神様の憂鬱
そこは白、黒、この二色の中間色である灰色しか存在しない世界だった。鮮やかな色合いは一切必要ない。何故なら色はここでは何の意味をもたないからだ。下界が本来の世界ならば此処は人間の想像をはるかに超える別世界なのだろう。空想でしか形に表せない場所、此処には多くの魂が浮遊している。行く先も目的も意味も理解しないまま綿毛のように浮かんでは消えてゆく光。そこへ手に大量の書類を抱え廊下を歩く生き物がいた。すべての書類は怠け癖のある神に提出するものだ。ブツブツ文句を呟きながら真っ白い廊下を進んでゆく。
「地球に興味をもったはいいけど調査も進まないし…。いい加減神様に仕事してもらわないと」
足早に廊下を進みある部屋の前で動きを止めた。真っ白いドアを叩こうとするも、その扉の前にいくつかの丸い光が並んでいた。それはまだ生き物としての“生”をもらう前の霊魂にちかいものだった。
「君達どうしたの?神様に何か用かい?」
「私達は迷える“生”です。自分達が何に生まれ変わるべきかご相談にやって参りました」
「相談ね…。残念だけど神様に言ってもアノ人、自分のこととイタズラしか考えてないから良い返答はもらえないと思うよ」
神は面倒なことは嫌いだった。この山積みになった書類を見れば理解できるだろう。神の怠け癖のせいで課題は増えるばかりなのだ。
「それでも僕達は生まれ変わりたい。どうすればなれるか神様に聞けば教えてくれると思ったんです」
とりあえず地球の問題が書かれたこの大量の書類をどうにかしたいと思い、ドアを再びノックしようとする。しかし中から聞こえてきた会話に反応し、ドアノブに触れたまま耳を澄ました。
「神様、あと何人友達をつくれば人間になれますか?」
部屋の中は下界の同じ空間になっていた。色がきちんと存在している。むしろ絵の具で細かく作り上げたような新鮮ではっきりとした色で構成されている。それほど、この部屋の主は偉大な存在なのだ。
神は丸い物体を指で回す。そして光を見ようとはせず丸い物体を回したままさほど考えていないように、興味なさそうに答えた。
「そんなことしなくたってお前を人間にしてやるさ」
「本当ですか?なら、安心して身支度ができそうです」
光はふらふらとドアを通り抜けていった。しかしまた違う光が部屋に入っていく。
「神様、あと何人殺せば化け物になりますか?」
次は赤く丸い物体に息を吹きかけた。大気は乱れ海は大荒れ状態だろう。だが、まだ生き物が生息していないので被害はさほどない。
「そんなことしなくたってそう考えるお前は既に化け物だ」
「本当ですか?これで安心して地獄に行けます」
光はドアを通り抜けていった。次に入って来たのは光ではなく資料を大量に持った部下だった。
「神様、そんなてきとーに答えていいんですか?まして化け物になりたいだなんて…煽るのはやめてくださいよ。いいですか?今地獄ではああいう性悪な…」
「あーうるさいうるさい。忙しいんだ!一体何の用だ?」
「忙しいだなんて嘘吐いて…、とりあえず地球についてまとめたものを少し持ってきました。目を通してくださいね。あ!あと月にいる餅つき兎がサボって居眠りしてるみたいですよ。あとで月担当者に頼んで懲らしめておきますね。まったく、亀がいない星に行きたいと言ったから願いを叶えさせたのにこれときたら…」
「お前は神より働きものだな。かわりに神をやったらどうだ?」
「冗談はよしてください。それより早くサインくださいよ」
神はペラペラと紙を捲りサインをつけていった。紙がゆっくりと重力に乗りながら舞う。
「人間になりたい光は人間になって後悔するだろう。人間がどんなに身勝手でどんなに独りよがりな生き物が気づくだろう。化け物は地獄に逝き本当の化け物を目にするだろう。そしてまた化け物を怖れ今までの過ちを悔いる」
「完璧な生き物なんてこの世にはいませんからね。神様だって完璧じゃないですし」
宙に舞う紙を一枚一枚束ねながら部下は言った。丸い物体は日に日に青さが濁り色を失い始めていた。周りを白い蒸気が囲む。
「例えば此処が喜びだけでできていたら“生”は悲しみを探すだろう。例えば此処が光だけでできていたら“生”は闇を探すだろう。例えば命が永遠のものならば“生”は限りある命を欲するだろう」
“生”は無いモノねだりだ。憧れから自らの運命を決めることが多々ある。しかしそれが手に入ってしまえばまたさらに新しい何かになろうとする。
「地球が良い例ですね。無駄な知恵を身につけ、本来あるべき姿を忘れてしまっている」
「だからこうして見張ってやってるのに、兎よりも恩知らずな生き物だ人間は」
紙をまとめ終わると部下は部屋を後にした。そこから一歩出てしまえばまた、白黒と灰色の色彩に戻る。
「地球担当の方ですか?」
ふと声を掛けられ向いてみると“生”、光がこちらを向いていた。
「そうだよ」
「私はかつて地球で生きていた人間なのです。地球にすむ人間を悪くは思わないでください」
「急にそんなこと言われてもね~」
すると光は部下の周りをくるくると回り出した。
「中には地球に笑ってもらえるよう日々励む生き物もいます。地球のために涙を流しながら生きている生き物もいるのです」
地球を怒らせないために幾度となく努力がさせられた。しかし地球はまだ笑わない、地球はまだ怒りに満ち溢れている。
「あと何人涙を流せば地球は微笑むのでしょうか?」
一枚の紙が部下の手からスルっと落ちた。そこには森林や街が焼け焦げそれを止められなかった人間が泣き喚いている映像が添付されていた。不様な人間の姿を見て神は何を感じただろうか。
「神様にでも聞いてみなよ。きっと答えてくれるさ」
光は瞬く間に神の元へ飛んで行った。期待したところで神の返答は目に見えている。
(神に劣りながら神を困らせ、時には殺す存在…人間は怖いや)
部下は再び資料を運び始めた。