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鉛の騎士と砂色の竜
作:浅葉りな


 ひんやりと冷たい石の廊下を、シリル・ランバートは早足に歩いていた。
 普段は人の気配くらいはあるはずの場所なのだが、シリルが来るということが先に知れ渡っていたせいか、今は気配すら感じられない。慣れているから気にならないといえば気にならないが、それでも、シリルは内心、ため息をつかずにはいられなかった。
 原因はわかっている。常にシリルの連れている砂竜――パムのせいだ。
 パムの外見は、たしかに恐ろしい。
 大きさは人間より少し大きい程度だが、瞳はぎらぎらと赤く輝き、爪も牙も鋭くとがっている。
 砂色をした皮膚はかたく、剣など簡単にはじきかえしてしまいそうだ。
「お前はなにも悪くないのにな」
 シリルは立ち止まり、ふり返ってパムの喉をなでる。
 パムはごろごろと猫のように喉を鳴らした。
 砂竜は外見こそ恐ろしいが、いたって温厚な生きものなのだ。普段は虫を食べて生きている。
 だが、そんなことは、いくら説明したところで理解されるはずもない。
 シリルはそのことをよく知っていた。
 人は外から見えるものにまどわされやすいのだ。
「……早く、行くか」
 シリルはため息をついた。
 とにかく早くすませてしまいたい。どうせ茶番なのだ。
 今日、シリルは新しい補佐官を紹介されることになっていた。これで今年にはいって8人目になる。
 シリルは、若くして鉛の騎士の地位についている。
 この国では、頂点に立つ騎士のことを尊敬を込めて黄金の騎士と呼ぶ。
 その下につくのが、白銀、赤銅、青銅、黒鉄、鉛と名づけられた騎士たちだ。シリルはその中でも一番下の、鉛の騎士の地位にいる。
 だが、金属の名を与えられた騎士の中では階級が低いとはいっても、そのさらに下には、紫、青、赤、黄、白、黒に色の名を与えられた騎士たちが星の数ほどいる。
 金属の名を与えられた騎士たちは、色の名を与えられた騎士たちを率いる。人数はまちまちだったが、必ずひとりは補佐官としてそばに置かなければならない、とさだめられていた。
 その慣例にしたがってシリルにも補佐官がつけられるのだが、誰ひとりとして長続きしなかった。
 パムのこともあるが、なにより、シリルは人からうとまれている。
 シリルの鉛色の瞳がその原因だった。
 実力主義のこの国において、シリルの瞳の色が黒でも茶でもないことは、特に出世には響きはしない。
 だが、異相を持つというだけで、迷信を信じ、シリルをいまわしいものであるかのように扱う人間もいるのだ。
 そのような扱いを受けるのには慣れているから、シリルも割り切ってはいるが、それでもあまり愉快ではない。
 今回の補佐官は特に、女だと聞いている。
 女はとかく、迷信にふりまわされやすい――
 そう思うと、どんどん足が重くなる。補佐官などいらない、とすら思う。
 だが行かないわけにもいかない。シリルは首をふって気持ちを切り替えると、小走りに近い速さで歩きはじめた。

 シリルは戸の前に立つと、深呼吸をした。
 この扉の向こうに、シリルの補佐官に任命された女――ラティーシア・アドルファスがいるのだ。
 ラティーシアは、この国の頂点に立つ、黄金の騎士の遠縁にあたる娘だという。つまりは、鼻持ちならない高慢な女なのだろう。
 まったく、気が重い。
 これから浴びせられるであろう罵言をいくつか頭の中でシミュレートして、シリルはため息をついた。
 そして意を決して顔を上げると、戸を叩く。
「鉛のシリル様ですね。どうぞお入りください」
 扉の向こうから、凛とした声が響いた。
 シリルは一瞬、驚きに目を見開く。
 まさか、こんな対応をされるとは思っていなかった。
 シリルは鉛の騎士だとはいえ、平民の出だ。
 身分の高い人間は、たとえ階級が上の相手であっても、平民に対してはどこか態度がぞんざいになるものだ。だが、扉の向こうから聞こえてきた声には、そんな様子は微塵も感じられなかった。
「シリル様ではなかったでしょうか。もしも人違いでしたら、非礼をお詫びいたします」
 中から重ねて、声がかけられる。
「いや。私はシリルで間違いない」
 あわててシリルは言った。
 そしてそのまま、戸を開ける。
 戸を開けた瞬間に目に入ってきたのは、背筋をぴっと伸ばし、シリルに向かって敬礼する、栗色の髪をひとつに結った小柄な女の姿だった。室内には、他には誰もいない。
 簡素な皮鎧を着込み、定められたとおりに青のマントを羽織っている。顔立ちを見ればたしかに女だとわかるのだが、逆にいえば、顔さえ見なければ男だと言われても信じてしまいそうだ。
 シリルはパムを連れて室内へはいった。
「本日付で補佐官に任命されました、青の騎士、ラティーシア・アドルファスです。よろしくお願いいたします」
 シリルがうしろ手に戸を閉めたとたん、はきはきとした声で女が言う。
「あ、ああ……」
 シリルは生返事をかえした。
 とにかく、なにもかもがシリルの予想からはずれていた。
 だいたいの場合、新しい補佐官たちは、まず、シリルの鉛色の瞳を見て眉をひそめる。
 そのあとでパムを見、怯えたような顔をするのだ。
 だが、ラティーシアときたらどうだろう。
 シリルを軽んじるような態度をとらないどころか、パムを見ても顔色ひとつ変えない。
「私の顔になにかついていますでしょうか」
 ラティーシアは表情ひとつ変えず、シリルに向かって訊ねてくる。
「……いや」
 シリルは首をふった。
 よく考えれば、これくらいは当然の対応なのだ。今までが悪すぎた、というだけで。いったい、自分はなにを驚いているのだろうかと、シリルは内心、己のこれまでの不遇を思った。
「君が、ラティーシアか」
「はい」
 間の抜けた問いではあったが、ラティーシアはやはり顔色を変えない。
 まるで機械のような女だ、とシリルは思った。
 これまでにシリルが遭遇してきた女たちとは、ラティーシアはどこか違うようだ。
 だが、いくら違うとはいっても、所詮は女だ。シリルの補佐官に任命されたというのも、どうせ、名前だけのことなのだろう。
「君は補佐官ということになるわけだが――実質、仕事はなにもないと言っていい。任務をあたえられた場合でも、私はひとりで行く。君にはほとんどの場合、待機していてもらう」
 シリルはこれまでと同じように、淡々と口にした。
 そのときはじめて、ラティーシアの眉間にかすかに皺がよる。
「それは、私が女だからですか」
「いや。私の補佐官には、いつだって仕事はない。それだけだ」
 シリルは首をふった。
「どういうことでしょうか」
 なにも知らないのか、ラティーシアが訊ねてくる。
「私の任務は少々、特殊だ。だから砂竜とふたりで行くことにしている」
「……つまり、私がいてもかまわない、ととってよろしいでしょうか」
「ああ。そうだが」
「わかりました。では、これからは私もお供させていただきます」
 ラティーシアはきっぱりと言い切る。
「……君は、自分の言っていることがわかっているのか」
「わかっているつもりです。それとも、やはり、私がいては不都合でしょうか」
「そうではない。ただ……私は常に、この砂竜を連れている。私と来るということは、常に砂竜と行動をともにする、ということだ」
 それでもいいのか、とシリルは暗にほのめかした。
 だいたいの人間は、パムに対して恐れをいだく。
 だがラティーシアはそんな感情とは無縁であるかのようだった。パムに目をやったあとで、また、シリルへと視線を戻す。
「なにか、問題がありますでしょうか」
「問題は、ないが……無理をする必要はない」
「無理はしていません。それとも、その砂竜は獰猛なのでしょうか」
「……いや。そんなことはない」
 シリルは首をふった。
 外見こそ恐ろしいが、パムはいたって温厚だ。
「君はパムを恐れないのか?」
「砂竜の名前ですか?」
 シリルの問いには答えず、ラティーシアが訊ね返してくる。
「ああ、そうだ」
 シリルはうなずいた。
「触っても、いやがりませんか?」
「いやがらないとは思うが……」
 質問の意図がつかめず、シリルは眉を寄せた。
「それでは、失礼します」
 ラティーシアは敬礼していた手を下ろすと、正確に礼をし、シリルのほうへと歩いてくる。
 そしてシリルの隣で立ち止まった。
「どこを触れば喜びますか?」
「……喉のあたりだが」
「そうですか。失礼します」
 ラティーシアはうなずき、パムへと手を伸ばす。
 ラティーシアの白い指が、パムの喉をくすぐった。
 きゅう、とパムが小さく鳴く。
 だがラティーシアは恐れた様子もなく、犬や猫を相手にするかのような態度でパムをなで続ける。
「君は……パムが、恐ろしくないのか?」
「シリル様が、『この砂竜は獰猛ではない』とおっしゃいました」
 ラティーシアはシリルを見、なにを当たり前のことを、とでも言いたげな顔で言った。
「ああ、たしかに言った」
「でしたら、なにを恐れることがあるのでしょうか」
 そう口にしたラティーシアは、心の底から、そう思っているようだった。
 シリルは思わず、口をつぐむ。
 不思議な娘だ、とシリルは思った。
 ラティーシアには、シリルを疑うなどということは思いつきもしないのかもしれない。
「……いや。ないな」
 シリルはうなずいた。
「そういえば、立会人はどこに? 見たところ、君ひとりのようだが」
 それからふと気がついて、シリルは訊ねた。
 通常、補佐官の任命の際には、立会人がつくことになっている。
 もっとも、補佐官はそう簡単に交代するものではないから、シリルのように頻繁になってくると状況が違ってくるのかもしれない。
「あ、はい。本当は青銅のフラン様がいらっしゃるはずだったのですが、急用ができたとのことで……手紙をお預かりしています」
 ラティーシアはシリルに向きなおると、懐から出した白い封筒をシリルに差し出した。
 ずいぶんと余裕があったのか、封筒にはきちんとろうで封がしてある。この様子だと、中の手紙は走り書きには程遠い、格式ばったきちんとしたものだろう。
「……急用、か」
 シリルはため息をつきながら封筒を受け取った。
「なにか不都合でもございましたでしょうか」
「いや、君には落ち度はない。ただ……やはり、私はよほど嫌われているようだ」
 シリルは封筒をあかりに透かした。やはり、中に入っているのは1枚ではなさそうだ。
「嫌われている、などとは……本当に急いでおいででした」
「そうだろう。そんなポーズでもつけなければかっこうがつかないからな」
 シリルは鼻を鳴らした。
 要は、フランはシリルに会いたくはない、ということなのだ。
 シリルはまだ若い。
 若くして高い地位にいるということは、それだけ風当たりが強くなる。自分よりあとから来た人間が自分の先に行くことを、人はなによりも恐れるものだ。
 シリルにとっては、こうした些細ないやがらせは日常的によくあることだった。
 今回の手紙も、どうせ、面と向かっては口にしたくないようななにかが記されているのだろう。フランは陰険なくせに小心だ。
 シリルは手紙の封を無造作に手であけた。封筒を懐に入れ、中の便箋をひらく。
 フランからの手紙は、丁寧にも、時候のあいさつからはじめられていた。
 はじめはどうでもいいような文句が並んでいる。
 定型文のようなあたりは飛ばし読みして、シリルは本題らしき部分へと目をやる。
「……まったく、よくもこう、次から次へと……」
 シリルは思わず眉を寄せた。
「なにか、問題が?」
 ラティーシアが声に緊張をにじませる。
「いや。問題はない……といえば、ない」
「問題がないようには見えませんが……」
「……ああ。面倒なことを押しつけられたようだ」
「面倒なこと、ですか?」
「君も自分の目で確かめてみるといい」
 シリルはひらひらと便箋をふりながら、ラティーシアへと差し出した。
 ラティーシアはためらいがちに手を伸ばし、便箋を受け取る。
「読んでしまっても大丈夫ですか?」
「ああ」
 シリルはうなずく。
 ラティーシアは頭を下げると、便箋へ目を落とした。
 その顔が、みるみるうちに険しくなっていく。
 それもそうだろう、とシリルは思う。
 手紙に書かれている任務――それは、町外れの廃屋に隠れているらしい、武装集団の残党の捕縛、だった。
 この国では時折、小規模な内乱が起こるのだ。
 国をおさめるのが騎士たちということもあり、騒ぎはすぐに鎮圧される。だが元々は蜂起するのはただの市民ということもあり、残党をすべて確保することは難しい。
 そのため、こうした落穂拾いのような任務も出てくる。
 普段ならばたいしたこともない任務なのだが、今回は事情が違った。
 今回、捕縛を命じられた集団は、事件にかかわった人間すべてを死罪とする、と既に命がくだっている。
 つまり、シリルが捕縛した人間たちはすべて処刑される――ということだ。
 実行犯は既にとらえられているし、残党をそこまで執拗に狩ることはない、とシリルは思っている。
 もちろん、あとのことを考えればそれは正しいのだろうとは思うが、シリルにはまだ、そこまで割り切ることはできないのだ。
「これは……ひどい、ですね」
 しばらくして、ラティーシアが小さく口にした。
 シリルはうなずく。
「ああ。だが、これも正式な命令だ。したがわないわけにはいかない」
「ええ……。ですがたしか、残党とはいえ、かなりの人数になるのでは? それをおひとりで捕縛されるのですか?」
「つまりは全部殺してこい、ということだろう」
 色の称号を与えられた騎士たちにはそうした裁量権は与えられていないが、シリルには与えられている。
 だからこそ、これはいやがらせだ――というのだ。
 全員を捕縛することなど、シリルひとりではできるはずがない。
 とすると、取れる手段は、全員を斬って捨てることのみだ。そのときに、乱闘にでもなってけがのひとつもしてくれれば――というのがフランの本音なのだろう。
「……どうする? 私はひとりでもかまわない」
 シリルは肩をすくめながら訊ねた。
「私も行きます」
 ラティーシアは即答する。
「女性にはつらい任務だと思うが」
「馬鹿にしないでください!」
 シリルがうっかり本音をもらすと、ラティーシアがにらみつけてくる。
 シリルのほうが階級が上だから手を出さないだけで、そうでなければ殴っている――ラティーシアの瞳はそう告げている。
「すまない、馬鹿にしたつもりはなかった。ただ……少し、つらい任務になるだろうからな」
「……はい」
 うなずいたものの、ラティーシアはまだ怒りをおさめていないようだ。
 どうやら彼女にとっては、女扱いというのは地雷のようだ。
 どうしたものかと、シリルはラティーシアから視線をはずし、パムと目をあわす。
 パムの赤い瞳は、じっとシリルを見つめている。
 なんだか責められているような気分になって、シリルは肩をすくめた。
「早いうちに行ったほうがいいだろう。私はこれから廃墟に向かうつもりだが、問題はないだろうか?」
「ありません」
 ラティーシアは即答する。
 もはやその表情には、怒りは浮かんでいなかった。ラティーシアは気持ちの切り替えも早いようだ。
「では、行こう」
 シリルは鉛色をしたマントをひるがえし、パムに目で合図をおくった。
 パムはきゅう、とひと声鳴いて、シリルのあとをついてくる。
「あ、手紙……」
 そんなシリルのあとを、ラティーシアはあわてて追いかけてきた。横に並ぶと、手にしていた手紙を、律儀にも差し出してくる。
 別に捨ててしまってもかまわないのだが、と思いつつ、シリルはそれを受け取った。

   *

 シリルたちが町外れの廃屋につく頃には、やや日が傾きかけていた。
 これくらいの時期がいちばん、暑い。シリルは寝そべっているパムに少し翼をひろげるように命じながら、額の汗をぬぐった。
「……思ったよりも、数が多いようですね。女子供ばかりではありますが……」
 ラティーシアが生真面目に報告してくる。
 こんなに暑いのだからパムの翼の陰にでも入ればいいのに、ラティーシアはかたくなに廃屋の様子をうかがっている。
「それから、他にも誰か隠れているようです。あそこに人影が見えました」
 ラティーシアが廃屋から少し離れた、岩場の陰を指す。
 シリルはゆるくかぶりをふった。
「廃屋より、そちらを注意したほうがいいな」
「……どういうことです?」
 ラティーシアがふり返って、不思議そうな顔をする。
「残党よりも、あちらのほうが危険だ、ということだ。……パム、とりあえず、あそこにいるやつを追いはらってくるんだ」
 面倒ではあったが、シリルはパムに命じた。
 パムは首を伸ばしてシリルの指すほうを見る。
 そうしてきゅう、と鳴いて立ち上がると、ばさりと翼をはばたかせた。
 パムが翼をはばたかせると、風がおこって少し涼しい。これからはパムにはあおいでもらうことにしよう、などと、のんきなことをシリルは思った。
「そんな……見つかってしまいませんか?」
「大丈夫だろう。見つかったところで、多少の武器ではパムは傷つかない」
 砂竜のうろこは鉄よりも硬いのだ。
 万有物質ででもできている武器ならばともかく、鉄くらいではパムには傷ひとつつけられない。
「ですが……」
 ラティーシアはさらに言い募ろうとしたが、それよりも、パムが飛ぶほうが早かった。
 パムはすべるように、何者かが隠れているとおぼしき岩場へと飛んでいく。
 悲鳴が上がるのが聞こえた。
 そして続く、かたいもの同士がぶつかりあう音。
「まあ、大丈夫だ。見ていたまえ」
 不安げなラティーシアに、シリルは気楽に言った。
 そこに、パムの咆哮がかぶる。
 すると岩場の陰から、黒いマントをつけた騎士が飛び出してきた。
「あれは……私たちのほかにも、捕縛を命じられた人間がいた、ということですか?」
 ラティーシアの優等生的発想に、シリルは思わず吹き出した。
「君はずいぶんとおもしろいことを考えるな」
「なっ……おもしろい、とは、それは、どういう……」
 ラティーシアが頬を赤くする。
「あれは青銅のフラン殿の配下の騎士だろうな」
 シリルは笑いながら答えた。
「フラン様の……? でも、なぜ、そんな」
「この任務はいやがらせだ、と言っただろう?」
「ええ、それはお聞きしましたが……まさか」
 やっと気がついたのか、ラティーシアが眉を寄せる。
「多分、そのまさかだ」
 シリルはうなずいた。
「誰かが私に傷を負わせることを期待するより、自分で仕組んだほうが早いだろう? 乱闘のさなかなら、なにが起こってもおかしくはない。遠くから弓ででも狙えばいいだろう」
「……そんな、ひどい」
 ラティーシアがくちびるを噛む。
「まあ、気にしていてもはじまらんさ。……行こうか」
 シリルは立ち上がり、ラティーシアをうながした。
 パムには手で合図を送る。
「はい」
 ラティーシアは立ち上がって、剣を抜く。
「ああ、剣は抜かなくていい」
「ですが……先に抜いておかないと、反応が遅れます」
「大丈夫だ。今日は平和的に話しあうつもりだからな」
「話しあい……? 捕縛に来たのではなかったのですか?」
 シリルはその問いには答えず、曖昧に笑った。
 そして廃屋へ向きなおると、背筋を伸ばして堂々と歩いて行く。
「シリル様、そんな、正面から行くなど……!」
 ラティーシアがあわててシリルの先に行く。
 なんの警戒もしていないシリルに対して、ラティーシアはうしろて見ていてわかるほどに緊張している。
 なんとなくその様子が可愛らしく思えて、シリルはこっそりと笑った。
「大丈夫だとは思うが」
「ですが、相手がどんな武器を持っているかわからない以上、対策はたてるべきです」
「言葉の通じる相手なのだから、それほど気にする必要はないと思うが……」
 シリルは足を止め、廃屋の窓に目をやった。
 さすがに戸を開けてのぞくようなものはいないようだが、窓の陰にはちらほらと人影が見える。
「そちらがこちらに危害を加えないかぎり、こちらもなにもする気はない。誰でもいい、責任者をひとり出してはもらえないだろうか?」
 シリルは廃屋に向かって大きく叫ぶ。
 しばらく、廃屋は静まりかえったままだった。
 だがやがて、廃屋の扉が開く。
 中から出てきたのは、過ぎ去った年月を感じさせる、顔に深い皺のきざまれている小柄な老女だった。枯れ木のような身体つきだが、雰囲気はまだまだ若々しい。
「ここには女子供しかおらん……と言うても、無駄じゃろうな」
 下からシリルを見つめながら、しゃがれた声で老女は言った。
「あなたがたには拘束命令が出ています。抵抗しないようならこちらも攻撃は加えませんが、抵抗するようであれば……」
 ラティーシアが杓子定規に口上を述べようとする。
「言わなくていい」
 シリルはそれを制した。
「シリル様、ですが……」
「私はあなたがたを拘束するつもりはない。できるだけ遠くへ逃げてほしい、と思っている」
「なっ……!」
 ラティーシアがふりかえって、声を上げた。
「この国に残っていても、追われるだけだろう。ならばどこか別の都市へ逃れたほうがお互いのためだと思う。どうだろうか?」
 だがシリルはそれを無視して、老女に向かって語りかけた。
「そんなことをして、何の益がある? それをどうやってごまかすつもりじゃ」
「砂竜の炎に焼かれると、人間は骨も残さずに塵のようになってしまう、と聞いている。大量になにかを焼いた塵が残っていれば、いちいち確認などしないからな」
「……なるほど」
 老女は何度かうなずくと、むにゃむにゃ、と口の中でなにかをつぶやく。
「できれば、服かなにか不要なものがあればそれを使わせてもらいたい」
「……わかった。少し、待っておれ」
 言うと老女はゆっくりときびすを返す。
 シリルは黙って、そのうしろ姿を見送った。
「シリル様……こんなことが知れれば、ただではすみません」
「ああ。だから、あの騎士を追い返した」
 震える声で口にするラティーシアに、シリルはこともなげに返した。
「あとはこのことを知るのは、私と、君と――それから、ここにいる人間たちだな。私は誰にも話す気はないし、彼らも話さないだろう。あとは君さえ黙っていれば、誰にも知れることはないと思うが?」
「……それは、私に黙っていろ、というご命令でしょうか」
 ラティーシアはかすかに眉を寄せる。
「いや、君の自由意志でいい」
 シリルは首をふった。
 ラティーシアの眉間の皺が深くなる。
「いったい、なにを考えていらっしゃるんですか? 私が本当にしゃべらないなどと、どうしてわかるんです?」 詰問口調でつめよられ、シリルは苦笑した。
 どうやら、なにか彼女の琴線に触れるようなことを口にしてしまったらしい。
「君は誰にもしゃべらないだろうと思った。それでは、理由にならないだろうか?」
 シリルは素直に口にした。
 そう、理由などない。
 ただラティーシアはしゃべらないだろう、と思った。そういったカンを、シリルは大切にすることにしているのだ。
「……私には理解できかねます」
 ラティーシアは吐き捨てるように言った。
 わかってはもらえないのだろうか。自分の見立てがはずれるのは久しぶりだと、シリルは嘆息する。
「ですが」
 だが、予想に反し、ラティーシアはまっすぐにシリルを見つめ返してくる。
 その目には、失望も落胆もなかった。
「私もシリル様と同意見です。ここにいるのは難民であって、反乱分子ではない」
 そう言い切るラティーシアの目には、たしかな意志の輝きがある。
 いい目をしている、とシリルは思った。
 彼女はきっといい騎士になるだろう。騎士に必要なのは、剣の腕前ではない。騎士としての心だ。騎士の心を持たない騎士はただの殺戮者でしかない。
「これだけあればいいかね」
 そうしているうちに、先ほどの老女が、ぼろきれを腕いっぱいに抱えた子供をしたがえて戻ってきた。
 本当に不要な布であるらしく、ぼろきれからはすえたにおいがただよってきている。シリルは思わず顔をしかめた。
 見ると、ラティーシアはシリルよりもずっとあからさまに、顔をしかめてぼろきれを見ている。どうやら、彼女には耐えがたい臭気であるようだ。
「すまんの、これでもずいぶんとマシなところを選んできたつもりじゃが」
 言われて、ラティーシアが息を呑む。頬にさっと朱がさした。
「……いえ。こちらこそ、申し訳ありません」
 しぼりだすようにそれだけ言うと、ラティーシアは、うつむいて黙り込んでしまう。
 それも無理のないことだ。
 なにしろ、もともとが平民であるシリルでさえ、顔をしかめてしまうのだ。貴族の娘には衝撃的であろう。
 だが、シリルはあえてなにも言わずにいた。ラティーシアはこの先、もっとずっとたくさんのことを知らなければならないのだ。この程度で手をさしのべていては、彼女のためにならないだろう。
 ここですぐに顔を上げられる者は少ない。シリルだって、今のように平然としていられるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。
 だが、ラティーシアはすぐに顔を上げた。まだわずかに頬は赤いが、それだけだ。
 彼女は、稀に見る逸材というやつなのかもしれない。シリルは口の端に、わずかに笑みをきざんだ。
「なにか私の顔についていますでしょうか」
「いや。特になにも」
 出会ったときと同じように冷静な声で問われ、シリルはあわてて首をふった。
 どうやらラティーシアはシリルの予想に反して、本当にすっかり立ち直っているようだ。
「それで、私はなにをすればよろしいでしょうか」
 ラティーシアは静かに訊ねてくる。
「そうだな……ああ、そうだ。これを、いろいろなところに散らばしてくれ。人が逃げていきそうなあたりに」
「人が逃げていきそうなあたりに……ですか?」
「獰猛な怪物に襲われて、逃げ惑わない人間がいると思うかね?」
 ラティーシアの問いに、シリルは問いで返した。
 ラティーシアは一瞬不思議そうな顔をしたものの、すぐにシリルの意図を悟ったらしい。子供たちからぼろきれを受け取ると、それを建物のすみのほうや、物陰などにばらまきはじめる。
 要は、偽装工作なのだ。
 実際にはパムは人を襲うことはないが、シリルがいつも連れ歩いていて、どんな命令であっても素直に従うことから、兵器のようなものとしてとらえられているふしがある。
 つまり、いかにも怪物に襲われて逃げ惑いでもしたかのようにしておくのが、ある意味では自然であるということなのだ。
「あとは私たちで処理しておく。どうか、できるだけ早くこの地を離れてほしい」
 シリルは老女に向き直り、深々と頭を下げた。
 本当ならば、彼女たちは追い出されるいわれなどなにもない。だが、異民族には冷たいのがこの国だった。それをシリルは身をもって知っている。
「お若いの。そんな顔をしなくとも、お前さんが私らのためを思ってしてくれたのだということは、ちゃあんとわかっているから、安心おし。誰も恨んだりするものか。この子らの孫子の代まで、お前さんたちのことを語り継ごう」
 答える老女の声音は穏やかだ。
 胸に痛みを感じながら、シリルは顔を上げ、老女と子供たちを見た。
 恨んだりするものかという老女の言葉は、たしかに真実なのだろう。子供たちは黒い目をきらきらさせながら、シリルを見つめ返してくる。
 自分は本当は、感謝されるようなことなどなにもしているわけではないのに。
 それを思うと、どうしていいのかわからなくなる。だが、子供たちの前でそんな顔をするわけにもいかず、シリルは無理に笑顔をつくった。それからもう一度、頭を下げる。
 彼らの笑顔が痛いと思う。
 自分はなにもできていない。なにもできていないから、こうして、彼らを逃がそうとするのだ。
 シリルはくちびるを噛みしめながら、ゆっくりと、顔を上げた。
 老女と子供たちは、まだ、じっとシリルを見つめている。
 シリルは笑みを浮かべた。
 老女も微笑みを返し、軽く頭を下げると、子供たちをうながして背を向ける。
「ばいばい、お兄ちゃん!」
 老女のあとを追いながら、子供のうちのひとりが、大きく手をふって言う。
 シリルも手をふり返した。
 それから、すぐにラティーシアへと向き直る。
「見張りが戻ってこないうちにすませてしまおう」
 いくらパムに追い払わせたとはいえ、ぐずぐずしている余裕はない。万が一、パムが本当は危害をくわえる気がないことに気づかれてしまったら、もはやおどしは効かなくなってしまう。
「はい」
 ラティーシアは緊張した面持ちでうなずくと、用意されたぼろきれに近づく。
 だが、ラティーシアはぼろきれの山の前で立ち止まってしまう。どうやら、ためらっているらしい。
 たしかに、ここまで汚れた布はシリルでも見たことがない。元は白い布だったかもしれないものが、全体的に黄ばみ、ところどころにしみのようなものを浮かせている様子は、お世辞にも清潔とは言いがたい。シリルでさえも触れるのをためらうほどなのだ、お嬢様育ちのラティーシアにはきついだろう。
 自分がやるほかないだろうかとラティーシアに近づき、シリルはあることに気がついた。ラティーシアの目が違う。
 ラティーシアの眼差しは、まっすぐに、ぼろきれの山へとそそがれている。あわれむような眼差しだ。
 どうやら、自分は思い違いをしていたらしい。いったい何度思い違いをすればすむのだろうかと、シリルは苦笑いを浮かべた。
 ラティーシアにとって、これはただのぼろきれではないのだ。彼女はこれに、人の想いを見ている。
 シリルは無言でラティーシアの肩を叩いた。
 ラティーシアは打たれたようにふり返る。ふり返ってシリルを見たあとで、恥じ入るように目を伏せる。
「恥じることはないさ」
 シリルはなぐさめるように言った。
 そう、けっして、恥じるようなことではない。
 その感覚は、なにがあっても失ってはならないもののうちのひとつだから。
 軽く肩を押すと、ラティーシアは顔を上げ、まるで何事もなかったかのようにぼろきれを抱え上げる。
 腕いっぱいに抱えたそれを、ラティーシアは1枚1枚、そっと地面へと置いていった。
「おいで」
 シリルはパムへと声をかける。
 それまでおとなしくしていたパムが、嬉しそうに翼をばたつかせた。シリルはパムの翼を、そうっとなでてやる。
 砂竜の外見は爬虫類に近いため、全身がごつごつとしているように思われがちだが、実は翼はなめらかな手触りをしている。こうもりの翼と同じように、骨と骨の間に、皮膚のうすい膜のようなものがはっているためだ。
 とても美しい身体だ、とシリルは思う。
 多分、誰に言ったとしても、同意してくれる者などいないことはわかっているが、それでもシリルは砂竜を見るたびに、なんて美しい生きものなのだろうと思うのだ。
 砂竜は人のように弱くもなく、いつもなにも恐れるものなどないかのように、じっと前を向いている。シリルにはそれがうらやましくてならない。
「塵しか残らないようにこれを焼いて欲しい。わかるな?」
 ラティーシアの置いたぼろきれを指し、シリルは言った。
 パムは嬉しそうに鳴くと、すうっと胸をふくらます。空気がびりびりと震えた。
 そして大きく口を開く。
 ちらりと赤い舌がのぞく。
 それからそれ以上に赤い炎が噴き出した。
 頬が熱くなる。皮膚が乾いて、ちりちりとする。
 少し離れた場所にいるシリルですらそうなのだ。衣服は風にあおられて踊るような動きをしながら、みるみるうちに黒い塵になっていく。
 あたりにはものの焦げたにおいと、饐えた人間のにおいがただよった。
 思わず顔をしかめたくなる。
 けれどもシリルは顔色ひとつ変えず、その光景を見つめていた。
 自分のしていることは、決して間違ってはいないのだと――そう信じるために、目をそらさずにいた。
「――ラティーシア」
 しばらくしてから、場違いなくらいに明るい声音で、シリルは言った。
「はい?」
 ラティーシアが顔を上げる。
 汚れた衣服をばらまいていたせいか、少し顔や手足が汚れていた。本人は気づいていないのか、汚れたままの手で額をぬぐう。そうするとまた少し、顔に汚れがつく。
「甘いものは好きかい」
「……甘いもの、ですか」
 きょとんとした顔だ。
 おそらく、こんなことを訊ねられるとは想像もしていなかったに違いない。
「ああ、君さえイヤでなければ、帰りにつきあってもらおうと思ってね」
「特に問題はありませんが――急に何をおっしゃるのかと思いました」
 と、ラティーシアが首を振る。
 自分でも唐突だと思うくらいだ、ラティーシアにはもっとそう感じられることだろう。
 ただ、こういうことのあとには、自分へのご褒美めいたなにかを用意することにしているのだ。
 シリルは小さく笑って、横のパムにもたれた。一瞬パムは身じろぐが、すぐにおとなしくなる。
 とんでもない高温の炎を吐くというのに、砂竜の身体は驚くほどに冷たい。
 今日はよく働いてくれたから、パムにも何か用意してやることにしよう。どんな虫をつかまえてきてやろうか。
 そういえば、彼女は虫は嫌いだろうか。ふとシリルは思う。
 はじめと同じように、顔色ひとつ変えないだろうか。それとも普通の女たちと同じように、真っ青になってしまうのだろうか。
 そう考えると楽しみだ。
 どの虫をつかまえようかと思いながら、シリルは天をあおいだ。
 じりじりと肌を焼く太陽が、青い空にの真ん中で、白く大きく輝いていた。















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