「娘のティナだ。よろしく頼む。」
そう言って、ティナの背中をぽんと押した。ティナは背面に立っている親父からは自分の表情が見ていないのを良い事に、舌を出している。(そんなに嫌いか?! )俺は自分でも自覚できるほどの、引きつった愛想笑いを浮かべながら、「よろしく。」と言った。いや、言ってやった。ここで意地を這っても大人気ないし、面倒だ。
「いつかは紹介しようと思っていたんだがな、機を逸してしまって、な? 」
彼は上機嫌に俺の方に歩み寄るとそっと耳打ちをする。
「どうだ? 」
「どうって? 」
「可愛いだろ? 」
「……ああ、はぁ。」
「だから、な? 」
「何がですか? 」
「嫁に…-。」
「…………。」
絶句するしかなかった。いい加減にこの親子はいきなりだな、否、本人のアレもあるだろう? あなたの娘さんが嫌がると思いますが? 思いますが。そう言った言葉を飲み込んで、黙っていると、彼は、何か自己解決したように何度も頷いた。
「若い者同士、仲良くな! 」
それだけ告げて、妙に満足そうに彼は去っていった。ティナは父親が居る間は大人しくしていたが、親父の背中が壁にさえぎられて見えなくなったとたん、再び仏頂面に戻って、俺たちを睨んだ。
「あ、じゃぁ、俺、整備とか、あるしぃ…-。」
まず、ロイが逃げた。それもそうだ。関係のないうえに気まず過ぎる。(さっき前髪燃やされたしね。)騒がしかったロイが居なくなると、人の少ない食堂は急にシンと波打ったように静かになった。そうして暫く沈黙が続く。ティナが鼻を啜った。その音だけが、食堂の雑音の中で、妙に響いた気がした。
「何を言われたの? 」
「ん? 」
彼女が唐突に言った。
「パパに……。」
「別に? 」
言えない、言える訳がない。俺は黙った。再び沈黙がテーブルを挟んだ二人の空間を支配した。
「とりあえず…-。」
俺は沈黙に耐えかねて彼女に話しかけた。
「俺は君の上官になるわけだから、態度を改めて欲しいよね? 一応少尉だし、それなりの地位もあるから? 周りの目とかもあるし。あとは、君の周りに居る人たち殆どが、ああ、そうそう、さっきのロイも君の先輩になるわけだよね? だから少なくとも必要最低限の敬意を払うべきだ、あいつが馬鹿であってもだ。それから……。」
そこまで一気に言って、一度息を吸った。
「軍内での、親子関係、気をつけたほうがいい。周りからどう思われても良いならいいけどね。」
ティナは黙って聞いていたがやがて言った。
「忠告ありがとうございます、先輩? 感謝しますわ。ああ、あと、そんな事、解りきってますわ、だって研修は明日からですから。明日からもよろしくご指導くださいませ。」
そう、彼女は嫌みたっぷりこれ見よがしに言って口をハンカチで拭った。そうしてそのまま食べ終えたトレイを持って立つと、カツカツと去っていった。
「なんだったんだよ。」
俺には、ただ呟く事しか許されなかった。
……――
「……という訳で、本日付で移動となったキリト・ネロクロウ少尉だ。」
「どうも。」
気だるいミーティングで、吐き気がするような挨拶をする。ラッセン少佐の取り仕切る第8中隊のミーティング。この人のことは嫌いではないが、真面目過ぎて退屈だ。少佐の横には、シュワルツが気だるそうに座っていて、対面のシアター形式に並べられた机付きのパイプ椅子に窮屈そうに収まっている兵士たちをぼんやりと眺めていた。俺が席に着こうと歩くと、どこからかヤジが飛んできた。
「どうせ特務の底上げ階級だろ、偉そうに澄ましてんじゃねぇよ。お嬢ちゃん。」
下卑た笑いに曝される。俺も結構有名らしい。俺の知らない人間が俺の事を知っているのだから。(少佐は俺の出自を一言も漏らさなかったからだ。)その言葉に流石にムっとして、言い返したくなったが、ここで揉め事を起こすと後が面倒なので、堪えて黙って席に着いた。
だったら特務機関の入隊試験をパスしてみろっての。どうせ馬鹿のやっかみだろ。お嬢って…でも哀しいかな、女面で小柄でも、俺あんたたちより女にモテるんですけども。ああ、それも込みでのやっかみなのかな、馬鹿馬鹿しい。てめぇらみたいな屑は弾丸の盾にでもなって、最後まで恨み事垂れながら、腸脳髄ぶちまけて、のた打ち回って死んでしまえ。
すぐ隣にはロイが居て、そんな俺の心中を察したのか察していないのか、わき腹を突っついてきた。彼は、突いたその指でそのままスクリーンの前にずらりと並ぶ研修生達を指差した。勿論その中にはティナも居る訳で。俺はますます虫の居所が悪くなる。
夏の終わりの時期の恒例で、アカデミーから実務研修に学生たちがやってくる。彼らは、その年にアカデミーを卒業し、各軍に配属される事になる「新米兵士の卵」といった所で、要は現場の仕事に慣れさせようといった所なのだろうが……正直言って邪魔者扱いされている。
特務機関には流石に研修生などやって来たりはしないが、事務に提出した伝票なんかがちょっと書き方を雑にしたりすると突き返されて来たりして(教科書通りで融通が利かないのだ。)中々面倒だったりする。で、そんな奴の為だけに俺は表面上だけとはいえ、二軍落ちしたっていうのだから、あまり気持ちの良いものではない。
再び俺は彼らを眺めた。殆どは男子だが中には数人女子も含まれている。(軍隊において女子自体の絶対数が少ない上にその殆どは事務方に行っているはずだ。)
まぁ、毎度のことで兵士になりたい女子の中に飛び切り可愛い子が居るわけも無く。しかしロイをはじめ兵士たちはざわめきだっていた。(そりゃぁ、ここは女気無いからなぁ。哀れな。)彼らは順々に、短く名前を言って敬礼をする。ティナも倣い名前を告げて、そうして短く敬礼をした。ちらりと目が合う。俺はすぐに視線を反らした。
「では、担当教官は残って、それ以外のものは各自持ち場へ。整備を怠るな。それから、備品庫での喫煙は禁止だ。」
「鬱病対策なので、次からは医務室でやりまーす。」
ロイが軽口を叩くと兵士たちがどっと笑った。少佐は軽く冊子で肩を叩きながら、シニカルに笑うと、
「いいだろう。ただしミルヒ女医が認めれば、だ。」
「そりゃぁ、即死だな。」
シュワルツが言うと更に兵士たちが笑った。研修生たちは事情がわからずポカンと突っ立っていた。
「解散、解散!」
少佐の号令で大半の者が散り散りになる。俺をはじめ、研修生を抱える一部の者だけがその場に残った。
「そういう事だから、改めてよろしく。」
俺が手を差し伸べても、ティナは想像通り俺の手を無視し、資料とIDを提示してきた。俺は席に着くと、頬杖をついて缶コーヒーを啜った。
「で、何からすればいいわけ?」
「まず、講義からなんじゃないの?」
ティナが資料を捲り、周りをちらりと見回しながら言った。確かに他のペアは資料を元に講義だとか雑談だとかを始めている。
「ああ、俺は研修受けたこと無いから。」
アカデミーの院卒で一般の兵役が免除されている上に、特務機関配属試験を一発でパスした為にこういった研修を受けた事がある訳も無く…-まぁ、逆に言えばいきなり現場に放り出されたのだが……。研修なんて正直生温いと思う。さっさと現場に連れて行ってしまった方が有意義だと思うのだが、いや寧ろ足手纏いか。俺も資料に目を通しそのタイトルを口に出して見た。
【〔魔素〕に対する基礎知識】
「どこまで知ってる?」
俺は彼女に尋ねる。
「基本的なところは大体。」
「量子論は?」
「何となく。」
「それで炎を?」
「感性、フィーリングよ。」
「……。」
俺は閉口した。彼女がロイの前髪を燃やした時の事を思い出す。ある意味ではこの子の術は才能なのかもしれないが、しかし知識が無さ過ぎる。この状態で実際戦場で戦うのは危険極まりない。一人の時はいい。好きに〔魔素〕を使えるだろう。だが、集団で、場所の特定されない作戦だったら? 〔魔素濃度〕の低い土地だったら? 俺は溜息を大袈裟に吐いて見せながら、講義を始めた。
「〔魔素〕ってのは、正体不明のナノマシンって事はわかるよね?正体不明といっても、約160……正確には168年前にあった隕石の落下、これ以降に現れた物質だから、この隕石に起因するモノだとされていて…-それはさておき、〔魔素〕とは、この星の分子の構造を変化させることができるんだけど、分子、解るかな? この、コーヒーも君自身も全ては分子で出来ているのね? でその分子ってのは、核とその周りにひっついている電子の数によって性質が変わるわけ。水素なら電子は1個だし、酸素なら16個、ね? つまり、この核の周りについている電子の数をコントロールしてしまえばいいわけだ。君は無意識にそれを行って、酸素と水素を作り出しているんだと思うのだけど? けれど世界には質量保存の性質があるわけだから、だから〔魔素〕の力は無限ではないし、それから、〔魔素濃度〕の少ないところでは当然能力は落ちるし。あとは水素と酸素を気体で扱う炎系の能力者と、水素と酸素を合成させたい水系の能力者とが一緒のチームで動く場合、当然相性は悪くなる。〔魔素〕はそれだけでなく、まだまだ解明されていない能力があるみたいだけど、例えば〔魔素〕自身を結合させて障壁を作るとかってのもその一部かなぁ。〔魔素〕ってのは中々よく作られているナノマシンだって事だね。正確にはナノではないんだけども。ま、今は科学の力で〔魔素〕の働きをある程度抑えることも出来るしね。〔魔素〕は優れているが必ずしも万能ではないという所は抑えておいたほうがいい。そうして、〔魔素〕ってのは僕たちの脳の知識・考えを伝える事によって初めて働くわけだよ。君の場合は色をイメージとして、コードとして伝えているみたいだけど。それが出来るか出来ないか、易いか、難いかは、その人間の体の中に含まれている〔魔素〕の濃度によって変わってくる。〔体内魔素含有度〕のパーセンテージの高い人間の方がより多くの空気中の〔魔素〕にイメージを伝えることが出来るわけだ。それと能力者ってのは、大概なんらかの、水だとか火とか、操れるものが特化してくるけれど、それって結局知識の問題なんだよね。ひとつの分野に特化したほうが効率良いしね。以上、概論終わり。解った?」
長々と、長々と俺は語った。
勿論〔魔素〕に関する研究論文は必須の単位だったわけで、一応専門ってことにはなる。一応ドクターなのだから、俺の熱弁というよりは本格的な講義と言った方が良いか。講師資格を持っているのだから講義代を寄越せと言いたい…-!そんな俺に対して、それまで黙って聞いていたティナは一言、こう言った。
「つまらないわ。」
このヤロウ。
という言葉をぐっと飲み込んで、俺は一度深呼吸をして彼女を見た。彼女はケロリとした視線で俺を見遣ると、得てして悪気もなさそうに、テキストを捲った。……悔しいが、完敗だ!
「案内して?」
ティナは目を合わせないで、敢えて、敢えて可愛らしく(可愛くないが)年下風に小首を傾げて見せた。
「あ?」
「ん〜、講義なんてつまらないし? 実践は百講義に勝るってね! さぁ、施設を案内しなさいよ、いえ、してください、先輩。」
嫌味たっぷり(に聞こえる)に彼女は言って、(自分から講義をしろと言った癖に)テキストを閉じると、さっさと立ち上がった。俺も、(思うところは多々あるのだが)それに続く。(いや、続かざるをえないだろう?こいつを野放しになんかできないし。)
廊下を歩く。律儀にも約一メートルほど距離を開けて彼女は俺の後を着いてきた。食堂、ミーティングルーム、資料室、武器庫等々。レンガ造りの建物ではあるが、内装は新調されている。その外観からは掛け離れた打ちっぱなしのコンクリート剥き出しの壁が、冷たさを誘う。
無言・沈黙。
ただ足音ばかりが気になった。勿論、他の兵士たちは通常の任務についており、人の往来もあるのだが、それでも俺たちの周りにだけ見えない壁があるかのように思えた。そうしてその壁は、俺たち個人を仕切る所がやたらと分厚くなっていて……。
「あ、キリト君。」
医務室の前を通ったときだ。不意に声をかけられた。視線を向けると、栗色の髪をショートにした、白衣の女性が手招きをしている。化粧っ気の無い彼女は、それでも切れ長の目に細い顎と、一見中々の美人であった。その形の整ったやや薄い唇に、シナモンスティックを咥えている…ミルヒ女医だ。
「ご無沙汰してました。」
俺は彼女の元に歩み寄る。シナモンのほろ苦い香りが漂った。白衣のポケットに両手を突っ込んで、壁に靠れて立っていた彼女は背を起こすと、俺に手を差し出して言った。
「悪い。タバコくれ。」
医務室の中を横切り中庭に出る。ミルヒはシナモンスティックをポケットに突っ込むと、代わりに俺から受け取った煙草を咥え、自前の使い捨てライターで火を点けた。
「煙草、やめたんじゃぁなかったんですか?」
「まぁね。」
彼女は目を細めて煙を燻らした。自分がやめてから、今まで散々人に煙草を吸うな、だとか言い散らしていたのはこの為で(本人が禁煙中で)あったのだが…―。
ティナは中庭を物珍しそうに散策している。俺はミルヒのすぐ横で、自分の為に煙草を一本取り出すと火を点けた。そうして互いに、暫く黙って煙を吐いていたが、不意にポツリと彼女が言葉を漏らした。
「あたしはさ、死に対して自分は不感症なんだと、思ってた。」
「はぁ。」
「お前、あの中に居てよく…―あ、いや、すまない。」
「いいんですよ。解らないんですから。」
「あたしはさ。行ったよあの場所に。全部とっちらかったあの場所に。ああ、沢山死んだね、沢山。」
ミルヒは煙を吐き出すと、ひっそりと黙った。微かに蝉の鳴き声が聞こえた。耳の奥に響くそれは寂しげで、騒がしさが逆に静寂を際立たせた。彼女が言っているのは紛れもない、あの時の事だろう。彼女の言葉尻から「何故、お前はそれでも戦うのか?」そう、疑問を投げかけられているような気がした。俺はただ黙っていた。それに応える術を、俺自身持たないからだ。理想だとか、愛国心ならば良かったのかも知れない。けれど、そんなもの、どこを探した所で微塵も無くて。けれど、それに対する劣等感すらも見当たらないのだから。
「さて、仕事に戻らなきゃな。」
彼女は白衣の裾を払いながら立ちあがった。煙草の火を几帳面に地面で擦り消すと、その吸殻を部屋の中のデスクの上に置きっ放しにされていた空き缶の中に入れる。無言で差し出されたので、俺も吸殻をその中に入れた。
「連れの子が可哀相だ。」
「……ですかね?」
ミルヒの視線の先にはティナがいた。彼女は俺たちに背を向けて蹲っていた。恐らくは、相当手持無沙汰だったのだろう。その姿を目を細くして彼女は見つめていた。いつか、自分が看取る事になるかもしれない兵士の姿を網膜に刻み込むかのような仕草に、少し、居た堪れない気持ちになった。
「行こう、ハミルトンさん。」
「ティナでいいわよ。」
俺の呼びかけに対して喧々と彼女が返す。それが面白かったのか、ミルヒはくっくと、喉の奥で噛み締める様に笑って、医務室に入って行った。気が付くと、俺たちはまた二人きりになっていた。
よろしければご意見ご感想等お聞かせください。
今後の活動の参考とさせていただきます。
ИСТИНАサイト(イラスト・設定等)
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