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壊滅の果てに...

作者: ブレイズ



昨日の何時だったか…。


いや…思い出した。


というよりも街中にある時計が、発生時刻で針を止めている。


14時46分だ。


そう…14時46分。


俺は…この時間を生涯、忘れる事はないだろう。



紆余曲折を経て“東日本大震災”と命名された震災は…余りにも多くの犠牲を出した。



新聞欄の一角には毎日のように身元が判明した犠牲者の名前が記載され、刻一刻と死亡者の数が増えていく…。



「…朝飯ぐらい食べろよ…」


宮城県仙台市にある避難所。


身体を揺り動かされ眼を覚ますと一緒に避難した悪友が開口一番にそう切り出した。



クリーニングしたばかりのスーツは既に皺だらけになり、何気なしに顎を摩れば無精髭のザラザラとした感触。


「ほら」


「んっあぁ」


会議室だという部屋に着の身着のまま避難した俺達二人……いや正確には、幾人もの避難者がカーペットで覆われた床に寝転がっている。


「…配給か」


「あぁ。アルファ米のワカメ飯」


「…こう言っちゃなんだけどよ」


「ん?」


「レーションをバッグに入れなかった自分を恨みたい」


「…無い物ねだりすんなって」


「悪い…」


不謹慎だとは重々承知している。


だが…こう馬鹿話でもしていないと絶望に襲われそうなのだ。



スーパーの惣菜コーナーに置いてある透明なプラスチックのパックに入った一合にも満たない朝飯。


割り箸を割り、一粒一粒を噛み締めた。



「…家族と連絡は?」


隣に座っている悪友に尋ねながら咥内に残った米粒を配給されたミネラルウォーターで胃袋に流し込む。


「…圏外だよ」


「そっか…。親父さんもお袋さんも確か」


「あぁ。学校職員だから家にはいない。たぶん…無事だろ」


無言で頷き返した。


この悪友とは、それなりに長い付き合いだ。


だからこそコイツの故郷が何処で、現在どんな状況なのか余計に判る。


悪友の故郷は−石巻市。


昨夜のラジオから流れてきた情報では…津波により壊滅状態。



「なぁ…」


「ん?」


食い終わった悪友がパックの中に割り箸を入れてゴムで封を閉じながら尋ねてくる。


「この後…どうなんのかな?」


「…さぁてな。俺にも判らん」


「…意外だな」


「何が?」


「お前の事だから皮肉が飛んでくるかと思った」


「…状況が状況だからな」


「そっか…」


「あぁ」


沈黙が落ちた。


耳を澄ませば、周囲からは子供がぐずる声、外からは消防や救急車のサイレン音が耳を打った。


…ふぅ。


溜め息をひとつ零し立ち上がる。


「どこ行くんだ?」


悪友からの問い掛けにスラックスのポケットから煙草を抜いて見せた。


「ちょっと一服な」


「さっさと戻ってこいよ」


苦笑が零れた。


「なんだ?」


「いや…捨てられた仔犬みたいだなと」


「フン…さっさと行け」


「はいはい」






昨夜の夕食であった膨脹剤配合のクラッカーが入っていた筈の一斗缶は避難所の外で喫煙者に必要な灰皿となっている。


先客が大勢来たのだろう。


少量の水が張られた一斗缶の中には吸い殻が大量に捨てられ、無色透明の水は茶色く変色している。



煙草を一本、口に咥え恋人からプレゼントされたジッポで火を点けた。


ニコチンとタール塗れの空気にライターオイルの微かな味が混じる。


紫煙を細く吐き出すと外気に冷やされたそれが綺麗に肉眼視できた。


煙草を咥え直し、手の平にあるジッポを見詰めた。


恋人は無事だろうか…。


この状況で他人の心配をするのは映画に登場するヒーローぐらいだと思っていたのだが…。


少し傷が目立ち始めたジッポを軽く撫でるとポケットに放り込む。


「煙草って美味いのか?」


何がさっさと戻れだ…。


「結局、着いてきたのか?」


「暇でな」


「フン」


鼻で笑うと鼻孔から紫煙が吹き出た。


「今さっき家族と連絡がとれた」


「無事だったのか?」


「あぁ。今は弟と妹と高校の屋上に避難してるってさ」


「そうか…」


良かったな、と心中で呟いた。


「なぁ一本くれないか?」


「あぁん?」


悪友は煙草を吸わない筈だ。


というか何時も『禁煙しろ』と五月蝿い野郎なのだ。


「なんだ、お前も肺ガン予備軍に仲間入りしたいのか?」


「違うよ。…線香代わりさ」


「…判った」


そう返して、俺は紙ケースごと悪友に煙草を差し出した。


「全部はいらないぞ?」


「一本しかないんだ」


納得したように悪友は頷いた。


悪友が煙草を咥えたのを見て顔を近付ける。


「なに?」


「俺の火を移せ。オイルが勿体ないからな」


「…あぁ」


この状況だ。


いつライターオイルが手に入るか判らない。


悪友が顔を近付けて咥えた煙草に火を点ける。


それを確認して紫煙を吐き出した。


「…ウエッ…マズいし…気持ち悪い」


「奇遇だな。俺も野郎とのシガーキスなんて気持ち悪かった」


皮肉を返してやる。


なんだかんだ言っている割には、チビチビと少しずつだが煙草が短くなっていく。


「…聞かないのか?」


「何を?」


「線香代わり、って意味をさ」


「…言いたいなら言え。言いたくないなら…言わなくて良い」


「……婆ちゃんがさ。津波に流されたって」


「…遺体は?」


「見付かった…って消防団から連絡が」


「……………」


慰めの言葉や得意の皮肉の言葉が見付からなかった。


「…まだ80歳だぜ?昭和の激動の時代を生き抜いて…やっと…やっと幸せな老後を送れた矢先に…」


「…………」


「なにが…津波に備えてだ?なにが…防災都市だ?津波を防ぎ切れなかったじゃないか…婆ちゃんを助けられなかったじゃないかよ…!」


「…………」


「なんで…なんで…!?」


「…………」


「畜生…チクショウ…!」


「…………」


「神仏を信じた事なんかないけどよ…今は居て欲しい…」


「…………」


「居たなら…俺が殺してやる…!」


「…そうだな…」


鳴咽が混じった静かな慟哭への返答は…それで精一杯だった。










「…帰るのか?」


「あぁ…」


自分の故郷−震度7が観測された栗原市への高速バスの運行があるとの情報を聞き付けて準備を始めた。


これから仙台駅のバスターミナルへ行き、あわよくば乗車したいと思っている。


「そっちは?」


「仙石線が運行中止だからな…いつ石巻に帰れるか」


「そうか…。どうする、こっちに来るか?」


俺は悪友に“疎開”の提案を持ち掛けた。


だが悪友は首を横に振る。


「俺はここで待つさ。もしかしたら明日にでも臨時バスが出るかもだし」


「判った…」


言い始めたら余程の事がないと考えを改めない奴だからな…。


「じゃあ…元気でな…」


「あぁ、そっちも」


そう言い合うと俺は会議室を後にした。


だが玄関へと続く廊下の途中で元居た部屋へと取って返した。


「なんだ、帰らないのか?」


些か驚いた悪友が問い掛けてくる。


それには答えずスラックスのポケットから予備に持っていた百円ライターを渡した。


「なんだ…これ?」


「餞別だ、持ってて損はない」


「…礼は言っとく」


「あぁ」


そう言って背を向ける。


「なぁ?」


「あん?」


急に声を掛けられて悪友に振り向く。


「この先…壊滅の果てに…どんな未来が待ってると思う?」


「………」


「皮肉でも何でも良い…何か答えてくれ」


渡した百円ライターを見詰めたままで悪友が言う。


「そうだな…俺には判らない」


「だよな…」


そう言うと悪友の奴は苦笑した。


「悪い。我ながら馬鹿な質問だった、忘れてくれ」


「ただ…」


「…?」


「どんな夜にも必ず夜明けは来るんだ」


「…………」


「必ずな」


「どんな夜でも?」


「あぁ。当たり前だけど、な」


言い切り悪友の顔を見ると…奴の表情は久しぶりに見る濁りのない笑顔だった。


「…そうだな」









その後、俺は故郷へ向かうバスに乗車した。


満員だったが運よく、なんとか一席だけ空いていたのだ。


高速バスの筈だが…高速道路が緊急車輌のみ通行可能になっている為に一般道路を通行している。



やはり…何処もかしこも震災の爪痕が生々しく残っている。


反対車道には被災地へ向かうのだろう、オリーブドラブに塗装された自衛隊車輌が列をなして進んでいく。



ふと視界の端に複数の人影を捉えた。



それは夫婦だろう老人二人を背負った若い男性二人。


…どう見ても家族の類いではなさそうだ。


赤の他人に手を貸す、なんてのは平時では考えられなかっただろう。


だが……状況が状況だ。


助け合わなければ生き残れない。



そして…既に復興へ向けた歩みは始まっているのだ。



誰かが認めなくても俺が認めてやる。


それで良いではないか。



どんな形であれ、この地は必ず復興する。


それを信じるしかない…いや、そう信じたいのだ。


『明けない夜はない。必ず夜明けはくる』



悪友に贈った月並みな台詞を噛み締めながら、俺は故郷へ向かうバスの揺れに身を任せた。






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