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Black Sheep in the Cage 作者:神谷アユム
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なほあまりある「むかし」なりけり

その男はただ、そこにたたずんでいた――

比恋乃様の百人一首アンソロジー企画、さくやこのはな参加作品です。
対象和歌は「一○○ ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりあるむかしなりけり 順徳院」です。

シリーズ作品の一部となってしまいましたが、この一作だけでも読むことができますので、よろしくお願いします。
「……なぜ、なのだろうな」
 その男はそれを眺めながら、節目がちに喋る。もはやほとんど朽ちかけた宮中の軒下に下がった忍草。それさえほとんど枯れかけ、何もかもが伸び放題になっている。
「わかっておるのだ。もう我らの時代は終わった。これからは新しき者たちが、日の本を治めてゆくのがこの世の理。父も、母も、兄弟も皆死んだ。ここにいるのは我一人だ。そんなことはわかっておる」
 男は忍草に手を伸ばす。しかしその手は、その花を摘み取れはしない。命あるものは指の間をするりと通りぬけ、男はまた寂しげな顔でうつむいた。
「こんな風に……宮中も朽ち果ててしまった。このような姿を見ても……我が思うのは昔のことばかりなのだ。新しい時代のことではない。我は後ろにある美しい道ばかり見て、嘆いておる……皆そうなのだと思っていた。皆そうやって生きて、死んでいくものと……だが……どうして我は……我だけが、ここにいるのだ? 我を見ても恐れぬ汝らなら、何か知っておろう?」
 男の視線の先には、二人の青年がいた。一人は黒髪に、切れ長の目に眼鏡をかけた、凶相の男。もう一人は、やや童顔気味で、茶色く癖のある猫っ毛の男。猫っ毛の方はひどく悲しそうな顔をして男を見ている。もう一人は、無表情だった。
「どうして我は死ねぬのだ。どうして我は消えぬ……なぜここにいる? もう十分であるのに……なぜだ」
 最後のなぜ、は独り言のように響いた。猫っ毛の男が、おっちゃん、と言いかけたその頭を、黒髪の男がひっぱたく。
「恐れ多くも天皇陛下をおっちゃん扱いするな馬鹿たれ。言葉遣いに気をつけろ」
「へ? 陛下? だって今は……もがっ!」
 猫っ毛の方が、黒髪に口をふさがれて発言を禁じられる。黒髪の男――藤村怜司ふじむられいじは、そのまま猫っ毛――犀川陽人さいかわはるとを後ろへ突き飛ばすようにして、一歩前へ踏み出した。
「陛下……もう、ご存じかもしれませんが。あなたはもう、この世のものではない。あなたが佐渡で命を絶たれ……佐渡院ではなく、順徳院とおくりなされてからもう……七百年以上、いや、八百年近く経っております」
 そうか、と答えた男の声にはなんの感動もない。怜司の言うとおり、男――順徳院も、自分がすでに死んでおり、現状が普通でないことは――理解していた。
「我は確かに佐渡で死んだ。病になり自分の人生には先が見えたというのに、都へ帰る願いはついぞ叶いそうになかったのでな……ならば、このような命には未練はないと思うた。死んでしまえばきっと、時代の流れを読み違え、不遇に終わったあの苦悩からも、解放されると思うて……自ら命を絶ったというに。なぜ我はこんなところに、七百年も閉じ込められておるのだ。生きていた時間よりもずっとずっと長い苦悩を……我が何をしたという? 確かに時代の流れには、逆らったかもしれぬ……なれど、その罪に対する贖いが、この悠久の苦悩だというのなら……変わらないことを願うことは、すべてが許されざる悪だと申すか?」
「違い……ます」
 答えたのは怜司ではなく、後ろで黙っていた陽人だった。順徳院は目線を怜司から陽人へ移し、ならば問おう、青年よ、と言った。
「我は、なぜ、ここにいる?」
「それは……陛下が、変わらないことを望まれたからです。俺みたいな普通の人間と、一緒にされちゃたまんないかもしれないけど……俺と同じです。陛下がお望みになったんです……変わらないことを」
 我が、望んだ、と、順徳院はその言葉を繰り返した。声色は全く平坦に聞こえたが、そこにあったかすかな動揺を、陽人は聞き取っていた。それは怜司も同じだったようで、後をついで口を開いたのは怜司だった。
「驕れる者久しからず、栄えるものは必ず衰える……陛下は聡明な方ですから、ご存じだったはずです。それでも……理をわかることはできても、受け入れることはできなかった。佐渡に流され、十年、二十年、都へ帰れぬまま、それでもあなたは望んだんです。変わらぬ、朝廷の……天皇の御代を。あなたがここにいるのは、贖いでも何でもない……あなた自身の、叶わぬ望みが足枷となり、その御霊をこの地にしばりつけたのです」
「そんな……そんなはずはない! 我は、我はわかっていた。もう我らの時代は終わった、我らはただ朽ちるだけの存在だと……だから、だから死を選んだのだ。汝らは、それすら無駄なあがきだったと申すのか!」
 沈黙。そのとき、かすかに怜司の顔に暗い影が差した。順徳院が一瞬、気圧されて言葉を失う。その影が、笑った気がしたのだ。お前は、望んだくせに、と。望まなかった、僕とは違う、と。
「陛下……向き合って、確かめて、あきらめないとその足枷は外れない……こいつが、そう言ってました。あと、えっと、慰めになるかはわからないですけど……陛下がここにおられる間に、陛下のご子孫は、ええと……政にこそ関われなくはなりましたけれど、多くの国民や、他の国の王族たちに慕われて……立派に、今上天皇を全うしておられます」
 沈黙した怜司の代わりに、話したのは陽人だった。その話を聞いて、順徳院の表情が変わる。驚きから、困惑へと。
「汝、今なんと申した? 我の子孫が、慕われておる、と……?」
「あ、はい……あの、俺系譜とかよくわかんないんで、直系のご子孫かはわかんないですけど……今上様は、多くの人々に慕われておられます。七十年くらい前に、戦争があって……それを、今上様のお父上のせいにしてる人たちもいますけど……天皇家は、廃れてなどいません」
 陽人は順徳院の目をまっすぐ見て言った。それを聞いた院の目が静かに見開かれ、やがて――穏やかに、笑んだ。
「そうか……我が子孫は、慕われておるか。天皇家は……廃れたわけではないのか……なら我は……あまりに長い間、何に執着していたというのだろうな……」
 悲しい声は、最後の言葉を紡ぐ。指先が静かに、空気へと溶け始めた。彼は認めたのだ。この場所に自分を縛ったのが、自分自身の――天皇家復権の夢であったことを。
「できるならもっと早く……汝らのような者が来てくれたならよかった……ただ、汝らがここへ来てくれたことを、心から……ありがたく、思うておる。世話を……かけた」
 指先が、足先が、柔らかな光となって空気へ溶け、その姿はだんだん見えなくなっていく。足枷は自らの手によって外され、彼は今、自縄自縛の悠久から、解き放たれようとしていた。
「さらばだ、人ならざる子らよ。もう、会うことはあるまい……ああ、やっと……父上……母上……」
 順徳院はそう言い残し、姿を消した。後には、「人ならざる子」と呼ばれた二人だけが残った。
「あのおっちゃん……わかってたんだ。俺たちが『普通じゃない』ってこと」
「サイ、お前は誰を相手にしていたと思っている……第八十四代天皇、別称佐渡院……小倉百人一首の、最後の一首……ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり……この歌の作者、順徳院だ。しかもいくら望みが強かったとはいえ、七百年もあの姿を保ち続ける力は並じゃない。最初から知ってたんだ、多分な」
 あ、それで、と陽人が突然大声を出したので、怜司は不機嫌な声で、なんだうるさいぞサイ、と彼をたしなめた。
「いや、なんで忍草なんだろう、なんで京都なんだろうって俺ずっと謎だったんだよね。今謎解けた。あーすっきりした」
「……サイ、お前は僕と同じ大学を卒業したように記憶しているが、どんな手を使った? その程度の学で、なんでお前が平然と四大卒を名乗っている?」
 専門じゃないもーん、と言う陽人に、怜司はやれやれといった様子でかぶりを振った。この幼なじみには多分、これ以上何を言っても時間の無駄だ。
「それでも……京都まで来たけど、結局俺たちが元に戻る手がかりはなかったな」
「まあ最初からこんなことだろうと思っていた。強い思いによって土地に縛られる……簡単に言ってしまえば、彼は地縛霊だったわけで、僕たちみたいに生きたまま悠久の存在にされた化け物とは質が違う。僕は最初から、お前の大学時代の友達とかいう依頼人の依頼を解決に来ただけだ」
 そもそもの始まりは、探偵事務所を営む陽人の元へ、京都出身の大学時代の友人がしてきた不思議な依頼だった。京都の御所の隅に幽霊がいるという。今はきれいに整備され、観光客に公開されている、その隅だけが異様に朽ちた姿になり、そこに悲しげな顔をした、直衣姿の霊が立つというものだった。特に害があるというわけではないが、悲しげにたたずむ姿を見た人が何人もおり、それが数十年に渡っているという話で、解決を望むというよりは、お前こういうの調べてるだろ、という一言とともにもたらされた、「幽霊を調べてほしい」という依頼だった。
 怜司と陽人。二人は幼なじみであり、小中高大と同級生であり、某県警所属警部と元警察官の探偵であり、現在は一緒に住む同居人であり――死ねない化け物と、その眷属だった。怜司はとある事件により、「神」によって「死」と「老」を奪われ、その眷属となった陽人もまた、同じく死せず、老いない存在であった。そんな二人の元には、時折こうやって、普通では考えられない不思議な案件が持ち込まれることがある。今回はそれが、京都という遠方の地だっただけだ、と怜司は思っている。
「僕たちはこの状態になってせいぜい四年ってとこだ。対して順徳院は七百年……それだけの時間、意識だけで一カ所にとどめられた人間というのが、どういう風になるのか確認したかっただけだ。ヒントは最初から期待していない」
 わかってたなら断ったのにぃ、と言う陽人に、怜司は背を向け、帰るぞ、と一言言い放つ。
「えー! 京都まで来て、もう帰んの? 御所だけ来て、しかもこんな隅っこだけ見て! 観光しようよ怜司、たまには普通の人間らしくしようよぉ」
「依頼は果たした。僕は観光に興味はない。今夜の宿は取ってない。帰るぞ」
 そう言って、怜司はすたすたと歩き出した。それを追って、せめて御所の桜と橘見て帰ろうよお、と言いながら陽人が続く。その背中を見送るように、美しく整えられた御所の軒端の下、忍草が、そっと、咲いていた。

宮中も、忍草が生えるほどに、朽ち果ててしまった。その忍草のように――偲んでも、思っても、なお余りあるほどあふれる想いは、かつて栄えた、華やかなりし宮中への――そしてそこで、幸せに暮らしていた、天皇家への想いであることだよ。
 結局、ご本人にご登場いただく形になりました(
結局のところ、古きものへの未練はいつの時代も、どんな人でも、断ちがたいものがあると思います。その辺からイメージを膨らませて、最終的にこういう形となりました。

もうちょっと雅に、恋愛モノとか書いても……いや、それは言うまい。
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