと向かう。
荷物を纏めるのと、子供達に説明をするためだ。
その間にオレ達の方も準備を進める。
いつ始原が来るか分からないため周辺の警戒。
始原との問題が片付き、エル先生達が戻ってこれるか分からないため、孤児院の建物管理をオバさんに任せる。もちろん、相応の賃金を支払ってだ。
またオレ達と入れ違いで新・純潔乙女騎士団が町へ辿り着いたら、戻ってくるよう手紙と伝言を預ける。
リースにはエル先生達の荷物、追加の食料などを『無限収納』にしまってもらった。
諸々の準備を終えて、飛行船に乗り込みとすぐに出発する。
子供達は31人、エル先生も入れると飛行船室内はいっぱいになってしまう。
だが今は一刻を争う。
しばらく皆には不自由な思いをさせるが、隣の大陸のココリ街までだ。
それほど長い時間はかからない。
飛行船に乗り込むのも、空を飛ぶのも初めてな子供達は興奮気味に甲板へと集まり、小さくなった町を見下ろしていた。
「すげー! 町があんなにちっちゃい!」
「わたしにもみせてーっ」
「わぁ、あっちにとりさんがいるよぉ」
そんな彼、彼女らをエル先生がまとめる。
「あんまり身を乗り出しては駄目ですよ。危ないですから。大きい子は、小さい子が身を乗り出さないように気を付けてあげてくださいね。後、寒いのでもう少ししたらお部屋に入りますよ」
子供達の元気な返事が聞こえてくる。
まるで前世の小学校遠足に立ち会っている気分だ。
「ギギさん、どこに行くんですか?」
子供達を見守っていたギギさんが、背を向け飛行船内へと戻っていく。
「……俺がここに居ても、子供達を怖がらせるだけだからな」
そう言って、背を向け歩き出す。
エル先生はその背中を名残惜しそうに見詰めながらも、声をかけることができずただ見送ることしかできなかった。
これは想像していた以上に、2人の仲が進展することはないだろう。
どちらも恋愛に奥手で、立場上、気軽に自分から行動を起こせない。
オレが妨害しなくてもよさそうだが……なんか納得いかないな。
「どうしたのリュートくん、難しい顔して?」
「いや、なんでもないよ。それよりそろそろ風も出てきたし、これ以上は体を冷やすから子供達を室内に戻そう」
「そうだね」
オレはスノーの問いを適当に誤魔化す。
エル先生に声をかけて子供達を室内へ移動させようとすると、
「賛成だ、こちらとしても童達に余計な話を聞かせて、手を汚したくはないからな」
――いつの間にか甲板に見知らぬ1人の男が立っていた。
顔以外、全身甲冑を身にまとい少し体を動かすだけで金属音が響く。
体格はまるでラグビー選手のようにガッチリとした体型。身長は190cmを越えていた。
髪を短く刈り込み、目つきも鋭い。
その姿はまるで歴戦の騎士団長と言った風格を漂わせている。
(――こいつ本当にいつの間に甲板に居たんだ!?)
音や気配もまったくなく、忽然と甲板に姿を現したとしか思えない。
こちらの驚愕をどう捉えたのか、相手は律儀に挨拶を始める。
「挨拶が遅れた。始原団長、人種族、魔術師S級のアルトリウス・アーガーだ」
これが始原団長とのファーストコンタクトだった。
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明明後日、1月22日、21時更新予定です!
また、軍オタ1~2巻、引き続き発売中です。
まだの方は是非、よろしくお願いします!
(2巻なろう特典SS、1~2巻購入特典SSは14年12月20日の活動報告を、1巻なろう特典SSは14年10月18日の活動報告をご参照下さい)