鏡の国戦記〜EPISODE SHAMAI・3〜『モンスーン』(1/9)縦書き表示RDF


鏡の国戦記〜EPISODE SHAMAI・3〜『モンスーン』
作:亜玲



第1話


‡第一話‡



ミラ皇国の東――ヴァナーシャを渡り、台地に築かれた皇都を通り、深い森と高い山を越えたところに、その国はある。


山岳と大河の恩寵あつき国・エルナン――

大デルタ地帯では豊富な食料が生産され、歴代の大王たちの善政により、小国ながらもその国力はミラに匹敵すると言われるこの国は、かつては世界1の桃源郷と嘔われたと言う……



「トンナム様、陛下がお呼びです」

自室の窓から、国土を南北に貫く大河・メンコン川を見下ろし、物思いに耽っていたトンナムの耳に、じいやの声が届いた。


「あぁ、今いく」


聡いじいやに心中の憂鬱を悟られぬよう明るく発した声は、いささかわざとらしかったかもしれない。



トンナム――本名ビオ・トンナムは、父王ラプオ5世が嫌いだった。



エルナン史上でも屈指の実力と讃えられる父。精悍な面立ちと筋骨隆々としたたくましい体は、まだ三十代という若さですでに王者の風格にあふれ、その卓越した知性は国民の生活を豊かにした。


だが、その目は決して、一人息子に向くことがない。


トンナムの母は、トンナムを産んですぐに亡くなったそうだ。それ以来、たった一人の家族となった父。


国政におわれ忙しいから、と周りの者は言う。


だがトンナムにはわかっていた。


父は確かに自分を嫌っている。


父にしてみれば、後妻もめとらぬ程愛していた妃の命を自分に奪われたようなものなのだ。しかたないのかもしれない……だが、何かそれ以上のモノがある気がする……



「よ! トンナム♪」


暗澹とするトンナムと対照的な能天気な声が、王宮の廊下に響いた。


「チャプラ!」


声の主――どこかやる気なさげな表情をした青年は、一国の王子であるトンナムの数少ない友であり、専属の護衛であるチャプラ・オーヤだ。


この三十路手前の戦士は、若干10歳で近衛軍に入隊し、その類い稀な実力を認められて王子だった頃の父の護衛も務めていたツワモノである。



「うかない顔してどーしたよ……あ、当ててやろうか? トンマニュに呼ばれたんだろ?」


「当たり。ったくやってらんねーよなぁ……」


父の事を名前で呼ぶのも、チャプラの特権である。


「まあまあ、そーゆーなって! 俺も一緒に行ってやるからさ!」


「まじでか? 助かるぜ!」


少し元気を取り戻したトンナムは、チャプラとともに早足で父のもとへ向かった。





――謁見の間。


「来たか、トンナム」


重厚な扉を押し開けると、さっそく父の抑揚にかけるバリトンが出迎えた。その顔には冷たい空気が貼りついている。


「父上、俺に用事ってなんですか?」


トンナムもまた、父に負けず劣らず冷たい声で尋ねる。さっさとここから立ち去りたくて、無意識のうちに早口になってしまう。


国王に対するにはぶっきらぼうな息子の口調を気にするでもなく、王は淡々と話はじめた。


「今我が国がミラ皇国と戦っているのはお前も知っているな」


「はい、もちろん」



最近こそ大きな戦いはないが、依然両国の間では緊張状態が続いていた。



「数日のうちに、エルナン軍はミラ皇国皇都に奇襲をかける。そこでだ。お前に隊を一つ任せようと思う」


「えぇっ?!」



トンナムは思わず大声を出してしまった。父の信頼など得ていようはずもない自分を、そんな大事な戦いに赴かせてくれるなんて……


「まじですか父上?! どの部隊です? 皇都への突撃隊の一つですか?! 俺、俺、必ずやご期待に答えて見せます!」


初めて父に認められた……我知らず興奮するトンナムに、しかし、王は冷ややかな視線とともに言い放った。


「いい気になるなよ、トンナム。誰がそんな部隊を任せると言った。お前に任せるのは、国境で後方支援を担当する部隊だ。要領の悪いお前の初陣にはもったいないくらいだ」


「なっ……!!」


高揚していた心に、亀裂が入る。


「おいトンマニュ! 言いすぎだぜ?!」


先程から傍らで控えていたチャプラが、耐えかねたように叫んだ。



「いくらお前の訴えでも、聞き入れるわけにはいかん。……なんだトンナム、その目は」



(畜生……!!)



トンナムはありったけの憎しみをこめて父を睨み付けた。


「これは王の命令だぞ」


「……けっ……少しでも期待した俺が馬鹿だったよ!! どうせあんたは俺のことなんかどうだっていいんだもんな!! 畜生っ!!!」


「トンナム!!」



父の呼び掛けを黙殺して、トンナムは謁見の間を飛び出した。


……その時もう少しだけトンナムが冷静でいられたなら、彼は気付いたことだろう……父の目に走った痛ましげな光に……。


[続く]












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