2009/11/14 文量等調整
鍵カッコ中の()は、主人公視点から見て、外国語に当たる場合の表記です。
更に奥に進む。すると細長い廊下に出た。左右、ガラス張りの小室が並ぶ、研究室のようだ。整然と並べられた無機質なデスクの上には書類や様々な実験器具が雑然と置かれていた。俺は気配を伺いながら、殆ど棒状の細身のナイフを取りだし、鍵穴に差し込む。
カチャリ……音がしてドアが開く。
今にも崩れそうなほど高く積まれた書類やノートを手にとって目で文字を追う。計算式や専門用語の書き散らされたメモ、流石に設計図までは放置しておかないか。デスクの上には大量にタイトル無記名のディスクが裸のままで放置されている。この部屋の主は、だらしが無さ過ぎる! 自分でこの情報量を把握しきれているのかと疑いたくなる。
パテーションで区切られただけの隣の部屋に移る。こちらの部屋は雑全とはしているものの、ある程度項目ごとにファイリングされているようだ。机の上の小物など可愛らしい物が多い。恐らくこの部屋のチーフは女性の研究者なのだろう。チーフの物と思われる一番大きなデスクの鍵を開けて引き出しを探る。一段目、飴とチョコ、二段目、文房具と計算機 、三段目、雑誌(この机の主は仕事をする気があるのか?) 四段目、一番大きな引き出しを開ける。大きなファイルがキッチリと詰まっている。俺はその中の一冊を手にとった。
「〔魔素体〕の研究」〔魔素体〕……〔魔素〕で出来た何か、生物と言うことだろうか。正直、この施設にはまったく関係のない資料だ。だが、そのタイトルに惹かれるところがあった。個人的に気になったのでちょいと拝借する事にした。俺はファイルから資料以外の論文部分を抜き取ると丸めて腰のケースに突っ込んだ。
ざっくりと、棚に並べられたファイルのタイトルを確認し、例の機体に関する情報が無い事を確かめて部屋を後にする。こちら側の列はどうやら〔魔素技術〕に関する研究者達のワークスペースだったらしい。骨折り損の草臥れ儲けとはこの事だ、まったく。廊下を挟んで向かい側の部屋の鍵を開けようとして、屈んだその時だ。
首筋に違和感を感じる。チリチリと焦がされるような、それでいて酷く冷たい…-。
「(武器を捨て、手をあげて、そのまま向き直れ。)」
背後からヴァローナの言葉で警告される。酷く、抑揚の無い冷たい声だった。
俺は、鍵開け用のナイフから手を放す、そうして、そっと気取られない様にブーツに隠し持った軍用ナイフに手を伸ばす。そうして、右に、体を小さく縮めながら回転させるとナイフの刃を返して大きく下から薙ぐ。そのまま、目の前に居るであろう人物の肩口を踏み越えて、その人物の背後に着地する。 血の、生温い匂いが充満した。俺が切った奴の右腕が少し遅れて、ぼたりと舞い落ちた。
そのまま、逃げてもよかった筈なのに……俺はあるはずの悲鳴が上がらない事に、つい不安になって振り返った。振り返って、その姿を捉えて、愕然とした。足が凍る。唾を呑みこんで、冷汗を誤魔化した。胃が縮み上がり胃酸が胸までせり上がる。それでも、視線を外せなかった。外す事を赦されない。その存在そのものが、強制的、そうして酷く過虐的な…-それ程までに、瞬間、心を奪われた。
「彼」は落ちた自分の腕を目の端で見ていた。痛みを感じていないのか、傷口から滴る血液を左手で軽く止血している。薄明かりの中で、浮び上がるほど透き通った白い肌、動きに合わせて煌く銀の髪、スラリと伸びた四肢に纏う白い衣装と、流れ出る紅のコントラスト、端正な、美しい顔立ち。
破滅の天使、破壊の天翅、彼に付けられた様々な徒名が大袈裟なのではなく、まさしくその通りの形容だったのだな、とそう理解する、理解させられる圧倒的な圧迫感。その癖、酷く儚げで、今にも消えてしまいそうな、この世のものでは無いような…。畏怖と歓喜と希望と絶望と狂喜と狂気が一緒くたに存在している様な。
見てはいけないモノを見てしまった気がした。今直ぐにでもこの場から立ち去りたいのに、振り向いた為に、どうしても「彼」と対峙する体勢になる。居る筈の無い……、居てはいけない筈の、存在……セラナ・クロノワール。
あの、砂漠の暑さが、体感的に蘇る。
あの、蜃気楼が今、現実に目の前に居る。
彼は左手の人指し指と中指から光の刃のような物を出していた。先程首筋に感じた物の正体はあの刃だろう。彼はその場から動く事をせず、ただ目を伏せて何も言わずに立っていた。しかし、隙が無い。これは、ぶつかるしか無いだろう……?
腹の底が疼く。背中に走るゾクリとした感触が、逆に心地よい。自然と笑みが毀れた。俺は更にもう一振り漆黒の刃を持つ大振のナイフを取り出すと、体の前で手をクロスさせて構える。 重さがあり、使い勝手はそれほど良くないのだが、抜群の切れ味と美しい見た目、何よりコレは俺のジンクス的な思い入れがあるお気に入りの一刀だ。極端な接近戦にならざるを得ないこの狭い廊下ならば、ナイフに勝るものはない。(あと跳弾の心配も無いし。)相手が〔魔術〕に長けているなら尚更、接近戦で物陰に隠れるなんて無意味だ。
「(〔魔術〕は使わないのか?)」
彼が言う。俺は黙っていた。言語から国を知られるのを警戒したからだ。彼は左手から出していた光の刃を消すと、更に言った。
「(ならば私も、使わない。)」
(ふざけやがって。)俺は腹の底が熱く疼くのを感じた。再び知らずと口許が緩む。こいつを、縊り殺してやりたい、切り刻んでやりたい。そう思う、底無しの殺意。
跳躍すると、廊下の側壁を蹴って奴との距離を一気に縮める。そのまま懐に潜り込みナイフを平にして突きを繰り出す。彼は体を僅かに捻って突きをかわすとそのまま俺の背後に来る、その動作を読んでいた俺は、そのまま体を回転させて背後を右手で薙ぐ。 当然、左腕で俺の薙をかわすため受ける彼に対し、追い討ちのように左手のナイフを首もとめがけて突き出す。彼は再び僅かに体を反らしてかわすと、俺の一撃を受けていた左手を捻り、俺の右腕に絡める、そうして自分の体を軸にして俺の腕を引いた。急に体勢が前のめりになってバランスを崩す俺に対して、背中に一撃、蹴りを入れられた。
「がっ…-。」
俺は何とか踏みとどまり、体を沈ませ回転させて足払いを掛けると、彼は軽く跳んで下がって避けた。身軽だ。 俺の攻撃を全て最低限の動きでいなしている、なかなかの手練だ。しかし、体格と性別の割には攻撃が軽い。(悔しいかな、近付いてみて判ったのだが、奴は俺よりやや背が高い。)
再び対峙する。
俺は身を沈ませて身体のバネを使い、一瞬で距離を詰めると、思いきって足を前から蹴る。スライディングの要領だ。彼は流石に避けきれずに体勢を崩し前のめりになる。俺の上に倒れ込むような体勢になる彼の喉元に下から刃を突きつける。
左手一本で何とか体を支えて耐える彼の髪が、顔にかかる。その位の距離で、改めて彼の、その整った顔を見る。彼は無表情に俺を見つめていた。ぞっとするほど冷たい左の金色の瞳と対照的な憂いを帯びたコバルトの右の瞳、欠点である筈の、シンメトリーの中の一点のアシンメトリー……歪みが、かえって彼を「人間らしさ」から遠ざけていた。しかし、どこか引っかかる、違和感が拭えない。(既視感?)
「(終わりのつもり……かな。)」
彼の唇から言葉が漏れた。俺はハッとして思考を止める。 彼の膝が俺の脇腹を捕えていた、そのまま力が加えられる。何かが、いや、骨が砕ける鈍い音が体内で響く。
「っ……ぁ…-。」
口の端から少量の血が溢れた、折れた肋骨が内臓を傷付けたらしい。対したダメージではないもののシクシクと痛みが走る。
一瞬手から力が抜ける。その瞬間を見逃さず、彼は上体を起こし、俺から突きつけられていたナイフを奪うと今度は逆に俺の首筋にナイフの刃を突きつけた。そのまま、彼が少し手首を横に引けば、切れ味の尋常でなく良いナイフは、俺の動脈をあっさりと掻き切るだろう。(ああ、死ぬかな…-いや、死ぬな、死んだ。)そう思って諦めかけたその時だった。
不意に彼が視線を外した。様子を伺うように見回すと、ナイフを俺に突きつけたまま立ち上がった。そうして見下ろしながら言った。
「(立て。)」
一瞬意味が分からずその言葉を反芻する、すると彼は癇に障ったのか眉を少し顰めて無言で催促した。そうして俺が立ち上がると、その足元にナイフを投げて寄越す。 乾いた金属音が廊下の壁に木霊した。状況が呑みこめず、警戒して体制を低く保ったまま彼と間合いを取り続けていると、遠くから足音が聞こえてきた。
「(……行け。)」
やはり意味が分からなかった。行け…とは?
「(行けと言っている。)」
彼はそう言うと、深く溜息を吐いて目を閉じた。すると、彼の落ちていた右腕が粒子となり、光となって泡の弾けるように消える。そうして今度は切り取られなくなったはずの右腕の在るべき部分が淡く光り……(再生した?!)
再生、〔治癒魔術〕は難易度が高く、専門の機械や施設がなくては難しいはずだ。それをこんな短時間で立ったまま、腕と服との両方をやりやがった。(化け物め。) 俺は心の中でそっと愚痴る。こんな化け物と本気でやりあったらあっさりと秒殺されるだろう。
流石にあの時の、
あの爆心地で、
あれだけの人数を、
鏖殺しただけの事はある。
足音が近付いてくる。
「(さっさと行け、殺されたいのか?)」
その言葉に弾かれる様に俺は跳躍し、元来た方へと急ぎ戻った。皮靴の乾いた音が近づいて来て、壁一枚隔てた廊下で止った。
「(どうしたんだい、セラナ君。一人でどんどん先に歩いて行ってしまうから、嫌われてしまったのかと心配したよ。)」
華のある良く響く声が聞こえてきた。あの男だ。その声を聞くだけであの芝居じみた身振り手振りが目に浮かぶようだった。幕僚長の……?
「(……アダム。)」
か細く咽の奥で呟くような声がその名を呼んだ。耳を欹てる。皮靴の音が一歩分響く。すると二三歩、軽い足音が衣擦れの音と共にした。どちらかが息を呑む気配、恐らくはセラナ・クロノワールだろう。恐る恐る、扉の隙間から覗きこむ。壁に手を突く鈍い音が聞こえて、細く切り取られた隙間から、彼らが見えた。
幕僚長が壁に手を突いて、セラナの逃げ場を封じていた。その様子は臣下の取る態度とは、とても思えなかった。彼は穏やかな笑みを浮かべていたが、凄んでいるのが分かる。セラナは目を伏せて顔を叛けているのだろうか、腕に遮られてその表情はよく見えなかった。
「(何も無い。)」
「(本当に?)」
セラナの言葉に対し幕僚長……アダムが面白そうに、聞き返した。
「(何も無いと言っている。)」
やや激高した、それでも抑揚の無い無表情な声で答えセラナがその腕を払う。パシリと言う鋭い音が木霊して、そうして彼は其処から抜け出した。一方でアダムは叩かれた手を抑えながら、「(ははは、痛いじゃないか。)」そう笑っていた。このアダムという男は喰えない奴だな……内心冷や汗を掻きながらも変なところで俺は感心してしまった。彼は抜け出したセラナに対しその背中に向かって、今度は先程とは全く違う低い声で呟いた。
「(僕には分るよ、違うんだよね、匂いが……さ。)」
その台詞にセラナが振り向いた。瞬間、アダムが言い放った。
「(侵入者だ!警備班、草の根分けて探し出せ!)」
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ИСТИНАサイト(イラスト・設定等)
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