すっかり暗くなってしまった外を見て、僕は生徒たちのテストの答案チェックを休む。
部活動に明け暮れる生徒たちの声も聞こえなくなった事に気づかなかった。
僕がいる教室には、ペンの走る音が止むだけでシンとした静けさが漂う。
じっと同じ作業をしていたせいかワキにじっとり汗をかいてしまった。季節は徐々に、夏が近づこうとしていた。
背伸びをしたとき、足音が聞こえてきた。足音は近づき、その主はこの教室へとやってきた。
「あ、先生まだ居たんだ?」
「ん、君らの答案チェックをやっててね。君は?」
クラスで一番可愛いと評判の女子生徒は、ニッコリと僕に微笑んだ。
確かに可愛い。僕がまだ学生なら一度は告白していただろうか、なんて。冴えない僕なら確実に玉砕だ。
「秘密。そんなことよりこんなところで暗い中一人でいると、お化けが出ちゃうよ〜」
「お化け?」
「知らないの先生、この学校の生徒だったんでしょ? 学校の七不思議のひとつだよ。
この学校に深夜、髪の長いこわ〜いお化けが出るっていうやつ。夏だから出ちゃうかもね〜」
お化けがするような手を前に垂らすポーズ付きで迫るが、可愛さで恐怖感はない。
「そうなのか? 注意しないとな」
「注意できるもんじゃないよー先生。じゃあバイバイ!」
「気をつけて帰れよ」
元気に走り去っていく女子生徒を見ながら、僕は思わず笑ってしまった。
「はははっ、ずいぶん話題になってるじゃないか」
『怖くなんかないわよ、何も悪さはしていないし』
すぅっと、背筋に冷気を吹きかけられたような美しい声が返ってきた。
窓も開けていないのに半透明のカーテンが揺れる。その隙間から陽炎のように彼女は現れた。
僕の幼馴染で恋人だった、今では学校の七不思議になった彼女が。
さっきの生徒が言っていたことは少し違っている。この学校に出るんじゃなくて、僕がいる学校だから出るんだ。
「スゴイね、生前も学校一の美女って話題だったけど、死後も話題になるなんて」
『あまりいい気はしないわよ? にしても、さっきの子可愛かったわね。まぁ私ほどじゃないけど』
「おいおい、何もしないでくれよ?」
『どうしよっかな〜。私のこと、愛してる?』
彼女は生前と変わらぬ心奪われる笑みを浮かべ、僕に近寄ってきた。
「愛してるよ。当たり前だろ?」
『ふふっ、嬉しい』
あどけない少女の笑みを浮かべ、彼女は頬を赤らめた。
彼女の時間は止まったまま。僕は、いつの間にか彼女よりも十歳も歳をとってしまった。いつかそれは倍になり、三倍になる。
そうして、僕もいつか死ぬ。
「なぁ、なんで君は自殺したんだ?」
何度も訊いた質問。今なら答えが教えてくれる気がした。
『秘密』
残念、答えは彼女の胸の中。女性は秘密好きだ。
彼女は僕が好きだった。僕も彼女が好きだった。それだけが世界の全てだった時期もあったんだ。
学校一の美女と付き合っている。幼馴染じゃなかったら、僕なんかが選ばれるわけがなかった。
でも、僕は違う女の子に心惹かれた。クラスではなんも目立たない、普通の子だった。僕と同じような子だった。
それを彼女に伝えた覚えはない。でも、その時期に彼女は自殺した。顔は傷つけず手首を切り裂く方法で。
「なぁ、どれくらい僕の事好き?」
彼女は、透き通った胸に手をかざし、僕へと恋する乙女の視線を向けた。
『この魂全てを懸けられるくらいよ』
言葉の強さに僕はドキッとした。どんな意味で、僕の胸は跳ねたんだろう。
推測でしかない。彼女は僕が離れていくことを止めるために、自殺したっていう推測。
究極の自惚れになるんだろうか。彼女にとって僕がどれだけ全てだったのか計り知れない。
僕の彼女への気持ちは、果たして彼女が生きていたら今とまったく同じ気持ちでいられたんだろうか。
自殺したからこそ、彼女が一番美しい時期でい続けることが出来るからこそ、こうやって死んでなお僕を愛するからこそ、
僕は今でも彼女を愛せる。
「なぁ僕が誰かと結婚するって言ったら、どうする?」
彼女へと視線を投げかける。しかし彼女は目の前から姿を消した。
その時、背筋が凍るような感覚に襲われた。振り向けないが、彼女が後ろにいる。絹のような漆黒の髪が降りかかる。
『秘密』
耳元で囁いた言葉が、凍結して頭から離れなくなった。それだけで、彼女の意思が分かった。
彼女は僕から離れない。僕も、彼女からは離れられない。
これだけ人を愛せる人を、僕は彼女以外知らない。いつかこの愛に応える日が来るのだろうか。
それとも、彼女が痺れをきらすのか。
「今年も、夏祭り行こうかぁ」
『うん、今年も、来年も……ずっとね』
背後から、僕に触れられない手が僕を抱きしめた。その手に、僕もまた触れられないのに手を重ねた。
暑くなっていくこの時期に、彼女はひんやりと僕を涼めてくれた。
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