赤みがかった指先に、細い、銀色の針が埋まっていった。異物が侵入する感覚に、内側からじんじんとした痛みが広がる。けれども、退いてはいけない。痛みには慣れなくてはいけない。
1センチくらい刺して、そして、引き抜く。針の先には少量、血がまとわりついている。赤い、普通の血液。人間の血。
傷口からはゆるゆると、赤い液体があふれ出す。私はそれを、ただ見ていた。
内側から、ひきつれるような痛みがはしる。脈にあわせて痛む指先。わたしは舌の先で、かるく、孔を押さえた。
鉄くさい香りが鼻先をかすめる。血の味は潮の味にも似ている。海水にヘモグロビンを混ぜてもっと汚らしくしたら、きっとこんなものができる。
適当なところで舌を離して、一番大きいばんそうこうを巻いた。
なんとなく、落ち着く。
私は涙を流せない。だから、代わりに、こうして血を流す。血は涙の代わりなのだ。
どういうわけか私は、本当に必要なときには泣けなかった。さっきから、むしょうに泣きたくて仕方がないのに、どんなにしぼっても涙は出てこない。くぐもった声がのどの奥で不気味に渦巻いているだけだ。
私は椅子から立ち上がる。勉強机のすぐ脇にある、ふとんをくしゃくしゃに丸めたままのベッドに横になった。
天井を見上げた。しみのような木目がいくつも浮いている。まるで人の顔のようだ。
嘆き悲しむ女の顔。それが一番多いと思った。
そのとき、ドアが遠慮がちにノックされる音が聞こえてきた。
私は答えない。ドアは神経質に、何度も、等間隔で叩かれる。
両手できつく耳をふさいだ。次に聞こえてくるのが母親の声だと、私はもう知っているからだ。
聞きたくなかった。あんな女の声など。
どうして私をひとりにしておいてくれないのだろう。私はこのままでかまわないのに。
そっと、この薄闇に包まれた部屋の中で、ひとり、過ごしていられれば満足なのに。
もちろん、彼女は、違うと言うのだろうとわかっている。
そんなものは幸せではないのだと言うに違いないのだ。本当の幸せがなんなのか、自分ですらわかっていないというのに、彼女はいつもそうだ。えらそうに、私をつかまえてはこごとを言う。どうだっていいことを延々と私に聞かせるのが楽しいのかもしれない。
やがて、意味のわからない音がなくなって、足音が遠ざかっていった。私はやっと安堵する。身体の力を抜いて、目を閉じる。
まぶたの裏には、海が映っている。
寄せては返す波が私をさらう。
私をさらってどこかへ連れて行く。私は海水に洗われるうちに、肉がこそげ落とされて、骨だけの存在になっていく……。
骨は水の中だというのに、乾いた音を立てる。私はその響きにつつまれて、胎児のようにとろとろ眠る。骨の眠りは穏やかなのだ。穏やかだからこそ、骨は永遠に眠っている。
そう、私は眠っていなければならない。眠っていなければならない、のだ。
枕の下に手を差し入れる。そこはひんやりと冷たい。
そしてそれよりもさらに冷たい、指先に触れるものがある。
私はそれを取り出して、顔の上にかかげた。
それは一振りのナイフだった。刃はとても薄い。鋭い。
実用性の薄そうな、儀礼用や装飾用のものを思わせるそれは、私の牙なのだ。
この部屋から引きずり出されることがあったら、私はきっとこれを使う。
今は針を指先に刺して、それで満足しているけれど――いつかきっと、それではすまなくなる。
刃を入れるのは自分の腕かもしれない。もしかしたら、他人の胸かもしれない。それは
今の私にはわからない。
あの人は――母親は知らない。どうして私がここにいるのか。どうして返事をしないのか。
――まあ、それはどうでもいいこと。
私は涙の代わりに血を流し、そしてまぶたの裏にある海で骨となり、そのまま生涯を終えるだろう。それでかまわない。
私は胸の上に、冷たい刃を乗せた。抜き身のナイフを胸に乗せたままで、私はまた、目を閉じた。
今度は海を見るためでなく、闇の中へと身を投じるために。
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