アルバム
前半新郎視点、後半新婦視点となっています
日常生活ではあり得ないほど大きく映し出された己の顔に、どういう反応をとればいいのかわからなくて、思わず隣を伺う。
そこにはうっすらと涙を浮かべて、次々と映し出されていく自分たちの写真を見上げるウェディングドレス姿の彼女がいた。
調子の良い司会の言葉を耳にしながら、いつのまにか俺自身もアルバムを見て懐かしむような気分にひたる。
写真の中で屈託なく笑う子供のときの彼女と、隣で神妙な顔をして座っている彼女。
あの時はまさか、こんな風になるだなんて思いもしていなかった。
だからこそ、懐かしさだけじゃない奇妙な何か、の思いがわきあがる。
思えば、彼女との付き合いは、記憶がないころまでさかのぼらなくてはいけない。
共働きでフルタイム勤務の母と、公務員だけれども比較的忙しい父との間に生まれた俺は、母親の産休があけるころには、保育園に預けられていた、らしい。そんな頃の記憶があるはずもなく、それはやはり、今映し出された写真で知る記憶となるのだけれど。
もちろん「僕、せんせーと結婚する」と言って、母親をがっかりさせたことなど覚えているはずもない。それを散々からかわれた記憶だけはある俺は、保育園児の自分をみて、微妙な表情をしているかもしれない。
その保母さんのことはきれいさっぱり覚えていないけれど、彼女、のことだけはどこかぼんやりと覚えているのは、運命だと大層なことを言ってしまってもいい、と個人的には思っている。
口には、ださないけれど。
その彼女には、彼女の母親が入退院を繰り返すほど病弱で、仕方なく保育園へと預けられていた、という背景がある。
共働きの働く母ばかりの保護者の中において、彼女の母親は異質であり、また、あらゆる行事に参加できなかったせいで、まったく交流というものは生まれなかったそうだ。だからお袋は、俺と彼女がこの頃からの知り合いだ、ということを知らなかった。執着していたせんせーの次に、「僕、○○ちゃんが好き」と言っていた女の子の中に彼女の名前があったことも知らない、はずだ。
いや、自分も今思い出したから知っているはずがない、と思いながら、子供の頃垂れ流していた様々な妄言が脳裏に浮かぶ。
こんなことばれたら、一生尻に敷かれたままだ。
それが嫌ではないのが、微妙な気分だけど。
内心のちょっとした焦りなどかまわず、映し出される俺たちも成長し、小学生となっている。
お受験などせず、地元の公立小学校へと通った俺と彼女は、当然のことに同じ小学校に通っていた。
この頃のことになれば、恥ずかしい思いも行動も記憶にあったりして、そういうものこそきれいさっぱり消えてくれればいいのに、とじたばたする。
一番鮮明に覚えている彼女の記憶は、掃除当番をさぼってふざけていた俺を注意する学級委員の女、の後ろでおろおろしながら立っていた、という印象深いのだか浅いのだか良くわからないものだ。注意した学級委員の顔も名前も覚えていないくせに、彼女のことだけはしっかりと覚えていたのだから笑えない。思えばこの頃から好きだったのかも、と、恥ずかしさのあまり顔を背けそうになる。
ただ、言い訳をさせてもらえれば、彼女はおとなしいけれどもとてもかわいらしく、クラス内でも彼女のことをいい、と言い出していた人間は多数いて、それに乗っけられただけだ、と、いえない事もない、かもしれない。いや、言い訳だけれども。
どちらが先に好きになったで勝った負けたがあるわけではない、のだから、と、言い聞かせるようにしてなんとかスライドに焦点をあてる。
中学生ぐらいの俺、と彼女。
よく話す異性同士、という立場から抜け出せない中途半端な期間が続く。もてる男連中からは相手にされず、まったくもてない連中からは、敵視される、というわけのわからない時期でもあった。まあ、敵視してきた連中からしてみれば、たいした顔面でもないくせに、かわいい子と話ができる人間、という俺が気に入らなかったのかもしれないが。
あちこちふらふらした思考をよそに、写真の俺はどんどん今の年齢に近づいていく。
真っ白なドレスに、真っ白な手袋。
見慣れない彼女は、それでもやっぱり綺麗で、その隣にいるのが自分である、ということが誇らしいと素直に思える。
高校生の彼女が友達と一緒に笑っている写真が映し出される。
とあるテーブルから声があがり、そこが彼女の高校時代の友人が集まる席なのだと、ぼんやりと思う。
がちがちに緊張していた頭は、すでに昔と今をいったりきたりしながら、リラックスできるほどにはほぐれている。その分余計な事を思い出しながら、せめてまじめな顔を取り繕おうと表情筋が活躍中だ。
司会者の、「新郎が新婦に交際を申し込み」の一言で、少々のざわめきがおこり、ついで二人で写っている写真が映し出される。
一気にあの頃に戻されたようで、式の最中に味わったものとは違う緊張感が体に走る。
隣の彼女はあくまで懐かしさいっぱいの笑顔で、時折こちらを向いては、言葉なしに視線を交わす。
好きで好きでどうしようもなくて、焦がれるほど恋した、というわけじゃない。
彼女は、いつのまにか俺のそば近くにいて、あまりにもすんなり溶け込んで、その存在の価値をわからなくなったときもある。
そこまで思い出したとき、彼女の唇がわからないほどわずかに引き締められた。
見上げると、サークル活動の写真が映し出されていた。
そこにいるのは、間に数人の人を挟んだ、俺と彼女。
彼女は、あの時のことを決して忘れていない。
当たり前の事実が突き刺さる。
招待客は興味がある人もない人も、それなりに穏やかな顔をしてアルバムを見つめる。
大学時代の共通の友人が集まるテーブルに視線を合わせる。
彼らは、今の写真が彼らの知る時期であるせいなのか、他のテーブルの人よりも熱心に見入り、話し込んでいる。
その中の、誰も知らない。
俺が、写真の真ん中に立っている、華やかな先輩に恋をして、彼女との関係を壊してしまったことに。
隣を見ることができなくて、それでも笑顔を保つ。
思えば、あれは麻疹のようなものだった。
年より幼く見える彼女とのつきあいは、穏やかで、穏やか過ぎた。刺激を求めた俺は、あっさりと先輩の魅力に落ちていった。
彼女とは正反対な、容姿に性格。
落ちた瞬間は熱く、あっという間に夢中になった。
だけど、その快楽はすぐさま痛みに変わる。
さんざんわがままに振り回され、性格まで変わってしまった俺は、生活態度も悪くなり、友人とも疎遠となっていった。だが、どうにかその縁を切れないように保ってくれていたのは彼女であり、疲れ果てた俺が彼女の元へと戻っていったのは必然のようなものだったと、今では思う。
こんな俺をどうして許してくれたのか、どうして迎えてくれたのかは今でもわからない。
ただ、それからの俺は、ただ彼女の手を離さないように必死で、彼女もそんな俺の手を離さないでいてくれた、という事実があるだけだ。
今ではすっかり彼女の手のひらで踊っている。
それが俺の幸せだと、情けないだのみっともないだのいう親にも悪友にものろけてみせる。
わずかな後悔の気持ちを残して、写真の二人は、社会人となっていた。
ここから先は、今に直結する毎日で、お互いの親への挨拶、会食、披露宴の準備、など、忙しい思い出しかない。
いつのまにか、早すぎる結婚だとただ一人難色を示したおふくろですら、うっすらと目に涙をためていた。
彼女の母は、いない。
父親だけが小さな遺影を抱き、男泣きに泣いている姿を目にし、もらい泣きしそうになる。隣の彼女と目が合い、笑いかける。
それにあわせて、彼女が涙目で微笑む。
感傷的な音楽と共に、アルバムが閉じられる。
再び披露宴真っ最中、という現実に戻され、淡々と進めていく司会に合わせて笑ったり拍手したり。
今ここに、いるのが俺でよかったと、隣にいるのが彼女でよかったと、本気で思った。
きっちりとアップにされた髪に、小さなティアラ。
日常生活ではあり得ない服装で、緊張感と共に次々と映し出されていく写真を見上げる。
いつの間にか披露宴の定番となったスライドショーを感動しながら見る新婦、という構図を作り上げなくてはいけない。
どちらかという感動の薄い私は、それでも周りの雰囲気、いや、隣で勝手に盛り上がっている彼のオーラにあてられながら自然な涙目となっていく。
まったく記憶にないはずの子供時代の写真をみたところでうれしくも楽しくもない、と思う私の方が少数派なのか、父などはすでに泣いているし、祖父母などは言うまでもない。
どうしてこんな家に私が生まれたのか、というのが第一の不思議で、第二の不思議はやたらめったら情緒的な彼が私の夫になる、ということだ。
彼は、私のことを控えめで優しい彼女だと思っているのかもしれない。
一面ではそれは正解であり、また別の面ではまったくの不正解である、と言わざるを得ない。
彼にはそういう部分しか見せてない、わけではなく、彼はまったく気がつかないだけなのだ。女の友人全てがわかっている私というものを。
おもしろくもない保育園時代の写真を見ながら、そんなことを考える。
後で知ったことだけど、私と彼は同じ保育園出身らしい。
良く考えれば、同じ地域に住む保育園児、となれば、同じところに通っている可能性が高いわけで、それがどうした、と言いたい。
だけれども、何がしかの運命、みたいなものをありがたかっている彼に、そんなことをストレートに言えるわけもない。
写真は徐々に記憶のある小学生時代から中学生時代に流れ、ここでも正直彼のことはうっすらとしか記憶にない。確かによくよく思い出せば話した記憶がある、程度のことで、しかしながらそれを口にすれば愕然とする男を前にして、とてもではないけれども口にはできないでいる。
運命、だとか、劇的、だとかいう枕詞は、二人の間には不似合いだと思っているのだけれど。
ようやく、交際を申し込まれたあたりで、彼のことは彼自身として記憶が確立され、徐々にその内面を知ることとなる。
どうしてその申し出を受けたのか、は、まったくもってよくわからない理由だけれど、一緒にいて楽そうだから、という少女にはあるまじき夢のないものだったと記憶している。
もちろん、その言葉に嘘はなく、今でも彼といるのは家族といるよりもくつろげるし、とても楽だ。
その点では、当時の私の見る目の確かさは褒めてやってもいい。
隣の彼は、色々思い出しているのか、目がきょろきょろとして落ち着きがない。
時々なにか怪しいことを思い出したのか、座ったままで挙動不審な雰囲気をかもし出せるのは、嘘がつけない証拠だ。
親族席を見れば、父も祖父母も涙にくれ、私が荷馬車に乗って売られていくかのようなありさまだ。
同じ町内で一人暮らし、から同じ町内で二人暮し、に変わるだけだというのに。
おまけに苗字までそのままなのだから、大多数の結婚よりもは変化に乏しいと思うのだけれど、花嫁の父というのはこういうのがスタンダードなのだろうか。
その分、彼の母親の険はとれない。
大事に育てた長男様がまさしく嫁に取られる、とばかりに、控えめに、察してオーラで難色を示し続けてくれた。それにまったく気がつかない彼と、気がつかないふりをした私は、まあ大目に見てうまくやっていると思う。
これから先はわからないけれど。
ようやく、大学受験の頃の私と、彼が映し出される。
示し合わせたわけではないけれど、同じ大学を受験した私と彼は、ものすごく長い間同級生でもあった。そのことを知った彼の母は、能面のような顔で悔しさを表現し、おそらく、自慢であった彼の学歴すら、後悔しているのだろう。
こんな女につけいられるぐらいなら、別の大学へやったのに、と。
そうなったらそうなったで、私ではない誰か、と結婚するのだろうけれど、まあ、母親というのはそういうものなのかもしれない。こういう方面にやたらと冷めている、というよりもは達観している、と周囲に言われるのは、病のせいで父の実家から敵視されていた実母をみていたせいだろう。あんなものを見せ付けられれば、どれほど純粋だろうが阿呆だろうが、多少は現実を知るというものだ。なので、今の状況を悲観しているわけではない。
きっと、もう少しすれば、いや、数年すればあきらめて落ち着いてくれるだろう、と、私らしくもなく楽観しているのは、隣に座る彼のおかげかもしれない。
その間に鈍い彼をうまく操らなければならない、ということだけが今のまさに不安材料だが。
大学のサークル写真が写され、彼があからさまにこちらを伺っていることがわかる。
私が思い出したことを、彼も思い出したのだろう。
だけど、私が辛い記憶として思い出したのは、真ん中に写っている先輩のことなんかじゃない。
彼はきっと、あの頃のことを、私を傷つけたと思い、後悔しているだろう。
彼はそういう人だ。
やさしくて、少し流されやすい。
いいところであり悪いところでもある。あの時はその流されやすい性格のせいで、彼は先輩にどっぷりとつかっていった。
それを控えめに待ちながら、傷ついた彼を迎え入れたやさしい彼女。
それが、彼と、彼に近しい友人たちの見解だろう。
私と、私の親友たちの思いはまったく違うところにあるのだけれど。
私が今、苦しいのは、あのせいじゃない。
泣きながら遺影をひざの上に載せているだろう父を見る。
あの時、私の母親が死んだ。
病弱で、入院しているか家で眠ってばかりいた彼女は、あのときようやく、痛みのないだろう世界へと行くことができた。
悲しい、なんて言葉では表現はできない。
今も、痛む。
その痛みは徐々に穏やかになっていき、きりつけるような痛みから、どこかでじんわりと広がる鈍い痛みへと変わってはいるけれども、それを忘れることはない。
彼が、どういう思いで先輩とああなったかは知らない。
私は、あの時、それにかまうほどの余裕はなかったのだから。
だけど、このことは、一生彼に言うつもりはない。
確かにあの時傷ついた私はいて、傷つけたと思っている彼がいたのだから。
鈍い痛みを押さえ込むようにして笑う。
やたらと感傷的な音楽が終わり、司会の言葉と共に披露宴は進む。
終わりじゃない、始まりなのだ、と、結婚の先輩方から言われた言葉をかみ締める。
披露宴は終了し、二人そろって招待客と挨拶を交わしながら見送りをする。
私の隣に立つのが、彼でよかった。
彼の隣に立っているのが、私でよかった。
今も、これから先も、そのことだけは確かだから。
私は、私で幸せになると誓う。
それが彼の幸せにもつながればいいと思いながら。