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第2章 成田発〜M42
 日比谷中学校の二年生は全四組で、ひと組三十名前後、男女は半々ぐらいである。今回の行事には生徒のほかに、各組の担任と副担任、校長先生、それと宇宙科学庁長官が同行する。正門の前の大通りには、すでにバスが四台ならび、出発の時間を待っていた。
 遊びの学校行事ではないので、生徒たちは全員学生服を着用し、先生たちはビジネス・スーツを着込んでいる。
 二年の生徒たちは先生の指示に従い、校庭に出て組ごとに整列していた。四組のミズホは、女子の列の一番後ろにならんでいる。前から身長順にならんでいるにもかかわらず、小柄なミズホが最後尾にされているのは、クラスメートたちが彼女の近くをいやがるからであった。
 四組の生徒は二十九名で、男子十四名の女子十五名――つまり、男女二列にならぶと女子が一人分はみ出る――ミズホの前にならぶ女子だけが、我慢すればいいというわけだ。
「もっと離れなさいよ!」
 ミズホの前にならんでいる、すらりと背の高いモデルのような身体つきのアイナが振り向いて言った。ミズホは少しさがった。
「もっとだよ」と言って、アイナは地面に置いてあったミズホのバッグをばした。
 すると、アイナのとなりにならんでいる、のっぽで太った男子のヨシトが言った。
「あーあ! ハナミズホ菌がくっついたぞ。これでアイナもバカになるな」
 去年まで寒くなると鼻水をたらしていたミズホのあだ名は『ハナミズホ』であった。
「ヨシトにうつしちゃおっと」
 アイナがヨシトの足に、ミズホのバッグを蹴ったほうの足を近づけた。
「やめろよ、バカになるだろ」
「なんてね。ハナミズホに直接さわったわけじゃないから大丈夫よ」
「本当か? バッグだって、ハナミズホ菌が染みついてると思うぜ」
 二人が笑うと、会話を聞いていた周りの連中もバカにして笑った。バッグを取りに後ろのほうへ行ったミズホは、その場にぽつんと立ちすくみ、列へもどることもできず、自分の足もとを見つめていた。そこへ、四組の担任で、ずんぐりとした三十二歳の男性教師、中里なかざと先生がやってきて、いらだつように言った。
「三城、何やってんだ! 早くならべ」
 ミズホが列にもどると、ヨシトが言った。
「ハナミズホ、自分のクラスもわかんなくなったのか?」
 生徒たちと一緒に、中里先生もミズホをバカにして笑った。
 先生たちも、誰一人ミズホの味方をしてくれない。その理由は、ミズホがバカで運動音痴だからではなく、彼女の味方をすると、ほかの生徒たちからきらわれてしまうからである。生徒たちの人気者になることは、先生たちの大事な目標の一つなのだ。一人の生徒のために、ほかの生徒たちを敵に回すわけにはいかない。もちろん、ミズホのことがかわいそうだと思う先生もいるが、助けるわけにはいかないのである。年々ずる賢くなる生徒たちに、先生がいじめられてしまう恐れがあるからだ。
 アイナの前にならんでいる、髪を金髪に染めた色黒の女子、ケイが振り向いて言った。
「かわいそうにね、アイナ。ハナミズホと同じ部屋じゃん」
「空いてる部屋に移るし。ねぇ、いいでしょう? 中里先生」甘えるような声でアイナが言うと、
「好きにしろ」と中里先生は面倒くさそうに言った。
「さすが中里先生! 話がわかるわね」
「それじゃあ、私たちの部屋に来れば?」ケイが誘うと、
「そうね、考えとくわ」とアイナが答えた。
「そろそろ校長の長話がはじまるから、静かにしてろ」
 中里先生がそう言って、最前列にもどっていった。入れ替わりに、副担任の佐野さの先生が後ろに向かってきた。生徒たちは、二十六歳のやせ細った青白い顔の副担任と軽く挨拶を交わしていた。彼が一番後ろに来たとき、ミズホも挨拶をしたが、完全に無視されてしまった。
 佐野先生は、校則を守らない生徒たちや勉強をしない生徒たちにうるさいことは言わないタイプで人気がある。しかしそれは、生徒たちが将来どうなってもいいという態度にほかならない――生徒たちが大人になって苦労しようと、知ったことではないのだから。
 しばらくすると、肥満気味で頭髪が心細い六十五歳の羽柴はしば校長が、朝礼台にあがって話しをはじめた。
「みなさん、おはようございます。えー、今日から七日間の共同生活で、えー、友達との信頼関係を深め、えー、コミュニケーション能力と、えー、未知への好奇心をつちかってください。えー、この七日間の貴重きちょうな体験で、えー、君たちが、えー、心の広い人間に成長できると、えー、願っています……」
 羽柴校長の長話はしばらくつづき、やっと終わったと思ったら、スーツ姿がよく似合う紳士的な雰囲気の、高瀬たかせ宇宙科学庁長官の話しがはじまった。彼は五十七歳で、白髪まじりの髪を短めに整えていて、穏やかそうな表情ではあるが、その目つきには何かしら力強いものを感じる。高瀬長官は、自分の自己紹介や宇宙の偉大いだいさなどを手短に話した。
 そして、組ごとにバスへ乗り込み、目的地を目指して出発していった。

 一号車には羽柴校長が同乗し、四組の四号車には、高瀬宇宙科学庁長官が同乗した。高瀬長官は、校庭からバスに乗るまでの短い時間に、鋭い観察力でクラスから孤立こりつしているミズホに気づいた。彼がミズホの隣にすわったので、四組の生徒たちはミズホをいじめる楽しみを奪われた。ミズホはバス内での安全を保証されたが、窓の外の景色を不安な表情で眺めていた。
「君の名前は?」高瀬長官が訊いてきた。
「ミズホです。三城ミズホです」か細い声で、ミズホは答えた。
「ミズホさん、宇宙は好きかな?」
「はい。星がたくさんあって、大好きです」
 ミズホの表情が少し明るくなったので、高瀬長官はうれしくなった。
「それはよかった。これからすごい数の星を見ることができるからね」
「はい」
「ミズホさんは、将来の夢とか、やりたい職業とか、あるのかな?」
「私……、私、得意なことがないんです。学年で、成績がびりなんです」
 前の座席から女子生徒たちのあざ笑う声が聞こえてきた。
 高瀬長官がミズホに優しい口調で言った。
「あせることはない、ゆっくり探せばいい」
「でも、私、バカだから……」
 ミズホの言葉を聞いて、周りの座席の生徒たちが爆笑した。
「自分より劣る人とくらべて、自分は頭がいいと思っている本物のバカよりずっとましだよ。そういう人間には未来がない。だから、ミズホさんは絶対に大丈夫」
 高瀬長官は、ミズホにではなく、明らかに周りの生徒たちに語っていた。バス内に一瞬緊迫した沈黙が流れたが、それを破ったのは男子生徒の、「成田空港だ」のひと言だった。ミズホが車窓から外を見ると、ちょうど成田空港を横切っていくところであった。
「お、もう着いたか」そう言って、高瀬長官が子供のような笑顔を見せた。
 日比谷中学校の二年生を乗せた四台のバスは、空港を通りすぎ、隣にある『成田スペースポート』にすべり込んでいった。

 成田国際空港に隣接して建設された成田スペースポートは、宇宙旅行へ旅立つための宇宙客船の港である。
 宇宙旅行といっても、地球以外の惑星へ行って休暇を楽しむようなものではなく、居住施設や娯楽施設を完備したスペースシップに乗って、いろんな星や星雲付近を数日間遊覧して帰ってくるといったものであった。
 結局、スペースシップ内で時を過ごすだけなので、宇宙旅行は海外旅行よりも人気がない――バカンス・シーズン以外の乗船率は五割以下である。それでも、宇宙旅行を主催している航空会社は『できるビジネスマンは宇宙で商談を成立させる』とか『アーティストの想像力は宇宙で加速する』などのキャッチフレーズで、観光客以外のターゲットをかくし、充分な黒字を出していた。そのほかに、シーズン・オフの空席を学校の修学旅行や科学授業に利用してもらうため、通常料金の三分の一の価格で提供し、利益を得ていた。
 出発ロビーに日比谷中学の先生たちと生徒たちは集合し、宇宙客船に搭乗する時間を待っていた。スペースシップの発着場側が全面ガラス張りなので、多くの生徒は宇宙客船を眺めながら、自分たちの宇宙旅行体験の自慢話などでもりあがっていた。
 ミズホも宇宙旅行は初めてではなかった。小学校三年生のときに、おじいちゃんとおばあちゃんの三人で、月の周りをゆっくり廻って二泊過ごすというツアーに行ったことがある。その宇宙旅行のとき、おばあちゃんがひどい宇宙酔いになり、心配したミズホは、ほとんどキャビンから出ずに看病していたので、月を眺めて楽しむ余裕などなかった。
 でも、おじいちゃんとおばあちゃんには、その宇宙旅行は無駄ではなかった。ミズホの優しさを心底知ることができたからである。その月旅行以来、ミズホは地球を離れたことがない――今回が二度目であった。
 日比谷中学の生徒たちが集まっている場所へ、ジーンズに革ジャンなどを着た十二人の男の団体が通りがかった。そのうちの一人、クルーカットの短髪に、鋭い目つきに鼻筋が通った端整な顔立ちで、長身の筋肉質な三十代後半ぐらいの男が、高瀬長官のところに近づいてきて話しかけた。
「宇宙科学庁長官の高瀬さんですね」
 男は笑顔で高瀬長官と軽く握手あくしゅをした。高瀬長官は少し困った様子でたずねた。
「たいへん失礼ですけど、どこかでお会いしましたか?」
「いや、すみません。申し遅れました。私は、海兵隊の特殊部隊に所属していました武藤むとうダイキという者です。初めまして」
「軍人さんですか」
「元軍人です。いまは小さな警備会社を経営しています。彼らは私の会社の社員です」ダイキは十一人のほうを指さした。
「スペースポートの警備でこちらに?」高瀬長官が訊くと、
「いいえ、ちがいます。今日から社員旅行でM42へ行くんです。野郎どもだけっていうのもなんですけど、社員サービスも大切ですから。社員がいなければ、会社は成り立ちませんから」とダイキは答えた。
「社員旅行ですか。それはいいですね。私たちもM42へ行くんです」高瀬長官が言うと、
「修学旅行ですか?」とダイキが日比谷中学の生徒たちを眺めて訊いた。
「いえ、今回は科学授業です」
「どっちにしても、たいへんでしょう」
「そんなことはない。学生たちと過ごす宇宙の旅も楽しいですよ」
 宇宙への修学旅行や科学授業の同行は、宇宙科学庁長官の大切な仕事の一つになっていた――よほどの理由がないかぎり、必ず同行しなければならない。
 高瀬長官はダイキに訊いた。
「ところで、海兵隊の特殊部隊に所属していたんですか?」
「ええ、対テロ特殊部隊です」
「対テロ特殊部隊! エリートの中のエリートじゃないですか」
「いや、大げさですよ」
「海兵隊の対テロ特殊部隊といったら、士官学校を首席で卒業するくらいの成績と体力がなければ入れない」
「大したことはないです」
「もしかすると、あの方たちも?」高瀬長官は十一人のほうを向いてたずねた。
「実はそうなんです。対テロ特殊部隊の後輩たちをヘッドハンティングして、会社を作ったんです」ダイキは誇らしげに仲間たちを見た。
「エリート集団ですか。少数精鋭の警備会社ですね」
「ありがとうございます」
「もし、私が大統領になったら、君たちに警備を頼みたいものだ」
「いつでも呼んでください。では、失礼します」
 ダイキはそう言って、仲間たちのところへもどっていった。そこに、スペースポートの職員がやってきて、ダイキと話しをする声が聞こえてきた。
「荷物は大丈夫だろうな?」ダイキが訊くと、
「任せてください。完璧です」とスペースポートの職員が答えていた。

 高瀬長官が打ち合わせのために先生たちのところへ行ってしまうと、ミズホはクラスメートたちから足をまれる地味ないじめを受けた。バスの中で高瀬長官に守られたことは、ミズホには決して幸運なことではなかった――クラスメートたちのいじめ魂に火をつけるようなものだった。
「やめて」泣きそうな顔でミズホが言うと、
「『やめて』」とアイナが口真似をして、クラスメートたちの笑いを誘っていた。
 宇宙旅行が普通になり、宇宙時代といわれる現代でも、残念ながらいじめはなくなっていない。人間の精神だけは、科学で進歩させることができなかった。
 出港は午前十一時。三十分前の十時半に搭乗とうじょうを知らせるアナウンスが流れ、ミズホは地味ないじめから救われた。先生たちに誘導され、生徒たちはタラップへつづく搭乗口に向かって歩き出した。
 男子生徒たちが、歩きながら発着場のほうを眺めて話している。
「どのスペースシップに乗るんだ?」
「あの大型宇宙客船だってさ」
「あれか! すげぇーな」
 スペースシップが成田を出港するまで約三十分――地球から千六百光年以上の宇宙の旅――M42オリオン大星雲へ向かう。


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