表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

オシャレな眼鏡

作者: 竹蜻蛉

なろうサイトの作家、「nico」さまのイラストを元に作成した短編です。

「nico」さまのイラストは、ムチャ企画のイラスト板や、検索でお探しください。

【あなたの長所を書いてください】


 あたしの名前、美原英子みはらえいこを書いたその下に、そう書かれていて、あたしは一度シャーペンを机の上に置いた。

 ともだちからもらった自己アピール用紙。ピンクの用紙には、流行のキャラクターがハートマークを抱いている。キャラクターの吹き出しには好きなひとのことを書くらしい。もちろんその中には何も書いていない。たとえいたとしても、誰にもおしえるもんか。

 うちの小学校の女子が、このアピール用紙を色々な人に渡して集めている姿は珍しくない。プリ帳(プリクラで取った写真を貼り付ける手帳)を作るのと同じような感じでやってるんだろうと思う。内容を読んでいるかはあたしには分からない。でも、あたしがこういうのを作ったら、面倒くさくて読まないと思う。

 とにかくこれを完成させなきゃいけないんだけど、この部分だけがどうしても埋められない。ほかの子たちも、「べつにないよ」とか「にぎやかなところ!ワラ」とか、とりとめもないことを書いている。あたしもそれで良いと思うけど、なんだか悩んでしまう。

 自慢にも何にもならないけど、あたしには取り得っていうものが無い。運動が出来るわけじゃないし、勉強の成績も良くない。裁縫が出来るわけでも料理が出来るわけでもない。顔も良くないだろうし、眼鏡かけてるし……まあ、ブスではないと思ってるけど。

 でもそれってムコセイってやつなんじゃないのかと思う。

 だからあたしは、そんな色の無い自分が嫌いで、質問の解答欄に適当にでっちあげを書いてみた。これを見たともだちが、面白いこと書くね、とかそういう反応を期待して。


【実は、ようせいと話せるんだ!】


 

 ―――



 眼鏡がコンプレックスに感じることはあまり無いけれど、眼鏡をつけないとロクに黒板の字を読むことも出来ないのは結構辛かったりするし、体育の時間は外れてふんずけたりしないかと、不便だと感じることはかなりある。

 小学校だから、あんまり眼鏡をかけてる人も多くないし、少しだけ周りと違う自分にもやもやとする。同じなのは、ガリ勉オトコで有名なおかっぱの男子くらいだ。サイアク。

 

「ねえ、えーこ。今日奈美が新しいバッグ買いに行くって言ってるんだけど、行く?」


 クラスメイトの中川さんが話しかけてくる。中川さんはクラスの女子の中でも四天の王とか呼ばれるくらいオシャレに気を遣ってる子で、あたしがパッと見ても凄く可愛く見える。話に出た奈美という子もその四天の王の一人で、中川さんに負けず劣らず、たまに物凄い派手でごちゃごちゃした服を着てくる。うらやましいとは思うけれど、あたしに似合うとも思わないから嫉妬とかはしなかった。

 

「えっと、今日はお母さんに手伝い頼まれてるからムリ。ごめんね」

「ええー。サボっちゃえよそんなの」

「そういうわけにもいかないんだって。あたしもチョーめんどくさいけど、うちって厳しいから。サボったりするとたまにご飯無くなるし」

「マジで? それスパルタってやつじゃねー?」

「あははは! そこまでひどくはないって。なんていうか、お小遣い分の働き? みたいな」

「何ソレ。給料ってやつ? うけるー」


 ゲラゲラと腹を抱えて中川さんは笑う。あたしも釣られて笑っておいた。


「そういうわけで、悪いけど今日はムリ。土曜日くらいに何かあったら呼んで。あたしもシャーペンとかちょっと買いたいし」

「りょーかい。頑張ってー」


 労いの気持ちなんて少しも無いような言葉で、中川さんとの会話は終わった。別に悪い気分はしないけれど、どうして自分だけ働かなきゃいけないんだろうと思うと、なんだかほかのともだちとしゃべり始めた中川さんが少しだけ憎らしく思う。

 冗談交じりで、死ねばいいのに、とか思って、あたしは帰路についた。



 帰り道の途中に、マンションの奥さま方が井戸端会議する公園がある。まだ幼稚園にも入っていないガキを連れて、その間だけイクジホウキってやつをしてる。広くは無いけれど、ブランコや滑り台、今は使えなくなったけど、昔はシーソーとかもあって、あたしが幼稚園の頃はよく遊びに来ていた。

 家に早く帰るためには、この公園の中を通っていくのが良い。今日もおばさんたちが濃い化粧を乗せてなんでもないようなことに盛り上がっている。昼ドラとかいうのを見て、せんべいをほおばっているよりも有意義かもしれないけど、なんだかこうも毎日見かけると、あんまり変わらないんじゃないかと思えてきた。あたしは、おばさんたちの口元にせんべいを思い浮かべて、一人で吹き出した。赤いトサカとか付けたら、太ったニワトリに見えないことも無いかも。でも、三歩歩いたら忘れるどころか、三万歩くらい歩いても執念で追ってきそうなねちっこい精神を持つのがおばさんだ。笑っているのを見られないように、慌てて口を手で押さえた。

 そうして、公園を通り過ぎようとした、その時だった。


『――助けて!!』


 脳みそが寺の鐘になったように、ぐわんぐわんとした感じで声が聞こえた。痛いとは思わなかったけれど、つかめないはずのものを鷲づかみされているようで、不思議な感覚だった。

 そして、無理矢理ひっぱられるようにあたしは公園を振り返る。もちろんそこには声の主はいない。おばさんと、砂場で山を作るガキだけだ。


『――お願い、助けて!!』


 また聞こえた。今度はしっかりと。幼い女の子のようにも聞こえるけれど、そうでもない気がする。とてもあいまいだ。

 あたしは声の主を探して視線を右と左にせわしく動かす。遊具と人の間をぬうようにして目を光らせる。

 ふとその中に、一匹の黒猫を見た。一枚の葉っぱを何かを警戒するように、腕で突っついている。べつに変な感じはしないけど、猫が葉っぱで遊ぶっていうのは聞いたことがない。ねこじゃらしじゃあるまいし。


『イタイイタイ!』


 でも耳を澄ましてみると、どうやらその葉っぱが叫んでるように聞こえる。少しずつ近づいていくと、声もどんどん大きくなっていく。途中で、猫があたしに気付いてどこともなく駆け出して行った。残ったのは土のじゅうたんの上で身体を横たえている一枚の葉っぱ。とたんに声が聞こえなくなって、あたしは自分で馬鹿みたいと思いながらも葉っぱを拾い上げた。


「…………」


 じぃっとそれを見つめる。紅葉じゃなかったけど、なんか赤くなっているような気がする。まるで恥ずかしがっている人のようだ。


『あ……あの』


 また聞こえた。辺りを見渡してみるけど、あたしに声をかけてきただろう人はいない。つまり、この葉っぱが話しかけてきた……?

 やばいなあ。これってマボロシってやつなんだろうか。疲れてる人とか、ちょっと頭がおかしい人とかが見る。マンガとかでは、気が狂ったキャラクターとかがよく見るやつだ。あと、魔法少女とかしか見えないセイレイかもしれない。どちらにしても、あたしは少しおかしい。

 

『助けてくださってありがとうございます。ちょっと待ってくださいね』


 するとどうだろうか、葉っぱがあたしの手を離れて空中に浮かび上がった。風なんて吹いてないし、まずあたしが手放した覚えもない。誰かがマジックのショーでもやってるのかと思ったけど、頭に響いてくる声は、そうじゃないことをあたしに教えてくれている。

 そして、葉っぱが空中で止まったかと思うと、葉っぱの周りに湯気みたいな模様が生まれてくる。それがだんだんと色づいていく様は、絵の上手い子が公園の風景にそれを書き足しているようにも見える。

 そうして、すべての色が誰かによって塗り終えられたあと、あたしはその姿に口をぽかんと開けた何も言えなくなった。


『はじめまして! わたしはアリスっていいます!』


 そう言ったアリスと呼ばれる何かは、あたしの想像の世界で言えば、「妖精」とか、そういう名前で呼ばれるものだった。

 人と同じ顔と身体をしていて、しっかりと足も腕もある。でも、その姿はとても小さくて、背中には対になるように四枚の羽が生えていた。砂場で遊ぶガキよりももっと幼くて、可愛らしい顔。でも、なんだかそういや顔付きを含めてアニメっぽくなくてリアルだ。くりくりの瞳じゃなくて、れっきとした人間の目……って言って良いのか分からないけど、それによく似たもの。どう説明してくれようか。

 夢見る乙女でもあるまいし、こんなマボロシ見たって何も嬉しくなんか無い。むしろあたしにもやきが回ったかと落ち込む。落ち込んでいる場合でもないんだけれど。


『あの……』


 心配した面持ちで、アリスがあたしの顔を覗き込んできた。眼鏡の奥に移ったその姿は、やっぱりようせいだ。目をごしごしと擦ってみたけど、アリスはいなくならなかった。


「ゆ、夢……?」

『ユメじゃないですよー! ほら、きちんとここにいるじゃないですかー!』


 なんだこいつ。お転婆系?

 腕をぶんぶんと上下させて必死にアピールしている。あたしはそれを分かったとばかりに手で止めさせた。頭が痛い。なんだこの状況。


『たすけてくれたお礼に、あなたのお願いを叶えてあげます!』


 と、そんなことをニコニコしながら言い出した。


「願いを叶えるって……魔法のランプみたいに?」

『魔法のランプ?』

「知らないの? 三つまでなんでも願いを叶えてくれるっていうやつ」

『はあ……多分そんな感じですけど、願いの数や内容はわたしのチカラの許すまでしか出来ません。ごめんなさい』

「チカラ?」

『はい。わたしはまだ小さい葉っぱの精霊でしかないので、セカイセイフクとかそういうのは悪魔さんに頼んでください』


 悪魔がいるのか。知らないうちにあたしの世界にはおっかないものが住み着いていたらしい。


『そういうわけで、何かお願いごとはないでしょうか? ……その、なるべく小さめな』


 急にしゅんとなったので、あたしは思わず吹き出すのをこらえた。


「でも、猫から助けただけだよ。そんなことでお願いとか叶えてもらっていいワケあたし」

『とんでもない! あなたは命の恩人です。あのままでしたらわたし、あられもない姿に引き裂かれて』

「そ、そう。まあ叶えてくれるならあたしとしては別にいいんだけど」

『ですよね!』


 なんだかテンション上がったり下がったりで忙しいやつだなと思った。

 あたしはお願いごとは何が良いか考える。真っ先に思いついたのが、使っても使っても無くならないくらいのおこづかいが欲しいこと。小学生だって、オシャレしている人は多い。あたしのおこづかいが特別少ないわけじゃないんだけど、やっぱりあって不便しないし、世の中お金だし。

 でも、今このタイミングでお金が欲しいなんてお願いで良いのかとも思う。だって幸せにはなれるかもしれないけど、なんだかんだでお金があるだけだ。どうせならなかなか出来そうに無いことにしたい。お菓子の家に住みたいとか、あたしも同じ魔法を使ってみたいとか、体験出来ないようなことを。

 その時、公園の広場に強い風が吹いて、砂嵐が巻き起こった。思わず目をつむったけど、砂が目に入った。だっさい眼鏡を外して目をこする。無意識で目を開いてみると、見慣れた景色が突然、それこそ砂嵐がかかったようにぼやける。アリスの姿が水をぶちまけたようににじんで見える。せっかく描かれたメルヘンチックな絵が台無しになった気がして腹が立った。

 あたしはその時、自分の視力が悪いことを思い出した。D判定の視力は、目の前のアリスですらきちんと捉えてくれない。それがなんだか無性に嫌気がして、あたしがそのお願いにするまで数秒とかからなかった。


「視力を……良くしたい」


 しかしアリスには意味が通じなかったらしく、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首をかしげている。


「だ、だから、この眼鏡を外してもものが良く見えるようになりたいの」

『そのレンズを目の中に作れば良いんですか?』

「え? ど、どうなんだろう。良くわかんない。とりあえず目を良くしたいの」

『つまり身体的欠陥の修繕ですね!』


 何を言ってるのか良くわからなかったが、あたしは小さく頷いた。


『分かりました! では、こちらに顔を少し近付けて下さい』

「うん」


 あたしは言われた通りに顔をアリスに近付けた。

ぱたぱたとせわしなく動く羽から、かすかな風が流れている。

もう指先一つもない距離にあるアリスの小柄な身体。それから生える、もうじょうぎでも計れないかもしれないほど更に小さい手。それがゆっくりとあたしの鼻の上にちょこんと置かれた。あたしは誰に言われるでもなく目を閉じて、アリスの羽音に集中する。虫のような羽なのに、聞こえてくる音色は羽ばたくワシのよう。とてもキレイなノイズ。

 瞬間、あたしの頭の中に何かが流れ込んでくる感覚がある。甘いような辛いような、痺れるようでゆるやかで、脳みそを月に引っ張られるようにふわりとした感覚。鼻先に当てたアリスの手が、小刻みに震えているのが分かる。

 そうして不思議な感覚に身を任せていると、ふと目を開いてみたくなった。アリスは目を閉じろとも開けとも言っていないから、開けても大丈夫……なのだろうか。うっかり開いてしまって、アリスから流れてくる魔法のチカラが目のスキマから逃げないだろうか。心配になって、あたしは目を開きたい気持ちを必死に抑えた。

 時間の流れは分からなかったけど、多分一分くらい経った時、鼻先のくすぐったい感じが無くなった。アリスが手を離したんだとあたしは思い、ドキドキとした心臓をおさえることも忘れて、まぶたを上へ。


「……うわっ」


 新世界にきて、最初の言葉がそれだった。

 目を疑うっていうのは文字通り、自分の目が本当に今見ている光景を見せてくれているのかっていう疑い。

 公園の遊具が青い色をしている。部分部分がさびて、ちょっとだけ黄色い。おばさんたちが濃い化粧をして話している。一人は有名なルイ・ヴィトンのマークが入ったバッグを提げている。ほかのおばさんたちが羨まし気にして、時々目線をそっちに移している。ガキが砂場で工事をしている。山を作って、その中に穴を開けて手を繋いでいる。真っ赤な色の服が、泥だらけで笑っている。

 すべての景色が、色と形の世界から、リアルな立体の世界へと変わっていった。あたしの景色を描いていた誰かが、ついに絵を完成させた。


「本当に見えるようになっちゃった……」

『当然です!』


 えっへんと胸を張り、アリスが自慢げに言う。

 あたしの右手にはださい眼鏡があって、鼻の上には眼鏡がのっかっていない。今度こそ夢かと思ったけど、もうこれなら夢でもいいやと思った。


「あ、ありがとうアリス!」

『いいえー。わたしはお礼をしたまでです。こんなこと、まだお礼に入りませんよ。もっとほかにあれば言ってくださいね』

「ううん、今はこれで十分だよ。あ、そういえばあたしの名前言ってなかったね。あたしは美原英子っていうんだ」

『えいこさんですか。かしこそうなお名前ですね』


 アリスはにっこりと笑ってそう言う。嘘も何も無い。すごくじゅんすいなんだと思った。


「あ、あたしって可愛いと思う?」

『ええ、とっても! そのレンズが無くなったら、もっと可愛くなりましたよ!』

「う、ま、マジ?」

『はい!』


 あたしはそのあと、アリスにお礼を言って、帰り道で眼鏡を豪快に道路に叩きつけて割った。怖いくらいに爽快な気分になって、家の手伝いがその日は最高に楽しかった。

 その時、お母さんに眼鏡を壊したことを伝えたら、鬼みたいな顔で怒られたのは言うまでも無いことだ。でも、目が見えるようになったと言ったら、眼科にすぐに連れて行かれて、あたしは見たことの無い英語を目の当たりにすることになる。

 A判定。

 DからAになることなんてほとんどありえないことらしくて、医者も驚いていた。

 お母さんはしばらく頭を抱えていたが、「ならいいわ」と言って、眼鏡を割ったことを許してくれた。



 ―――




 アリスと出会ったあの日から、あたしは周りの女子に「かわいくなったね」と言われるようになった。もともと顔には自信はあったんだ。してやったり、という感じだった。眼鏡が無くなってからは、オシャレに気をつかうようにもなった。相変わらずお金はそんなに無かったけど、オシャレの雑誌をともだちに貸してもらったりして、自分なりのコーディネートってやつをした。中川さんが言うには、あたしにはセンスがあるらしい。なんだかそのことがすごく嬉しくて、あたしはついついお金をオシャレにかけるようになった。

 お金が欲しくなるのは当然のこと。

 オシャレっていうのはシャーペンを買うのとはワケが違う。上下の相性とか、色の選択、チェーンや帽子、靴なんてオシャレの中ではかなり重要。見えないところにだって気をつかい、小学生がもらえるおこづかいではどうやったって3ヶ月以上はかかってしまう。ともだちの何人か、特に四天王はおねだりでなんとかなってしまうらしいが、うちはそうもいかない。家計がどうのこうのは分からないけど、とにかく小学生がそんな大金を持つのはダメらしい。お母さんはしきりに中川さんを初めとする子たちをあーだこーだと悪く言っていた。

 あたしもバカじゃないから、お母さんの言うことは良く分かるんだけれど、それでもお金が欲しかった。でも、まさか盗むわけにもいかないし、小学生はバイトだって出来ない。

 だからあたしは、あの公園にもう一度行くことにした。

 アリスとは何度かあのあとも会っている。あたしが公園に来れば、アリスはニコニコした笑顔で迎えてくれるのだ。とても居心地がいい。

 アリスは確か、「まだほかに何かあったら言って下さい」って言ってたはずだ。出来るかわからないけど、試してみる価値はある。

 学校の帰り、公園には相変わらずおばさんたちがガキを連れている。おばさんたちにとってはきっとここがギムキョウイクの場所なんだろう。きっと行かないと誰かに怒られるんだ。

 アリスの姿を探して公園の中を見渡してみるけれど、あんなに小さい姿を見つけることはなかなか出来ない。前みたいに猫に襲われていると分かりやすいんだけれど……。


『助けてー!』


 ……幸運だと思っていいのやら悪いのやら。



 

 アリスは相変わらずのお転婆さであたしに元気よくあいさつし、てへへと頬を書いた。ふらふらと葉っぱで旅をしていたらしい。


『二度も助けていただいて、もうどうしたらいいか……』


 その言葉を聞いて、なんだか調子乗ってるなあと思いつつも、あたしは聞いてみた。


「も、もう一度願いをかなえられない?」

『お願い事ですか? それならお安いごようです! ……小さいものなら』

「その、お、お金を作ることって出来る?」

『お金というと金ですか?』

「えっと、こういうものなんだけど」


 あたしは最近買った新品の財布の中から千円札を取り出して見せた。


『ああ、紙幣ですね。分かりました! 任せてください!』


 良いのだろうか。これは立派なギゾウってやつなんじゃないんだろうか。テレビ番組でもやっている。千円札とかには細かな暗号みたいなのがあって、ギソウするとすぐに分かってしまうらしい。もしもバレたりしたら、どうすればいいんだろうか。

 でも、そんなことを考えているうちに、野口英夫のクローンは誕生してしまった。アリスの頭の上、ふわふわと千円札が舞っている。あたしはそれをおもむろに掴むと、その出来を確認した。さわり心地も見た目もあたしが持っているもう一つの野口と何にも変わらない。機械にかけたら分かるかもしれないけれど、どうせその頃にはどこか遠くのところまでお金は回っていることだろうし。あたしは自分でも醜いと思えるほど、汚く笑っていた。

 アリスがいれば、億万長者になれるんじゃないんだろうか。親から一万円札をもらってきて、アリスにたくさん作ってもらう。それで、あとで返せば良いんだ。十枚もあれば、クラスメイトの誰よりもオシャレが出来る。そう思うと、気分がどんどんアガってきた。


「ねえ、もう一枚作れない、これ?」


 そうわくわくしながら声をかけたが、アリスは空中に浮いたまま返事をしない。おかしく思って、手を前で振ってみるが、反応が無い。


「アリス? 大丈夫?」

『……あ、はい。すいません。お金が重くて、ちょっと休んでしまいました』

「ふうん。大丈夫ならいいけど。あたしの話聞いてた?」

『すいません、もう一度お願いして良いでしょうか?』

「これと同じものをもう一枚作れない? これがあると、あたしもっと幸せになれるかもしれない」

『そうですか! では、さっそく!』


 すると、アリスはすぐに三人目の野口クローンを作り出した。

 すごい、すごい! すごい!

 浮かぶ千円札をひったくるようにつかみ、あたしは息を荒くしてそれを眺める。本物だ。紛れも無く本物。誰が見たってきちんと千円札の形をしている。

 あたしは増えて三枚になった千円札を財布に突っ込み、アリスに適当にお礼を言って流行のブティックに急いだ。

 

『…………眠いです』


 アリスがそう小さく呟いたのが、あたしに届くはずも無かった。



 ―――



 欲しい服は手に入れた。靴も買った。クラスでは、四天王と並ぶくらいのオシャレが出来るようになって、ほかの女子から羨ましがられたりした。

 眼鏡をかけていた頃には考えもしなかった状況に、あたしは心が満たされている。ともだちだって倍くらいに増えたし、男子の前にだって胸を張って行ける。最高な気分だ。

 でもやっぱり、その逆に急成長したあたしを良く思わないやつらだっている。あたしが昔、中川さんを見ていた目のような目が、今あたしに向けられている。そんなものでさえ、今は誇らしく思える。

 どうだ、あたしはここまで変わったんだぞ。


「あ、えーこのバッグチョーかわいいー。どこで買ったのそれ?」

「これ? 駅前のブティックだよ。ほら、前に中川さんに教えてもらったとこ」

「マジでー? うちが行ったときそんなのなかったしー」

「また仕入れてあるんじゃない? あそこ、毎週新しいの仕入れてくるし」

「じゃあ今日行かない? ちょうど親から金もらったばっかだしー」

「良いよ、放課後寄っていこうか」


 こうやってともだちと買い物をすることだって最近多い。あたしは勝ち組ってやつだ。

 ふと、財布の中を見た。千円札が一枚しか入っていない。これじゃあ何も買えない。また、アリスに作ってもらおうと思う。

 あの日からあたしはたびたびアリスのところに行って、千円札を増やしてもらっている。アリスはいやだって言わないし、こうしてタダで増えるんだったらえんりょなんてしなくていいだろう。少しだけアリスが疲れたようにため息をもらしていることがあったから、最近は控えているけれど、今日はともだちとの買い物だ。アリスだって分かってくれるはず。


「あ、ごめん。あたしお金家に置いてきてるから、先に行っててくれない?」


 中川さんは口をとがらせて、えー、と不満をあらわにした。


「だって、えーこ家にいるとママから頼まれごとされるじゃん。ダイジョブなワケ?」

「大丈夫、大丈夫。そんなの無視すればいいし」


 どうせ手伝いしなくたって、お金は増えていくしね、と言いそうになって止めた。中川さんにアリスのことは話せない。自慢したい気持ちはあるけれど、ちょっとしたドクセンヨクってやつだ。それに、アリスはあたしが助けたんだし。


「じゃあ先に行ってるねー。ゼッテェこいよー?」

「分かってるよ」


 あたしは、ランドセルを背負って、廊下に向かう。その時、机に入っていたものが服に引っかかって落ちてしまった。

 眼鏡ケースだった。そういえれば、眼鏡は壊しちゃったけれど、眼鏡ケースはどうにもしてなかった。どこにいったものかと思ってたけど、こんなところにあったんだ。あとで捨てておこうと思って、ランドセルの中に放り込んだ。

 眼鏡が入っていない眼鏡ケースは、あまりに雑に扱われた。



  

 いつもの公園について、アリスの姿を探す。日課のようなものでもある。

 でも今日はいつもと違って、なかなか見つからなかった。中川さんと待ち合わせをしているというのに、時間をあまり使うわけにはいかない。段々と姿をあらわさないアリスに腹が立ってきた。もしかしたら面白がって、どこかに隠れているんじゃないだろうか。あの小さい身体だ、一度隠れたら見つけるのはとても難しい。あたしは歩く速度がどんどん早くなっていることに気付かず、アリスを探した。

 十分くらい探しただろうか。あたしは段々面倒くさくなって、おばさんたちが授業している横のベンチに一度座って休むことにした。


「今って何月でしたっけ?」


 おばさんの声が聞こえてきた。盗み聞きするつもりはなかったけど、なんとなく耳を傾ける。


「あら、大丈夫? 今は五月よ。今月ゴールデンウィークで旅行に行ったばかりじゃない」

「ですよねえ。でもほら、そこの木の葉っぱ、凄い色が悪くない?」

「あら本当だわ。どうしたのかしら。最近雨が降ってないせいかしらね?」


 あたしはその言葉を聞いた瞬間、心臓が魚のように跳ね上がった。空を見上げるように顔を上に上げる。あたしの頭の上の木は、おばさんたちが言うように茶色く枯れている部分が多かった。六月と言えば、木々は夏に向けてどんどん緑を濃くしていくというのに、この木だけはまるで病気にかかってしまったようにやつれていた。


「…………アリス?」


 悪い予感がして、あたしは無意識にそう呟いていた。今までのとは全然違う意味で、心臓がドクンドクンと嵐のように激しい。何度もひっかけながら、ランドセルをベンチの上に放り出し、慌てて木にかけよった。


「アリス? アリスなんでしょ? 出てきてよ!」


 おばさんたちが変な目であたしを睨んでることだろう。でも、そんなの関係ない。あたしは一刻も早く、アリスのお転婆な姿を見たかった。

 何度か呼びかけていると、アリスがふらふらとした様子で木の中からあらわれた。いつものアリスじゃない。寝不足すぎて、死にそうなくらいのやつれかただった。


『あ、えいこさん。また、お金を作りに来たんですか?』

「そ、そんなことよりどうしたの? すごい疲れてるように見えるんだけど……」

『いえ、大丈夫です。たしかにちょっと疲れてますけど、休めばすぐに元気になりますから』

「それって、あたしがチカラってやつを使わせすぎたせい?」

『お気になさらないで下さい。わたしは、本当にお礼がしたいんです』


 そう言うと、アリスはいつもの通りにチカラを使い始める。空中に千円札が作り上げられていく。けれど、アリスは途中で大きく咳き込んで地面の上に落ちてしまった。


「ちょ……! 大丈夫!?」


 急いでかけつけてアリスの身体を支える。アリスの身体には体重なんてものが無いかと思うくらい、軽い。テスト用紙だってもっと重い。空気をつかんでいるようだ。


『ごめんなさい。チカラがちょっと足りなかったみたいです……』

「た、足りないって……。アリスは大丈夫なの?」

『これ以上使ったらもしかしたら消えてしまうかもしれないですが、少し休めば回復しますので。そうしたらまたお金を……』

「お金はもういいから! で、どうすれば早く回復できるの?」

『ですから、少し休めば……」

「ダメだって!」


 あたしは思わず怒鳴っていた。自分のせいだとは言え、こんな良い子をボロボロにしてしまったことがすごいムカツク。すぐにでも元気にしてやりたい、そう素直に思う。

 風邪を引いたとき、お母さんはクスリをくれるし、氷枕も作ってくれるし、食事もおかゆにしてくれる。風邪だって放っておけば治るんだ。でもお母さんは、「辛いのが早く治るように」ってそういうことをしてくれることをあたしは知ってる。

 アリスは本当は辛いはずなんだ。熱さも感じないし、ものだって食べないけど、でも辛いはずなんだ。


「どうすれば、アリスを元気にさせられるの?」

『…………』

「アリス!」


 アリスは小さな、ほんとうに小さな口を開いて言った。


『えいこさんがお願いしたことを、返してもらえれば、元気になります……』

「あたしが……お願いしたこと……」


 千円札を増やしたこと。でも、千円札は全部使ってしまったからてもとには何も無い。それにあったとしても、どうやって返せば良いかわからない。今から使ったお店に行って、千円札を返してもらえば良いんだろうか。でももし、お釣りで他の人のところにいってしまっていたら? もう返ってこない。

 

「せ、千円札……無い」


 のどの奥で苦しい声が上がる。なんだかよくわからないけど、泣きそうだった。


『えいこさんの、その、きれいな瞳を、わたしに……』

「え……?」

『えいこさんの最初のお願いなら、ここにあります』


 アリスはあたしの涙で濡れた瞳を指差した。

 思い出した。あたしは最初、視力が悪いのが嫌で、アリスに視力を回復させてもらったんだ。それで、オシャレが出来るようになって、みんなから羨ましがられるようになって。

 アリスに返すのは、あたしの視力。アリスに返すのは、あたしのオシャレした日々。アリスに返すのは、あたしがオシャレにかけたお金。

 アリスから返してもらうのは、あたしの眼鏡をつけていた日々……。


「いいよ」


 迷いなんてあるはずなかった。キセキの毎日が、元に戻るだけなんだから。

 

『良いんですか……?』

「うん。アリスがそんなおばあさんみたいな姿になってるくらいだったら、あたしは眼鏡かけるから」

『でもえいこさん、今のほうが可愛いです。レンズをつけたら、すこし可愛くなくなります』

「うっさいな。あたしはレンズつけてたって可愛いんだよ。だからほら、さっさともらっていっていいよ」

『……分かりました』


 アリスは、踏ん張るようにしてあたしの手から羽を使って浮き上がった。相変わらず何度見ても信じられない光景だけど、今はなんだか、そういうことよりも、頑張れと声をかけたくなった。

 ゆらゆらと空中で揺れながら、あたしの鼻の前までたどり着く。表情は、とても申し訳無さそうだ。今にも土下座して謝りそう。でもあたしは何も言わないで、アリスがチカラを取り戻すのを待つ。

 あたしは目を閉じた。鼻先に、手が触れた。とても優しくて、温かい手だったはずのそれは、今は凍ってしまったように冷たい。お金を作り出していたのは、国と同じ機械のような手だったんだと気付いて、あたしはモウレツに自分の馬鹿さをのろいたくなる。殴れるなら、あたし自身を殴ってやりたい。何が億万長者だ。アリスがこんなに手を冷たくして頑張っていたのに、あたしは一体何をしていたんだろう。

 たかが眼鏡一つ無くなっただけで、あたしは馬鹿になっちゃったんだ。

 でもアリスはもっと優しい。こんな馬鹿なあたしの馬鹿な部分を、今から吸い取ってくれる。もうようせいというよりも天使だ。あたしが重ねた罪を、天使様が許してくれている。そんな感じ。

 身体の中から、羽が生えたよう。ふわりと中からチカラが抜ける。痛みも無いし、だるくもない。アリスはやっぱり、とても優しい。


『終わりましたよ』


 アリスがことの終わりを告げる。あたしのユメとキセキは終わって、世界は元に戻った。

 まぶたを開いた。あたしの見慣れた景色が戻っていた。街はぼやけて何がなんだか分からないし、おばさんたちが着ている服がどんなものかも分からない。かろうじて、アリスが目の前にいることが分かるくらい。


「あーあ、終わっちゃった」


 でも、アリスは元気良く飛び回っていた。ふと見上げてみると、木はぼやけた葉っぱをつけて、風で音を立てていた。

 あたしは財布を開ける。中には百円玉が少し入っているだけで、野口はいない。目が悪いから見えないんじゃなくて、普通に無い。でももう、アリスに頼むわけにはいかない。また倒れてもらっちゃ困る。

 でも、心配なことはある。


「……眼鏡、お母さん買ってくれるかな……」


 まあいいや、と思う。

 とりあえず中川さんには悪いけど、今日はドタキャンさせてもらおう。それで、アリスと遊んで、眼鏡を買いに行こう。お母さんに土下座でもなんでもして。だって、眼鏡がないと何にも見えないんだもん。せっかく誰かが書いた色のある世界を、あたしはレンズ越しでしか見ることが出来ないんだもん。

 でも、もうダサいのは嫌だ。

 だから今度は、特別オシャレな眼鏡を買いに行こうと思う。

どうも、蜻蛉です。

相変わらず、こういった文章は苦手です。でも書きます。


今回は、イラストに短編を書かせていただいた「nico」様に多大な感謝を申し上げたいかと。ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[一言] 碧檎です。 昨日のうちに読んでたのですが、なんて書こうかなあと思ってるうちに今日になってしまいました。 nicoさんが言ってたように「リアル」でしたね!すごく良かったです。 私は、小学生の時…
[一言] こんにちは、光太朗です。 とってもおもしろかったです! えいこちゃんの一人称で語ることで、彼女の等身大の長所短所が見えて、すぐに作品に入り込んでしまいました。こども向けとしても良いですね。読…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ