結婚の約束までしていた女に部屋を追い出されてしまったオレは、ふらふらしていたところを佐々木陽一に拾われた。
「行くとこないんだったら、うち、来る?」
陽一は名乗ったそのすぐあと、オレを頭のてっぺんからつま先まで眺めたあと、そう言った。
なにもかもどうでもよさそうな陽一の顔を見て、ああ楽でいいかもしれない、という気になった。
実はオレが女に部屋を追い出されたのは、男癖の悪さが原因だった。
オレはバイなのだ。
女も捨てがたかったが、やはり男も捨てがたく、こっそり連れ込んでるのがバレて叩き出された。
そういうわけで今はどこにも行くところがない。
だったら、深くものごとを考えなさそうな、そういう適当なとこに転がり込んで、こっそりやるのが一番いい。そう思った。
それになにより、陽一は意外とオレ好みの顔をしている。
女っぽい、というほどには弱々しくなく、けれども男くさいというわけでもない。女子高生なんかにきゃーきゃー騒がれそうな甘い顔立ちってのが、実はオレのストライクゾーンなのだ。
まあ、そういうわけで、オレは陽一と部屋をシェアする(と、いうか、居候する)ことになった。
拾われたからには、オレは飼い犬であっちが飼い主、というような関係になるのかと思いきや、どういうわけか欠陥だらけでオレの方が手間をかけられっぱなしだったりする。園児よりも犬の方が賢い子供向けアニメを思い出したりして、オレは「わたあめ!」とか叫んで丸まってやりたい気分になった。
それというのも、陽一にはヘンな癖があるのだった。
陽一は狭い所をこよなく愛する男なのだ。狭い所であればあるほどいいらしい。
今日、陽一がこもる場所として選んだのは、クローゼットの中だった。出かけようと思ってクローゼットを開けたら、中で陽一が体育すわりをして虚ろな目をしていたりしたから、オレはホラームービーのヒロインみたいに悲鳴を上げてしまった。
自分で自分の悲鳴にびっくりして尻もちをついて、深呼吸しながらクローゼットを見つめたが、陽一はオレの方を見もしない。
拾っておいてなんだよそれは、と腹が立ってくる。
オレは立ち上がって、陽一の肩をつかんだ。陽一はオレの手を払いのける。返事もせずに、虚ろな視線はそのままに。
「……なんなんだよ」
出かける予定は取りやめだ。一度や二度なら我慢もできるが、こうちょくちょくとなったら黙っていられない。
オレはその場に座り込んで、腕組みをして陽一を見つめた。
「お前な。飼い主は犬に対して責任があるってのを知らんのか」
無駄なことを言ってみる。オレは犬じゃないし、だから陽一がオレに責任を持つ必要などなにもない。
「いいか、わかってるのか、お前がずーっとそうしてたら、オレは生きてらんないんだぞ。オレの命握ってるんだぞわかってるのか」
自分でもなにを言ってるのだかよくわからない。脅し文句にもなりやしない。
なにしろオレは今年で二十二歳になる。庇護を必要とする子供ではない。たかだかふたつ三つしか違わないであろう相手に庇護されなかったら死ぬというほど、ヤワな人間でなんかない。
ただ、オレは非常にムカついていた。
弟のことを思い出したのだ。
弟はオレと違ってとんでもなく飽きっぽい。
金魚やハムスターを飼いたいと騒ぐくせに、いつも途中で飽きて放り出した。オレが気づけばよかったが、気づかなかったらどれも全部すぐに死んだ。
あるとき、弟はこっそり犬を拾ってきた。
そうして、物置で飼いはじめたものの、すぐに犬のことは忘れてしまった。
気づいたときには当然手遅れだった。
痩せこけた犬の死骸を見つけたのはオレだ。蛆がわいたそれを埋めてやり、木切れで墓標を作ってやった。そうしてオレは弟をなじった。泣きながら怒った。
それに弟は、「死んだんだったらまた新しいのを買えばいいのに」と答えたのだった。
弟は幼かった。まだ、あの頃、十にもなっていなかったと思う。
でもオレには許せなかった。オレは十五にもなっていたのに、弟を殴りつけ、蹴り倒し、重症を負わせた。
以来、オレは隔離され、高校進学と同時に家を追い出された。大人たちにとって正常なのは弟で、たかが犬くらいのことで弟に大怪我をさせる兄は異常だったのだ。
陽一は、そんな弟を思わせた。オレを拾っておいて、そのままにしておく。それが許せない。
思い出すと鼻がつんとした。犬の死骸を埋めたときの、あの、毛皮におおわれたやわらかすぎる肉の感触がよみがえってきた。
そうしたら、もう止められなかった。
ハンカチを出す間もなかった。あふれた涙はズボンに落ちてしみを作った。
オレは目をしぱしぱさせながら、涙で歪んだ陽一を見つめた。
のろのろと視線をさまよわせていた陽一は、ふと、オレに目を留めると冬眠後の熊みたいにのっそりクローゼットから出てきた。
膝立ちにオレの前に座って、オレの頬に手を添える。
「……なんだよ」
「泣いてる」
「泣いてるよ。悪いかよ」
オレがヤケになって叫ぶと、陽一はゆっくり首を振った。
「俺がいないのが、そんなに悲しいのか?」
おまえはここにいるじゃないか。
そう言おうとして、オレは言葉を飲み込んだ。
気づけば止まっていた涙を拭って、陽一を見つめる。
陽一の緑がかった黒瞳は、ただオレだけに向けられている。探られているような気分になって、オレはわずかに目をそらした。
「悲しいよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「……そうか」
陽一は立ち上がった。台所に足を向けつつ、
「なに食いたい?」
と言った。
「犬まんま」
「アホ。かつ丼でいいな」
オレが茶目っ気を発揮して言ったセリフは陽一には通じないみたいだった。
でもまあ、こいつとはうまくやってけるかもしれない。そんな気がした。
まあいいか、とオレはソファに横になった。でっかい犬はソファで昼寝するもんなのだ。
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