いつだって信じてくれる人
「失礼。ノックに気付かないほどヒートアップされていたようなので、勝手に開けさせてもらいました」
ネイビーのかっちりとしたスーツ姿のレイがひどく穏やかな声で言うと、主任は突然の美形の乱入に口をポカンと開いた。
しかし、金髪碧眼というレイの派手な見た目は主任の癇に障ったのだろう。主任は浮世離れしたレイに声を荒げた。
「な、何ですか貴方は!」
「宮前琴の保護者の神立レイです」
レイが答えると、琴の担任が補足を入れた。
「俺が呼んだんです。宮前の両親はすぐに呼べないので。ご両親の代わりに、今宮前と同居してる刑事さんですよ」
「け、刑事……? その見た目で……?」
透き通るような白い肌に中性的な甘いマスク、そしてペールブロンドというモデルのようなレイの容姿に、主任は不躾な視線を送る。レイはその視線に深い笑みを返した。
「れ、レイくん、お仕事中じゃないの……?」
襟元に捜査一課の証であるバッジを留めている姿を見て、琴は言った。
「琴が大変だと担任の先生から連絡を受けたんだ。来て正解だったよ。ひどい目にあったみたいだね……ショックだっただろう」
琴の小さな背を撫でながら、レイは教師陣に向かって尋ねた。
「彼女を帰宅させても構いませんか?」
「待ってください」
レイを値踏みした主任は、小馬鹿にしたように言った。
「宮前さんの処遇はまだ決まっていません。保護者が貴方のような年若い男性とは……ご家庭でどのような教育をされているのでしょうかねえ。宮前さんの不純異性交遊が事実なら、学校の名に傷がいく。宮前さんは停学、もしくは退学の処分になりますよ」
「……件の掲示板なら校長室へ来るまでに見てきましたが……」
レイは掲示板から剥がしてきた写真を、ローテーブルに投げた。
「これらの写真のどこから、琴が複数の男性と淫らなことをしていると判断されたのか僕には分かりかねますね。一部の淫らな写真は、どう見たって合成だ」
「生徒たちがそう騒いでいました!」
「事情を知らない無責任な生徒たちがな」
朔夜がぼそりと言った。
主任が朔夜を睨みつけると、朔夜は白衣のポケットに手を突っこみ、素知らぬ振りをした。
「停学処分、ね」
薄い唇に指を当て、レイは少し考えこむような仕草をした。主任は胸を反らして言った。
「今は受験生にとって大事な時期です。そうしなければ、他の生徒の保護者がこの件を知れば何と言ってくるか……」
「なるほど。クレームを恐れて、事実を確認もせず琴を処罰しようということですね」
「そんな、人聞きの悪い!」
主任はあくまで穏やかな口調で言ったレイに抗議した。レイは「失礼」と肩をすくめたあとで、「ああでも」と、まるでうららかな日差しの下で物語でも読み聞かせるような語り口で言った。
「そうなった場合、琴が誰かに貶められている事実を無視し、濡れ衣を着せた貴方を糾弾する者が出てくる可能性も、どうか忘れないでくださいね」
「な……っ? どうしてそうなるんですか!」
顎が外れるほど口を開いた主任は、舌をモゴモゴさせる。朔夜は吹き出したのを誤魔化すために、わざとらしい咳払いをした。呆気に取られる琴の視界の隅では、担任が引きつった笑みを浮かべている。
「お前さんの保護者、王子様みたいな見た目してタヌキだぞ……」
担任が、琴にこっそり耳打ちする。琴はレイを見た。
表情こそ人好きのする穏やかなものだが、レイの目はまるで笑っていない。あくまで穏やかな語り口調は、現職刑事のレイが取り調べで容疑者をじわじわといたぶり情報を吐かせるために使う手段だ。それを一般人に発揮するのだからタチが悪い。
レイの紳士の笑みの裏に潜む肉食獣の気配を過敏に感じとったのだろう。それまで強気な様子で嫌味を連ねていた主任は、急に勢いをなくした。
「私は学年主任として、しかるべき処置を取ろうとしているだけです! で、ですが――――宮前さんが誰かに貶められているって、どういうことですか」
「おや、先生ほどのお方ならお気づきになられたかと思っていました。あんな大量の写真が掲示板に貼られているなんて、誰かが琴に悪意を持ち、彼女を貶めようとして貼ったのは明白です。なのにそれを問題にせず、外聞ばかり気にして事実関係を確認せずに琴を罰しようなんて、どういう了見なのか……学校側の対応を疑いますね」
「そ、れは……」
レイの気にあてられ完全に気をくじかれた主任が、縋るように校長を仰ぎ見た。それまで静観を貫いていた校長が重い口を開いた。
「掲示板の写真だけでは、たしかに宮前さんが複数の異性と不純な関係であると考えるのは早計ですな。それだけで彼女を罰する気は、学校側にはありません」
主任の顔に失望の色が浮かんだ。校長は続けた。
「掲示板に写真を貼りだした人物については、心当たりがないかこちらも探してみます。伽嶋先生は、生徒との距離感をもっと考えるように。宮前さんも、いいね。学校では、幼なじみである前に教諭と生徒である自覚を持つように」
「はい」
琴と朔夜の声が重なる。たしかに朔夜との距離が近すぎたと、琴は反省した。
「それから神立さん、今回の件は、お家で宮前さんとよく話しあってください。写真の中には、夜遅くに出歩いていたとみられるものもある。その点は、改めるよう保護者である貴方からしっかり指導していただくようお願いしたい」
「分かりました……琴、行こうか」
レイは琴を立ち上がらせると、細い肩を抱いて校長室のドアを開けた。するとそこには、聞き耳を立てていたのか、紗奈と加賀谷がコート姿のままカバンを背負った状態で立っていた。
「こら、お前たち! そこで何してる!」
主任が紗奈と加賀谷を叱り飛ばした。しかし、二人は気にした様子もなく琴に寄ってきた。紗奈は琴の冷えた手をギュッと両手で包みこみ、力強い声で言う。
「琴! 大丈夫!? 嫌がらせされたって聞いてアタシびっくりして……琴のこと悪く言う奴らは、アタシと加賀谷で全員シメるから心配しないでね!」
「詳しくは知らねえけど、俺らが絶対守ってやっから気にすんなよ。どうせ犯人は、伽嶋先生のファンクラブの奴らだって! 尻尾掴んで捕まえてやるからな!」
加賀谷が熱っぽく言った。二人の力強い言葉に、琴は堰止めていた涙腺が緩むのを感じた。
「ありがとう、二人とも……」
正直、誰に尾行されて掲示板に悪意のあるメッセージと写真をばら撒かれたのか分からず恐怖がある。が、友人二人のお陰で、人間不信にならずに済みそうだと琴は思った。
自身を守るように肩を抱きこみながら、琴は校舎をあとにする。レイができるだけ人気のない場所を選んでくれるのがありがたかった。
「琴……大丈夫?」
ホームルームの時間になり、人のいなくなった外足場で靴を履きかえた琴にレイが言った。琴は気丈に微笑んでみせた。
「うん。ごめんね、レイくん……迷惑かけて。一人で帰れるから、お仕事戻っていいよ」
「いや。家まで送るよ」
「でも」
「いいから」
その言葉に有無を言わせぬ力を感じ、琴は頷く。駐車場へ赴くレイの横顔をこっそり盗み見ると、いつもより表情が固い気がした。