真剣勝負対戦相手と対戦順番
一番勝負──村上征治(背番号1)×安城弐基(背番号2)
二番勝負──浜田栄治(背番号3)×築 知澄(背番号4)
三番勝負──遠藤祥子(背番号5)×富田圭子(背番号6)
注意事項
四番以降の対戦相手と順番は、任意とする。
勝負は、最後の一人になるまで続けられる。
△
天井のサーモグラフィーにより、死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる。
△
随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる。
△
部屋の備品を故意に破壊してはならない。
△
武器と食事は、全てダンボール箱に収めたが、どちらも新たな追加はない。
△
全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。
△
上記の対戦相手と順番が守られないときは、部屋のドアは永遠に開かない。ただし、故意ではない事故による死亡については、その限りではない。
△
勝負は常に一対一として、不意討ちを禁ずる。
以上。
不自然な体勢で目を覚ました──壁にもたれた格好で眠っていたのだ。
だが、どうして、こんなに真っ暗なんだろう……?
部屋には窓もあるし、夜中でも街灯の光が入るはずだ。
自分の置かれた状況を、はっきりと悟ることが出来たのは、その十数秒後だった。
僕は箱の中に閉じこめられていた。一辺、一メートルくらいの、ほぼ立方体に思える、鉄で出来た箱の中だ。
ふざけている。
どうして、こんなことになっているのか──?
僕は、一人暮らしをしているアパートの部屋で、ビデオを観ていた。ビデオは映画で、「グランドクロス」という、多分、B級に入るだろうSFだった。
そうだ。途中で冷蔵庫からウーロン茶を取り出して──そのとき、何者かに後ろから襲われた。何かで口を塞がれて──その後の記憶がない……。
ひょっとして、クロロホルムなどの薬を嗅がされたのだろうか──? 念のため、全身を確かめた。幸い、怪我はなかった。痛みもなければ気分も悪くない。頭の中もスッキリしている。だが、服が変わっていることに気がついた。
「やっ!」
掛け声とともに思い切り箱を蹴ったが、少しもびくともしない。思ったより頑丈に出来ていた。入ったのなら出口もあるはずだが、手探りで探してみても、出口らしきものは、どこにもなかった。
そのとき、微かに何かの音が聞こえた。
──エンジン音だ。
一体、ここはどこだ? 最悪なのは地中だが、エンジン音がしているので、その可能性は低い。ひょっとして、船で運ばれているのか? これは、小型のコンテナなのだろうか?
突然、目の前に小さな光がともった──。
だが、それは、箱の外からの光だった。箱の側面に、小さな穴が開いていたのだ。目を当てると、手動のリフトが見えた。リフトには、鉄製の箱が載せられていた。間違っているかもしれないが、恐らく、これと同じものだ。と、すれば、あの中にも人がいるのか……?
作業服の男がリフトを扱っていたが、顔が見えなかった。その間、僕は息を凝らしていた。彼こそが僕をこんな目に遭わせた張本人かもしれないのだ。
穴の前に箱を置かれたので、ほとんど視界が失われた。男は箱を置いて、どこかに行ってしまったらしい。
それから、どのくらい時間が過ぎたろう。一時間くらいか? 僕の耳元で、“カチッ”と音がした。それと同時に、箱の天井部分が、五センチほど持ち上がった。
箱が開いたのだ──。
開いた部分を手で押し上げながら、僕は立ち上がった。すると、どうだろう。僕の目の前に、一人の女性がいた。彼女も箱の中に立っていた。ちょっとした美人だった。名前は分からないが、女優の誰かに似ている。年は二十代前半に見える。
僕達は同じ格好をしていた。薄い緑色の上着とズボン姿。すごく軽い生地で出来ていた。靴は真っ白な運動靴だった。
全く、訳が分からない……。
●
「ここはどこ……?」
眩しそうに周りを見回しながら彼女が言った。残念だが、その質問には答えられない。僕は、分からないと言った。だが、彼女は納得したのか、
「わたしは、富田圭子……。あなたは?」
「僕は……築知澄です。ちょっと、ここから出ます」
僕は箱から出た。
「わたしも」
そう言って、彼女も箱から出ようとした。僕は彼女を手伝ったが、そのとき、彼女の上着の背番号に気がついた。大きく、6とプリントされていた。
僕は自分の背中を確かめた。
4。
これが僕の番号だった。一体、この背番号の意味は──? ここでマラソンでもしろと言うのか?
僕は改めて部屋の中を見た。
六面全てが、鉄板で溶接された閉鎖空間だった。照明は明るく、広さは十坪くらい。緑色の床に、六個の鉄製の箱と、ダンボール箱が二つ置かれていた。一つは、みかん箱大で、もう一つは、もっと大きく縦に長い。ドアも窓もない壁だが、暖房用の小窓が開いていた。そこから温風が吹き出ていた。十五センチ四方くらいの大きさで、人の通り抜けは不可能に思える。
天井の高さは五メートルくらいあるようだ。すごく高い。そこから体育館にあるような笠つきの電球が部屋を照らしている。
天井の近くに、大きなアナログ時計が埋めこまれていた。時刻は六時ちょうどだが、これは合ってるのだろうか? 意味が不明だが、時計の下に、六個の赤いランプがともっている。それから天井に一台のカメラがある。
おかしな空間だ。一体、どこなのだろう……?
だが、考えても仕方がない。僕は思い切って、他の四個の鉄製の箱の中身を確かめた。
思った通りだ──全部に人が入っていた。確認のため触れてみた。まだ眠っていて、うつむいているので顔は見えないが、全員、生きている。そして、同じ薄緑色の上着には、やはり、背番号がうたれていた。
六人の人間に、1から6までの番号がうたれている……。
その内の、4番と6番が、只今、徘徊中だ。圭子と名乗った女性は、壁に沿って歩いていた。
「出口がないわ……」
そう、つぶやいているのが聞こえた。それから、
「やっぱり、中に人がいるのね……」
そう言った。
「ああ。一人、女性がいる」
箱の中の四人の内の一人が女性だった。彼女を勇気づけようと思って教えた。彼女は女性だ。恐らく、僕以上に不安を感じている。同性の仲間がいた方が、いいに違いなかった。
「生きてるの?」
「勿論だ。勿論、生きているよ」
彼女は、もう一人の女性の箱に向かった。それから、触れてみたのだろう。
「本当。生きている……」
さて。これから、どうすればいいのだろう……?
しかし、出口がないのはおかしかった。箱の中から見た男は、どこに消えたのだろう? 手動リフトも見当たらなかった。だが、答はすぐに出た。男が出た後、出入り口は溶接で塞がれたのだ。外側から溶接されたので、音も聞こえず気づかなかったのだ。
冗談にしては、やり過ぎだ。それとも、これは何かのテレビ番組なのだろうか──? 天井のカメラから、誰かに見られているのだ。ドッキリか何かみたいに。それなら理解出来なくもない。だが、有り得ない話だ。芸能人でも何でもない僕のような一般人を、いきなりアパートから拉致するなんて……。
何故、男四人に女二人なのだろう……? 女性二人の背番号は、5と6である。番号が続いていることに、何か意味があるのだろうか?
ダンボール箱の中身は何だろう──? ここに至って初めてダンボール箱の中身が気になった。
小さい方のダンボール箱を開けると、中身は、パンと、二リットルのペットボトルに入った水だった。いや。水以外の可能性もある。ボトルには商品のラベルがなかった。パンは学校給食のようなコッペパンだった。それぞれ六個あった。どうやら、我々に与えられた食料のようだが、これだけでは二日ともたない。と、いうことは、すぐに出してもらえるのだろうか……?
しかし、もう一つのダンボール箱の中身は異常だった。
それは、六振りの日本刀だった。その内の一振りを抜いて確認すると、間違いなく真剣だった。ダンボールを切ってみると、見事な切れ味を見せたのだ。
この状況の意味するところは、すごく禍々しい。
でも、そんな──。有り得ないことだ……。
その数分後──。
「築さん──!」
富田圭子が僕の後ろの箱を指差していた。そこには、一人の男が立っていた。
●
彼の名前は、村上征治。背番号1の男だった。年は四十くらいで、体格がよかった。目つきが鋭く、すごく日に焼けていた。彼は水を見つけると、躊躇なく口をつけた。
「水ですか?」
僕は、おかしな質問をすることになった。が、彼は答えなかった。それも仕方のないことだ。自分で飲むべきなのだ。一人前の男なら、無闇に人を頼るべからず。だ。
ボトルのキャップを外し、僕は一口飲んでみた。
やはり水だ。無味無臭。結構、美味い。だが、中身を入れ直しているようだ。キャップは、一度、開けられたものだった。村上がパンを齧り始めた。富田圭子も水を飲み始めた。彼女は二人の様子を見て判断したようだ。村上は、あっという間にパンを食べ終えた。ボトルの水も半分になっている。
拘束が長引いた場合、水と食料の追加はあるのだろうか──? もし、ないのであれば、後から意識を取り戻した者の方が不利だ。先に目覚めた者に、水と食料を奪われるかもしれない。僕は、村上に、あまりいい印象を持てなかったが、幸い、それは杞憂だった。次々と箱の中の人が目覚め始めたのだ。
次に目を覚ましたのは、安城弐基(背番号2)と、浜田栄治(背番号3)だった。二人は、ほぼ同時に意識を取り戻した。
安城は、少なくとも五十を超えているだろう。やや痩せ型の中肉中背で、頬が尖り、鼻筋が通っていた。一方、浜田の方は肥満に近い。穏やかそうな風貌で、眼鏡をかけていた。銀縁眼鏡だった。年は三十代に見える。何だか対照的な二人だった。彼らも、すぐに水を求めたが、村上以外はパンを食べようとはしなかった。
後、残ったのは5番の女性だけだ。今は彼女の傍らに、富田圭子が付き添っている。
壁の時計は七時になっていた。既に一時間が過ぎた。
我々、四人の男は、自分達の置かれた、この異常な状況に対して、それぞれの意見を述べ合った。
残念ながら、これは明らかに犯罪であるということで、全員の意見が一致した。有り得ないことが現実に起こったのだ。
我々は、かなり限られた地域から拉致されていた。全員、半径二十キロメートル以内の住人だった。箱に入れられていたのは、怪しまれずに輸送するためのカムフラージュと思われる。
だが、彼らに全ての情報が与えられていたわけではなかった。
皆には内緒で、僕と富田圭子は、ある事実を隠していた。それは僕の独断だったが、彼女はまだ黙認を続けてくれている。
村上が意識を取り戻す直前に、もう一つのダンボール箱を、中身ごと僕の箱の中に隠した。この判断が正しかったのか、それとも間違いだったのか……。現時点では、まだ分からない……。
それはともかく、現在、暦は一月だが、部屋の中は暖かだった。軽装だが、少しも寒くない。適温で暖房が利いていた。どうも、あのエンジン音は、発電機のような気がする。暖房には発電機の電力が使われているのだ。
その根拠は、僕らの置かれた状況にある。僕が思うに、こんな部屋を街中に作れるはずがない。明らかに犯罪のための設備なのだ。
拉致監禁は、立派な犯罪だ。しかも、気を失わせてのことだ。被害者には、二人の女性もいる。犯人が何を企んでいるにしろ、ここは人里離れた場所に違いあるまい。ならば、電気もないはずだ。だから、発電機が必要なのだ。少し速断かもしれないが、僕はそう思った。
●
5番の女性が目覚めたのは、壁の時計で八時五分だった。
だが、改めて不思議に思うが、何故、この部屋に時計があるのか──? そもそも時計とは、時間に追われる人間が必要とするものだ。監禁された人間に時計が必要とは思えない。
僕は、あるSF小説のラストシーンを思い出した。題は、「時間都市」だったと思う。従兄弟にSFマニアがいて、彼に借りて読んだ本だが、確か主人公が入れられた牢獄には──でも、これは小説じゃない。現実の出来事なのだ。
時計の下の赤いランプは、何か時間と関係あるのだろうか──? ランプは六個あるが、“6”という数は、時間とは馴染み深い数字だ。一時間は六十分だし、一日は六の四倍時間になる。一分だって六十秒だ。
何か時間と関係あるのだろうか……?
5番の女性の名前は、遠藤祥子だった。年は二十くらいに見える。ぐりっと目の大きな、小柄な女の子だった。ひょっとしたら十代かもしれない。どうも気分が優れないらしく、富田圭子が懸命に世話をしていた。
遠藤祥子は、箱から出るのは男性の手を借りたが、それ以降は、“気安く近づかないで”口でこそ言わないが、男達にそんな素振りを見せた。だが、状況が状況だから仕方がないか……。
が、それも浜田が、「自分は医者だ」と、公言するまでだった。今は研究室で篭っているが、国立医大を卒業した歴とした医師なのだ、そう言った。
彼が下した彼女の病名は、単純な疲労だった。
これで六人全員が揃った。鉄に囲まれた部屋に、四人の男性と、二人の女性。大きな時計と、六個のランプ。我々が入れられていた箱が六個。ダンボール箱が二個。内、一個の中身は、六個のパンとペットボトル。もう一個の中身は、六振りの日本刀。そして、天井のカメラと、暖房用の小窓。
一体、我々に何をさせるつもりだ──? 出口のない部屋で殺し合いでもしろと言うのか? だが、それは有り得なかった。ここから逃れるため、一致団結することはあっても、敵対するとは考えられない。それとも、餓えから逃れるため、人を殺してその肉でも食えと言うのか?
それなら僕は餓え死にするしかない。エビフライに頭があるだけで食べられなくなるのだ……。
我々に劇的な展開が訪れたのは、八時二十五分ごろだった。それは、浜田の内ポケットの中に入れられていた一枚の紙片だった。
●
その紙片には、次のような文章がプリントされていた。大きさはA4サイズ。見出しだけゴシック体が使われていたが、本文は明朝体だった。
真剣勝負対戦相手と対戦順番
一番勝負──村上征治(背番号1)×安城弐基(背番号2)
二番勝負──浜田栄治(背番号3)×築 知澄(背番号4)
三番勝負──遠藤祥子(背番号5)×富田圭子(背番号6)
注意事項
四番以降の対戦相手と順番は、任意とする。
勝負は、最後の一人になるまで続けられる。
△
天井のサーモグラフィーにより、死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる。
△
随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる。
△
部屋の備品を故意に破壊してはならない。
△
武器と食事は、全てダンボール箱に収めたが、どちらも新たな追加はない。
△
全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる。
△
上記の対戦相手と順番が守られないときは、部屋のドアは永遠に開かない。ただし、故意ではない事故による死亡については、その限りではない。
△
勝負は常に一対一として、不意討ちを禁ずる。
以上。
これが全文だ。
最初、浜田が自分のポケットにこれを見つけたとき、我々も上着の中を探った。だが、内ポケットはあったものの、誰もポケットに紙片を見つけることは出来なかった。
「ないぞ」
「わたしも」
それぞれに顔を見合わせて口々に言った。上着の内ポケット以外に、他にポケットもなかったし。
「見せろ! どうして、お前だけ、こんなものがあった?」
邪険なやり方で、村上が浜田の紙片を奪った。
この村上という男は、やはり、注意しておいた方がよさそうだ。見るからに行いが粗暴。
「お前は一味のグルなのか?」
村上は浜田を睨みつけた。浜田の顔が真っ赤になっている。体を震わせ、頬に見事なチックを見せていた。恐らく、こんな失礼な扱いを、これまでの人生で受けたことがなかったのだ。彼はエリートなのだ。
「いやいや。皆さん。少し落ち着きましょう。あなた。それを読んでもらえないか?」
そう言ったのは、安城だった。
「俺がか? 何で俺が読まなくちゃならない……」
「いいわ。わたしが読む。貸して」
富田圭子が村上に言った。村上は舌打ちし、すごく嫌な顔をしたが、素直に紙片を手放した。彼は案外、気の小さい男なのかもしれない。
富田圭子の音読が始まった。読み進むに従い、全員の顔色が変わった。だが、これを正確に理解出来ているのは、僕と、読んでいる富田圭子の二人だけだ。残りの四人は、日本刀の存在を知らない。彼女が読み終えれば、必ず武器の詮索が始まるはずだ。
武器の件を読むとき、心なしか彼女の声が震えた。無理もない……。僕にもショックなことだった。遠藤祥子などは、この世の終わりのような顔をしていた。
全文が読み終えられても、暫くは、誰も何も言おうとはしなかった。
「貸せ」
紙片を富田圭子から村上が取り上げた。それから、
「おい。武器って何だ? そんなもの、どこにある?」
部屋の中を探し始めた。こうなれば見つかるのは時間の問題だった。
「ここです」
僕は箱の中から日本刀の入ったダンボール箱を出した。
「これが武器だと思います……」
六振りの日本刀が全員の目に触れた。安城が、その中の一振りを抜いた。
「真剣だ……」
安城が呻くように言った。
「江戸の末期に作られた、なまくらだが、本物の刀だ……」
「えらく詳しいじゃないか。え? どうしてだ?」
村上が安城に言った。完全に彼のことを舐めてかかっている。確かに、本当に殺し合いを始めたら、最後に勝ち残るのは村上だろう。だが、安城は温厚だった。
「趣味で集めていた時期があった。こんなのと違って、もっといいものだが」
「ふん。趣味か。これによると、お前と戦うことになっているな」
だが、そのとき、浜田が、
「無理だ。餓死させるつもりか……」
そして、次に遠藤祥子が、
「わたし達に、殺し合えと言うの……」
暗い表情をして、一人、部屋の隅に行き、我々から離れて床の上に座った。
「お前。どうして刀を隠した?」
いきなり村上が僕に言った。この男は、何事も穏便に済ませるということを知らないらしい。
「抜き打ちで俺達を殺すつもりだったか? そうなのか? え?」
そんなの言いがかりだ。第一、殺しのトーナメントを知ったのは、たった今なのだ。
「村上さん。それはおかしい」
安城が言った。
「何だと?」
「その紙片によると、彼の勝負は二番です。対戦相手と順番を守らないと、部屋のドアは開かないということですから。多分、誰かがこれを使うことを恐れて隠したのでしょう。それに、彼も今、紙片を見たばかりですから」
安城が、すごく頭の回転の速い人間だということは分かったが、一つ借りが出来てしまった。
「ランプ……」
浜田がランプの下に移動した。今は、六個全部が、ともっている。“死亡が認められたときは、壁のランプがそれを知らせる”と、紙片にあるのだから、誰かが死ねば(殺されれば)、死人の数だけ、恐らくランプが消えるのだ。
その判定をするのが、天井のサーモグラフィーらしい。と、いうことは、部屋の外で誰かがモニターを見ているのか?
多分、そうだ。それは、あの作業服の男だろうか──?
それから、“随時、死体は箱に戻さなければならない。死体を箱に戻したら、白いボタンを押して蓋を閉じる”と、あった。確かに、箱の側面には白いボタンがついている。
「今は、午前? それとも午後──?」
富田圭子が言った。時計は、八時三十五分を示している。
「午前だ」
村上が答えた。
「どうして──?」
村上は自分の顎に触れながら、
「髭の長さで分かる。多分、六日の午前八時半だ」
「そう。……みんな、どうして、ここにいるのか分かる人いる──?」
しかし、富田圭子の呼びかけに答える者はなかった。
「思い出せる人はいないの──?」
「髭を剃ってからの記憶がない……」
「わたしは、夜になって自宅でストレッチをしていた。多分、そのときに襲われたのだと思う」
安城が言った。だが、思い出せたのは三人だけだった。恐らく、そのとき使われた薬の分量や、各人の体質が影響しているのだろう。思い出せたのは、安城の他は、僕と遠藤祥子だけだった。彼女は、勤めている書店の棚の整理をしているときに襲われたらしい。一人で残業していたのだ。
「みなさん。改めて自己紹介をしませんか? まだ、ちゃんとは、してないですから」
安城が提案した。
全員が賛成し、言い出しっぺの安城から自己紹介を始めた。
「わたしは、安城弐基と言います。スポーツ関係の仕事をやっています」
「僕は浜田栄治。大学で薬学の研究をしている」
「ひょっとして、癌の研究をなさってる? わたし、テレビで見たことがあるわ。さっきから、どこかで見たことがあるような気がしていたの」
富田圭子の言葉に、浜田がうなずいた。彼は、ただの医者ではなかったのだ。それにしても、癌の研究者だったとは……。
二人が自己紹介を済ませ、次に僕が言った。
「自分は学生です。築知澄と言います」
「俺は村上征治。鉄工関係の仕事だ」
「わたしは富田圭子。今は、世界を旅して回っている」
後、残ったのは一人だけ。全員が、部屋の隅に目を移した。
「遠藤祥子です……」
小さな声で、やっとそれだけ言った。
「紙片によると、背番号は、対戦相手と対戦順番に関係しているのね。最初が、村上さんと安城さん」
富田圭子が言った。が、浜田が、
「その次が僕達だ……」
「そして、最後が、わたし達……。ふん。馬鹿馬鹿しい」
割合に、富田圭子は落ち着いていた。実際のところは、第三者には分からないが……。
「何のために、こんなことを……?」
僕はつぶやいた。それが一番の謎だった。
「誰かの悪ふざけか──?」
安城が後を取った。
「何にしろ、恐ろしく手間をかけている。溶接も丁寧だ。厚さ、六ミリか──。素手じゃ、どうしようもないな……」
村上が壁を叩いた。彼は、鉄工関係の仕事をしていると言ったのだ。その道のプロが言うのだから、つまり、ここからは出られないのだ……。
「個人的に怨みを買うような憶えのある人は──?」
富田圭子が言った。勿論、全員が首を横に振った。たとえ憶えがあったとしても、そんなことを告白する人間はないだろう。まして、全員が初対面なのだ。
「そう……」
富田圭子が残念そうにした。
「そうって、あんたはどうなんだ──?」
村上が彼女に絡んだ。言い方が気に食わなかったのか、それとも、本当に身に憶えがあったのか……。
「ないわ」
「カメラがあるということは、外から誰かが見ているのでは──? 或いは、コンピューターに全ての判断を任せているか……」
と、安城。
「サーモグラフィーってありました。死亡を確認するとありましたが……。僕達が殺し合って、一体、誰が得をするというのだろう……?」
これは、浜田。
「どこかにドアがあるはずなのよ」
富田圭子が、部屋の中を見回した。
「違うな。どこもかしこも溶接されている」
村上が言った。
「男を見ました」
僕は言った。
「男──?」
「ええ。箱に穴が開いていたのです」
僕は、自分の入れられていた箱の前まで移動した。そして、その一点を示した。
「ここです。ここから見えました」
「どんな奴だったの?」
富田圭子が聞いた。
「それが、顔は見えなかったのです。中肉中背で、年は……いや、分からない……。作業着を着ていました」
そのとき、微かなエンジン音が聞こえた……。全員が、顔を見合わせた。
が、この言い方は正確じゃない。絶えず鳴っていたのを、今になって、ようやく気づいたと言うべきだった。すごく小さい音なのだ。
「──しっ」
富田圭子が唇の前に指を立てた。全員が耳を澄ませた──。
「発電機だ……」
村上が言った。僕の意見と一致した。
「何で、発電機が要る?」
「人里から離れているのかも……」
富田圭子の言葉に、僕はうなずいた。そのとき、僕は、人の考えることなど、それほど差がないのだなと、妙に能天気なことを考えていた。
●
みんな、残り少なくなった水とパンを大切にしていたが、村上一人は、既に、その両方を失っていた。
だが、意外なことに、村上は、他人の水を掠め取ろうとはしなかった。僕は、少しだけ村上のことを見直したが、単純に、元々の印象が悪すぎただけかもしれない。ひょっとしたら、極度の潔癖症の可能性もある。十分に有り得ることだ。
時計は一回りして、再び八時を示していた。
人というのは、集団の中でも、何故かグループを作りたがるものだ。この、不本意に集められた我々だが、たった六人しかいなくても、何となくグループめいたものが出来上がっていた。
富田圭子と遠藤祥子の女性二人は、時計の下辺りで体を横たえていた。男三人の位置は微妙だった。僕の近くに安城がいて、少し離れて浜田と村上がいる。僕は、安城とは、時々、会話を交わすが、浜田、村上の二人とは、ほとんど話さなかった。村上は、ああいった男だし、浜田は、一人でぶつぶつ言っていた。
富田圭子と遠藤祥子が、何やら、こそこそと話をしている。と、思うと、話が纏まったのか、二人して同時に立ち上がると、僕の方にやって来た。
「悪いんだけど、ちょっと場所を移って欲しいの」
富田圭子が、そう言った。理由は知らないが、僕は彼女の言葉に従った。
「安城さんも、お願いします」
彼女は、安城も邪魔になるらしい。彼も文句を言わずに立ち上がった。
すると、富田圭子が、僕達のいた場所の傍らの箱の蓋を開けて、その中に遠藤祥子が入った。一体、何が始まるのかと思っていると、箱の中から、シャーという音が聞こえて来た。
彼女は小便をしているのだ。
なるほど。それは、遠藤祥子の箱だった。可哀想に。大分、我慢したのだろう。小便の音は、かなり長く続いた。
遠藤祥子が箱から出ると、彼女達は、僕達のいた場所に移った。僕と安城は、時計の下に移動していた。
しかし、こんなのが、いつまで続くのだろう……。全員、なんとかやり過ごしているが、ストレスは溜まる一方だ。堰き止められた水のように、土手の弱い部分を探していた。後、一雨で、決壊の可能性がある──。
出口は、どこにもない。それは、はっきりしていた。外から鉄板を切断しないことには、ここから出られないのは明らかだ。その内、喉の渇きと空腹に耐え切れなくなり、我々は、どうにかなるかもしれない。
だが、殺し合いをして最後まで生き残れた者は、本当にここから出してもらえるのだろうか──?
そもそも、これを企んだ人間は、本当にそれを望んでいるのか──? もう少し我慢していれば、諦めて全員を開放してくれるかも……。それとも、“ドッキリ”の札を持って、カメラと一緒に現れるとか……。
全員、衰弱していた。飲み水さえ、ふんだんにあれば、精神的にもかなり助かるのだけれど……。
と、安城が立ち上がると、壁を使って、いきなり刀の刃を曲げ始めた。一体、何のつもりだ──? ひょっとして、脱出方法を見つけたのか──? だが、曲げた刀を、一体、どう使うのだろう……?
しかし、村上は違うことを感じたらしい。個人の感性のなすところだが……。
「やめろ! 貴様、何のつもりだ!」
顔色を変え、いきり立って安城に詰め寄った。安城は、
「正気な内にな。飢えと喉の渇きで、誰かがおかしくなってしまう、その前に──」
村上に、そう言った。
なるほど。彼の言うことは正しい。正直、僕は感心した。
追い詰められた人間は、何をするか分からないものだ。
確かにそうだ。ひょっとしたら、外に出るために我々は殺し合いを始めてしまうかもしれない。──だが、そのためには、一番勝負の、二人の内のどちらかが、その気になる必要があった。
しかし、仮に、どちらかがその気になったとしても、勝負は常に一対一として、不意討ちを禁ずるの条項がある。やはり、一方がその気になっただけでは駄目なのだ。もう一方が拒否すれば勝負にならないのだ。
それに、いくら道理の通らないアホが多くなってしまった日本だと言っても、平和呆けの我々に人を殺せるはずがなかった。まして安城は温厚な人柄だ。こいつを企てた人間は、この点において誤算している。
我々は、ここで餓え死にするしかないのかもしれない……。
我々四人は、静かに二人の成り行きを見守っていた。きっと村上も納得するはずだ。
すると、村上は曲げられた刀を指差して、
「これは、お前のだぞ!」
「よかろう」
そう言うと、曲がった刀を捨て、安城は次の刀を曲げ始めた。
「な、何だ! やめろと言っただろう! 貴様!」
村上が、ダンボール箱から一振り刀を取って抜いた。次の瞬間、掛け声もなく、安城に斬りつけた。が、すんでのところで、安城が身をかわした。あまりのことに、我々は声さえ出なかった。
「何をする!」
安城の声で部屋が震えた。
「殺したくはないが──殺したくはないが、殺さなければ死ぬくらいなら、お前を殺してやる!」
「刀を置け!」
「そんなことを言ってると──」
村上が刀を高く構えた。その姿に圧倒されて、誰も止めに入れない。間違いなく彼は本気だった──。
「分かった──わたしも殺されたくないからな」
安城が言った。しかし、それは村上に言ったのではなく、一種の自己確認のように聞こえた。或いは、我々全員に宣言したのかもしれない。彼は、まだ曲げていない刀を取って、その鞘をはらった。
二人の間合いが狭まる──。とうとう始まってしまったのだ……。
そうか……。片方がその気になれば、こういう展開になってしまうのか……。
我々の目の前で行われているのは、本物の真剣勝負だった。刀を使って、人と人が殺し合いをしている。こうなれば、安城の勝利を祈るしかなかった。
他の三人は、どうしているか──?
僕は三人を見た。
浜田と遠藤祥子は、蒼白になっていた。が、富田圭子は違った。彼女は、まるで剣道の審判でもしているかのように、勝敗の行方を見守っていた。錐で穴を開けているような焦点の絞り方だ。そう──まるで楽しんでいるみたいだった。
一体、彼女は何だ──? ひょっとして……。
──村上の刀が、上段から振り下ろされた。
今度こそ勝負が決まったか──。思わず目を逸らした。
だが、恐々と視線を戻すと、村上が床に倒れていた。
どうして村上が──? 僕は隣にいた浜田に聞いた。だが、彼も、その瞬間を見てなかった。それが普通の神経なのだ。誰も人の死ぬところなど見たくない。
きっと、千に一つの幸運が安城の命を助けたのだろう。
「う、うわっ……」
村上が不思議な声を出した。僕がこれまでの人生で聞いたことのない種類の声だった。
「どうした──?」
安城が村上に駆け寄った。床に屈みこんで、そのまま抱き起こした。床に倒れたとき、村上は、自分の刀で自分の腹を刺してしまったらしい──。刃の半分近くが腹の中に消えていた。
「ひどい……」
そのときになって、床に血が広がり始めた。僕と富田圭子は、安城の背後からそれを見た。村上が痙攣している──。その振動で壁が震えるほどだ──。
「助かるの──?」
「駄目だ……」
安城が言った通り、暫く痙攣した後、村上は動かなくなった。
「ラ、ランプが──」
そのとき、浜田が叫んだ。
全員がランプの方を見た──六個並んだランプの一個が消えていた──。
「くそっ! 奴らは本気だ!」
「奴ら──? 浜田さん。奴らって?」
「知らん! こんなこと、一人じゃ無理だろう!」
彼は頭を抱えて床に腰を落とした。
「死体を箱に戻さなきゃいけないわね……」
富田圭子が村上の足を抱えた。そして、
「誰か体の方を持って」
「どうするんだ……?」
安城が聞いた。彼の袖口から二の腕辺りまでが血で赤く染まっていた。彼は放心状態に陥っている。当然だろう……。結果的にだが、人を殺したのだ。
「死体を箱に入れるのよ。築さん手伝って」
僕を指名した。仕方がない。血で服が汚れないように、注意して村上の体を持ち上げた。
「彼の箱は?」
「あれよ」
富田圭子が言った。
「足から先に入れるから」
そう言って彼女は村上の足を箱の中に投げこんだ。僕は重くなった村上の体を出来るだけ丁寧に箱の中に横たえた。それから蓋を閉めようとしたとき、
「待って」
富田圭子が、村上の内ポケットから紙片を抜き取った。
「──落ち着いたものだ……」
半ば呆れ、半ば驚きの念をこめて僕は言った。
「先月まで、わたしはインドにいたの。死体なんか見飽きてるわ」
富田圭子はそう言うと、箱の蓋を閉めて側面の白いボタンを押した。
●
床に寝転がって眠ろうとしていた。
明るい部屋の中で眠るのは、学生の悪癖として慣れていた。大学生になり、実家から出てアパートで生活するようになると、どうしても夜更かししてしまう。その結果、電気をつけたまま寝てしまうということになる。ひどいときは、テレビまでつけっ放しだ。
すごい田舎だが、近くの四つ角には駄菓子屋があって、そこでカップラーメンを買ったりした。時間のあるときは、ご飯を炊いて自炊もするが、結構、コンビニ弁当の方が安上がりだったりする。
そのアパートには、大学は違うが、一つ年上の学生がいた。N芸術短期大学の学生で、斉藤という名の男だが、背中まで届きそうな長い髪をしていた。
彼のモットーは、「人は、それぞれの道を持っている」だった。さすが、芸大生だ。芸術している。
彼の部屋の壁には、大きな描きかけの絵が立てかけられていた。
不思議な絵だった。直径の異なる幾つかの球体が描かれており、球体同士は透明なチューブで繋がれていた。いわゆる、抽象絵画だった。アクリル絵の具を使って、エアーブラシで描いているのだそうだ。
部屋には他に、針金で作られた昆虫や、樹脂で作られた、直径二十センチはありそうな、大きなビー玉のようなものが飾られていた。これは大変美しく、光の当て方によって、模様が変わるようになっていた。
一度、彼に連れられて、N芸術短期大学の授業に潜りこんだことがあった。
それほど広くないキャンパスの、6号館だったろうか──N短の学生に混じって、美学概説の講義を受けた。意味は、さっぱり分からなかった。
それから、ゼミのアトリエを見せてもらった。長く大きな空間をパネルで区切り、そこには何十もの絵が置かれてあって、沢山の学生が熱心に創作を続けていた。
教授の部屋が廊下を挟んだ向かいにあった。廊下の途中には、喫煙の出来る、椅子の置かれた空間なんかもあった。複数ある大きなステンレス製の流しは、絵の具を溶いたり、筆を洗ったり、夏にはスイカを浸けて冷やしたりもするそうだ。
屋上に上がると、ここでも創作をしている学生がいて、溶いた絵の具をビニール袋に入れて、それを角材とベニヤで作ったパネルに投げつけていた。袋が割れて絵の具が飛び散ると、パネルの上に新しい模様が生まれるのだ。
屋上から下を見ると、小さな池があった。その池では、自家製ボートに乗って遊んでいる学生がいた。彼らはすごく楽しそうだ。
本当に自由な雰囲気だった。
昼には学食でハンバーグ定食を食べた。これが結構いけた。安くて量もあった。
ああ……。
腹が減った……。
僕は目を開けた。
壁の時計は、一時を示していた。
村上の死より、十七時間が過ぎた。水とパンは、ほとんどなくなっていた。
「なあ」
安城が僕を呼んだ。
「何です?」
僕は寝転がったまま答えた。
「感じないか?」
彼は言った。
「何がですか……?」
「我々は駒だ」
「駒……?」
「そうだ。分からんか?」
「ええ」
体を少し起こしてうなずいた。
「誰が生き残るかを賭けているんだ。それが奴らの目的だ……。きっと、この会話もモニターされている──。とにかく、生きることだ。何よりも生きることが大切だ。前向きにな……。それと、何か、おかしくないか──?」
「おかしい──?」
「いや。妙に体がな……。この水のせいか……?」
そう言ってペットボトルを見た。
「それとも、気のせいか……」
彼は、それで黙ってしまった。もう、喋る気はないらしい。
前向きか……。前向き、前向き、前向き……。
僕は意味もなく唱えた。
確かに、希望さえ失わなければ、どうにかなるのかもしれない……。しかし……。
僕は、遠藤祥子の方を見た。間に障害物がないので、彼女の寝顔が見えた。彼女の寝顔は、絶望で歪んでいた……。
とにかく、今は眠らなくては……。
再び目を閉じた。今度は、ぐっすり眠れそうだ……。
──何だ? これは、誰の声だ──?
父さん……父さんなのか……?
そうだ──これは、父さんの声だ……。
・
・
・
・
・
「今日、病院に行ってきた」
父が言った。
「そう?」
僕は、リビングでテレビに集中していた。父の話など、ほとんど上の空だ。
「紗江子が、健康診断を受けたろう」
「うん」
「癌なんだ……」
「──嘘だろ?」
僕は初めて父の顔を見た。
「本当だ。本人は胃潰瘍だと信じているが、もう長くない。三月か、長くても半年……」
そのとき、買い物から戻った妹が、リビングに顔を見せた。
「あら。二人で、どうしたの?」
・
・
・
・
・
紗江子……。
何だ……? 誰かが僕を跨いだ……。
そいつは、何か長い棒を持っている。銀色に光る長い棒だ。
刀……?
僕を殺そうとしているのか……?
冗談は、よしてくれ。時代劇じゃあるまいし……。
●
「死ねない。僕は死ねない……」
はっきりと目覚めたとき、顔の近くに刀の切っ先があった。声の主は浜田だった。
「起きろ! 起きて僕と戦え!」
浜田が僕を見下ろしていた。僕は慌てて体を起こした。
「何だ!」
「取れ!」
浜田が僕に刀を投げつけた。
「抜け!」
僕に向かって刀を上段に構えた。僕は完全に事態を把握した。
「うわっ! や、やめろ!」
這うようにして立ち上がって浜田から逃げた。すると、彼は床に落ちた刀を拾って、
「子供のころから勉強ばかりしてきた。それで、やっと癌の特効薬を完成した……」
「癌の特効薬──?」
「ああ。まだマウスでの実験段階だが、治癒率は、ほぼ百パーセントだ」
「ほ、本当か──?」
「ああ」
信じられない……。
が、まだ実験段階か……。それでは、お役所の認可を得られるのは、ずっとずっと先のことだ……。
日本のお役所は、役人に必要なものは即日にでも実現させるみたいだが、それ以外の事柄は、たとえ公共の利益に関するものであっても、実現に向けての歩みは、本当に、かたつむりよりものろくなる。
これは、役人が、自分本位な、自己中心的な考え方しか出来ないことに原因がある。
難病に苦しむ人や、過労死などで働き手を失った家族への援助は渋っても、全く誰にも必要のない、百億単位の赤字垂れ流しビルなんかは、それが役人のために必要と判断された日には、それそれと翌日にでも巨額な予算が計上されるのだ。
全く、何という役人天国。君達がどぶに捨てる金で、助かる人間が大勢いるのだよ。
──再度、浜田が僕に刀を投げつけた。僕は刀をキャッチしたが、殺し合いなんてご免だ。
「だ、誰か助けて──!」
だが、誰も止めようとしない。安城もだ……。
「戦いなさい! そのままじゃ殺されるわ!」
富田圭子が言った。
「嘘だろ……」
僕は自分の耳が信じられない……。
「築君! 戦うんだ!」
今度は安城が言った。
何てことだ。僕が戦うのは、ほぼ全員の求めることなのだ。僕自身もそうだったから仕方がないが、もはや誰の助けも期待出来ない──。
「分かった──。その代わり、頼みがある──」
僕は浜田に言った。
「頼み?」
「妹が癌だ。××の赤十字に入院している」
「それで……?」
「あなたが生き残れば、その特効薬を妹に与えて欲しい」
なかなか返事が返らない。色々とあるのだろうが、約束を取りつけるまでは、絶対に戦うものか──。
「でないと戦わないぞ!」
「──分かった。約束する──」
「本当だな」
「本当だ。僕の命にかけて誓うよ」
──僕は鞘から刀を抜いた。
●
よかった……。勝負に負けて僕が死んでも、妹が助かるかもしれない……。
勿論、みすみす殺されるつもりはない。このトーナメントの優勝者は、僕か浜田のどちらかになるはずだ。安城は若くないし、後の二人は女性なのだ。
浜田が刀を上段に構えた。そして打ち下ろした。辛うじてそれをかわして、今度は反撃に移ろうとした。
が、
「薬は要らないか!」
浜田が叫んだ。
「僕が死んだら薬はもらえないぞ!」
確かにその通りだ。薬がもらえないと、妹の死が確定してしまう……。
「──分かった……。その代わり、約束だぞ」
勝負を放棄して両腕を下ろした。僕は最高の選択をした。その確信があった。だが、
──斬られて死ぬのは苦しいだろうか?
「や、約束は必ず守る──」
浜田が上擦った声で答えた。そして、刀を振り上げた。
僕は目を閉じた。どうか一瞬で済ませてくれ──。医者なんだから、急所を狙って一撃で倒してくれ──。
そのとき、
「やめなさい! 卑怯よ! 築さん! 戦って!」
「うるさい! 部外者は黙れ!」
富田圭子に、浜田が怒鳴り返した。
「いやー!」
遠藤祥子が叫んだ。僕は目を開いた。次の犠牲者は、きっと彼女だ……。
「彼が約束を守るとは限らないわよ」
富田圭子が僕に言った。
「薬は必ず与える」
それに浜田が答えた。
「そう? でも、あなた勝ち残れるの? あなた達、見なかったのね。安城さんは強いわよ。彼は、その道では有名な剣術の先生なの」
「嘘だ!」
「本当よ」
「じゃあ、何で知ってる! 自己紹介で言わなかったじゃないか!」
確かにそうだ。そんなこと、安城は言わなかった。
「さあ? それは本人に聞いてみたら?」
「ほ、本当か──?」
「──剣法道場を経営している」
安城は少し間を置いてから、浜田の質問に答えた。
「くそっ!」
「築さん。分かったでしょう? あなたが勝ちを譲っても、彼が生き残るとは限らないの」
ああ。何てことだ。もう少しで、僕は無駄死にをするところだった……。しかし、ここで勝っても、トーナメントの優勝者にはなれないということになる……。
勿論、そうと知っても負けるわけにはいかない。だが、どうして彼女は、このことを知っていたのだろう?
「う、わ、わ、わ!」
そのとき、隙を突くように、浜田が斬りこんで来た──。その一撃が命中したらしい──。逃げ切れたと思ったが、ワンテンポ置いてから、額が激しく痛み始めた。傷からの出血で、僕は、右目の視界を失った。
「うわっ!」
僕は刀を無茶苦茶に振った。すると、刀の切っ先を通じて、何かおかしな感触が手に伝わった。僕は偶然に浜田の喉に刀を突き立ててしまっていたのである。
「ひっ!」
刀から手を離して、僕はその場に尻餅をついた。そのお蔭で、頭から血を浴びた──。
だが、浜田はまだ立っていた。喉に刀を突き立て、それでも立ち続けていた。まるで、悪趣味なオブジェと化していた。そして、一歩、右足を踏み出したかと思うと、そのまま床に倒れこんだ。
安城が、浜田の様子を見た。
「駄目だ……。動脈がやられている……。運のない奴だ……」
そう言った。
●
妹は料理が得意だった。母が亡くなったとき、まだ小学五年生だったが、母から教えられて、既に一通りの料理を作れるようになっていた。お蔭で、母が亡くなった後も、我が家は、お袋の味を失うことがなかった。
我が家の小さな歴史だった。
そんなことを、僕は遠藤祥子を相手に話していた。
彼女の方も、家族の話をしてくれた。
だが、それはあまり楽しい思い出ではなかった。
彼女は一人っ子だった。両親は離婚しているが、その原因は自分にあったと彼女は言った。
「家族三人で、日曜日に動物園に行く約束だったの。でも、当日になって母が風邪をひいて、わたしは、父と二人で動物園に向かったの。だけど、途中で、わたしは、お腹が痛くなって、父は家に戻ることにしたのよ。そうしたら、家に知らない男の人がいて、父がその人を殴ったの。わたしは、まだ幼かったけど、父と母の離婚は、多分、それが原因だったと思う。わたしは、父にも母にも引き取ってもらえなくて、高校を卒業するまで施設でいたのよ」
どうして僕は、彼女とこんな話をしているのか──。
浜田が死んだ後、我々の中に、もう一人、剣術家がいることを知った。
それは、富田圭子だった。
これは、安城から教えられた。彼女は、オリンピック級の剣士なのだそうだ。富田圭子は、それを否定しなかった。が、自分から告白するつもりはなかったように思われる。
今になって、何故、安城は、それを教えたりしたのだろう……?
多分、フェアにいきたかったのだろう。僕は、そんな気がした。
安城の言う通り、我々は生き残りゲームの駒なのだろうか……? もし、そうなら、安城と富田圭子は、ゲームを面白くするために投入されたのかもしれない。他の四人は、ただの頭数だった……。最初から殺される運命で集められた。決して生き残ることは出来ない……。
僕と遠藤祥子は、つまり、狩られる側の人間として、お互いにシンパシーを感じたのだ。
──浜田の死から二時間が過ぎた。壁のランプが、二個、消されている。浜田の死体は、箱の中に戻された。
次の勝負は、遠藤祥子と富田圭子だ。富田圭子は、オリンピック級の剣士なのだから、既に勝敗は決まっていた。彼女は、先月までインドにいたと言っていたが、それは剣の修業だった。主に心の修業だったらしい。ビートルズの時代から、インドは定番の修業スポットなのだ。
仮に彼女達の勝負が始まったとして、いや、そんなことがあるのだろうか……?
僕は、これまでの勝負を振り返ってみた。
浜田との勝負で、僕の勝利は偶然だったが、果たして、村上と安城は、どうだったろう……?
勿論、安城の勝利は偶然じゃない。彼は、勝つべくして勝っていた。だが、僕は、彼が村上を殺すつもりではなかったと信じたい。村上が自分の腹を刺したのは、安城が狙ってしたとは思いたくないのだ。
トーナメントの優勝候補である彼に、その気になって欲しくなかった……。
●
まるで、湖底から湧いた泡の如く、それは始まった。
富田圭子が、刀を二振り取った。
「やるのか──?」
「ええ。このまま死にたくないもの」
安城に答えて、こっちに近づいて来ると、彼女は遠藤祥子に刀を一振り手渡した。
「相手にするな」
僕は遠藤祥子に言った。
「彼女は剣士だから、素人に無茶は出来ない」
富田圭子には、剣士としてのプライドがあるはずだ。無抵抗の人間を傷つけるなど、出来ないはずなのだ。
なのに、遠藤祥子が、
「わたし、戦う」
立ち上がった。
何故だ──? 意味が分からない。それとも死にたいのか──?
「祥子さん。刀は体の正面で構えて。後は、自分自身を信じることね」
「ありがとう」
遠藤祥子が刀を構えた。
「やめろ!」
僕は二人の間に分け入ろうとしたが、安城に阻止されてしまった。痩せた体からは想像の出来ない、すごい力で羽交い絞めにされた。
「何だ!」
「すまん……」
だが、僕を解放するつもりはないらしい。ますます、羽交い絞めに力がこもった。
「これは人殺しだぞ!」
「ああ。分かっている。だが、諦めろ──」
そのとき、僕は、あるものに気がついて動きを止めた。
「どうした──?」
急に動きを止めた僕を不審に思ったらしく、安城が聞いた。
「あれを!」
僕は天井を顎で示した。天井の、その部分の鉄板が、わずかに捲れている。
「見ろ! あそこから、出られるかもしれない──!」
僕の叫びに、富田圭子まで天井を見た。だが、天井まで、五メートルくらいの高さがある。
「無理ね。全然、届かない」
富田圭子が言った。
「いや。そうとも限らないぞ。この箱を使えば──」
安城が箱を見た。それから、
「試してみよう。その価値はある。築君。すまなかった」
僕は安城の羽交い絞めから解放された。
「でも、人が通るには狭すぎるわ」
「刀だ。刀を使えば広げられる!」
「──分かった。一時、休戦」
富田圭子が休戦を宣言して刀を床に置いた。それに習って、遠藤祥子も刀を置いたが、そのまま床にへたりこんだ。よほど無理をしていたのだろう……。
「築君。箱を移動するのを手伝ってくれ」
安城の指示に従って、まず、最初の箱を、天井の捲れた部分の真下に移動した。かなり重くはあったが、二人で十分、運ぶことが出来た。
次に、箱を二段にすることを試みた。箱の底の部分に手を差し入れて、掛け声と共に持ち上げた。これには二度ほど失敗したが、富田圭子の手も借りることで、なんとか成功した。
しかし、まだ十分でない。天井に届くには、もう一段、必要だ。
三段目を重ねるため、その隣に、箱を二個、横に並べて土台にした。そして、三段目にする箱を床から持ち上げて、その土台の中央部分に載せた。
上出来だ。
土台の箱の上に、僕と安城が上がった。僕の足下の箱の中には、村上の死体が入っている。
「いくぞ。せーの」
再び、掛け声と共に箱を持ち上げた。際どかったが、どうにか三段にすることに成功した。
「どう──?」
「上がってみます」
下から僕達を見上げている富田圭子に僕は答えた。
わずかだが、箱には引っかかりがあったので、それを利用して三段目に上ることが出来た。
「刀を貸して下さい」
富田圭子から安城の手を経て、鞘のついた刀が僕の手に渡された。鞘をはらって、僕は天井の“捲れ”に挑んだ。
「どうだ?」
僕の足下から安城が問うた。だが、
「くそっ!」
地団太を踏んだ僕を見て、安城が、
「どうした?」
「少し高くて、上手く力が──」
「よし。そっちに行く。上で肩車してくれ。わたしが、やってみる」
安城が上がるのに手を貸して、それから、僕は腰を屈めて彼を肩の上に乗せた。刀は安城が持った。安全のため、鞘に戻そうとしたが、刃が曲がって無理だった。
「気をつけろ。落ちたら大変だ」
肩の上から安城が言った。
「大丈夫です。行きますよ」
「落とさないでくれよ──」
僕は立ち上がった。
「届いた。そのままキープしてくれ」
「はい」
頭上で、鉄の擦れる音が続いた。
「どうです──?」
「待ってくれ──。駄目だ……。下ろしてくれ……」
僕は安城を下ろした。それから天井を見上げたが、捲れは少しも広がってなかった。安城の刀の刃は、ぼろぼろになっていた──。
「もう一度、やりましょう」
僕は言った。だが、
「無理だ……。わたしは下りる」
その言葉通り、安城が箱を下り始めた。
「そう……。残念ね。勝負、再開ね」
富田圭子が、再び刀を取った。それに遠藤祥子が続いた。
「安城さん。築さんを、お願い。邪魔をさせないように見ていて」
「ああ」
彼女達の戦いが再開された。僕は、まだボックスの三段目にいた。
「くそっ!」
その場で箱の床にひざまずいた。
「そうだ。君は、そこにいろ」
下から安城が言った。
女二人が対峙している。次の瞬間、富田圭子が動いた──。
「いええぇい!」
血を噴きながら、遠藤祥子が床に倒れた。
「うわぁー!」
頭を抱えて、僕は叫んでいた──。
●
壁のランプが、三個、消されている。遠藤祥子の死体は、ボックスに戻されている。僕は、彼女の死体は見なかった。彼女が箱に入れられるまで、ずっと箱の三段目にいた。
何だか体の調子がおかしかった。これまで経験したことのない、不思議な高揚感があった。
安城の言っていた、水に原因があるのだろうか……? 我々に殺し合いをさせるため、何かの薬物が入れられたのかも……。あはは。
安城と富田圭子の勝負が始まっていた。富田圭子は、靴が邪魔なのか裸足だった。
「やっ!」
安城の突きが、富田圭子にかわされた。
「さすがだ──外に出たら、警察に出頭する」
「わたしも、そうするわ」
「実質的、決勝戦だな」
「勝った方が、築さんを殺すの」
富田圭子が言った。ははは。僕のことだ。
「君に出来るか──?」
「あなたに出来るの──?」
「正直言って、キツい」
再び、膠着状態。二人の位置は、微妙だが変化している──。
「女を殺すと、後生が悪いそうよ」
「確かに」
「警察で、どう申し開くの──? 多少の罪は免れないわ」
「あるがままを話す」
「マスコミに叩かれたら──?」
「勝ちを譲って欲しいか──?」
「さあ。どうかしら」
「わたしは、死ぬわけにいかん」
「あら、どうして──?」
「まだ幼い娘がいる」
「そう──」
富田圭子が踏みこんだ。そして、安城の首が飛んだ。
あは。
●
どうも正気を失っていたらしい……。すごく気分が悪い。
時計は四時を示していたが、基準となるものが分からなくなっているので、ここに閉じこめられてから、もう、何時間になるのか見当がつかない……。
床は血にまみれていた。既に四人もの人間の血を吸って、戦場さながらの有様だった。
天井の捲れを広げるために重ねた三段の箱が崩されていた。これは、富田圭子の仕業だろう。安城との勝負に勝った彼女は、死体を箱に入れようとしていたのだ。
が、彼女は、安城に折り重なるようにして、床に倒れていた。近づいてよく見ると、顔に大怪我をしていた。それと、右足の裏にも傷があった。これは、刀傷だと思える。
まだ、微かに息があった……。
これは想像だが、勝負に勝った後、彼女は、三段に重ねた箱を崩して床に戻すことには成功したが、安城の死体を抱えて箱に入れようとしているとき、誤って床の刃を踏みつけてしまったのだ。そして、バランスを崩した彼女は、傍らの箱の角で顔面を強打して……。
名の知らぬ女優に似た彼女の美しい顔が、肉と一緒に骨まで削られて見る影もなかった。
「き……ずき……さん……」
彼女が僕を呼んだ。
「大丈夫ですか!」
僕は彼女の上半身を抱え起こした。
「わ……わたしの、か……髪を……切って、か、家族に……渡して……」
そう言った。つまり、彼女は、自分の死の近いことを自覚しているのだ。
「お……お願……い……。早く……」
「分かった」
僕はそう言うと、刀で彼女の髪を切って、それを上着の内ポケットの中に入れた。
「ありがとう……」
これが彼女の最期の言葉だった。
僕は、彼女と安城を箱の中に入れた。
すると──
部屋が震動し始めた。床の一部が持ち上がり始めたのだ。
「出口だ──!」
思わず叫んだ。
そこには出口が開いていた。腰を屈めないと入れない小さなものだが、間違いなく出口が開いたのだ──。
紙片には、“全ての勝負の後、生存者が一人と確認された場合のみ、部屋のドアが二十秒間だけ開かれる”と、あった。
時間がない──。
僕は出口をくぐった。
そのとき、一度、部屋の中を振り返った。
だが、それも一瞬のことだ。
出口は、路地のような細い廊下に続いていた。ドアもなく外に繋がっていた。
外は一面の雪景色だった。
●
「ですがね。築さん。あなたが発見されたとき、衣服に血の汚れなどなかったし、服装だって、あなたの言うような薄い緑色の上着とズボンじゃなく、黄色のセーターにジーパン姿だった。それから、あなたの血液から、ある種の薬が検出された。それは一種の麻薬だが、一応、合法成分だったので、罪に問われることはない。でもね。複数の人間が、閉鎖空間で、しかも日本刀を使っての殺し合いを強制されたとはね……」
刑事がそんなことを言っているのを、僕は無言で聞いていた。だが、あまりに僕の記憶とは違い過ぎる。二人来た刑事の名は、三尾と中川だったが、はなから僕の話を信用するつもりはないらしい。
この、僕を苛立たせる長い質問を続けたのは、三尾刑事だった。年は四十くらい。角刈りの赤ら顔は、刑事というよりも、どこか飲み屋の亭主といった風情だ。もう一人の中川刑事は、まだ二十代に見えた。大学生の僕よりも少しだけ年長のように思える。
「ひょっとして、仲間同士で集まって、そういった薬を使った屋外パーティーでもしていたのか?」
三尾刑事が、しつこく質問を続けた。勿論、僕は否定した。その断定的な口調には怒りさえ覚える。
「違いますよ。では、この傷はどうです!」
僕は自分の額を示した。幸い、脳に影響はなかったが、包帯の下に、日本刀で斬られた傷が残っている。長さは五センチほどだが、深さは骨に達していた。しかし、刑事には興味ないらしい。
「ふん。まあいい。念のため、あの辺りを捜索したが、そんな痕跡はなかった。勿論、あなたの言うような建物もなかった。しかしな。学生は学生らしく勉強やスポーツに専念した方がいいぞ。妙な薬を続けていると、その内、本当にどうにかなるぞ」
下らない質問を執拗に繰り返した後に、もう用はないとばかりに、刑事二人は部屋から出て行った。
ここは、××市立病院の病室だ。部屋は個室で、ドアのプレートには、築 知澄と、僕の名前がマジックで書かれている。
今日で二週間目に入った。だが、最初の四日間の記憶はなかった。五日目に、やっと完全に意識を取り戻したとき、僕の隣には父が座っていた。
しかし、刑事の疑い深さには呆れる。彼らの考え方の基本は、性悪説に違いない。
七日前、僕は雪山をさまよっているところを助けられた。僕を助けてくれたのは、猟をしていた男だった。名前は、森田一。どんな風貌かは憶えてない。いずれ僕自身が礼を言いに行かなければ。
刑事の去った後、病室のドアが開いた。缶ジュースを二つ持った父が現れた。
「これでよかったか? 似たのがあったから、分からなくて二つとも買って来た」
「ありがとう」
僕は、その内の一つを受け取った。ジュースなんか、どれでもよかった。
「何を聞かれた?」
刑事から質問を受けている間、父は病室から追い出されていた。
「血液から麻薬が検出されたらしいけど、合法成分で罪には問われないと言われた」
「そうか」
「でも、僕の言うことは何も信じてくれなかった」
刑事には真実を伝えた。僕達は、鉄製の閉鎖空間に捕らわれて、殺し合いをさせられたのだ。得物は、各人に与えられた一振りの日本刀。
──だが、一人として名前を思い出すことが出来ない……。それに、この一連の出来事の前後の繋がりも、ひどく曖昧だった。結局、あそこから、どうやって逃げ出せたのだろう……。
思い出せないのは、多分、あの水のせいだ……。
「で、どこか痛いとかはないんだな?」
父が言った。僕はうなずいて、それから妹の容体を聞いた。こんなことをしている間にも、妹の命は消え去ろうとしているかもしれないのだ。
「大丈夫だ。今のところ安定している。ひとまず今日は帰宅して、明日、見舞いに行こう。もう、退院してもいいそうだ」
●
夕方前に実家に着いた。二週間振りの実家だ。
本当は、入院している妹に会いに行きたい。だが、それは父に止められた。今日は叔母が妹に付き添ってくれていた。
父が近所の寿司屋に出前を頼んでくれた。寒かった部屋も、ストーブのお蔭で暖かくなった。
「だが、よかった。お前まで失えば、本当にこの家は……」
これは父の本音だろう。
「父さん。聞いてくれ。この傷は──」
だが、父に制止された。
「お互い、もう少し落ち着いてからにしないか──? さ。食べよう」
「分かった……。明日、紗江子に会いに行くよ」
言いながら寿司をつまんだ。
「ああ。元気な顔を見せて安心させてやってくれ」
食後、風呂に入った。すごく久し振りの風呂だった。病院では看護士が体を拭いてくれたが、やはり、それだけでは十分ではなく、時間をかけてタオルで体を擦った。
風呂に浸かりながら色々なことを考えた。刑事は、僕が黄色のセーターにジーパン姿で発見されたと言った。その現物も見たが、それは確かに僕のものだった。
それから全く別のことを考えた。どうしたものか、以前見たテレビ番組のことだ。恐竜の特集で、鳥が恐竜の子孫だという検証をやっていた。
中国で、羽毛のある恐竜の化石が発見された。T─レックスの先祖にあたる恐竜で、故に、T─レックスにも羽毛があったかもしれない。鳥が恐竜の子孫であることの根拠は他にもあり、恐竜の名前は忘れたが、化石から気嚢システムが見つかった。気嚢システムは、鳥類にしか見られない特徴なのである。
風呂を出て、自分の部屋に入った。壁に貼ってあるペナントは、小学校の修学旅行で買ったものだ。金閣寺と、その後ろには大文字山がプリントされている。あのころは、よかったと思いながら、僕は布団に入った。あのころは、母も生きていたし、家族全員が健康だった……。
僕は、妹の健康が取り戻せるなら、どんなことでもすると思う。だが、現代医学でも、妹の癌を治せる薬はないのだ。
布団に入ると、額の傷が疼き始めた。こうなれば、痛みを感じなくなるまで我慢するしかなかった。
その内に、
額の傷の痛みが、
徐々に
薄れて……
・
・
・
・
・
目の前が真っ白になった……
熟練した職人の手によって塗り潰されたような、一面の雪景色だ……。
その中を僕は
逃亡している──。
でも、誰から──? いや。あの場所からだ。僕が閉じこめられていた、あの部屋の中から──。
──そこで何があった?
突然、蘇る鮮血のイメージ。顔に噴きつける生温かな血。
だが、これはイメージなどではない。僕は日本刀を持っていた。刀も手も、どろどろに滑っていた。
目の前の死体から、尚も噴き続ける大量の血。血。血。
そのとき、床が、せり上がり始めた。
人が通れるほどの出口が出現したのだ。
逃げるなら今だ!
だが、僕は──
・
・
・
・
・
夢か……。
が、そのとき、一つの名前が頭の中をよぎった。
富田圭子……。ああ。間違いない。彼女の名だ。
僕が看取った女のフルネームだった。
そうだ。思い出した……。
全て最初から──。
●
退院した翌日の朝、僕と父は妹の見舞いに行く準備をしていた。
妹は、僕が拉致されてから後の、一連の出来事を知らない。当然のことだ。
「じゃあ。車を出して来るからな。ちゃんと鍵をしろ」
父はそう言うと、玄関から外に出た。
妹の荷物を抱え、父よりも少し遅れて玄関から出ようとしたとき、リビングの電話が鳴り始めた。
僕は荷物を置いてリビングに戻った。受話器を取ると、
「築知澄さん?」
くぐもった声が聞こえた。
「はい。そうですが──」
「ゲームは、どうでしたか?」
そう言った。
「は?」
「鉄の部屋で行われたゲームですよ。遅くなりましたが、まずは、生きて出られて、おめでとう。我々としては、ちょっと想定外でしたが」
「お、お前は──」
「詮索は、よしましょう」
その声は続けた。
「そこでですが、生き残れたあなたにプレゼントをしたい。一応、上限があって、現金の場合は五百万ですが、現金以外の要望にも、臨機応変に対応したいと思います」
「──」
「出来れば、早く答えて欲しい。例えば、浜田栄治が開発した、癌の特効薬はどうです? 欲しくありませんか?」
「──もらえるのか……?」
僕は、浜田が開発した薬のことも思い出していた。
「それは、あなた次第です。今からは、どんな些細な情報も、外に漏らさないで下さい。言うまでもないですが、勿論、それには警察も入ります。言動には、細心の注意を払って下さい。あなたは、色々と憶えているようです。これも、我々には想定外でしたが。──どうです?」
「け、警察には何も言わない……」
僕は、強く受話器を握り締めていた。
「いいでしょう。薬は差し上げます。しかし、薬を与えても、必ず助かるとは限りませんよ。そこからは神の領分ですからね」
そこで、電話が切れた。
「おい! どうした? 何をしている?」
父の声が玄関から聞こえた。
「何も──今、行きます!」
受話器を置くと、僕は慌てて玄関に向かった。
●
雪解けが始まり、季節は春に移り、そして暑い夏になった。
僕は体調を崩したりを繰り返していたが、それもなんとか克服することが出来た。これも、あの水のせいだろう……。
生きることは素晴らしい。宇宙の営みに比べたら、人間は、針の先ほどの存在かもしれないが、それでも生きることは素晴らしいのだ。
電話のあった二日後、病室にいた父と僕は、妹の主治医に呼ばれて、「投薬を始めとする治療方法を、大きく変更したいのですが」と、言われた。詳しい説明はしてもらえなかったが、「非常に幸運で特別な事例ですので、是非に」そう言われた。
主治医の言葉に父は首をかしげたが、僕は父を説得して、医者の言う通りにしてもらえるように頼んだ。
四月には、妹の癌細胞は半分に減少した。そして、先日の検査では、九十パーセントの癌細胞が消えてなくなっていた……。
──九月になって、やっと森田一氏を訪ねることが出来た。彼は、雪山で僕を助けてくれた人だ。
すごく気さくな人で、年は僕の父くらいに思える。助けてもらった礼を言って、それから、僕が発見された場所を聞いてみた。
「そんなもの、聞いてどうする?」
彼が言った。
「いえ。ちょっと見てみたいだけです」
僕は答えた。
実は、少しでもあの場所の近くまで行って、彼らの冥福を祈りたかった。
「じゃあ、今から連れて行ってやろう」
「いいんですか?」
「ああ。近いからな」
三十分ほど車で走り、それから、車を止めてから二時間ほど山の中を歩いた。どうも、僕とは“近い”の感覚が、かなり違っているようだ……。彼は、猟をしていて僕を発見した。今日も、ついでに獲物を獲るつもりなのか、猟銃を携帯していた。
「この辺りで、あんたを見つけた。何か憶えているか?」
「いいえ。全く……」
「本当にか?」
「ええ……」
「あんたは、黄色のセーターに、ジーパン姿だった。あんな軽装で、雪山で何をしていた?」
刑事にも言われたが、そのとき、僕は、薄い緑色の上下を身に着けていたはずだ。そして、その上着の内ポケットには、富田圭子の遺髪を入れてあったはずなのだ。
が、彼にそれを聞くことはしなかった。僕は暫く考えてから、
「さあ……写真でも撮っていたのかな……写真が趣味ですので……」
写真が趣味なのは本当だった。すると彼は、
「いい答えだ。だが、言動には、細心の注意を払えと言われなかったか? 今の答えはよかったが、どうしてここに来た? 君達が監禁されていた場所が見つかれば、わたしに、どう言い訳するつもりだった──?」
「あ、あなた──」
「黙れ。向こうを向け。家を出るとき、ある方の指示を仰いだ。もうそろそろ返事をもらえるはずだ。果たして、見逃してもらえるかどうか。──動くな! そのまま、じっとしていろ」
それから、銃を操作する音がした。
同じアパートの斉藤は言った。
──人は、それぞれの道を持っている。
僕の道は、どこに……続いているのか……。
ああ。僕は……無事に……家まで……
了 |