対抗型(ゴキゲン中飛車)
いよいよ居飛車穴熊もやったし、最近の流行はだいたい押さえたかな。
あといくつか、対抗型で残ってるのがあったよね。
今日はそれを教わろ、と。
「やっほー、今日も来たよ」
私が部室のドアを開けると……歩美ちゃん発見。
安定の出席率だね。
「歩美ちゃん、暇?」
私が尋ねると、歩美ちゃんは駒を動かす手を止めた。
あ、暇じゃなかったかな。見れば分かったかも……。
「暇ってわけじゃないけど……何?」
「忙しいなら、いいよ」
「別に忙しくもないわよ」
暇でもないし、忙しくもない……普通だね。
「じゃあさ、何か戦法を一個教えて?」
「何でもいいの?」
「うーん……対抗型がいいかな」
「……そう」
むむむ、これには、もう慣れたよ。
その口癖は、直した方がいいと思うんだけどね。
「昨日、渡辺明の本を読んでたってことは、居飛車穴熊はやったのよね?」
「やったよん」
八千代ちゃんに教えてもらったからね。
「じゃ、ゴキゲン中飛車にしましょ。昔ほどじゃなくても、そこそこ出現する形だし」
あ、きたね、ゴキゲン中飛車。
個人的に、名前が変な戦法筆頭格だよ。
「普通の中飛車は、もうやった?」
「普通って?」
「角道を止める中飛車」
これは……やったね。何となく、覚えてるよ。
最近は、四間飛車ばっかりだったからね。復習しないと、忘れちゃいそう。
「一応、やったよ」
「じゃあ、話は早いわ。ゴキゲン中飛車って言うのは……」
「こんな風に、角道を止めない中飛車のことよ。近藤正和プロの考案で、一時期本人の勝率が9割を超えた、めちゃくちゃ優秀な戦法」
うわ、それはびっくりだね。
松尾流穴熊でも、8割だったもん。
「要するに、これが最強?」
「『一時期』はね。その後は対策されて、今ではよくある戦法のひとつ」
あらら、それは残念。
まあ、ずっと9割だったら、みんなこの戦法しかしないかな。
それはそれで、つまらないよね。
「将棋史の中で見ると、比較的新しい戦法で、1990年代に誕生ね」
「今度は、藤井さんとは関係ないんだね」
「んー、実はあるのよね」
えぇ……どんだけ名前が出るんだろ、この人……。
「ゴキゲン中飛車の最盛期は、2004年頃なんだけど、これって、藤井システムがだんだん低調になってくる時期と重なってるの。松尾流穴熊って知ってる?」
「うん、それは八千代ちゃんに教えてもらったよ」
「その松尾流穴熊の誕生が、2003年でしょ。そこから、四間飛車は苦境に陥って、その代わりに振り飛車党が何を指すか、という答えのひとつとして、ゴキゲン中飛車が注目されたわけね。もちろん、それ以前からもたくさん指されてたけど、『藤井システムの代用』になったのは、2000年代に入ってから」
なるほどね、藤井システムの代わりに台頭してきた感じなんだね。
「まあ、必ずしも代用ってわけじゃないけど。藤井システムからは完全に独立したオリジナル戦法だし、作戦の立て方とかも、全然違うから。ただ、『居飛車穴熊にどう対抗するか』という点では、普及した理由が一緒なのよね。初期のゴキゲン中飛車に対しては、居飛車穴熊に組めないと考えられてたわけだし」
へぇ、そうなんだ。
「『初期の』ってことは、今は組めるの?」
「居飛車側の研究が進んできて、組める順も開発されてるわ」
そっか、もう猫も杓子も穴熊状態だね、こうなると。
「とりあえず、最初の数手を見てみましょ。後手番ゴキゲン中飛車のときは、7六歩、3四歩、2六歩に5四歩」
「こう指すわけだけど……何か気にならない?」
「何が?」
「よーく見てちょうだい」
よーく見るよ。
じーッ……………
……………………
…………………
………………
「あれ? これって、角交換したら、どうなるの?」
「いいところに気付いたわね。2二角成、同銀、5三角が、一瞬見えるんだけど……」
「これには、4二角として大丈夫。歩が邪魔で2六角成とできないから、同角成、同金で、馬作りを阻止できるわ」
なるほどね。隙が出来てるように見えて、そうでもないんだね。
「ただこれは、2六に歩がいるからできる防御よ。2五歩の伸ばしに放置、例えば9四歩なんてすると、今度こそ2二角成、同銀、5三角で、6四角には2六角成、それを防いで4四角には同角成、同歩、4三角」
「これでもう、どうやっても先手は馬を作れるから」
ふんふん、これも理解したよ。
つまり、2五歩のあとは……。
「5二飛だね」
「正解。そこで飛車を回って、5三角を阻止するまでが、お約束」
最初の数手なのに、結構、気を遣うね。
だから昔は無かったのかな? 関係ない?
「さて、実はこの角打ちがあるから、先手番ゴキゲン中飛車では、初手5六歩が多いわね」
んん? これは……珍しいかな。
いっつも7六歩だもんね。
「この手の意味は?」
「初手7六歩、3四歩、5六歩は、いきなり8八角成、同銀、5七角」
「先手と後手が入れ替わってるから、8四歩が突かれてなくて、いきなり先手不利ね」
……あ、そっか。
このケースだと、5筋の歩を突くのが、飛車先の歩を突くよりも早いんだね。
だから、この段階で、いきなり馬を作れちゃうんだ。
「だったら、初手は5六歩だね」
「そういうこと。先手番ゴキゲン中飛車にするときは、ここに注意ね」
私は居飛車にするつもりだけど、ちゃんと覚えておこうかな。
相手が間違ったときに、ちゃんと咎められないとね。
「さて、5二飛と回った段階に戻るわね。このとき、いきなり2二角成とするのが、いわゆる丸山ワクチンよ」
……また変な名前が出たね。
「まる……何それ?」
「丸山忠久プロが考案した、ゴキゲン中飛車対策よ。昔、丸山ワクチンって言うワクチン騒動があって、それをパロってるみたい」
うーん、薬品の方は、聞いたことがあるような、ないような……。
いずれにしても、相当昔の話じゃなかったかな。
「これで、ゴキゲン中飛車はダメなの?」
「そういうわけじゃないわ。これ自体は、1990年代後半から、2000年代前半に掛けての対策で、最近は別のが出て来てるから」
「別のって?」
「その前に、少しだけ丸山ワクチンを解説しましょう。丸山ワクチンの狙いは、角交換をして中飛車の戦力を削ぎ、その間に王様を安全に囲おうっていう考え方。よく考えると、手損してるわけで、デメリットがないわけではないわ」
あ、思い出したよ。
自分から角交換すると、手損になるんだよね。同銀で、銀が早めに動けるから。
「で、ここで王様を囲う場合にも、角がいないから、穴熊は難しいわ。例えば、角交換後にいきなり王様を6八玉とすると、3三角、7七桂、7四歩」
「これはもう、穴熊にはできないし、桂頭を狙われて、むしろ不利になってるでしょ」
……だね。7七桂と跳ねてから穴熊を組むのは、見たことがないかな。
「角交換後の正しい手は、佐藤康光プロが指した、9六歩ね」
「ん? 何これ?」
端歩を突いただけだよね。
「ここでうっかり5五歩なら、6五角、3二金、8三角成よね」
そっか……これがあるなら、5筋を圧迫できないね。
「一回9四歩って受けるよ」
「そこで7八銀」
「え? 8八角だと?」
「それは7七角で受かってるわよ」
「うーん……じゃあ、今度こそ5五歩?」
「残念ながら、それも成立しないの。5五歩以下、6五角、3二金、8三角成、5六歩、同歩、8八角に、9七香と逃げられるから」
「これが9六歩の効果よ。突いてないと、次に9九角成とされて先手不利ね」
ふえぇ……よくこんなこと思いつくね。
佐藤さんは、別のときにも出て来た気がするかな。
「ただ、ここまでの流れからも分かるように、穴熊にはできないわ。7八銀から7七銀〜8八銀の組み直しは、いくらなんでも成立しそうにないから」
そうかな? 私みたいな初心者だと、簡単にやられちゃう気がするけどね。
少なくとも、そうされたとき、対処法が分からないよ。
「さてと、丸山ワクチンはこれくらいにして、最近の対策に移りましょう。現在、急戦調で人気があるのは、超速3七銀戦法よ」
「ちょうそく?」
「超速いと書いて、超速」
超速い……なるほどね。造語かな。
「発案者は、星野良生3段よ*」
「3段って?」
「奨励会っていう、プロの養成機関の最高段位」
……プロ寸前ってことかな?
よく分かんないね。
「超速は、一手を争う戦法だから、基本的に先手でしか成立しないわ。基本図は……」
「こうね」
ふんふん、銀を速攻で繰り出すんだね。
「でもさ、さっき、穴熊にしたいって言わなかった?」
「実はこれ、超速って言いつつも、速いのは銀だけで、例えば以下、4二銀、7八玉、5三銀、5八金右、4四銀とすると、6六歩、8二玉、6七金、7二銀、7七角、6四歩、8八玉、3二飛、9八香、5二金左、9九玉、6三金、8八銀」
「穴熊の完成ね」
あらら、できちゃったね。
でも、こうなるなら、先手は何に悩んでるんだろ。
超速にしなくても、簡単にできそうだけど。
「結局、4六銀の意味は?」
「4六銀は、3筋を狙うことで、4四歩や4二銀〜5三銀〜4四銀を誘ってるの。ゴキゲン中飛車で穴熊に組みにくいのは、角道がずっと開けっ放しだから。要するに、超速は、『角道を開けっぱなしなら急戦に、止めたら穴熊にしますよ』っていう脅し」
なるほどね、了解。
「かなり欲張りな作戦だね」
「まあ、必ずしもそれが成功するとは、限らないわ。後手の対応もいろいろあるし」
そっか、これは、あくまでも一例だもんね。
「ちなみに、ちょっとだけ予備知識。初期のゴキゲン中飛車対策には、超急戦っていう戦法があって、それは本当にめちゃくちゃな急戦よ」
「この局面から、2四歩、同歩、同飛、5六歩、同歩、8八角成、同銀、3三角、2一飛成、8八角成の決戦」
「以下は、詰みまで研究されてる順も多くて、どっちも神経を使う形ね」
ひえぇ、これは本当に、超急戦だよ。5七銀右戦法とか、目じゃないね。
「実はこれ、1999年の竜王戦で2局も出て、アマチュアも真似して指してた時期があるんだけど、最近では滅多に見ないわ。超速なんかが出た今では、敢えて飛び込む順でもないと思う。居飛車にそこまでメリットがないし」
だね。これはちょっと、怖過ぎるかな。
「さてと、ゴキゲン中飛車の内訳は、だいたい説明したし、今日はこれまでね。詳しい手順なんかは、本で勉強してちょうだい。私のオススメは、村山慈明プロの『ゴキゲン中飛車の急所』、中村太地プロの『速攻!ゴキゲン中飛車破り』あたりかしら」
へぇ、たくさんあるね。
居飛車穴熊は、渡辺さんの本しか紹介されなかったけど。
「ありがとね、歩美ちゃん」
「どう致しまして」
*筆者註:2014年にプロ入り。
【今日の宿題】
次回は、早石田を取り上げます。
興味のある方は、下記の棋譜の序盤を予習してみてください。
・石田流
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=17872
・升田式石田流
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=10824
・新石田流(鈴木新手)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=14994
・新石田流(久保新手)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=65944
《将棋用語講座》
○ゴキゲン中飛車
近藤正和プロ考案の中飛車で、飛車先を止めない攻撃型の布陣が特徴。初期のゴキゲン中飛車に対しては、ほとんど急戦模様となり、丸山ワクチンを利用しての持久戦も、左美濃にするのがせいぜいであった。このため、藤井システムが低調になってからは、後継の戦法として多用され、タイトル戦などでもしばしば採用された。しかし現在では、居飛車穴熊に組む手順が開発されており、必ずしも有力な穴熊対策ではなくなっている。
《追加情報》
本作は2012年5月なので、まだ出版されていませんが、同年9月に出された菅井竜也プロの『菅井ノート 後手編』もオススメです。但し、これは有段者向け。初心者向けのものとしては、2013年の鈴木大介プロ『最強将棋21 中飛車の基本 【ゴキゲン中飛車編】』があります。