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真面目な刑事は洒脱なマフィアに狙われる

作者:山田まる
※洒脱なマフィアは素朴な花を愛おしむ(http://ncode.syosetu.com/n1716cg/)の続編。

この話だけでもわかるとは思いますが、あわせて読んでいただけるとよりお楽しみいただけるかと思います。
 ジェラルドは、アレス区に務める刑事である。
 もともとはアレス区に生まれ、アレス区に育った生粋のアレスッ子である。
 そんなジェラルドにとって、無能な前領主の悪政により荒廃したアレス区を立て直すために働けることは喜びですらある。どれだけ忙しかろうが、安月給でこき使われようが、そんな己の労力で助かる人がいるのならば報われる。
 そんなわけで、ジェラルドは今日も真面目に働いていたわけなのだが。
 ふと、窓から見た外があんまりにも良い天気だったもので。
 たまには外で飯でも食うか、と思った。
 緊急の呼びだしがない限り、本日は内勤だ。
 本日中に処理するつもりだった書類は、もう七割ほど片付いている。
 それにしたって、別に今日中に仕上げなければいけないというほど切迫しているわけではない。普段は捜査を目的に出歩くことの多いジェラルドだが、たまには己が守っている『平和なアレス区の日常』を楽しむのも悪くはないだろう。
 そうして己が守るものの実感を得れば、明日からの仕事にまた頑張れる。

 そんなわけで、ジェラルドは

「俺、ちょっと外でメシにしてきます」

 事務のおばちゃんにそうひと声かけると、背広のジャケットを軽く腕にひっかけて悠々と署を後にした。

 

 

 

 

 

 

 外で食べる、と言ってもどこかレストランに入る気はあまりなかった。
 少々ボリューム的には物足りなくなりそうだが、せっかく天気も良いので、公園でホットドッグでも買って食おうと思ったのだ。ジャンク極まりない安いホットドッグだが、たまにどうしようもなく食べたくなる。少し乾いた柔らかなパンにぷりぷりのソーセージを挟み、トッピングは細かく刻んだオニオンのみ。その上に舌が痺れるほどのマスタードをぶっかけ、ケチャップは添える程度、というのがジェラルドにとってのジャスティスである。

 そんな昔ながらのホットドッグを出す屋台が、署から歩いて十分ほどの交差点に店を出している。これも、少しずつ治安が回復したおかげだ。一時期のアレス区は、街角で商売をするのが命がけとまで言われていたのだ。そういう意味で、美味いホットドッグを出す屋台も、ジェラルドにとっては褒美のようなものなのかもしれない。

 上機嫌に鼻歌をふんふん歌いながら、屋台の前の列に並ぶ。
 ホットドッグを買ったら、すぐ近くの公園のベンチでかぶりつくことにしよう。

「ホットドッグ一つ。オニオンとマスタード多めで頼むぜ」
「なんだ、刑事さんか。コーヒーはオマケにつけとくよ」
「あんがとさん」

 顔なじみのおっちゃんとそんな会話をして、紙に包まれた作りたてのホットドッグを受け取る。熱々のコーヒーは地域住人からの心あるサービスとして受け取っておく。決して賄賂ではない。店側としても、こうしたサービスを目当てに警察関係者が店に立ち寄ることで、『警官立ち寄り店』として悪漢から身を守ろうと言う思惑があるのだ。その辺りは魚心あれば水心、というものだろう。
 そして、くるりと振り返ったところで。

「あ」
「うわ」

 べちゃっと。
 ちょっとした事故が起きてしまった。
 ジェラルドの背後に並んでいた少女が、ジェラルドが思っていたよりも近くにいて、きっとジェラルドは少女が思っていたよりも勢いよく振り返りすぎてしまったのだ。その結果、オニオンとマスタードがもりもりのホットドッグが少女の胸元をべったりと汚すことになってしまったのだ。

「っ……悪い!」
「いえ、こちらこそごめんなさい」

 慌ててジェラルドは紙ナプキンを少女へと差し出す。
 本来ならばジェラルドが責任を持って拭くべきなのだが、相手は女性で、しかも汚してしまったのは胸元だ。迂闊に手を出せば、別の罪状が付きかねない。
 気を悪くした相手に怒鳴られ、クリーニング代を請求されるぐらいのことは想定していたジェラルドだったが、彼女は別段怒った様子もなくジェラルドの差し出した紙ナプキンを受け取って胸元をぐいぐいと拭い出す。
 それどころか、

「あ、おじさん私にもホットドッグください。飲み物はジンジャーエールで!」

 なんて、何事もなかったかのように注文をしている。
 それから困り切った顔で少女を見つめていたジェラルドへと目をやると、にこっと口元を笑みに緩めた。まるで大丈夫だよ、とミスをやらかした年少者を安心させるような笑みだ。

「あと、おじさんこの人のホットドッグにオニオンとマスタードをもう一度盛ってあげてください」

 思わず目を丸くしたジェラルドの背後で、ホットドッグ売りの男が耐えかねたように笑いだすのが聞こえた。










 ジェラルドより頭一つほど小柄な少女は、アイリーンと名乗った。
 豊かにうねる黒髪と、快活そうな小麦色の肌、深い蒼の瞳が印象的な少女だ。
 汚れたのはパーカーだけだからと汚れたパーカーは脱いでしまい、今はジェラルドのジャケットを羽織っている。

「悪かったな、服、汚しちまって」
「それぐらい大丈夫ですよ、ジェラルドさんがジャケット貸してくれたおかげですぐに洗えましたし」

 そう言うアイリーンの背後、二人で並んで座ったベンチの背には、公園の水道でじゃぶじゃぶ洗われたパーカーが無造作にひっかけて干されている。

「だが……」
「いいんですって。第一、ホットドッグ奢ってくれたじゃないですか」
「それぐらいはな」

 渋い顔をしているジェラルドに屈託なく笑い掛けながら、がぶりとアイリーンがホットドッグにかぶりつく。それにつられたように、ジェラルドも新たにオニオンとマスタードが盛り盛りになったホットドッグへと喰らいついた。ガツンと鼻に来るオニオンとマスタードの後を追いかけて、ぷちんと弾けた肉汁と、柔らかな小麦の甘さが口の中に広がっていく。

「……美味い」

 しみじみとジェラルドは呟いた。
 どうしようもなくシンプルな組み合わせなはずなのに、美味い。
 アイリーンも、うんうんと頷きながらももくもくとホットドッグを食べている。
 しばし、無言でホットドッグを食べる間を挟み、ジェラルドはわずかにケチャップの滲んだ親指をぺろりと舐めてから改めてアイリーンへと向き直った。
 いくら相手が良いと言っているからといっても、さすがにホットドッグ代ぐらいで手打ちになるとは思えなかったのだ。アイリーンは無造作に着こなしてはいたものの、アイリーンの着ているものはいかにも質が良さそうである。

「で、詫びなんだが」
「だから良いって言ってるのに」

 ジンジャーエールのカップに唇を寄せつつ、アイリーンが困ったように眉尻を下げる。

「俺はすぐそこにある署で刑事をやってるジェラルドっていう」
「おお、刑事さん!」
「そうそう。だからまあそれなりに給料も貰ってるし、クリーニング代ぐらいちゃんと出してやれるから遠慮せず言ってくれ」

 懐から、アレス区の刑事であることを示すバッジをちらりと出して見せる。

「うーん……」

 アイリーンは悩ましげに唸り出した。
 クリーニング代を請求するべきかどうかで悩んでいるのかと、ジェラルドは言葉を続けようとするものの……それより先に、アイリーンが軽く首を傾げて口を開いた。

「それじゃあ、ジェラルドさん、今晩私に付き合ってもらえませんか?」
「…………は?」

 まさかのナンパであった。
 思わず目が丸くなったジェラルドの反応に、アイリーンも自分の発言がどういう意味合いで受け止められたのかに気付いたのか、さっと健康的に焼けた小麦色の頬に朱色を滲ませた。

「あの、その、違うんです。私、お店で働いてるんですけど、お客さんがついたことがなくてですね」
「ああ、なるほど。俺に客になってほしい、ってことか」
「はい」

 状況を察して、ジェラルドはくつりと喉を鳴らして笑った。
 どうやらこのアイリーンという少女は、快活そうな見た目とは裏腹に夜の仕事に従事しているらしい。アイリーンならばもっと他にも仕事は有りそうなものだ、とは思うものの、そういった職業に対してジェラルドは偏見はない。善良な市民として生きている限り職業に貴賎はないと思っているし、そういった夜の仕事に従事する人間とはジェラルドの職業上関わり合いになることも多い。
 情報を回してもらう代わりに店で飲んで金を落とす、なんてやり方をしたことがないわけでもないのだ。

「いいぜ、今晩一杯飲みに寄らせてくれ」
「えっと……その、それだけじゃなくて」
「なんだよ?」

 気恥ずかしそうに、アイリーンが目を伏せる。
 もじもじと居心地悪そうにはにかむ様が、幼げで可愛らしい。
 そう年が離れているわけではないのに、年長者ぶって庇護してやりたいような、そんな気持ちにさせられる。

「……その、ですね」
「おう」
「私の、見栄なんですが」
「……おう?」
「アフターに付き合うふり、して貰えないですかね」
「ぶ」

 思わずジェラルドは噴き出していた。

「なんだよ、それ。お前なら引っ張りだこになりそうなもんだけどな」
「それが私、一度もアフターに誘ってもらえたことがないんですよ。っていうか客すらついたことがないんです」
「マジか」
「マジです」

 アイリーンは店でいじめにでもあっているのだろうか。
 ジェラルドの目から見ても、アイリーンの見目はとても良く整っている。無造作な格好をしている今ですらそうなのだから、店に出るために着飾ればその美しさはもっと輝くだろう。こうして話している分には、気立てだって悪くない。話していて楽しい相手だ。それなのに客が一人もつかないというのは一体全体どういうことなのだ。

「まあ……客商売でそれは致命的だな」
「でしょう? なので、ジェラルドさんに客のふりをして貰えたら嬉しいな、と」
「了解、俺だって美人と飲めるのはありがたいしな」

 客商売の夜の世界で、客がつかなければ店での立場は悪くなる一方だろう。
 今夜はこの少女のために、ちょっとぐらい張り切ってお金を落としてやっても良いかもしれない。
 そんなことを思いつつ、ジェラルドはアイリーンから渡されたカードを受取ったのだった。

 

 

 

 

 

 珍しく定時で署を出たジェラルドは、一度部屋に戻って一張羅めいたスーツへと袖を通した。

 アイリーンから受け取ったカードに、店の名前は書かれていなかった。手触りからして上質だとわかる漆黒のカードの表面には、シャンパンゴールドの箔押しで蝶が小さくワンポイントで描かれているだけだ。引っ繰り返すと、同じ箔押しで住所が刻まれている。

 いかにも、高級店だ。
 これはジェラルドも相当気合を入れなければ、アイリーンに恥をかかせてしまうことになる。いつもの背広とは違い、長身の映える細身のシルエットのスーツに、光沢のある細身のタイを合わせる。しっかりと磨かれた滑らかな革靴に、きらりと光るカフス。普段のジェラルドを知る人間に見られでもしたら、結婚式にでも行ってきたのかと言われてしまいそうな格好だが、これなら洒落た遊び人に見えないこともないだろう。最後までタイを外して襟元を乱すかどうか迷ったが、カードから漂うハイソな高級感に負けてタイは締めることにした。ドレスコードに引っかかって入店を断られでもしたら悲惨だ。

 それだけしっかり着飾って部屋を出たジェラルドであったわけなのだが。
 カードに書かれた住所を頼りに辿り着いた店で、思わず膝から崩れ落ちそうになってしまった。

「おいおいマジか……」

 呻く。
 高級店が立ち並ぶ中でも、一際目立つその店の名を、≪黒蝶の翅を休める泉のほとり≫と言う。裏社会の人間でありながら、アレス区の救世主とまで呼ばれる男、クロードが直接運営に携わる数少ない店の一つだ。

 正直な話。
 ジェラルドは刑事である司法に携わる職業についている一方で、クロードという無法者のボスたる男には一目おいている。無能な前領主の悪政で荒廃したアレス区を救ったのは、まさにそのクロードだからだ。それでいて自ら領主の後釜に座るようなこともなく、こんな言い方をしてはおかしいが、一マフィアのボスという立場に甘んじている。
 法でもって規制し、アレス区を正しく導くジェラルドのような者が必要とされる一方で、裏社会に秩序をもたらす強者もまた必要とされているのだということを、前領主に対して法が何も出来なかったことが証明してしまっているのだ。

 内心怯みつつも、ジェラルドは≪黒蝶の翅を休める泉のほとり≫へと足を踏み入れる。店の中には上品な管弦楽が会話を邪魔しない程度に流れ、活けられた花や、彫刻などの調度品が客同士のテーブルをさりげなく区切っている。
 これが上流階級の遊戯場か、とジェラルドが感嘆の息をついていると、すっと黒服の男が傍に控えた。

「お約束はお有りでしょうか」

 それが、指名があるかどうかを聞いているのだと気付くまでに数瞬。
 ジェラルドは懐から店のカードを差し出しつつ、アイリーンの名前を出した。

「アイリーンを頼む」










がしゃーん
  ぱりーん   
 パリーン
    ぱりーん










 何故か品の良い管弦楽に合いの手でもいれるかのように、店のあちこちから皿やらグラスの割れる音が響いた。それでもすぐに黒服の男たちが現れてささっとそれらの粗相を片付けていく姿はまさしくプロだ。

「あの、お客様。本当に(・・・)アイリーンでお間違いないのでしょうか」
「ああ」

 かたかたかたかたかたかた。
 プロ根性で何事もなかったかのようにジェラルドへと確認する黒服の男の全身が、平静を装った声とは裏腹に小刻みに震えている気がするのは何なのだろうか。

 なんぞこれ。
 なんぞこれ。

 全力で困惑しているジェラルドを助けるかのように、そのタイミングでアイリーンの声が響いた。

「ジェラルドさん!」
「――、」

 助かった、と。
 そんな想いで顔をあげて、ジェラルドは息を呑んだ。
 眼の色に合わせたのだと分かる、ダークブルーのドレスを見事に着こなしたアイリーンが、優美な曲線を描く階段の中ほどからジェラルドへと手を振っている。
 おそらく階下のフロアは客を迎えた≪蝶≫たちが。
 客を持つ≪蝶≫は階上にて過ごすようになっているのだろう。
 肩ひもは片方だけで、斜めに下がる胸元のラインは、アイリーンの形の良いデコルテを惜しみなく晒している。腰の中程まではマーメイドラインにも見えるものの、深く切り込まれたスリットのあたりからは波泡めいた大ぶりのフリルが美しい脚のラインを際立てており、まるで海を司る豊穣の女神のようだ。
 昼間逢った快活な少女とはまた違う、「夜の女」めいた艶やかな魅力に引きずりこまれてしまいそうになる。

「……ジェラルドさん?」
「……おう」

 もうちょっと気のきいたことが言えないのか、と自分で自分の首を絞めたくなった瞬間だった。それでもぎくしゃくと腕を持ち上げれば、アイリーンはジェラルドの意図を組んだようにそっとその腕に華奢な手を添えた。

「アイリーン、その方は……?」

 黒服の男が、窒息寸前といったような声で問いかける。
 それに、アイリーンは屈託ない笑みを浮かべて答えた。

「こちらはジェラルドさん……じゃなくてジェラルド氏。私のお客様です」









がしゃーん
  ぱりーん   
 パリーン
    ぱりーん
がしゃーん
  ぱりーん   
 パリーン
    ぱりーん









 本日二度目の破壊音が店中に響き渡る。しかも倍率ドンだった。
 ジェラルドを案内しようとしていた黒服の男が、胸を抑えながらよたよたとバックヤードへと消えていく背中が見えた。呼吸器系に何らかのトラブルを抱えているのだろうか。それとも心臓だろうか。
 妙に不安をかきたてられる後ろ姿である。

「ジェラルドさん、本当に来てくれてありがとう」
「……ったく、まさかお前が≪蝶≫だとは思わなかったぞ」

≪蝶≫と言うのはこの≪黒蝶の翅を休める泉のほとり≫における、女性従業員を差す言葉である。美しく儚い≪蝶≫を愛でるがごとく、この店に訪れる客は皆「紳士」であることを求められる。

「似合ってませんか?」

 軽く腕を上げて、少し距離をとったアイリーンがくるりとターンを決める。
 ひら、っと波打つレースが、人魚姫の纏う泡のように揺れた。

「似合ってる。お姫様みたいだ」
「そういうジェラルドさんは騎士みたいですよ」
「王子様じゃないのかよ」

 自分でもそうじゃないことは知りつつも、からかうように問えば、アイリーンも楽しそうにくすくすと笑い声をこぼす。

「王子様にしては、ジェラルドさんは格好良すぎですから」
「素直に顔がいかついと言ってくれても良かったんだぞ?」

 返事は否定も肯定もしない笑い声だった。
 刑事としては非常に便利な強面だが、女性関係においては「迫力がありすぎる」「なんか怖い」「喰われそう」などという評価を欲しいままにしているジェラルドである。初対面で怖がられなかった、というだけでアイリーンはわりとレアである。

「で、どうすんだ?」
「えーっと……」

 アイリーンがちらり、と視線を揺らす。
 本来ならば、客をテーブルまで案内するのは黒服の仕事である。
 が、肝心の黒服は何か心身に著しいダメージを負ったかのような態でバックヤードに下がってしまっている。さて、どうしたものか、と二人で顔を見合わせたところで、一際豪奢に着飾った女性が姿を現した。
 蜂蜜色の髪を高く結い上げ、宝石を上品にあしらった髪飾りがきらきらと輝いている。さらりと一房残された金色が、緩やかな曲線を描いて首筋へと落ちる様が優美にして艶めいている。その美しい女性は、にっこりとジェラルドへと微笑みかけた。

「対応に問題が多く申し訳ありませんわ、ミスター…」
「ジェラルド、だ」
「ジェラルド様」

 夢見るように潤んだ淡い翠の瞳が、ジェラルドを映して微笑む。媚びているわけでもないのに、この女は俺に惚れているに違いない、とそんな錯覚を男にもたらす眼差しだ。男心をくすぐる術を心得たプロの所作である。

「聞けばジェラルド様はアイリーンをご所望だとか」
「ああ」
「ですがアイリーンはうちの秘蔵ッ子、失礼があってはいけません。私も同席しても良いかしら……?」
「…………」

 ジェラルドは思わず黙りこんでしまった。
 昼間聞いて、アイリーンに今まで客がついたことがないという話は知っている。
 この女性の言う「秘蔵ッ子」というのはそういうことだろう。
 初めて店に来た客が、これまで客を取ったことがない≪蝶≫を指名した。
 だから、経験豊かな女性がヘルプにつく。
 その流れにおかしなところはない。
 だが。

「悪いな、俺はアイリーン以外の客になるつもりはない」

 ジェラルドはきっぱりと言い切った。
 やはりどうやらアイリーンはこの店ではあまり良い扱いをされていないらしい。
 今二人の前にいる女性は、本来ならば新米のヘルプについて良いような女性ではないはずだ。その仕草、手練手管からして、≪黒蝶の翅を休める泉のほとり≫でもトップレベルだというのがその身に纏うオーラからも伝わってくる。決してそれは押し付けがましいわけではないが、着飾り、美しく装いながらも楚々として男を惹きたてるようなその佇まいこそが、プロの証めいている。そんな女性が、新入りのヘルプにつく理由は一つしかない。客を奪おうとしているのだ。
 アイリーンがいかに魅力的な少女であろうと、経験豊かなプロの手管には敵わない。もしアイリーンの客がジェラルドでなければ、彼女のヘルプを受け入れていたならば、きっとその男は一時間もしないうちに彼女の虜となり、アイリーンを指名することなど忘れてしまっていたことだろう。
 だが、ジェラルドだ。
 アイリーンを指名したのはジェラルドなのだ。

「アイリーン、≪蝶≫を店から連れ出すようなサービスはあるか?」
「ありますけど……いいんですか?」
「こうなったら構わねえよ」

 こういった店において、女性を店から連れ出すのは「独占行為」とされて普通に指名するよりも高額を求められるのが常だ。その日の営業時間をまるまる独占することになるのだから、仕方のないことだろう。財布はだいぶ軽くなるだろうが、今日はアイリーンの味方をするとジェラルドは決めて来た。
 最初の客に店からの連れ出し、なんて高額なコースともなればアイリーンの店中での立場も向上するだろう。

「ジェラルド様」
「アイリーンは借り受けるぞ」

 青ざめた女性へとそう言いきって、ジェラルドはぐっとアイリーンの腰を抱き寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

■□■

 

 一目で上質だとわかるバーの一室で、その男たちは話していた。
 知る人ぞ知るといったような、雰囲気のあるカウンターバーのその奥に、ひっそりとその部屋は存在している。おそらく一般の客であれば、その部屋の存在を知る者すら少ないだろう。

「……では、そういうことで」
「認めてもらえるんですか…っ?」

 そんな一室で、男は一世一代の賭けに出ていた。
 新しくアレス区に越してきたこの男は、バーの営業許可を求めるべくこの街の裏の支配者たる男に面会を申し出ていたのだ。直接裏稼業ではないとはいえ、アルコール類を扱う店ともなれば下手を打てば地域の顔役との間に軋轢を生む。それ故の面通しであり、庇護を願うための会合だ。多くの地域においては、この段階で多額の挨拶金を積むことになるのだが、アレス区に置いてはそれは必要なかったらしい。念のため用立ててきた高額紙幣の束は、机に乗せる前にすっと仕草だけで横にのけられた。どうやら、このまま持って帰ることになりそうである。

「…………」

 男は、ちらりと顔をあげて向かいに座るクロードの様子を窺う。
 アレス区の裏社会を牛耳っている、と聞いていたもので、どんな厳つい男が出てくるのか思いきや、実際に登場したのは仕立ての良いスーツを上品に着こなした伊達男だった。マフィア、などというよりも貴族めいた上品な上流階級が似合いそうな風貌をしている。本当にこの男が、と一瞬疑ってしまったものの話しているうちに相手の実力は充分に思い知らされた。裏社会とはいえ、そのトップに立ち統治し続ける困難さは表の社会と比べても何の遜色もないだろう。それを苦とも見せずにやってのけるこの男は…真の支配者たるにふさわしい。
 短い接見の合間にすっかりクロードの独特の佇まいに呑まれた男は、その低い声音で語られた許可の言葉にようやくその顔に安堵の色を浮かべた。

「私はそんなに貴方を怖がらせてしまいましたか」
「いえ……そんな」

 からかうような低い声音に、男は滅相もないと首を横に振る。
 と、そこで傍に控えていた黒服の男が、慌てた様子でクロードの注意を惹いた。

「私は今客人と話している」
「……ですが、大事な要件です」

 下がろうとしない部下の様子に小さく息を吐き、クロードはそれでも男を優先する様子は崩さず、許可を求めた。

「すまないが――…、少しばかり時間をいただいても?」
「もちろんです」

 即答で答えると、感謝を伝えるような目礼が送られた。
 優雅だ。
 やはりその仕草や振舞いからは、王侯貴族のような洗練された所作を感じる。
 思わずクロードの様子に見惚れていた男だったが……次の瞬間、ぎくりと身体を強張らせていた。黒服の部下から何事かを耳打ちされたクロードより、周囲を凍りつかせるような強い殺気めいた感情を感じたからだ。急に、部屋の気温が1度も2度も下がったような錯覚に襲われる。少しでも動いたら、息の根を止められそうな緊迫感。

「……すぐにそちらへ向かうと伝えろ」
「は……っ」

 先程まではまろやかに響いていた低音が、今は硬質な冷気を帯びている。
 クロードは即座に席を立つと、傍に控えていた男の差し出した外套をばさりと靡かせて羽織った。それから、何が起こったのか分からず硬直するしかない男へと冷たい一瞥をくれる。

「また、後ほど」

 会合はこれまでだと、打ち切る言葉はどこまでも無感情に。
 男にとって救いなのは、「また」との言葉の存在だ。
 クロードに男を拒絶する意図はない。ただ、男などよりもはるかに優先しなければならないことが発生した、それだけのことなのだろう。
 青ざめた男は、ただただ部屋を出て行くクロードの後ろ姿を見送ることしか出来ない。

 ああ、なんて恐ろしい。

 あの男にだけは逆らってはいけない。
 きっと、あの男にあんな顔をさせた愚か者はその報いを存分に受けさせられてしまうのだろうと怯えながら。

 こうして。
 洒脱(過保護)マフィア(保護者)は殺意を漲らせて動き出す。

 

 ■□■

 

 

 

 

 

 

 

 

 ≪黒蝶の翅を休める泉のほとり≫を後にした後。
 ジェラルドとアイリーンは適当にハイヤーで街を流し、その後アレス区でも最上級に分類されるホテルのスウィートルームへとチェックインしていた。
 ジェラルドが、というよりもアイリーンの希望である。

『店の御姐さんたちからいつも話だけ聞いていたんです。ヴィッツェホテルのスウィートが最高だって。でも、一人じゃ行けない場所なんで……ジェラルドさんさえ良ければ付き合ってくれませんか?』

 そんな風に言われたら、断れなかった。
 ちなみにアイリーンとしてはあくまで「客のふり」であるつもりらしいので、ホテル代やら連れ出し代などは自腹を切るつもりでいるらしい。はしゃいだ様子で、ふかふかのベッドに腰掛けて身体を軽く弾ませているアイリーンの様子に、ジェラルドは穏やかな苦笑を口元に浮かべた。

「なあ、アイリーン」
「はい?」
「他にしてみたいことはないのか?」
「ええっと……、ジェラルドさんさえ良ければ、なんですけど」
「ここまで来たら付き合うに決まってんだろ」
「それなら、明日の朝ルームサービスでフレンチトーストが食べたいです。ここのフレンチトーストが最高だって御姐さんたちから聞いてずっと楽しみにしてたんですよ」

 にこにこ、と楽しそうに微笑んでアイリーンが言う。
 その無垢な笑顔からは、ジェラルドへの信頼が感じられる。
 そう。
 この娘は、一晩共に最高級ホテルのスウィートで過ごしたとしても、ジェラルドが無体な真似などするわけがない、と心の底から信じきっているのだ。その信頼がくすぐったいような、途方にくれたくなるような、そんな両方の感覚にがりがりとジェラルドは頭を掻いた。
 刑事なんて仕事をしてはいても、ジェラルドだって誘惑には惑わされる生身の男である。美しく着飾った若い女性と二人、夜を共にするともなれば下心だって湧いて出る。

 でも。

 楽しそうににこにこ笑って、フレンチトーストへと想いを馳せているアイリーンを見ていると、それでもいいかな、と思ってしまうのだ。立場上ジェラルドはアイリーンを金で買った客であり、アイリーンは金で身体を売った側である。だから、きっとジェラルドがアイリーンを抱き寄せて口づけても、アイリーンは拒絶しないだろう。それだけの分別はアイリーンもわきまえている。
 けれど、それではジェラルドとアイリーンの関係は「客」と「商品」という味気ないものになってしまう。

 それは、嫌だと思った。

 アイリーンが困っているならば客のふりをすることはあっても。
 客そのものになってしまうのは面白くない。
 もっと近く。
 もっと温もりを伴った関係に。

「ジェラルドさん、着替えてもいいです?」
「おう、いいぞ」

 ドレス姿は大層美しいが、そのままでは寛げないだろう。
 ジェラルド自身も、ぐいぐいとネクタイを緩めてシャツのボタンの上を一つ二つ、外す。アイリーンは弾むような足取りで、浴室へと消えていった。そしてごそごそ、と聞こえる衣擦れ。

「あいた」
「どうした?」
「髪が背中のホックにひっかかっちゃって」
「……見ていいか?」
「お願いします」」

 髪がひっかかっているのか、ぎこちない角度で頭を固定してアイリーンがよたよたと浴室から出てくる。途中まで下ろされた背中からは、滑らかな小麦色の素肌が覗いていて、ジェラルドの下心を煽った。そのままするりと果物の皮でも向くようにドレスをはぎ取り、その肌に手を這わせることが出来たのならばどんなに良いだろう。豊かな黒髪を波打たせ、快楽に鳴くアイリーンはきっととんでもなく可愛らしいだろう。

「…………」
「ジェラルドさん?」
「俺は今正義の心を求めている」
「はい?」
「いや、なんでもない」

 一瞬頭が変な方向に行きかけた。
 はー……と深く息を吐きながら、ジェラルドはアイリーンの髪を掻きわけて、絡まった一房を救出すべく顔を寄せる。

「動くなよ」
「はい」

 そして。
 顔を寄せたついで、事故のふりして背中に口づけるぐらいなら許されるんじゃなかろうか、などとジェラルドが誘惑と戦い始めたあたりで。

 

 
 どがぱんッと凄まじい音がしてアレス区でも最高級の名を欲しいままにするヴィッツェホテルのスウィートルームの扉が吹っ飛んだ。







「え、……って、あいた」
「……ッ!!?」






 音がした方向を振り返ろうとして、髪がひっかかってバランスを崩したアイリーンがぺたりと壁に身体を寄せる。刑事として当然身構えかけたジェラルドは、アイリーンを庇うように壁に手をついて侵入者を睨み据える。

 もしかしたら。

 もしかしたらその構図は――…なんだかアイリーンを壁に追い詰め、背中からドレスを脱がせながら不埒なことに及ぼうとしているかのような図に、見えてしまったのかもしれないし。
 またもしかしたら、髪をひっかけたことで浮いていたアイリーンの目元の涙も、侵入者である男の殺意を煽るには充分だったのかもしれない。



「…………」



 ドアを蹴り破り、スウィートルームへと足を踏み入れた男は、酷く陰惨な殺気を纏っていた。身なりは良いものの、漂わせる雰囲気と長躯を包む漆黒の外套がその佇まいを死神めいて見せている。アイスブルーの切れ長の双眸に温度はなく、暴力的なまでの冷徹さを湛えていた。

 ……なあ。
 ……なあ。
 ……コレ。
 ……クロード・ジョンドー(ただのクロード)じゃね???

 ジェラルドはごくりと息を呑む。
 クロード・ジョンドーというのは、二つ名のようなものである。
 アレス区の救世主でもあるこの男には、無能な前領主によってハメられた前前領主の一人息子ではないのかという噂がまことしやかに流れていたのだ。その噂話を向けられる度に、クロードは穏やかな苦笑を口の端に浮かべ、「私は家名など持たない、どこの馬の骨とも知れないただのクロードだよ」と答えており――…いつしか、身元不明を差す「ジョンドー」を家名代わりに「クロード・ジョンドー(ただのクロード)」などと呼ばれるようになったのだ。

 ジェラルドも刑事などという仕事をしているもので、これまでクロードを遠目にだが見かけたことは何度もある。裏社会にそぐわぬ、貴族然とした優男だと思ったものだ。

 が。が。

 今ジェラルドの目の前にいる男は、どこからどう見てもマフィアだった。
 暴力で裏社会を伸し上がる無頼漢そのものである。

 その男は無言で、ごくごく自然に、当たり前のようにジェラルドの胸倉を掴み上げると、振り回すようにしてがつんとその背を壁に打ち付けた。肋骨が軋み、無理やり押し出された空気に息が詰まる。なんとかその手を振りほどこうと手をかけるものの、万力のような力で固定されて身動きすらとることが出来なかった。不意を打たれたとはいえ、日ごろ荒くれ者と取っ組み合うことも多い刑事のジェラルドが、である。何が貴族だ。武闘派じゃねえか。

 やばい死んだ。

 何故なのか理由はわからない。
 一体己の何が逆鱗に触れたのかはわからないが、とりあえずジェラルドは死を覚悟した。悔しながら、自分一人が死んだところでクロードの立場がまずくなるようなことはないだろう。刑事一人を闇に葬るぐらい、この男には朝飯前だ。そうなればこの男が躊躇う理由はない。
 片手でジェラルドの首を絞めあげたまま、男は懐から鈍く光る銃を取り出すとごりっとその銃口をジェラルドの額に押しつける。





「アイリ、無事か?」
「えっ」





 男の低い問いかけに、アイリーンが素っ頓狂な声をあげる。
 明らかに状況を把握できていない。
 ちら、と見ると、夜明け前の空めいたダークブルーの双眸を零れそうなほどに瞠って、慌しく瞬きを繰り返していた。
 その様子に、遅まきながらジェラルドは状況を把握した。
 アイリ、というのはアイリーンの愛称だろう。
 このアイリーンという娘は、おそらくクロードの愛人か何かなのだ。
 そんな女に手を出せば、そりゃ殺されたって文句は言えない。

「アイリ、私は無事かと聞いているんだがね。この男に何かされたか?」

 ごりごりごりごりごり。
 ジェラルドの額に銃口が痛いほどに押しつけられる。
 ここでアイリーンが頷きでもしたならば、ジェラルドはいともあっさりと頭の中身をぶちまけて死ぬことになるだろう。
 そんなクロードの問い掛けに、ようやくアイリーンは我に返ったようだった。
 はち、と大きな藍色の双眸を瞬かせて――…きっと眦と吊り上げた。

「クロードさんっ、何やってるんですか!」

 それは、ジェラルドにとっては予想外の言葉だった。
 クロードの殺意は本物だ。
 死神めいた凶相は今も変わらずジェラルドに向けられている。
 だから、アイリーンが口を開くのならばきっとそれは命乞いだと思っていた。

 この男に誘われた、決して本気じゃなかった、私にはあなただけ。

 そんな浮気現場に踏み込まれた尻軽どもの定番台詞が飛び出すと思っていたのだ。けれど、アイリーンの口から飛び出したのはそんな定番のどれでもなかった。

「ジェラルドさんは、単純に≪蝶≫である私を一晩買ってくださったお客様です!決して刑事として私を利用しようとしたわけじゃありません!」
「…………」
「…………」

 アイリーン、それはなんか違うんじゃないかな。

 そう思ったものの、口には出せなかったジェラルドである。
 何せ、どう見たって目の前のクロードは嫉妬にトチ狂った一人の男である。
 マフィアのボスとして自分の駒である娼婦に近付いた刑事を警戒している、という風には見えない。
 というか、刑事を警戒しているだけならば、クロード自ら殴りこんでくる必要はないのだ。部下にでも行かせれば良いだけの話だ。この男が自らドアを蹴破って現れた段階で、ほぼ部外者でしかないジェラルドですら、アイリーンがクロードにとって大事な存在だとわかってしまった。だというのに、アイリーン本人だけがその事実に気付いていない。

「…………」
「…………」

 苦労しますね。
 おわかりいただけますか。

 なんかそんな意味合いの眼差しを思わず交わしてしまった。
 苦みを帯びたため息をつきながら、ゆっくりとクロードがジェラルドの胸倉を掴み上げていた手を解く。

「刑事、なのか」
「ああ」

 けほり、と小さく咳こみつつジェラルドは答えた。

「どうしてアイリーンを買った?」
「昼間俺があの子の服を汚しちまったんだよ。で、いろいろ話してるうちに夜の仕事をしてるが客がついたことがない、ってんで詫びも兼ねて客になっただけだ」
「先程アイリーンの背に顔を寄せていたのは?」
「着替えようとしたら髪がホックに引っかかったんだと」
「――……」

 クロードは、心底安堵したような、それでいてどこか困り切ったような調子で深々とため息をついた。

「アイリ」

 殺気の抜け落ちた、酷く優しい低い声音が少女の名を呼ぶ。

「はい」
「初対面の客に簡単についていくものではないよ。この刑事さんが人には言えないような変態性癖の持ち主ではないとは言えないのだから」
「おい。おい」

 思わずジェラルドは口を挟む。
 謎の修羅場に巻き込まれたあげく、何故変態性癖の持ち主などという濡れ衣を着せられなければならないのか。

「ごめんなさい、クロードさん。クロードさんに心配をかけてしまうつもりはなかったんです」
「わかっているよ、アイリ」

 ホテルのドアを蹴破ったあげく人を壁に叩きつけごりごり銃口を突き付けるような行為を「心配」の二文字で終わらせるあたりアイリーンは大物だな、となんとなくジェラルドは思った。

 しょんぼり、と目を伏せたアイリーンの黒髪をクロードが優しく撫でる。
 形の良い指先が、するすると魔法のようにアイリーンの黒髪を梳きとかし、ホックにからまっていた房を救出する。
 先程まで凍てつきそうな殺気を振りまいていた男と同一人物とはとても思えないほどの変わりようだ。

「でも、どうしてわざわざクロードさんが?」

 よくぞ聞いてくれた。
 ジェラルドはなんだかポップコーンが欲しくなってきた。
 ここまできたら、いっそのこと恋愛映画的な何かだと割り切って幸せな二人が結ばれる瞬間を見届けたい。
 さあ答えろ色男。

「――……」

 クロードは、ふ、と一拍置いて。

「アイリが一見の客に連れていかれたと店の人間から連絡があってね。たまたま近くにいたものだから」

 おい。
 おい。

 明らかに嘘だろう。
 どう考えても嘘だろう。
 思わずジェラルドはしらっとした視線をクロードへと向ける。
 そんなジェラルドの視線を、クロードは綺麗に黙殺した。

「さて、帰ろうかアイリ」
「でも……」

 アイリーンが困ったようにジェラルドへと目を向ける。
 ジェラルドは良い良い、と言うように苦笑しつつ手を振った。

「いいって。もともと礼のつもりだったしな」
「ごめんなさい、ジェラルドさん。私がもっとちゃんとした≪蝶≫だったら良かったんだけど」

 ぺこりと下げられたアイリーンの頭を、ジェラルドはぽんぽんと軽く撫でる。
 それだけで絶対零度っぽい眼差しが隣の長躯から突き刺さったような気がするが、先程の仕返しとばかりにスルーする。

 どうやらアイリーンは、こうしてストップがかかったのは自分が未熟な≪蝶≫だからだと思っているらしい。客に恵まれず、客がついたことのない≪蝶≫だからこそ、その目を疑われ、一見の客は任せられないと判断されたのだと思っている。

 アイリーンが何故≪蝶≫になりたいと思うのか、その理由をジェラルドは知らない。けれど、これから先アイリーンが絶対に≪蝶≫になることが出来ない理由だけはわかっていた。アイリーンに客がつかないのも、店での妙な反応も、全部全部この男の差し金に違いないのだから。

 ……何故そんなしち面倒くさいことになっているのかが、本当に解せない。

 身支度を整えるためにアイリーンが一度化粧室へと姿を消す。
 その背を見送って、ジェラルドはぽそりと口を開いた。



「腰抜け」



 返事は、頬ぎりぎりを掠めて撃ち込まれた鉛弾だった。
 マフィア、まじマフィア。

 

 

 

 

 これは。
 大好きな男の恩に報いるために背伸びして「女」になろうとする少女と。
 保護者のふりを長い間続けてきたせいで今更どう手を出そうかと考えあぐねる男と、それに当て馬然として巻き込まれた真面目な刑事の――…不器用でどうしようもない三角関係だったりするのだ。









「クロードさん、クロードさん、このワンピース似合いますか?」
「ああ、よく似合っているよ。私の姫君はどこかへお出かけかい?」
「はい、ジェラルドさんとフレンチトーストを食べに行くんです」
「――……」
「クロードさん?」
「着替えた方が良いだろうね、アイリ」
「え? やっぱりどこか変でしたか?」
「――…丈が短い」

お読みいただきありがとうございます。
続編はないんですか、との感想を多くいただいたので、ちょろっと書いてみました。
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