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緑の風が爽やかな正午、木陰に腰を下して私は昼食の代わりのゼリーを頬張った。甘酸っぱい木苺の香りが鼻を突きぬけて行く。口の中で良くそれを溶かしてから飲み込んだ。ここ数日こんな物しか食べていない。そろそろ飽きて来たけれど、これしか食べる事が出来ないのだから仕方が無い。眼の前で友人達が売店で買ったホットドッグを美味しそうに食べている。頭の中でその塩味の利いた味と萎びたキャベツの触感を想像したら口の中に唾液が広がった。
「ティナ羨ましすぎるよ、ティナぁ…―。」
「そうだよ。ティナ、いいなぁ。」
友人達は先程からその言葉ばかりを繰り返していた。私にとってはそのホットドッグが羨ましいのだけれど…―。と、それを言うのも気だるいし、エネルギーを消費するので黙っていた。
自前の水筒から紅茶を注ぎ一口啜った。たっぷり蜂蜜とミルクの入ったホットのカモミール、溜飲する度に喉が酷く痛み、思わず涙ぐんだ。
「いい? ティナがどう思おうが、キリト・ネロクロウだよ、あのキリト・ネロクロウ。『Fraulein』街角イケメンスナップの常連だよ? 我らがアイドル、キリト・ネロクロウだよ? しかもスナップ掲載コメントは常に「掲載お断りします。」ってさぁ、っかぁ~クールだねぇ、カッコいいねぇ! ねぇ?」
「そうだよ、ティナ。アカデミーのキリトさんのファンクラブ知ってるでしょう?」
彼女たちは口々に言って、そうして指に付いたマスタードとケチャップを舐めた。
キリト・ネロクロウ…―その名前を聞くだけでむかっ腹が立って仕方が無い、彼は私の上司に当たる……今の所は。私は彼の事が嫌いだ。あの人を喰ったような態度、いけ好かない性格、正直彼の事を良いという人の気持ちが判らない。それを口にして何故私が責められなくてはならないのか……理解しがたい事だ。反論してやりたいが喉が痛むので極力黙っていた。……そう、この無駄に痛む喉の怪我も彼の手によるものだった。しかしまぁその事については少し感謝をしなければならないかもしれない。
カレドリアの戦場での、あの夜の出来事を私は殆ど覚えていない。覚えているのは、巨大な月明かりに浮かぶ鋼鐵兵が、あの気味の悪い大きな赤い眼が、とたんに土煙、皆が、倒れた。ジャンが、私を庇って付き飛ばして、その身体に大きな穴が開いていて…―。咄嗟に炎で弾丸を燃やした…―燃やして、炎がジャンにまで燃え移って、それでエーベルが……駄目、これ以上は思い出したくない。思い出すだけでも怖いのだ。私は気付かれない様に拳を握り締めた。
帰還して直に議会に召喚された。あれやこれ、その時の状況を根掘り葉掘り聞かれた。けれども私は何も話さなくて済んだのだ。話せないから……喉の怪我が酷く、その時は声を全く出す事が出来なかった。代わりにキリトが全てを見ていたかのように横で語っていた。彼は冷静だった。そう、怖いくらいに冷静で漂々と「あれは防衛によるものです。」などと言っていたっけ。おかげで処分も得に無く済んだのだ、と今になっては思う。私が証言していたら間違いなく除隊処分か病院送りだっただろう。
「だって、あいつ最低だし。最低の男だよ、女誑し。」
私は掠れた声で浮かれる友人達に反論を試みた。
「何言ってんの、男は須らく女好きなのよ。変態なのよ、それが健全なんだから、もぅティナは子供だな。」
ジーナが鼻で私を笑った。
「ジーナはまたそういう事……チコはそうは思わないでしょ?」
「うん……でも……カッコいいと思うよ。」
ジーナとは違い大人しい性格のチコに同意を求めたのだが、あっさりと否定されてしまった。私は呆れかえってただ溜息を吐くことしかできなかった。何故あんな奴がこんなにも人気があるのだろう不思議でしょうがない。おまけにチコときたらほんのりと頬を染めているじゃない……!
「ふふふ~ん、チコはキリトさん好きだからねぇ。」
「ジーナ、どうしてそういう事言うの!」
「知ってるもんアタシ昔チコが図書館で本取ってもらったって嬉しそうに話してたの、アタシ知ってるもん。」
「やだやだ、言わないでよぅ、うぅ~…。」
チコは恥ずかしそうに俯いて首を横に振った、彼女の動きと同時に切りそろえた前髪が揺れる。ジーナはそんなチコを、心底面白いものを見るような眼で見ていた。その口元には意地の悪い笑みが浮かんでいる。そういう二人を見て私は再び溜息を吐いた。
彼女たちはアカデミーの同期で、同じクラスで一緒に単位を修得している気の知れた仲だった。ただ、彼女たちは私とは違い兵士としての研修ではなく、事務課の方に研修に行っており、こうして会うのは久しぶりだった。
「で、ティナはどうなのよ?」
「どうって…―さっきも言ったけど、ムカつく。冷たいし。」
「ほうほう、ということはティナはキリトさんに温かく接してもらいたいんだな?」
「そんな事言ってないっ……痛っ。」
ジーナの軽口にムキになって反論したら喉がまた痛んで、思わず首を押えて下を向いた。ジーナはそんな私の様子を見てケラケラと笑いながら「ほぅら、罰があたった。」と言った。チコは相変わらず恥ずかしそうに眼を伏せている。
私は本日三度目の溜息を吐くに至った。
昼食を終えジーナやチコは事務棟に戻って行った。私は喉の怪我の所為で、演習には参加できないでいる。キリトが休暇を取っていることも相俟って、本日の午後はフリーだった。資料室にでも行ってアカデミー提出用のレポートをまとめる……なんてそんな気分にもなれないし……私は水筒を鞄に仕舞い込み立ち上がった。
煉瓦造りの橋を渡り、金網に守られたゲートを抜けて施設を出た。暫くは塗炭板で作られた兵舎の連なる殺風景な道が続く。各寮の警備の兵士たちがだらだらと金網に凭れて煙草をふかし、私に向かって冷やかしの声を掛けた。私はその声を無視してやや大股で、早足で歩いた。イラっとするな、本当にイライラする。先程の彼女たちの会話を思い出して、より一層私は不機嫌になった。
キリト・ネロクロウ……確かに彼の顔の造りが良い事は認めよう……認めざるを得ない。深い緑の大きな眼の縁には長い睫毛、整った眉に通った鼻筋、ほどよく尖った顎のラインと女性から見ても妬ましい程の造形だ。だからといって彼女たちがちやほやと騒ぎ立てるほどだろうか。背丈だって小さいし身体つきだって何だか貧相だ、それにきっと性格を知らないからそんな事が言えるのだ、アイツの欠落した人間性だとか、女好きでどうしようもない所だとかそう言った所、それを呑み込んで尚アイツの事が良いと言えるなんて、どうかしていると思う。歯の浮くような恥ずかしい事を平気で喋り散らして、キザで誑しでその癖腹の中は真っ黒だし、だいたいにして〔魔素〕とコネクト出来ないなんて致命的だ。確かに頭も良いし、おまけに特務勤務でエリートだし、でもだから何だと思う。そんな物はオプションで、男として父と比べたら下らな過ぎて反吐が出る。
父は偉大だった。この国の英雄で、強くて精悍で誠実で、そうして私に優しくしてくれる、私はそういう父が大好きで、憧れていて、だから軍に入りたいと思った。父には最初止められたけれど、それでもその背中を追いたくて、少しでも父に近づきたくてだから無理を言って兵士になるコースを自ら選んだ。
そんな父がずっと、私が小さい頃から私に言い聞かしていた男、それがキリト・ネロクロウ……だからどんな奴なのかと思った。アカデミーでは彼の噂を良く聞いた、史上最速で博士号を取って、研究機関の期待を一身に背負いながら尚、軍に赴いた伝説じみた存在、そんな噂。
だから私は幻滅した…―あの夜、娼婦を両腕で抱きながらにやけ面で館に入っていく奴を見て本当に不潔だと思った。パパも彼を買被りすぎよ、人を見る目が無いのかしら……。なんたって私の…―。
喧騒に顔を上げる。気が付くと既に繁華街まで出てきていた。煉瓦造りの古めかしい街並み、ただこの辺りのショップは皆改装が施されており、どの建物もショーウィンドウは大きなガラス張りで店内は明るく洒落た内装だ。点在するオープンカフェでは、雑誌や新聞を手にのんびりとする人や談話を楽しむ主婦など、施設では考えられないほど緩やかな時間が流れている。
今が戦時中だという事を忘れてしまいそうだ、否、あまりに長い戦争に人々が慣れてしまっているのかもしれないし、もしくは自分たちの住んでいる所ではない場所での戦闘を他人事として捉えているのかもしれないが、どちらにせよこの辺りが浮世離れしている事には変わりないだろう。そういった意味ではまだ、風俗店が軒を連ねる裏通りの方がまだリアリティーがあるとも思える、けれどどちらにしても、腹立たしい事には変わりない。少し前まではそんな事、思った事は無かったのに…―。
それほどまでにカレドリアでの事は私の中で鮮烈だった。雑踏にフラッシュバックする銃声、絶声…―。誰もが自分自身の事で必死で、紅を吸った砂の大地が翌日にはもう乾いていて、私の記憶も感情もそうやって風化されて行くのか……と思った。ドライでないと、生きて行けない…―人としてそれが道を踏み外しているとしても…―?そんな中で、あの男は、キリトは柄にも無く私を助けてくれた……多分、父の為だろう。父は彼の師に当たるから、だから私はそれに付随する物でしか無いだろう。あるいは気紛れだったのかもしれない。そう思えば、少し彼を見直しても良いような気もするけれど今更そんな事を言ったって、父が何と言ったって、私と彼との間の溝が埋まる訳でもない。我ながら矛盾していると思うが。
ふと、一軒のアパレルショップの前で足をとめた。シンプルで可愛らしい服が飾られているショーウィンドウ、アカデミーの女子達には高くてとても手が出せないけれど憧れのブランドなのだ、というのを聞いた事がある。ガラス張りのショーウィンドウからは店内がトルソー越しに一望できる。その奥に、見慣れた姿があった。ああ、嫌だな。一番見たくない人を見かけてしまった。その容姿は紛れもなくキリト・ネロクロウその人で、その傍らには後姿の女性が一人。背の中程まで伸ばした黒髪、この店の物であろう柔らかそうな生地で出来た、裾のふわりと広がった白いワンピースから細い足が覗いている。彼女はキリトが差し出すローヒールの靴を履いて、姿見の前に立った。ああ、あの誑しの被害者なんだろうな、そう思うと彼女の事が少し可哀想に思えてくる。
キリトは控えている店員にカードを差し出して何やら会話を交わしていた。貢がれる専門だと思っていたけれど貢ぐこともあるのね。そう思って興味深くその様子を眺めていた。キリトは再び女性の方を向いて見つめていた。表情はどことなく柔らかで、普段ならば絶対にしないような目尻を下げた笑い方をしている。キリトが手を差し伸べる、その手を取って女性が振り返った、その容姿を見て息を呑む。
真っ白な透き通るような肌、華奢な身体は折れてしまいそうなほど儚げで整い過ぎた容姿、背はキリトよりも高く手足が羨ましいほど長い。二人並んでいると絵本か何かの挿絵の様でまるで現実感が無い……人間ある程度容姿が整うと同じような所に行き着くのだろうか、何となく二人は似ているなと思った。彼女が歩くとその後をキリトが視線で追っていた、どこかぼんやりしたような印象で彼らしくない。私の中で、どこか空虚な感情が満ちて来る。その出所は不明だったけれど、耐えがたくなって私は早足でその場から離れた。
特に用も無いのに、斜め前の雑貨屋に入った。陳列棚にはカラフルな商品が整然と並んでいる。凝った意匠の置物や文房具、アカデミーの制服を着た少女達が「可愛い」と口々に言って小さな縫い包みを選んでいた。少し前までは私も友達とああやって買い物をしたりクレープを買い食いしたりしたっけ、そう思うと微笑ましく見えた。私の傍らでは蛙を象ったペーパーウェイトが小憎たらしく笑っていた。
よろしければご意見ご感想をお聞かせ下さい。筆者が魔女ベアトリーチェ金色の蝶と共に現れ、7人の使い魔を従えて、「会いたかったー会いたかった―会いたかったーYES!!!」と48人-40人で大熱唱します。
ИСТИНАサイト(イラスト・設定等)
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