第196話 天神教の噂
天神教使者の『ココノを嫁にもらって欲しい』宣言に、隣に座るメイヤが扇で顔を隠しながら怒りの表情を浮かべる。
今にも、目の前に座っている初老司祭のトパースと巫女のココノに飛びかかりそうな勢いだ。
オレは慌てて、
「す、すみません! どうも彼女の調子が悪いようで、一度離席してもよろしいですか?」
「それは大変ですね。私達には構わずどうぞ」
二人は心配そうな表情を浮かべて、同意してくれる。
オレは作り笑いを浮かべながら、メイヤの手を取ると応接間を一時後にした。
応接間を出ると、二つ隣の別室へ。
ここは無人の空き部屋だ。
「やっぱり! わたくしの思った通りですわ! 悪い予感があたりましたわ!」
部屋に入った途端、メイヤが怒り出す。
手にしていた扇を畳んで両手で握り、今にも折るように力を入れる。
彼女を落ち着かせるためにも声をかける。
「まぁまぁ、落ち着けメイヤ。……しかし、まさか神様ご指定で嫁さんを連れて来られるとは予想外だったな」
「まったくですわ! まさか本当にあの噂が本当でしたなんて!」
「あの噂? もしかしてメイヤが工房で言っていた噂ってこのことだったのか?」
「……申し訳ありません。本来ならすぐにお伝えするべきだったのですが、あくまで噂程度だったのと、リュート様の妻として本当に巫女を連れてくるとは思わなくて……こ、このメイヤ・ドラグーンを差し置いてリュート様の妻なんて! 今、思い返しても怒りが有頂天ですわ!」
メイヤは怒りに任せてさらに扇を折り曲げる。
やばい、やばい。それ以上力を入れたら本当に折れるって。折角、良い品物の扇なのに勿体ない。
「どうどう、落ち着けメイヤ。とりあえず、僕は知らないがその噂を教えてくれないか?」
「はい、ですがわたくしも竜人大陸の魔術師学校に通っていた時に小耳に挟んだ程度で、詳細までは把握しておりませんが……」
彼女の耳にした噂話曰く――上流貴族や大店の商人のもとに、今回のように天神教の巫女が神の啓示により嫁いだことがあるらしいというものだ。
「なので、天神教の使者が突然リュート様を訪ねていらっしゃったと聞いた時から、嫌な予感がしていたのです。ですがまさか本当に、神の啓示で嫁いでくるなんて。これだから宗教関係者は怖いんですわ」
「ソウデスネ」
メイヤの発言に思わず感情の篭もらない返事をしてまう。
宗教関係者ではないメイヤも大概だと思うが……。
「しかし、神の啓示によって巫女が嫁ぐか……。天神様は何を考えているんだろうな?」
「どうせろくなことじゃありませんわ! だいたい唯一絶対神であるリュート様に上から目線で妻を宛がうなどど無礼もはなはなしいですわ! リュート様がご許可くださるのなら、今すぐにでも応接間にいる彼らに罰を与えますが如何致しましょうか?」
「如何致しましょうか? じゃないよ。与えるわけないだろ罰なんて!」
メイヤは、この異世界の唯一神である天神様相手にも遠慮無く喧嘩を売る。
本当に彼女はブレないな。
「ここからは僕が話をするから、メイヤは大人しくしているように」
「そんな! わたくしも一緒に出席させてください!」
「駄目だ。興奮して変なことを口にするならまだしも、手が出たら冗談じゃすまないからな」
「そんな殺生ですわ!」
「いいから、絶対に付いてこないように。これは師匠命令だからな」
「りゅ、リュート様に強気で命令されるなんて……はぁはぁはぁ! さ、最高ですわ!」
メイヤは荒く息をつき、顔を赤くしながら体をくねらせる。
うわぁー、直線を走っていたと思ったら突然90度の曲がり角に直面した気分だ。
本当に口さえ開かなければ有能で美人なのに……。
オレは気持ちを切り替え再度、命令する。
「兎に角、絶対に付いてくるなよ」
「ま、待ってください! せめて約束してくださいまし! どうか、あの小娘を嫁に娶るなどというご乱心を起こさないと!」
メイヤは部屋を出ようとするオレの腰に抱きつき、涙目で訴えてくる。
返事をしないと離してはくれないようだ。
「分かった。彼女を娶るなんてしないから。安心して待ってくれ」
「ありがとうございます! リュート様!」
彼女はオレの返事を聞くと満面の笑顔で手を離す。
「それじゃ、あんまり待たせすぎるのもなんだから、僕は戻るよ」
「はい、行ってらっしゃいませ!」
メイヤに見送られ、オレは再びトパースとココノが待つ応接間へと戻った。
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応接間に戻ると、まず謝罪を口にする。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いえいえ、お気になさらないでください。それでドラグーン様のお加減は如何でしょうか?」
「少々、体調が優れない程度で、問題はありません。1時間も横になっていれば落ち着くと思います」
「それはよかった」
司祭であるトパースは心底ほっとした安堵の溜息を漏らす。
さて、再度話を続けるか。
早速、メイヤから仕入れた噂話をとっかかりに相手の真意を探る。
「ところで、天神様からのご神託で彼女のような巫女見習いが嫁がされるということは、よくあることなんですか?」
「はい、頻繁にあることではありませんが、それほど珍しいことでもありません。ガンスミス卿のような軍団トップや幹部、上流貴族や大商人の方々に嫁いだりしていますね。他にも農民や職人の方々に嫁ぐ場合もあります」
トパースは話を続ける。
「こう言ってはなんですが、私達もどうして天神様が、巫女達を彼らに嫁がせるのかその真意までは分からないのです。まさに『神のみぞ知る』ですね。はっはっは!」
いやいや、何笑っているんですか。
まさか彼らも意図を知らずに巫女達を嫁がせていたとは……。
これでは相手の真意を探ることが出来ないじゃないか。だって彼らも理解せず行動しているのだから。
「しかし、過去の記録を確認すると、不思議なことに巫女との間に産まれた子供はとても優秀で、大抵頭角を現し世の人々の為に尽くすとのことです」
なるほどもしかして天神様は、そういう相性をみて嫁がせているということか。
つまり神様主催のお見合いかよ……。
「なるほどだいたい事情は把握いたしました。ですが、自分にはもう妻が3人もいます。なので軽々に彼女を迎え入れることはできません。今回の話は本当にありがたいのですが、辞退させて頂ければと思います」
「確かに急なお話で戸惑うのも分かります。奥様方への配慮も当然のことです。しかし、そうすぐに結論を出さずともよろしいかと。まずは妻として迎えるのではなく、下働きとして無償で雇って頂き、ココノの人となりを見極めてからでも遅くはないと思いますよ」
トパースの台詞の後に、ココノも言葉を続ける。
「炊事洗濯雑務は一通り身に付けております。特に角馬の世話、馬車、馬具の整備、乗馬などが得意です。体は少々弱いですが、ご飯もあまり食べませんから経済的です。寝床も庭の一部を貸して頂ければ問題ありません」
外で寝起きするつもりかよ。
なかなかハングリーな女の子だな。
オレは彼女達に負けじと応戦する。
「気持ちはありがたいですが……。それにこんな可愛らしくて、若い女の子を人様の所に預けるとなるとご両親も心配するんじゃないですか?」
「いえ、大丈夫です。両親はすでに他界していますので」
ヤバイ、地雷を踏み抜いてしまった。
ココノは健気に『気にしないで下さい』と言いたげに微苦笑する。
「わたしの両親は色々な大陸を回って物を売り歩く商人でした。約5年前、わたしが10歳の時に獣人大陸を移動中に魔物に襲われて。その時に、たまたま通りがかった天神教の方々に助けてもらったのです。そして行く当てのないわたしを保護してくださり、今もお世話してくださっているのです。なので、わたしは恩を返す意味でも天神様のお告げを守りたいのですが。どうしても、駄目でしょうか?」
正面からの交渉が駄目なら、今度は情に訴えてきた。
てか、彼女は今年で15歳なのか。クリスと同い年ではないか。
ココノはクリスより幼い感じがする。
自分でも病弱と言っていたから、その辺が影響しているのかもしれない。
「どうでしょう、ガンスミス卿。お気持ちはもちろん理解できますが、ココノのやる気も買って頂ければと思うのですが」
トパースが申し訳なさそうに、下手に出てくる。
「落としどころとして期間を区切ってどうでしょうか? その間に側に置いてみて、無理そうなら断って頂いて構いません。天神様の導きとはいえ、本人の意志を無視して夫婦にするのは間違っていますからね。こちらとしても何もせず断られるより、諦めが付きます。なのでまず6ヶ月ほどココノをお側において頂けないでしょうか?」
「いや、さすがに6ヶ月は長すぎますよ」
「では3ヶ月」
「う~ん……」
「1ヶ月ではどうでしょうか? 長すぎず短すぎず、人となりを見極めるにはちょうどいい期間だと思うのですが」
「ガンスミス様、よろしくお願います」
「ちょ! ココノさん!」
彼女はソファーから下りると床に正座。頭を下げてくる。
オレの返事を聞くまで顔を上げないつもりだ。
見た目12、3歳の少女に土下座されるなんて可哀相と思う前に、こちらの胸が良心の呵責で痛くなる。
「わ、分かりました! では、1ヶ月だけ臨時として雇います! だから顔を上げてください!」
「ありがとうございます! ガンスミス様!」
「よかったな、ココノ」
「はい! 凄く嬉しいです。トパース司祭様!」
ココノは心の底から嬉しそうに笑みをこぼす。
メイヤには『嫁にはしないでください!』と迫られ、『しない』と答えた。
しかし、臨時団員として雇ってはいけないとまでは約束していないから、破ったことにはならない……筈だ。
とりあえず、こうしてココノが我がPEACEMAKERの期間限定臨時団員となった。
ココノが改めて、床に正座したまま頭を下げる。
「一ヶ月だけではありますが、誠心誠意、ガンスミス様にお仕えしたいと思います。不束者ではありますがよろしくお願いいたします」
そんな言い方だと、まるで『嫁に来たようだ』とはいえなかった。