第50話:とある一日【後編】
「ここは?」
「ん? ああ、ここはですねぇ……」
昼食を終えた侑人達一行は食後の休憩をそこそこの時間で切り上げ、目前に迫るクーラント魔国の国境線へと向かって馬車を走らせている。
午前の間は侑人が御者を勤めていたのだが、今はその役目をガイウスに譲っている。今のところ特に大きな問題も無く、一行は順調に旅の道程を進めていた。
午前の間、御者席に座る侑人の横でゆっくりと流れる景色を眺めていたリズは、午後になっても定位置になりつつある侑人の隣に座りこみ、グランツ帝国で侑人から買い与えて貰ったマグナマテルの歴史書を真剣な顔で読んでいる。
侑人はリズの旅の暇つぶしになるような物を買うつもりだったのだが、リズが興味を示したのはこの歴史書だけであった。学者が使うような専門書という訳ではないのだが、分厚い歴史書はそれなりに記述が難解である。まだ子供のリズにとっては理解し難いとは思えたのだが、それなりにリズも楽しんでいるようだ。
「うーむ……」
「アンナは何を唸っているの?」
侑人の横に座り、難しい単語や理解しがたい部分をあれこれと質問するリズの姿は、ここ最近の定番の姿であり、マリアやアンナにとっても見慣れたものになってはいたのだが、今日は何かが少し違っている。
その事にうっすらと気が付いたアンナは、暫く唸りながら二人の姿を見つめていたのだが、やがて確認する意味を込めてマリアに向かって小声で話し掛ける。
「今日のあやつらの姿を見て、マリアは何か感じないか? わらわの気のせいかの?」
「そうだねぇ……。仲が良さそうで良いんじゃないかな?」
マリアは満面の笑みを浮かべて二人を見つめながらそう返事をする。その姿はまるで娘の成長を喜んでいる母親のようである。
マリアの返答を聞いたアンナはやれやれといった表情を浮かべながら首を横に振り、少し面倒くさそうな素振りを見せつつ再度マリアに向かって問い掛けた。
「そうでは無くて……。昨日までの二人の姿と比べると何かが変わったような気がするのじゃ。何が変わったのかまでははっきり判らんのだが」
「うーん。多分二人の……、特にリズに対するユートの距離感? が、近くなったんじゃないかなぁ」
マリアの指摘は正しい。侑人自身が特に意識している訳ではないが、今朝のリズの一言が侑人の内面と行動を少しだけ変化させていた。
侑人は未婚であり子供を育てた経験はもちろん無い。その事を自覚している侑人は、リズの成長に対して責任を負う事をかなり意識し、今朝まではリズに対して必要以上に気を使って接していたのだ。
今の侑人の状態は、リズの模範になれるように気を張って接していたのを辞め、普段の自然の姿に戻っている。とはいえ元々生真面目な性格をしている侑人のぱっと見の変化はかなり少ない。
侑人と長い時間を共に過ごし、日常の細やかな変化を感じる事が出来る女性だからこそ気が付いた――マリアやアンナだからこそ気が付けた変化とも言える。
「そう言われればそうじゃな。何かあったのかの?」
「そこまでは判らないよ」
マリアは相も変わらずニコニコした表情のままで二人を見つめている。二人の仲睦まじい姿を見ることが本当に嬉しいと言わんばかりの様子である。
そんなマリアの姿をアンナは少し呆れた顔で見つめている。少し前までは侑人の事で顔を赤らめたり、少し機嫌が悪くなったりしていたはずなのに。過去のマリアと今のマリアは同一人物にはとても思えない。
「マリアは気にはならんのか?」
「何が?」
「ユートとマリアが一緒に行動をする事が減っていると思うのだが、それで良いのか?」
「そうかな? 私も結構一緒にいると思うけどなぁ……」
そういう事じゃなくて。と、言い掛けた言葉をアンナは飲み込む。
確かにマリアの言う通り、最近のマリアは侑人と一緒に行動をする事が多い。むしろ旅を始めた頃よりもその頻度は上がっているように思える。ただしリズも常に一緒に居るのだが。
アンナは侑人と二人きりの時間を作らなくて良いのかと、マリアに向かって問い掛けたかったのだが言うのを辞めた。言うだけ無駄な予感が嫌というほどするのである。
どうせ、リズが一緒なのもすごく楽しいよ。とか、二人が三人になってもいいと思うけど。などといった返事が返って来るだろう。それどころか、リズが一緒だと落ち着くの。とかも言いそうである。
年頃の娘としてどうかとも思うが、本人が満足しているのならそれも良かろうとアンナは考えている。傍目から見ていても三人で居るのは自然な姿のように見えるし、男女の関係に関してはそのうち時が解決するだろうと結論付け、この話題を切り上げようとしたのだが、そんなアンナの思惑に反してマリアがおもむろに口を開く。
「アンナの言いたい事も判るよ。でも今はリズにとって大事な時期だと思うから」
「マリア……」
マリアは笑顔を浮かべたままはっきりとそう言い切る。表情は非常に穏やかなのだが、確固たる決意を合わせて感じさせ、堂々とした雰囲気を纏っている。
リズとの出会いで一番成長したのはマリアかもしれない。母は強しと巷ではよく言われているが、マリアの変化もそれと似たようなものか。などと、アンナは内心で考えていた。
時は少し移って夕食後。
風呂に入るまでの僅かな時間を利用して、マリアはアンナから魔法の手解きを受けていた。夕食の席でマリアが、自分の身を守れる手段を身に付けたいと言い出したのだ。
護身術を習うという手段も勿論あるのだが、一日や二日の鍛錬でそれが身に付くとも思えない。結果として、少量とはいえ魔力を持っているマリアが身を守る手段は魔法という事になり、魔法が得意なアンナがマリアの指導に当たっていた。
「うーん。やっぱり上手く行かないなぁ……」
「マリアの魔力量はそんなに多くは無いが、それにしても威力が低すぎじゃとは思うぞ」
同じ失敗を繰り返しているマリアは自嘲するように呟き、アンナはそんなマリアの姿に苦笑しながらも、丁寧に魔法の使い方を繰り返し教えている。
そして侑人とガイウスは焚き火の前に座り込んで二人の様子を静かに見守り、リズは侑人の膝の上に座って二人の様子を興味津々といった目で見つめていた。
「本来ならば火の魔法は殺傷能力が高すぎるゆえ、過剰防衛になり易いのじゃが……」
「ここまで遠くに飛ばないとは思わなかったよ……。あははは……」
マリアは魔法で薪に火を付ける位の火力を持った火球を、難なく作り出すことは出来るのだが、出来上がった火球の飛距離が大問題であった。右手から飛び出したコブシ大ほどの大きさの火球は、一メートルほど飛ぶと急速に火力が弱まり、二メートルに届くか届かないかのところで消えてしまうのだ。
元々家事にしか魔法を使っていなかったので今まで問題は無かったのだが、身を守る手段として使用する事を考えれば致命的な欠点となる。武術の心得の無いマリアが敵に一メートルの距離まで近づかれたら、既にある意味おしまいである。
「やっぱり才能が無いのかなぁ……」
「才能というより、イメージ出来ていない事が問題だと思うんじゃ」
アンナはそう言うと静かに右手を開き、手のひらを空にかざす。そして少しだけ意識を集中させる素振りをマリアに見せた瞬間、アンナの手のひらの上には、コブシ大の小さな火球が出来上がる。
二人のやり取りを静かに見つめていた侑人達の目には、先ほどまでマリアが何回も作り出していた火球となんら変わることの無い大きさと温度を持っているように見える。
「ここまではマリアと同じ手順じゃ」
「うん。そうだね」
マリアはアンナの手のひらを真剣に見つめながら返事をする。アンナはそんなマリアの姿を見て満足そうに頷くと、おもむろに目を瞑り意識を集中し始める。
するとアンナの手のひらの上にあった火球が目に見えて変化していく。大きさは殆ど変わらないのだが、周囲に発散する熱量が格段に跳ね上がり、色も白っぽく変化している。
「炎を凝縮するようなイメージが大事なのじゃ。とはいえ余り魔力をこめ過ぎると威力が跳ね上がって相手の命を脅かしかねんが」
「凄いね……。私の魔力じゃここまでにはならないとは思うけど」
少し残念そうな顔でそんな事を問い掛けるマリアの姿を見たアンナは、悪戯を思いついたかのような顔でにやりと笑う。
そして少し勿体ぶったような口調で魔法の説明の続きを始めるのだが、その説明内容はマリアにかなりの衝撃を与える事となる。
「いや。マリアの魔力を想定して加減しておるぞ。マリアの魔力を全開放すると、この位の火球は出来るはずじゃ」
「うそ!」
「威力も見てみるか?」
「へっ?」
あっけに取られたマリアがどう返答をしようか悩んでいる間に、アンナはおもむろに誰も居ない草原に向かって火球を放つ。
すると火球は彗星のような軌跡を見せ、アンナ達が居る場所から百メートルほど離れた場所にある岩に激突し、ど派手な炸裂音を周囲に響かせつつ、岩の周囲の地面を大きく抉った。
「えーと……」
「姉御……。この威力じゃ身を守るどころか、相手が粉々になってる気がするんですが……」
「まあそうじゃの」
この位は当然の結果じゃと言いたげなアンナの返答を聞いたマリアとガイウスは絶句する。
魔法が戦闘で有効なのは知ってはいたが、少ない魔力量でここまでの威力が発揮できるとは夢にも思っていなかった。戦闘で有効な攻撃魔法を行使できるのは、ほんの一握りしかいない魔力の才能に溢れた者だけだと今まで考えていたのだ。
「マリアの魔力量でも使い方によっては、十分に戦闘の中で使えるって事がこれで理解できたとは思うがの」
「そこまで魔力を凝縮するのは難しいとは思いますけど」
得意げに説明するアンナに向かって、苦笑いをした侑人が話し掛ける。魔力をコントロールしたりイメージしたりする大変さは、ティルト村で散々苦労した侑人自身が良く知っている。
それに魔力を持っている全員が高威力の魔法を習得したら、この世界はもっと殺伐としたものになる。やる気を出しているマリアの手前、口に出す事はしなかったが、侑人はマリアが魔法を戦闘行為に使う事に対して大賛成という訳ではなかった。
「それはそうとアンナ。緊張感が高まっている非武装地域で目立つ事をするのは控えて下さい。さすがに今のは目立ちすぎです」
「確かにそうじゃな。ちょっと調子に乗りすぎたかもしれん」
「あれがちょっとは……さすが姉御」
「あそこまでの威力はちょっといらないかな」
「……」
侑人から小言を貰ったアンナが苦笑いをしながら頭をかき、その姿を見たガイウス達が思い思いに突っ込みを入れている。いつもと変わらない騒がしいやり取りはとても心地良い。
とはいえ危険を避け、全員の無事を確保する為にも抑えるべき所は抑えないと。侑人は楽しい雰囲気に流されつつもそんな事を考えていたのだが、予想外のリズの行動によってその思考は中止される。
「うーん」
「どうしたんですか?」
侑人の膝の上に座って成り行きを見つめていたリズは、少しだけ考え込んだような素振りを見せている。何かを考えているようなのだが、さすがに内容までは察する事は出来ない。
やがてリズはおもむろに焚き火に向かって手をかざす。侑人の声によってリズの様子に気が付いたマリア達も、成り行きを静かに見守っている。
「燃えろ」
リズの手のひらから、ほんの僅かだが魔力が発動するのを感じる。
白い霞がかったその魔力の小さな塊は、焚き火にぶつかった瞬間に正体を現す。よく見ると薪の端が少しだけ凍っている。間違いなく魔法は発動していた。
「えーと……。なんと言ったら良いか……」
「リズって魔力を持ってたのね……」
「わらわもリズの魔力には気が付いておらんかった……。とはいえマリアよりも少ない魔力量のようじゃが……。とはいえ気が付けなかったのは少しショックじゃ」
「燃えろで凍るのはどういう事っすかね?」
呆気に取られた侑人達は思い思いの感想を口にする。
多少混乱する皆の雰囲気を他所に、リズだけが何やら不思議そうな顔をしながら焚き火を見つめ続けている。まだ何かを考えているようだ。
「まあ何はともあれ、高等魔法でもない限り、魔法詠唱はイメージを高める為だけに必要じゃから、燃えろと言いながら凍らせる事も出来るのじゃ」
「そんなもんすかねぇ……。めちゃめちゃ難しそうな気がするっすけど」
アンナが無理矢理この場をまとめる。
どう考えても効率が悪そうな魔法詠唱を、さすがのアンナも試そうとした事すらなく、今のリズの行動に度肝を抜かれていたりもするのだが、そこは顔に出さすに何とか乗り切った。
「魔法の新たな可能性が見つかるやも知れぬ。リズにはそんな才能があるのかもしれんの」
「そう」
「リズも興味があるならわらわが魔法を教えるぞ?」
「アンナ」
リズは笑顔で問い掛けてくるアンナの目を真っ直ぐに見つめながら話し掛ける。
最近リズのこういった積極的な行動が増えてきている。出会った当初からは想像も出来ないほどの変化であり非常に良い兆候だ。後は今朝のように自分の意見を言えるようになれば良いのだが。
「魔法の先生?」
「そうじゃのー、先生と言われればそうかもしれんし、違うと言われれば違うかもしれんの」
「?」
「実は本格的に魔法を教えた事は一回しか無いんじゃよ。アレクが唯一の生徒じゃな」
「アレクってどなたですか?」
聞き慣れない名前を聞いた侑人は、思わずアンナに向かって条件反射的に質問をする。
そんな侑人の言葉を聞いたアンナは嬉しそうな表情を浮かべている。どうやらアレクという人物はアンナとはかなり親しい間柄のようだ。
「わらわの弟じゃよ。わらわに似て利発で可愛らしいぞ」
「ほう。弟さんのお名前ですか。そういえば母国に弟が居るって前に言ってましたね」
「リズとは歳が近いから仲良くして貰えると嬉しいのぅ」
「判った」
リズはアンナの言葉に対してはっきりとそう答える。アンナはそんなリズの姿を嬉しそうな顔で見つめながら、優しく頭を撫でている。
傍目から見れば姉妹のように見える二人の仲睦まじい姿を、侑人達はほのぼのとした気持ちで見つめ続けていた。
――同刻、某所。
「グランツ帝都内での黒髪の勇者襲撃は失敗に終わったか」
「申し訳ありません」
過剰とも思えるほど厳重な警護を敷いたとある屋敷の、窓の分厚いカーテンが閉められた薄暗い一室では、精悍な顔つきをした男が直立不動の姿勢で、黒髪の勇者暗殺計画の途中経過を報告している。
報告する男の周囲を広く半円形で取り囲むように机が並べられたその部屋は、とある勢力の重要人物達が合議を行う部屋であり、重要な案件の報告は必ずこの部屋で行われていた。
「人を殺せぬ優男と聞いてはいたが、なかなか腕は立つようですねぇ」
「軽率な発言は控えて頂きたい!」
「まあまあ、焦る気持ちは判るが少し落ち着かれたらどうかな」
「失敗したのはまあ良いとして、もちろんこの後の手はずも考えているのでしょう?」
「……」
「私は儲かれば後は何でも良いのです。しかし損だけはごめんですよ」
報告を聞いた部屋の中に居る人物達は、各々が各々の思惑を口にする。一見すると何のまとまりも無い集団のように見えるが、利害の一致のみで集まったこの集団ではこれが普通の光景である。
彼らが共有する目的はたった一つ――現状の維持。各人の行動理念は違うのだが、マグナマテルの現状が維持される事によって、各々が利を得る事には変わりが無い。
「その後の足取りは掴めたか?」
「グランツ帝国から脱出した後、国境線を見張っておりましたが、出国した形跡は今のところありません。危険を押して再入国する事も考えましたが、現場での独断は避けました」
「グランツ帝都内で黒髪の勇者を殺害し、グランツ帝国に罪をなすり付けようとする線はもう捨てた方が良いな」
「あまり認めたくは無いが、あのフリードリヒが同じ失敗を繰り返すとは思えん」
侑人達の知らない場所で様々な者達の陰謀が渦巻いている。侑人が想像する以上に、事態は刻一刻と深刻な方向へと変化していた。
次話から新しい展開となります。お待たせしてしまってすみません。
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