2009/11/14 段落文量等修正。「」内の()は主人公からして外国語の場合の表記です。
***
コン…コンコンコン
少し間を空けてノックをする。それが彼女との合図だから。やや間があって「入れ。」と、ぶっきらぼうな声が帰ってきた。俺はワインボトルを抱えながら扉を開ける。リリイが、デスクの上に足を組んで座り、何度も何度も巻き戻しては再生し、同じ映像を繰り返し見つめていた。
「何です?」
俺も彼女の見つめるモニターを覗く……あの時の記録映像だ。
俺の使っている戦闘服には外部映像を記憶する小型の記録装置がついている。否、映像だけではない。飛行機についているブラックボックスのようなもので、戦闘員の脈拍、呼吸数、血中成分等々様々な情報が自動的に記録され蓄積されて行くという装置だ。
俺、
独りが、
生き残った、
あの時の…。
砂嵐混じりの映像、地面を映し、流れる赤い血。映像は一度途切れる。それから閃光、小刻に揺れる映像は不鮮明で良く解らない、そして空。透明に輝く12枚の巨大な羽、その中心部をリリィは拡大する。
真っ白な
真っ白な
天空から見下ろす
ソレを
俺は、知っていた。そうだ。―俺の見たアレは、天使は、本当に……?
「ヴァローナの皇王だ。」
「ヴァローナの皇王?」
「……そう。」
彼女は言ってモニターのスイッチを切った。分厚い書類をデスクに放り投げて溜め息をつく。
「敵が増えた。」
「……みたいですね。」
「何だ、嬉しそうだな。」
思わずにやけていたのだろう、指摘されて慌てて表情を引き締めた。
「この…戦闘狂が。」
リリィがシニカルに吐く。俺は構わず自前のナイフでワインのコルクを抜くと、勝手知ったるなんとやらで彼女のデスクからグラスを取り出して、ワインを注ぎ彼女に手渡す。
「乾杯…―。」
「乾杯。」
……――。
リリィはうつ伏せに寝ながら葉巻をふかしていた。俺はその傍らで仰向けに寝て、ただ天井だけを見つめていた。甘く気だるい倦怠感が滑らかに夜に溶けていく。その肌の感触の余韻、残り香に浸りながら、ゆっくりと目を閉じる。
「なぁ…。」
彼女が不意に呟いた。
「お前、あの時致命傷を負ったりしなかったか?」
「致命傷を負っていたら、今、此処に居ませんよ。」
「ああ…―だな。」
彼女が徐にベッドサイドの灰皿に腕を伸ばす。上半身がのけぞって、豊満な胸が揺れる。葉巻の堪らなく甘い香りが鼻孔を擽った。誘惑。俺は再び彼女に向き直ると、その手を取って唇を這わせる。そうして今の言葉の深意を探る。
心配してくれているだけならば良いのだけれど……彼女はそんな安物の女では無いし、俺はそんな風に思われるのは足枷だ。 結局の所はそれだけの関係なのだし、それが逆に心地良いのだ。彼女が俺の顎に細く長い指を絡ませながら愉しそうに言う。
「良い面構えだ。」
「良く、言われます。」
俺は皮肉混じりの笑みで返す。彼女はそれを鼻で笑うと、素肌にローブを直接羽織り、ベッドからするりと抜け出した。
「さて、夜食の時間はおしまい。さぁ、仕事の話をしようじゃないか。なぁ、戦闘狂。」
そうして、札束でも放るかのように、俺に分厚いレポートを投げて寄越した。
「これは?」
俺がパラパラとそのレポートを捲っていると、彼女は気だるそうにデスクの上のボタンを押した。大きなスクリーンが下りてきて、一面に地図と写真が表示される。
「ヴァローナ、ですか?」
「とある情報筋から…―と、言っておこう。」
彼女は腕を組んで咳払いを一つすると、リモコンを操作する。スクリーン上で、鋭角な比翼を持つ戦闘機の写真が次々とスライドされて行く。まだ建設の途中なのだろう。その周囲には白衣を纏った研究員と思しき人々や、作業着を着たエンジニア達が働く様子まで写り込んでいる。しかし、こんな戦闘機は見た事が無い。
「新型ですか?」
「御名答。」
「仕事ってのは、コレのリサーチですか?」
「正しく。」
「ふぅん。」
確かに、コレが戦場に投入されたら、脅威にはなるかもしれない、だから出来るだけ機体の情報を前もって集めておく必要はあるだろう……。
ヴァローナは中立国とは名乗っているものの、殆どアルディアナの属国と言って良い。アルディアナの軍事兵器の一部はこの国で製造されている……という事など、最早暗黙の了解、周知の事実だ。
「詳しい事はレポートを熟読しておけ。偽造IDはそこのファイルに挟んである。出立は明日、一便で行け。くれぐれも名目は観光だからな。」
彼女はそれだけ言い放つと、シャワールームに消えていった。「出て行け」の合図だ。明日、明日の一便って…この上官は本当に人使いが荒い。俺は溜息を一つ吐くともぞもぞとシャツのボタンを留めた。別に仕事の質だとか、内容だとかに拘りは無い。俺は言われたミッションを、こなすだけなのだから……。
既に夜半、俺は、再び繁華街を歩いていた。昼間とは違い、夜の繁華街は酒と化粧の臭いが漂っていた。一便で行くならば帰って寝るよりは、遊び明かした方が安全か…暫くの間は女遊びも出来ないだろうし。
俺は一度、作戦内容を反芻する。(孤独に施設見学してこいって事だよな、あと性能とか探って来いって事か。 資料には施設の竣工図面なんていうとんでもないオマケも付いていた事だし…大して際どいミッションでは無さそうだ。どれだけ想像をかきたててみたところで、あまり面白そうな場面は無さそうだ。
面倒臭い、こういう夜は腹の底が疼く。
「あ、キリちゃんが来た。」
「キリ君〜! 寄っていってよ。」
昼間酒場にいた馴染みの娼婦たちが、彼女達の店の前から小走りでやって来る。俺に腕を絡めると上目使いで誘う。
「ねぇ〜え、遊びましょうよ。」
「抜け駆けはダメよ、私が先に見付けたのに。」
俺は彼女たちが小突きあうのを見ていた。香水の香りが鼻孔を擽る。甘い、甘い香り。先ほどのリリイとの情事を思い出して、思わず顔がにやける。そう、こういう昂る夜には、女を抱くに限る。
「二人同時でいいならいいけど?」
俺は二人に抱えられるようにして店に入った。
***
雑踏を挟んだ通りの向かい側で、一人の少女がじっとその様子を見ていた。華奢な体に大きめのジャケットを羽織り、キャスケットを目深に被っている。キャスケットからは鮮やかなオレンジの髪が毀れ、それを後ろ側で細く伸ばして束ねていた。
そうして徐に、彼女はその光景を見ていたが、やがて吐き捨てるように呟いた。
「不潔だわ。」
***
眠い、眠すぎる。
俺は自分で自分の頬を叩くと、機内から彼の国へと降り立った。一便とあって、エアポートにはまだ人影は疎らだった。ヴァローナはアルディアナと近しい国ではあるが、中立国、と言う事で一応はザクセンとも国交がある。ただし観光目的であり、軍事関係職に属さない人間しか入れないはずだ……確か。そう思って今一度IDを確認する。
(職業、ルポライター)……そうですか。殺人事件でも解決すればいいのか? 違うか。
入国審査ゲートで偽名と職業を告げIDを手渡す。受付の女性は結構美人だった。待つ間、スカーフを巻いた彼女の襟元を眺めていると、「(お待たせ致しました、ようこそヴァローナへ。)」と、笑顔でIDを返された。「(ありがとう。)」笑顔で手を振ると彼女はちょっとはにかんだ様に笑った。うん、出だしは好調。
エアポートを抜けると、この国への入口がある。それは殆ど天まで聳え立つ壁と言った有様で、果てが見えない。その姿に思わず圧巻されて、暫く立ち止まって見上げていた。
ヴァローナ皇国、国連に加盟し一国として国際的に認められたこの国は、十年前アルディアナ帝国から独立を果たしたばかりの新興国だ。しかしながら、アルディアナから課せられる多額の諸税や、この国の頂点に立つ皇王の座にはアルディアナの皇族が就くなどと、属国としての色がまだまだ濃い一面も持つ。ただし、それは建前であり、実権を握っているのは幕僚長で、この国の独立を成し遂げた男だという話もあるし、内政、外政共に非常に不安定であるらしい。にも拘わらずこの国には多くの亡命者が押し寄せ、そして生活も豊かであった。
それもこれも、すべてこの塔の性能のおかげなのだろうが…―とても人が建造したとは思えない巨大なプラントと言った有様だ。地理的に言えば、人が住めるような場所では無いであろうこの極寒の地が、塔の中は穏やかな陽光に包まれており、街にも活気が溢れている。すれ違う人々は皆、清潔な衣服を身に纏い、笑顔だ…親国であるアルディアナの実情とはかけ離れている、それ程までに豊かさで溢れていた。
二人組の女性がすれ違い様に俺に手を振った。この子達もまた可愛らしい、俺が笑顔で返すと二人は互いを突き合って笑うと、そのまま歩いて去って行った。……いや、美人が多いって言うのは何より良いことだ!
周囲を見渡す。聳え立つ灰色の建物、その窓がキラキラと光り、ショーウィンドウには立体的な映像が舞う。メインストリートと思しき大きな通りは人で溢れ、スクランブル交差点の上空には光のディスプレイが様々な情報を伝えている。株価、先物取引、外為、ヘッドラインのニュース……キャスターが朝の挨拶を告げ、政局を淡々と伝える。誰もそれに立ち止まったりはしない。それぞれの職場に向かうのだろう。
俺だけが、その画面を見つめていた。そうして、様々な情報が一頻り流れ終わると、画面には燃える様な赤毛の男が映った。何かを演説している。(音声は遠くてよく聞き取れない。)芝居じみた身のこなしで訴える彼は、中々の色男だった。通り過ぎる人々も、彼が映ると立ち止まりその映像を見ていた。そうして演説が終わると、わっと歓声が上がった。
多分、今の人物が幕僚長、なのだろう。彼の纏っている白い軍服の肩章から、そう判断を付ける。しかしこの様子、凄まじい支持率だ。彼の演説が終わると、とたん時が再び動き出したかの様に、再び人々は動き始めた。中々どうして、国の内部では統制が取れているのだろうか…―。
一件のカフェに入る。ここでとある人物と待ち合わせている。俺は黒い革の手帳をテーブルの上に置く。すかさず従業員がオーダーを取りに来た。これまた美人では無いが、可愛らしい外見をしている。(俺、この国に亡命したいかもしれない…。)ブラックを一つ頼む。すると彼女はクスクスと笑ってトレイで口元を隠して言った。
「(観光の方ですか?)」
「(よく判ったね。)」
「(いえ、かなり硬い言い回しだったので……。けれど、語学に精通していらっしゃるのですね。)」
「(まぁ、一応、フリーライターで世界中飛び回ってるから。)」
「(凄いですね、うふふ……あ、ではすぐにお持ちしますね。)」
(言い回しが硬い……か。勉強になるねぇ。)
彼女の後姿を目で追いながら、今後の教訓に、と思う。一応アルディアナの言葉だろうが、ヴァローナの言葉だろうが、一頻り言語には精通しているつもりだったが、やはり独特のスラング、までは行かなくても話し言葉といった類のものは溢している事が多い。こういった襤褸から、訝しがられ、正体が割れる事もあるだろうし、注意は必要だ。
彼女が運んできてくれたコーヒーを啜りながらその人を待つ。とは言っても、俺も出会ったことは無い。その為の黒革の手帳だ。これが目印なので来れば判る筈だ。しかし昨晩の遊びが祟ってか眠気が襲う。コーヒーを片手に少しうつらうつらとしかけたその時だった。
「(待たせたわね。坊や。)」
不意の声に、驚いて跳ね上がると、声の主はクスクスと笑いながら向かいの席に腰を掛けた。
「(レイチェル・ハーマー? 偽名?)」
「(…あなたは?)」
「(リリィ・フェルザロッテ。もちろん偽名よ?)」
そう言って目の前の彼女は可笑しそうに再び笑った。目深に帽子を被り、大きなサングラスをしているので殆ど顔は窺えなかったが、その赤い口元、スラリとした体躯から美人なのだろうという事は見当が付く。長く伸ばされた紫の髪が揺れている。その過剰な変装具合はちょっとした映画スターの様で少し気が引けた。
「(リリィが羨ましいわね、こんな可愛らしい情夫がいるなんて。)」
「(情夫って……。)」
「(でも事実でしょう?)」
「……。」
彼女は黙りこくる俺を鼻で笑うと、煙草ケースから細い女物の煙草を取り出し火を点けた。煙を燻らして一息吐くと、彼女は膝の上に乗せたブランド物のバッグからカードを一枚取り出して投げて寄越した。
「(労働者用のPASSよ、といってもゴースト・コードだから一回きりしか使えないわ。だから一度出たらこっちには戻って来れないから…―勿論、帰りの足は用意しているんでしょう? しているわよね。)」
「(はぁ……。)」
内心、何も聞いていないとぼやきつつ、頷いておいた。これで何も知らないと言ったなら、目の前の彼女が怒りそうだったからだ。PASSを眺めていると、更に彼女は鞄の中から紙に包まれたある物をテーブルの上にゴトリと置いた。
「(コレ一個で良かったわけ?)」
「(ええ。十分過ぎますよ。ありがとうございます。)」
俺はソレを受け取り、鞄に仕舞い込んだ。中など確かめなくても重みでソレが何なのか判る。こればっかりは、大きさが故に空港の警備で引っかかると思ったのだ。軍用支給品のナイフが一振りと、黒い刀身の大振のナイフ、これは俺のお気に入りだ。
「(軍用貨物の私宛の特別便で送ってくるんだから、もっと物騒なものかと思ったけどそれだけとはねぇ。他には大丈夫だったの? 銃とか……。)」
「(ええ。他の細々した物は日用品を模してますから。それと、銃ってあんまり好きじゃないんですよ。)」
俺はそう言って、テーブルの上に放り出してあった手帳を捲った。そうしてその中に挟んであった栞を取り出し、それを素早く分解して組み立てた。すると細身のナイフが一本出来上がる。
「(他にもカメラだとか、キーホルダーだとか、ありますけど。)」
「(……何だか映画に出てくるスパイみたいね。)」
「(貴女に言われたくないですよ。)」
一瞬彼女は顔を顰めたが、直に言葉の意味が解ったのだろう。「(仕方がないわ、それなりに顔が売れてるのよ?)」そう言って笑い、サングラスを少しずらして俺を見た。
その涼しげで強い光を放つ視線に射抜かれて、ドキリとした。その人は予想以上に華やかで美しかった。自分で自分を「顔が売れている」と言うのも頷ける。この容姿では男は放っておかないだろうし、そして何故だろう、雰囲気が少しリリィ上官に似ていると思った。だから、大分バツが悪かった。俺がぼんやりとそんな事を考えていると、不意に彼女が手を差し出してきた。
「……。」
「(え……あ、何ですか?)」
「(何ですかって、IDよ。IDを寄越しなさい。一度入国した人が出国しないなんておかし過ぎるでしょう? 痕跡は消しておくから。)」
俺がIDを差し出すと彼女はバッグにサッとそれを入れ、テーブルの上に置かれた伝票に手を伸ばす。それを制止しようとして俺が手を伸ばすと彼女の手に指が触れた。
「(軍用貨物といい、ID記録の抹消といい……あなた、一体何者なんですか?)」
「(あら、女は少しくらいミステリアスな方が魅力的でしょう?)」
悪戯っぽく笑いながら言うと、彼女は俺の手から伝票を抜き取り去って行った。一人取り残された俺は、漠然とと彼女から手渡されたPASSを眺めていた。カードからは仄かに彼女の使用していたフレグランスの残り香が漂う。ユリの花の香…―。
塔、それ自体が国であるヴァローナには各階層によって全く違った生活基盤が築かれている。例えば俺が今居る中層階は、主に観光やビジネスの為の玄関口となっている。更にこの下の層は農業や工業と言った生産業の為の場であり、上に行けば行く程に政治や経済の中心となる。
それぞれの階層への行き来は自由だが、PASSによる規制が設けられており、PASSによって認められた者以外は、各階のゲートを抜ける事が出来ない。そして、中層の正規のルートを通らないで塔の外に出る為には、ヴァローナの国民であるか、若しくは労働従事者であるという認証PASSが必要となる。
ヴァローナの塔以外の領土は殆どが氷と雪に覆われた、極寒の地であり正直、人の住めるような場所では無いのだが、そこには山を削って作った軍事産業施設があり、今回はそこまで行かなければならない。そこで、工場労働従事者用のPASS(といってもゴースト・コードだが。)を使い塔の外に出ろ、という訳なのだろう。微妙に手が込んでいる。こんな事をやってのけるって事は、彼女は政府・軍事の関係者か、若しくは単にテロリストか。
まぁ、あまり深く考えない事とする。蛇の道は蛇、深入りすれば怪我をする。兎にも角にも、行動を起こすなら夕刻だ。それまでは暫し眠っておこう。そう思うと急激に眠気が襲ってくる。俺は手帳をしまい込み、新聞を広げると、再びうつらうつらと眠りの世界へ誘われて行った。
よろしければご意見、ご感想をお聞かせください。
今後の活動の参考とさせていただきます。
ИСТИНАサイト(イラスト・設定等)
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