2009/11/14 文量・章番号の整理を敢行いたしました。
2009/10/8 頂きましたご指摘を元に本文を修正しております。11/14再修正
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大きなガラス張りの窓の外はどこまでも澄み渡った濃紺の空が広がっていた。しかし、覗くとその眼下には分厚い雲が立ち込めていた。地上では短い夏が終わりを告げるかのように雪が降り始めているのだろう。また、長い冬の季節がやってくるのだ。
私は窓に手を軽くついて、それを眺め溜息をついた。空の青が眼に痛い。そうしてそこに反射して映る、自分の姿もまた私の気持ちを暗くさせる。世の人は私を“絶世の”と、そう形容して賛美する。しかし、私はそういう自分の、この姿が大嫌いだった。
ここ、ヴァローナの地はユグラシア大陸の中でも最北端に近い場所に位置する極寒の地だ。季節の変わり目など殆ど無く、白夜と極夜を繰り返している。今は短い夏の終わり、白夜の季節であり、その為時刻でいえば夜である今も、太陽の明かりは煌々と、ガラスを突き抜けて部屋に注ぎ込んでいた。
我々はトゥルリスと呼ばれる塔の中で生活をしている。誰が、いつ、何の為に作り上げたかは不明であったが、この巨大な塔は農業や水産業をも営む事が可能であり(塔というよりは宛らコロニーと表現した方が近いだろう)そうしてこのロストテクノロジーの粋と謳われる塔そのものが我々の国、ヴァローナ皇国であった。
ヴァローナ皇国は、皇国を名乗り、十年前に同じ大陸の殆どを支配しているアルディアナ帝国から独立を果たしたばかりだった。しかし、国際連合に加盟し独立国として認められたとはいえ、未だアルディアナ帝国からは数々の重税と、武器生産等の徴用、そして水源の共用などを強いられており、事実上はアルディアナの属国といった様であった。それでも、アルディアナから亡命してくる人の波は絶えず、人口だけでいえば、国連加盟国の中でも上位に位置していた。
国際連合とは、アルディアナ帝国の提言の下、世界に和平を齎す為に組織された連合であり、加盟国は独立を認められ、その国としての権利をアルディアナに守られる一方で、武力放棄と一定額の加盟金を納めなければならない。他にも細々とした規約は幾許もあったが、現在ユグラシア大陸に存在する殆どの小国はこの連合に参加していた。規約違反と連合議会で断定された国は、国際連合軍という名を借りたアルディアナの軍勢によって制裁が加えられる。既に武力放棄している小国だ。その末路など…。
私は木製の、大きなデスクの上から、そういった亡命してきた人々の調査書、そうしてそれらの人々に職業と住居を宛がったという報告書類を手に取り目を通した。それらの一件一件には几帳面に、こと細かな所見が赤い文字で書かれている。秘書官のミコトの物だろう。この様な些細な書類にまで一つ一つ心を砕く彼女の繊細さには頭が下がる思いだ。不意に扉の向こう側に人の気配を感じて、私は振り返った。
「セラナ様、いらっしゃいますでしょうか…―。」
か細い声が、私の名を呼ぶ。「セラナ・クロノワール」それが、私に与えられた呼称だった。「Seraph.number0.antibiological」それが、私の呼び名であり、実験施設では略称で「Serana」と呼ばれていた。他に語る名前ももはや持ち合わせていなかった為、そのままセラナとしたのだった。まぁ、アイロニーも良い所だ。クロノワールというのは、アルディアナ帝国の没貴族の名前らしい。アダムからあてがわれた戸籍で、私はこの家の末裔という扱いになっているらしかった。
「……ああ。」
答えると、遠慮がちに扉の開く音がして、一人の少女がその僅かな隙間から部屋の中を覗いた。
「あ……、セラナ様申し訳ございません。」
ミコトだ。彼女は扉の隙間からひょっこりと、部屋の様子を窺うように覗いて、細身の身体がギリギリ通れるだけ扉を開けて、部屋の中に入ってきた。
まだ幼さの残る大きな黒い瞳、エキゾチックな漆黒の緩いウェーブのかかった髪を腰まで垂らしている。流石に太陽の光はあっても今はもう夜更けの時刻とあって、彼女はフリルのついたふわりとしたネグリジェを身に纏っていた。その姿を気にして少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「まだお休みになられていらっしゃらなかったのですか?」
彼女は視線を斜めに伏せながらそう気遣いの言葉を述べる。
「ああ、仕事は尽きないものだ。」
「すみません、私が至らないばかりに……。」
そう言って申し訳なさそうに項垂れるミコが健気で意地らしく、頭を撫でた。彼女は一瞬さっと頬を赤らめてそれからますます俯いた。私は応接用のソファーを指して彼女に座るように勧めた。
「……何か、飲む物でも。」
「あ…―。セラナ様、そんな、私が……。」
「いい。」
立ち上がろうとする彼女を制して私は、部屋から続く小さな給湯室に赴いた。小さな鍋を火にかける。彼女のマグカップを手にして部屋に戻ると、彼女はソファーのクッションを抱き締めながら、恐縮そうな今にも泣きそうな表情で私を見ていた。私はカップを渡し、ガラス製の背の低いテーブルを挟んで丁度彼女の真向かいの位置に腰を掛けた。
「あら、ホットミルク。」
「砂糖は?」
「では、お一つ……。」
彼女は息を吹きかけながら恐る恐るカップに口を付け、熱かったのか眉を顰めて小さく舌を出した。個人的にはホットミルクは好きではないのだが、鎮静効果があると聞く。そういえば、昔散々夜眠る事が出来ないでいると無理やり飲まされた記憶がある。その所為かは知らないが背は伸びた。
「何か……あったのか?」
カップを一度テーブルに置いた彼女に私は問い掛けた。彼女は一瞬考えたが(恐らく問われた意味を考えて)少し迷って、それから意を決したように言った。
「セラナ様の事です。」
今度は私が言葉の意味を思索する番だった。無言で考えていると彼女は更に続ける。
「セラナ様、最近お休みになっていらっしゃらないですよね。」
「……。」
「お疲れなのではありませんか? 私が至らないばかりとは重々承知でございます。申し訳ありません、もっと業務に励みます。ですが…―。」
「ミコトの所為では……。」
「いいえ、いいえ。こうしてセラナ様がお忙しくされていますのに、私などが休めるはずがございません。」
「……。」
ミコトはイヤイヤと首を横に振りながら言って、大きな揺れる黒い瞳でまっすぐに私を射抜いた。正直、ずるいと思う。こういう言い方をすれば、私が作業を止めることを知っていて彼女は言っているのだ。純粋に体調を心配して言っているということは分かっているので、ありがたいと思うのだが。
因みに、幼さの残る彼女はその外見が示すとおり、まだ16歳という若さであった。本来はこのような年齢で国政に携わる事などありえないのだが、優秀な頭脳と抜群の記憶力を備えた彼女を私が指名して、第一秘書に就けさせたのだった。元々はアルディアナ帝国に滅ぼされた小国の、やんごとなき血筋の姫君であったらしい。その血筋を示すかのように彼女は清廉でしとやかでありながら芯の強い娘だ。
ふとミコトを見ると、未だ湯気の残るミルクと格闘していた。猫舌なのか、ちびちびと口をつけている。そして、何か不満があるのか少しむくれていた。彼女は私に対しても、特に畏まることもなくフランクに接してくる。表情も包み隠さず、くるくると目まぐるしく変わるのですぐに何を考えているのかが分かった。そういう彼女を見ていると少し穏やかな気持ちになれる。
「……ミコトのそういう所は、好きだよ。」
言うと、彼女は一瞬きょとんとして目を見開くと、次の瞬間には耳まで真っ赤にして目を逸らして俯いた。
「そっ……な……、セ…―皇王様、そのような事を軽々しく言ってはいけませんわ…―。そ、そんな事より!」
ミコトはカップを置いて居住まいを正した。
「セラナ様は抱え込みすぎです。」
「……。」
ああ、だから不満気な表情をしていたのか。そして、このような時間にここに来た目的もそれを言う為だったのだろう。正直、彼女の私に対する小言は今に始まった事では無い。私は少し居住まいを正して彼女に向き合った。
「御公務にしてもそうです。私達部下をもっと使ってくださいまし。如何にセラナ様でも、お休みになられないのは、お身体に障ります…大事な御身なのですから……。それに、お悩み事がございましたら何なりと言ってくださいまし、私ではなくても、誰でも…―近衛のアスラでも構いません。口うるさくお感じになられるかもしれませんが、ミコトは言わせていただきます。それから……アダム様の事もです。」
そこまで一気に言って、一度間を置くと真剣な表情で私の顔を見て言った。
「最近の彼の行動は目に余ります…セラナ様に対する態度もそうですし…―横暴過ぎます。」
「……アダムは…―、この国を独立まで導いた張本人だからね。」
「でも。」
「彼が居なければ、居場所はなかったのだから。」
ミコトは私の回答が不服なようで、少し口を尖らせて黙った。確かに彼女の言う事はもっともなのだが。
十年前…アルディアナの北方領土にあった〔魔素実験施設〕が事故により、一夜にして消失した…そして、視察にやってきていた当時のアルディアナ帝国軍総統が事故に巻き込まれ亡くなった…当然の如く政府当局は混乱に陥入り、その混乱に乗じてこの塔を乗っ取り国を立ち上げたのが、当時、アルディアナの政府当局にて、北方領土管轄を任されていたアダムだ。つまり、アダムは、五年前私が戴冠する以前にこの国を興した当人というわけだ。
私はその五年後、彼によって、この国に迎え入れられた。
その頃のヴァローナ皇国は、皇国を名乗ってはいたものの、皇王位は不在のままだった。というのも国連から、否、国連という名のアルディアナ帝国から独立の承認を得られていなかったからである。独立を認めさせる為、彼は私を表向きにはヴァローナの独立承認と、アルディアナとの変わらぬ親交を誓う為の親善大使としての名目で、アルディアナの貴族という肩書を背負わせて、迎え入れた訳だ。それに対して…私に対して彼の国の上層部が強く出られない事を重々承知で……。
そして私は…―、私と私を育てた彼の人は、そういった筋書きを用意した彼の計画を、約束を反故にした。裏切った。裏切って、彼の立つはずだった地位を奪った。皇王という地位を。この事を知っているのは当人と、アルディアナ帝国の上層部の一部の人間だけだろう。その、後ろめたさも手伝って…―。私は、彼には逆らえない。
勿論、彼女がこの事を知る訳もなく、不満に感じるのはまぁ分るのだ。私とて彼の事を良しとしている訳ではない。彼も私の事など、利用する為に存在させているとしか思っていないだろうし…―それも私自身では無い、彼が欲しているのは私の中にいるもう一人の……”彼女”。
溜息が零れた。結局の所、拒絶―望まれぬ存在なのだ、私自身。この国にも、この世界にも居場所などどこにも無いのだろう。縋ったその手は空を切り、次から次へと自分を知覚するほどに足元の砂は掬われて行く。切り立った塔、硝子の鉄格子、お似合いだ。窓の外は未だ明るい、白夜は総てを曝け出す。
いっそ、私を終わらせる事ができたのならば。しかし、それすら赦されない。
それでも唯一の救いがあった。私を抹消する為だけに存在している彼の人、けれどもそういえば最近姿を現していない。どこで何をしている事やら…―神出鬼没なのはいつもの事だが。
「セラナ様、セラナ様はどこまでお見えになりますか?」
私は一瞬ミコトの言っている意味が分からずに彼女を見た。彼女は私のデスクの背面にある、巨大な窓の前に立って、そこから空を眺めていた。
「ああ、いや、見ようと思えばどこまでも…。」
「では、鳥がお見えになりますでしょうか?」
「……鳥?」
「ええ。今日は年に二度の、白雁の渡りの日ですの。いつもこの時期には雲の上、この塔の脇を通って南の方に向かって行きます。だから今夜は起きておりました。」
でも生憎、双眼鏡を忘れてきてしまいましたわ。と、そう付け足すように言って彼女は悪戯っぽく舌を出す。それは明らかに言い訳であって(というのも、彼女の部屋にも窓はあるのだから、そして、そこには双眼鏡があるだろう。)この時間にここを訪ねて来た理由にはなっていなかったが、私は彼女が促すままに窓を覗いて目を凝らした。
彼女の言葉の真偽を確かめる為ではなく、ただ本当にそのような光景があるのなら見てみたい、そう思ったからだ。目を凝らすと先程よりもはっきりと、雲の渦巻く様、棚引き薄く毛羽立つ様、高低差、その水滴の一粒の動きまでもが、直接目の前で見て触れた様に、鮮やかに感じられた。何も、見えはしないではないか……そう彼女に言おうとしたその時、分厚い雲を突き破って一直線に、姿を現した物があった。
「あ…―。」
鳥? それらは一糸乱れぬV字の列をなして、雲の上を優雅に越えて行く。何処まで行くのだろう、力強い羽ばたき、翼、自由な翼、そう、翼があったなら。
「翼なら、セラナ様にもございますわ。」
ミコトが言ってそして、にっこりと微笑んだ。
「私のは…―紛い物だよ。」
言って、再び窓の外を眺めた。そっと、手を伸ばしてみる。雲が、空が、掴めそうな気がして……けれどそれはすぐに分厚い透明なガラスに阻まれて、指先がぶつかった。行き止まりなんだ、どこまで行っても行き止まり。目には見えない行き止まり。この、箱庭の中で、私はきっとこれからも無意味に刻を喰潰して行くのだろう。
もしよろしければ、ご意見ご感想等お聞かせ下さい。
今後の活動の参考とさせていただきます。
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