もういちど、あなたの元へ
まっくらなトンネル。
せまくて、出口の見えない道をずりずりとすすむと、そこは雲の上でした。
ここはどこ?
小さな少女はあたりをきょろきょろします。
「ここは、天の上だよ。僕は神様」
声にふりかえると、そこにはながくて白いヒゲをたくわえた神様が立っていました。
「きみは、戻ってきてしまったんだね」
神様はなでなでと少女の頭をなでます。
それで少女は全てを思い出しました。自分が今までいた所、そして、戻って来てしまったことを。
「わたし、じょうずにできなかったの」
「きみのせいじゃないよ」
下を向く少女をたしなめるように、神様が声をかけます。
「じゃあ、だれのせい?」
「だれのせいでもないよ。世の中というものはうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあるのさ。それは神様の世界だって同じだよ」
神様はほんの少し、むずかしいことを言いました。よくわからなくて、少女は首をかしげます。
だけどすぐに悲しくなって、ふかふかした雲の上に座りました。
「わたし、あのひとのところで、生まれたかったよ」
少女は神様が作ったいのち。
神様のしごとは、天の上からいのちをくばること。
その手からはなれた、たくさんのいのちは、たくさんのおかあさんに宿るのです。
やがていのちは生まれ、神様のことは忘れてしまいます。
でもときどき少女のように、戻ってくるいのちもあるのです。
「おかあさんは、わたしがお腹にいることを、とても喜んでくれたの」
「そうなのかい?」
「おとうさんにもお話して、おとうさんも、喜んでいた」
「きみは、望まれていたんだね」
神様も少女のとなりに座って、空をながめます。
天の上は雲の上だから、少女の目の前は、青い青い空が広がっていました。
「おかあさんは、読み切れない程たくさんの本を買ったの。いっしょうけんめい読んでたけど、頭を使いすぎてふらふらしてたわ」
「読書家だね」
「おかあさんは、お腹をなでて、たくさんうたを歌ってくれたの。ちょっとオンチだったけどね」
「うたは心で歌うものさ」
のんびりした神様の言葉に、そうかもしれないね、と少女はつぶやきます。
ふかふかした雲はとても座り心地がよかったけれど、少女はもっとあたたかくてきもちの良い所を知っていました。
おかあさんのお腹のなかです。
「おかあさんは、毎日わたしに、お話してくれたの」
「どんな話をしてくれたのかな?」
「はやく会いたい、とか、今うごいたかも? とか。おとうさんに気のせいって言われて、まだか~って落ち込んだり」
「喜んだり落ち込んだり、いそがしいおかあさんだね」
「本当ね。わたしも、おかあさんはもう少し落ち着いたほうがいいと思うわ」
こくりと頷き、少女は雲をつかんで持ち上げました。ふわりと手のひらに浮かんだ雲は、すぅっととけるように消えていきます。
「毎日、まいにち。お腹をなでて話していたの。名前は何にしようか。おとことおんな、両方の名前を考えておこうね、とか。体操しておかないとね、とか、ちゃんと栄養のあるもの食べようね、とか」
だけど少女はいま、天の上にいます。
少女は戻ってきてしまったのです。
生まれることができなくて、いのちは神様のもとに戻ってしまいました。
「おかあさん、泣いてた」
しずかにきえてしまったともし火は、ただひっそりと悲しむ。
「わたしが、じょうずにできなかったから、おかあさんを悲しませたの」
「ちがうよ。悪いものなんていない。だから、泣くのはおよし」
涙をうかべた少女の目を、神様はやさしく指でぬぐいました。
「そういうこともあるさ。きみは悲しんではならない。いのちはいつだって、希望でなければならないからね」
「きぼう?」
「喜ばれるべきだということさ。きみが悲しんだら、いのちの意味がない」
いのちは希望で、喜ばれなければならないから、悲しんではいけない。
それでも少女は、ここに戻ってきてしまったことがつらくてうつむきました。天の上から下のせかいがよく見えます。
いつのまにか、少女はおかあさんをさがしていました。
まだ悲しんでいるかな。泣いているかな。
「あれ? おかあさんが、わたしを見てる」
天の上にいるのだから見えているわけがないのに。
それでもおかあさんは、ふしぎと少女を見つめていました。
「きみに戻っておいでと、言っているんだよ」
「戻っていいの?」
「もちろんさ。きみが、おっちょこちょいでちょっとオンチなおかあさんから生まれたいと思っているのならね」
にっこりと神様は笑います。
少女はもういちど、天の上から見下ろしました。
おかあさんはお腹をなでて、またいっしょにがんばろう、と言っていました。
少女はやっぱり生まれたい、と思いました。
「わたしはあのおかあさんがいい。おっちょこちょいで、ちょっとオンチで、いっぱいお話ししてくれる、おかあさんが好きだから」
「なら、行っておいで。おかあさんはきみを待っているよ」
神様が手をひとふりすると、道があらわれました。それはまっすぐに、おかあさんに向かってみちびかれています。
「さようなら、神様」
「さようなら、幸せになるんだよ」
少女は神様に手をふって、するすると天の上からおりていきます。
つぎはじょうずにできますように。
ううん。たまたまじょうずにできなくても、がんばろう。
悲しんではいけない。いのちは、希望でなければならないから。
少女はもういちど、おかあさんのお腹にやどりました。
おかあさんは笑顔になって、おとうさんと喜びました。
おかあさんがちょっと運動すると、おとうさんが心配して、少しはたいそうもしなくちゃいけないのよ、といっしょうけんめい説明します。
うっかり重いものを持とうとしたときは、さすがに怒られたようで、おっちょこちょいな所はあいかわらずでした。
たくさんのうたを歌ってくれました。
でも、やっぱりすこしだけ、オンチです。それなのに、お腹のなかでそのうたを聞くと、少女はとても嬉しくなりました。おかあさんといっしょに歌いたいと思って、思わず声をあげます。すると、しゃっくりがでてしまいました。
「うごいた!」
おかあさんがびっくりしたように、お腹に手を当てます。
しゃっくりは止まりません。少女はいっしょうけんめい止めようと手足を動かしましたが、しゃっくりもがんこです。
「うごいてる! うごいてる!」
おかあさんはあわてて、おとうさんにお話しました。
ようやくしゃっくりがおさまって、少女はふぅと安心します。お腹の中でうたを歌うのはやめたほうがよさそうです。
「うごいてないよ」
「今まですっごい、うごいてたんだよ!」
いつのまにか、おとうさんとおかあさんが言い合いをしていました。ケンカはしてほしくないと思って、少女はえい、と足でお腹をけってみます。
「ほらぁ!」
「ええ?」
おとうさんがおかあさんのお腹に耳をあててきます。いきなりおとうさんが近くにきて、少女ははずかしくなってしまいました。
「ぜんぜん、うごいてない」
「なんで!」
なんでといわれても、おとうさんが近くにいて、はずかしいのです。
おかあさんはそれからもずっと、少女とお話をしてくれました。
ある日、おかあさんはゆったりと椅子に座りながらお腹をなで、こんなお話をしました。
「あなたがお腹にやどる前にね、あなたにはおねえさんか、おにいさんがいたんだよ。でもおかあさん、じょうずに生んであげられなかったんだ」
おかあさんは、少女と同じことを考えていました。
じょうずにできなかった、と。
けれど、それはちがうよ、と少女はお腹をトントンとたたきました。
神様は言ったよ。悲しんではいけない。いのちは希望だからと。
それに、おかあさんがさいしょにやどしたのは、おねえさんでもおにいさんでもありません。
わたしが、またもどってきたんだよ。どうしても、おかあさんから生まれたかったから。
「おかあさん。わたしは、おかあさんのこどもになりたいんだよ」
やがておかあさんは、こどもをひとり、生みました。
おしまい
ご読了ありがとうございました。