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傷痕
作:浅葉りな


 私――森沢みくはレズだ、と最初に言い出したのが誰なのか、私は知らない。いつのまにかその噂には尾ひれがついていて、気がつけば中学校中でまことしやかにささやかれるようになっていた。
 子供ってのは残酷なものだよな、と自分だって子供のくせに私は思う。
 その噂がささやかれはじめた頃からいじめははじまって、今では私は透明人間になっていた。
 まあ、別にいいんだけど。好奇心たっぷりにいろいろ聞かれるよりはずっとマシだ、と思っている。
 なにしろクラスの女の子たちなんか、私が正直に「女の子のむちむちした胸とか尻とかフトモモが好きなの」と言ったら、「キモチワルーイ」なんて言う。
 なに言ってるんだか知らないけど、男の子たちの頭の中なんか私以上にえげつない妄想でイッパイなんですよ? とか思うけれど、言わない。
夢見る乙女の夢を壊しちゃったらかわいそうだ。今の世の中、優しいと苦労するものなのです。
 そのようなわけなので、私は今日もひとりで座っていたりする。
昼休み、ほとんどの女の子は誰かと一緒にごはんを食べてるけど、私はいつも、こうしてひとりでパンをかじっている。
 本日のメニューはたこやきパンだ。ちょっとソースでべちょべちょしてて、手や口が汚れそうなのが失敗だったな、とちょっと後悔しているところ。
「あ……森沢さん、お昼、一緒してもいい?」
 声をかけられて見上げると、可愛らしいピンクのお弁当包みを手に持って、見慣れない女の子が首を傾げていた。
「いいけど……ごめん、誰だっけ」
「飯田千秋。今日、転校してきたの。寝てたから、覚えてないでしょ」
「ああ……うん、ごめん、全然おぼえてない」
 朝のHRの時間は、私にとって貴重な睡眠時間だ。
なにしろ透明人間相手にちょっかいをかけてくる野暮な人間もたまにいるので、しっかり睡眠をとって体力を温存しておかないといけない。
「おもしろい人ね、森沢さんて」
 千秋ちゃんは口もとに手を当てて、上品に笑う。
「なのにどうしてひとりでいるの?」
 前の席のイスを持ってきて私の向かいに座って、千秋ちゃんが言う。
 とたん、クラスがしんと静まり返る。
 いやだなあ、こういう雰囲気。
どうせだったら徹底的に透明人間させてくれれば快適なのに。私は内心、ため息をついた。
「そういう趣味だから」
「なら、わたし、もしかして邪魔?」
「ううん、別に」
 邪魔ってほど親しいわけじゃないし。昼ごはんくらい、誰かが目の前にいたってかまわない。
「よかった」
 言いながら、千秋ちゃんはお弁当の包みを開く。
あらわれたのは、可愛らしい、キャラクターもののお弁当箱。古代エジプトの壁画と同じスタイルでこっちを見ている猫のイラストが入っている。
 きっと、このお弁当箱の中身は愛情たっぷりの手作り弁当に違いない。
 冷凍食品なんかいっこも使ってなくて、栄養だけじゃなくて彩りまで考えてあって。リンゴはうさぎさんの形だし、ウインナーはタコさんに決まってる。
「どうしたの? わたしの顔になにか、ついてる?」
「ううん、別に」
 多分、幸せな子なんだな、と思った。

「ね、森沢さん、一緒に帰ろう?」
 人ごみに巻き込まれるのがいやで、わざとゆっくり支度していたのに、靴箱の前では千秋ちゃんが待っていた。ざっくり編んだ手編みっぽい白いマフラーが長い黒髪によく映えている。
 あのあと、他の子とも話していた様子だったのに、私のことは聞いていないんだろうか。それとも、聞いているけどこの態度なんだろうか。どっちなのかよくわからないけど、どうやら私はなつかれてしまったんだろう。
「別にいいけど」
 誰かが帰り道に一緒にいたって、別に迷惑ってわけでもない。私は千秋ちゃんのゆっくりした足どりにあわせて、ゆっくり、歩き出した。
「ねえ、私の噂、聞かなかったの?」
「聞いたけど……でも、森沢さんはそんな人じゃないって、わたし、信じてるの」
「ふぅん」
 どんなふうに言われているんだろう。よほど信じがたい嘘を吹き込まれたか、よほどのお人よしかどっちかなのかな、と思った。後者だとしたら、私の苦手なタイプだ。
 少しだけ警戒しよう、と頭の中のメモに記しておく。こういうタイプは注意しないとすごく厄介だ。
「それにわたしたち、友達でしょう?」
「……そう」
 いつのまに友達になってたのか知らないけど。そうだったんだ。なんだか不思議な気分になった。
 一緒にお昼食べたくらいで友達だったら、世の中、お友達でいっぱいになってしまうと思うのだけれど。
 友達一〇〇人くらい、簡単にできちゃいそうだ。
「困ってることとかがあったら、なんでも言ってね。わたし、力になるから」
「ん、ありがと」
 適当に流しておく。
 だって、こういう人たちの「力になる」とかいう言葉くらい、当てにならないものはない。
「信じてないでしょ?」
「信じてるわよ」
 少なくとも、千秋ちゃんが「本当に力になれるつもりになってる」ってことは。
「なら、いいんだけど……ねえ、みくちゃん、って呼んでもいい?」
「いいけど」
「私のことも名前で呼んでね」
「うん」
 それが友達の証明、なんだろうなあ、と思うと、あした学校に来るのがいやになった。
 なにしろ、善意の人くらい迷惑なものはない。
 あからさまな悪意だったら、そっくりそのまま返せばいい。でも、遠まわしな悪意はこっちがなにかしたら、どんなに被害を受けていようと、悪いのはこっちっていうことになってしまう。それを思うと、気が重い。徐々にフェードアウトしてしまおうか。千秋ちゃんと仲よくする女の子はほかにもたくさんいるだろう。でないと、私のほうがおかしくなりそうだ。
「どうしたの?」
「……なんでもないけど」
 ちょっと、疲れてるだけ。
 私の内心のつぶやきなんてまったく気づかない様子で、千秋ちゃんは笑顔を見せる。
 とりあえず、当り障りのない話題ってなんだろう。千秋ちゃんの笑顔を眺めつつ、そんなことを思った。

 すぐに、私の方が爆発するだろう――とは思っていたけれど、それがこんなに早いとは、さすがに予想していなかった。
 私はため息をつきながら、筆箱を開けた。中からカッターを取り出して、ポケットに入れる。ちょっと過激な手段だけど、こうでもしないとこういう人たちは理解しない。
「みくちゃん……どうしたの? 怒ってるの?」
「まさか」
「じゃあ、どうして、そんな怖い顔してるの? わたし、間違ってること言った?」
「ううん、なにも間違ってないんじゃない?」
 きっとすごく正しいんじゃないんでしょうか。誰に聞いても、間違ってるのは私の方だって言うでしょう。それは私が一番、よくわかっている。
 私は別に、正しいとか間違っているとか、そういう話をしているわけじゃないのだ。
 休み時間にやってきて、千秋ちゃんは突然、「いじめられるのはいじめられる側にも問題があるんじゃないかと思うの」と言いはじめた。
 そこに関しては、私も別に異存はない。
 なにしろ、きっかけがきっかけだ。悪くない、とは言えない。
 でも千秋ちゃんは「そういう露悪的なところがいけないんじゃないかしら。女の子の体が好きだなんて、そういう考え方がかっこいいと思ってるから言うのかもしれないけど、あんまりいいことじゃないんじゃないかと思うの」と、頭のネジが取れているとしか思えないことを言い出した。
 なんて答えたらいいのかわからなくて、私は一瞬、呆けてしまった。
 露悪的、って。
 露悪でそんなことが言えるんだったら、なんにも苦労はいたしません。私は心の底から乳も尻もフトモモも大好きなのでございますよ。おわかりですか、お嬢さん。
 そんな言葉が頭の中を駆けていった。
 少しくらいだったら口にしてもばちは当たらないかなと思ったけど、極めて常識的にできている私の良心がストップをかけた。
 千秋ちゃんは私の沈黙を肯定ととったらしく、「わたしはみくちゃんのためを思って言ってるの。わかってくれるでしょ?」とつけ加えた。
 多分、千秋ちゃんのセリフだけを聞いていれば、ほとんどの人が、千秋ちゃんはなんて優しいんだろうと思うんだろう。
 いじめられっこで可哀相な友達に、あえて苦言を呈している、んだから。
 ああ、なんて優しくって清らかで迷惑なんだろう。
「ねえ、千秋ちゃん」
「なあに?」
「私のため、って言ったわよね?」
「ええ」
「じゃあ、私のために、なんでもできる?」
「できるわ」
 ためらいもせずに、千秋ちゃんは言い切る。
 この人はきっと、すごく純粋に自分を善人だと信じ込んでいるんだ。そう思った。
 私はポケットからカッターを出して、刃先を手首の内側に当てて、軽く引いた。
 ぷつ、と薄く皮が裂けた。
 脈にあわせてじんじんと痛みがはしる。
 とろり、と血があふれた。
 ああ、私って不健康だから静脈血がどろどろしてるなあ、と血を見ながらのん気に考えた。
「なにするの!?」
 千秋ちゃんが悲鳴に近い叫びをあげる。
 静かに私たちを見守っていたクラスのほかの子たちも口々に悲鳴をあげた。
 白いセーラー服を血が赤く汚すけど、私は気にしないで千秋ちゃんを見つめた。
 手首は切れば意外と派手に血は出るけど、よほど深く切らない限りたいしたことにはならない。私が今切ったくらいじゃ、せいぜい、あとでみみず腫れに似た痕が残る程度だ。
「同じこと、できる?」
 私は血のついたカッターを、刃先の方を千秋ちゃんに向けて差し出した。
 千秋ちゃんは一歩、あとずさる。恐ろしいものでも見るみたいに、くちびるをきつく噛みしめて、私を見ている。
「できないでしょ。そういうことなの」
 ティッシュで刃先の血を拭って、カッターは筆箱に放り込んだ。ちょっともったいないかな、と思ったけど、お気に入りのチェックのハンカチを傷口に当てた。ハンカチにはみるみる赤いしみが広がる。
「正しいことを言いたかったら言えばいいし、やりたかったらやればいいけど、それには資格が必要なの」
「なに、それ」
 千秋ちゃんは目に涙をいっぱいにためている。もう少しつついたら、きっと泣き出してしまうだろう。
 そうして私が悪者になるのだ。
「自分は安全圏にいたままで、人になにかをさせようとするのは間違いだってこと。なにか言いたかったら、自分も血を流さないといけないの」
「そんな野蛮なこと……!」
「なにも現実に血を流せって言ってるわけじゃないもの。単にね、口だけじゃなくて、なにかやらないといけない、って言ってるの」
「口だけじゃないわ」
「じゃあ、具体的になにをしてくれるつもりだったの?」
 聞くと、千秋ちゃんは黙ってしまった。
「私、そういう悪意が一番きらい」
「悪意なんかじゃ……」
「善意を装った悪意じゃない。私をそうやって傷つけて、反論したら被害者になって。私のことなんか、本当はなにも考えてないじゃない。いい人になった気分になりたいだけでしょ?」
「そんなことない」
「嘘。そう思いたいだけでしょ」
「……違う」
「嘘よ。本当に私のためになにかしてくれるって言うんだったら、同じこと、できる? 自分の腕に傷、つけられる? できないでしょ?」
 ついには顔を両手でおおって、千秋ちゃんは泣き出してしまう。
 これで明日から、また風あたりがきつくなるなあ。そんなことを思いながら、教室をぐるりと見渡す。
 思ったとおり、私に対して同情的な視線はひとつもない。
 まあ、私は腐ったミカンだから、しょうがない。
 ため息をついて、私はドアへ向かった。
「保健室行くから、先生には言っといて。掃除はあとで自分でやるから放っておいてくれていいから」
 私の言葉に答える声は、ない。
 振り返ると、千秋ちゃんのまわりに女の子たちが集まり始めていた。口々になにか言っている。
 どうせ、気にすることないよ、だとか、あの子が悪いんだから、とか、そんなことを言っているんだろう。
 私はドアを閉めて、ひとりで廊下を歩きはじめた。
 少しハンカチをずらして、傷口を眺めてみる。皮が少し裂けていて、裂けた皮の内側にどろっとした血がこびりついている。血は少しずつ少しずつ、傷口からしみだしているけれど、多分、もうすぐ止まるだろう。
 やはり、これでは大した傷痕は残らない。
 もう少し深く切っておけばよかったな、と後悔した。
 こんな傷痕はすぐにでも消えてしまうだろう。傷痕がずっと残っていれば、ああいう手合いと遭遇したとき便利なのに。
 いくら浅いとは言っても、切ったら痛いしいやな気分だ。
 だったらやらなきゃいいじゃない、とは思うけど。
 でもそれくらいやらなかったら、わからない人間の方が多いんだから、しょうがない。
 別に仲よくしたいわけではないし、ことさらに敵対したいわけでもない。
 ただ、私は静かにしていたいだけなのだ。
「……次はもっと深く切ろうかなあ」
 ぼやきながら、ハンカチをまた強く当てた。ハンカチがみるみる赤く染まっていく。乾くとどす黒くなって、ごわごわするから、保健室で洗わせてもらおう。
 横断歩道を渡る小学生みたいに、ハンカチで押さえた手を高く上げて歩く。窓からさしこむ光を浴びて、手の甲や手首の外側にいくつもの白い痕が浮かんで見えた。














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