竜の床屋
庭には二羽の竜が住んでいる。
大きい方の竜は赤竜で、世間ではレッドドラゴンなんて呼ばれていて、その気性の荒さと攻撃性の高さ、それに炎のブレスを吐くことなどから、とにかく飼い難い、上級者向けだと言われている竜だけど、幼竜の頃から飼っているので、僕にとっては聞き分けの良い、可愛いだけの竜だ。名はスキラ。大人しい雌の赤竜である。
一方、小さな方の竜は、典型的な東洋龍で、ひょろひょろと長い胴体に小さな手足を持っており、右手には如意宝珠を大事そうに掴んでいる水龍だ。気性は穏やかながらも厳格で至極飼い易いなどと言われているが、まだまだ幼い竜であるから、好奇心旺盛でやんちゃ極まりなく、ちょっと目を離した隙に郵便受けの中に入り込んだり、池の鯉を食べてしまったりと、ちょろちょろ動き回ってしまい、随分と手間を掛けさせてくれる。名は、紫雲。元気いっぱいな雌の水龍である。
僕はこうした二羽の竜を庭でずっと飼っていたが、最近少し気になる事がある。二羽の角が伸びてきていたからだ。
赤竜スキラの頭頂部には二本の角が伸びていて、そこには王冠がちょこんと被せてあるのだけど、以前は丁度いい感じで格好良かったそれが、今は伸びすぎてアンバランスになっている。
水龍紫雲の角も同じだ。この竜からは鹿のような角が伸びているけれど、これが随分長くなってきた。どれぐらい長くなったかというと、庭で遊んでいて飛び回っていると、その角に引っかかっているのを一日に二度は見るほどだ。
「そろそろ、角を切らないか?」
庭にいる二羽の竜にそう言うと、二羽は凄い勢いで首を振った。
「ま、待ってくださいご主人様。レッドドラゴンにとって角は命でございます! これを短くするなんてとんでもない!」
小鳥の囀るような声でスキラは言う。隣では紫雲が一生懸命「おねーちゃんのいうとーり!」と必死な顔をして同意している。
「そうは言うがね。お前達はちょっと伸びすぎじゃないのかな。図鑑やテレビを見ていたって、そんなに角を伸ばしている竜なんて見たことがないよ」
「それはそうですよご主人様。テレビや図鑑に出てるのなんて、不自然に整形しているやつらなんですから。ご主人様はテレビに出ているからって、芸能人を人間のスタンダードにするんですか!?」
必死な顔でスキラが言う。相変わらず紫雲は「そーだそーだ、おねーちゃんのいうとーり!」と、スキラに対して援護射撃にもならない擁護を繰り返している。その様子から、水龍も赤竜と同じく角を切られたくないのだとわかった。どうも我が家に住む二羽の竜は、どちらも角を切られたくないらしい。
「けどね。そこまで長いと邪魔じゃないかな」
至極もっともな事を僕は言う。
だが、庭に住む二羽の竜は、首をふるふると振って――結果として、角をぶんぶん振り回しながら「邪魔じゃないです!」と否定した。
そこまで否定されたら仕方がないなと、僕は角を切るのを諦めていた。その間も、庭に住む二羽の竜角は伸びていく。
邪魔そうだな。
見る度にそんなことを考えていると、たまたま通りかかった旅の耳長女が、こんな事を言ってきた。
「あれは、ちょっと角が伸びすぎている気がしますね」
僕は大いに頷いて、金色の髪に長い耳と手をした、糸目の女に愚痴を言った。
「そうなんですよ。でも、角を切ってやろうとすると、竜達は凄い嫌がるんです。だから、どうにも困っていまして……」
「なら、私が切ってあげましょうか?」
「貴方が?」
「はい。偶然にも私は竜の床屋なのです」
耳長女はサウィルダーナハと名乗った。
西方に広がる大海の向こうに浮かぶ聖人と賢者の島から来たという彼女は、あらゆる職種に通じていて、竜の散髪――非常に可笑しな言い方だが彼女はそう表現した――もできると語った。
「竜に角を切ると言えば、怯えるのは当たり前です。特に赤竜の角には太い神経が通っています。私達の髪や爪とは違うのです。切れば激痛が走るから、竜は角を切られる事を恐れます」
「なら、赤竜は角を切らない方がいいんですか?」
「いえ、伸びすぎてしまうと折れるリスクが生じます。その場合、立派な角は半ばからへし折れた無残な姿を晒すことでしょう。その姿は、実にもの悲しいものですよ。だから、適度な長さになったら、普通は少しずつ削るのです」
角の一番外側には神経が通っていないらしく、そうしてちゃんと手入れをしていれば、異様に長くなる事もないのだとサウィルダーナハは教えてくれた。
「野生の赤竜であるならば、角合せなどで勝手に削れてますし、普通は勝手に壁や岩などに擦り付けて、長くなる事はないのですが、どうも貴方の赤竜は少し気性が穏やかすぎたみたいですね」
そう言って、耳長女は赤竜スキラを散髪台に縛り付けた。角を切ろうと提案したら、スキラは普段のおとなしさが何処に行ったのかと思うほどの抵抗を始めた。
「い、いやですよ!? 角を切るなんて絶対に嫌! しかも、こんな陰険そうな顔をした糸目耳長女なんかに!」
しかし、サウィルダーナハは手慣れた様子で竜を捕縛した。口も縛られてしまったスキラは「ムグー! ムグー!」とくぐもった声を上げ、その鼻から火が漏れている。
「そ、その、うちの子にあまり乱暴な事は……」
「わかっていますよ」
本当にわかっているのか判別が難しい笑みを浮かべると、糸目女は糸ノコを取り出すと、手際よくギーコーギーコーと切り始める。スキラは再びくぐもった悲鳴を上げるけれど、それは単純に嫌がっているだけで、特に痛そうな様子は見受けられない。思いっきり、大木を切り倒すように角の半ばに歯を入れているのに、スキラが暴れる様子はない。
聞けば、これが竜の床屋に伝わるという無痛散髪の技であるという。特殊な角度で素早く切る事で、痛覚を一切刺激する事なく、角を切り倒せるのだそうだ。
「こんなところでしょうか。後は綺麗に仕上げてやれば、綺麗な角になりますよ」
そう言うと、サウィルダーナハは手際よく、赤竜の角を鋭く尖った格好のよい物に整えてくれた。スキラに鏡でその様子を見せてやると、年頃の赤竜は目を見張る。どうやら、気に入ってくれたようだ。
その証拠に散髪が終わって拘束を解いてやると、おずおずとながら「あ、ありがとうございました」とサウィルダーナハに礼を言った。
「続いて、紫雲もかな」と僕が言うと、それまで庭石に隠れて、こちらを伺っていた水龍が飛び上がる。
「大丈夫、全然痛くなかったです」とスキラが紫雲を説得するも、幼い水龍にはやはり怖いらしく「や、やだー!」と大声を上げる。これはまた、スキラと同じように散髪台へ縛り上げるしかないのだろうか。
そんな事を考えていると、耳長理容師がこんな事を言う。
「そちらは必要ありませんよ。水龍は乾季になると角が抜けてしまう竜ですから、まあ、もう一ヶ月もすれば、その角も抜ける事でしょう」
「そ、そういうものなので?」
「ええ、ですから、そこまで嫌がるのであれば、放置していていいでしょう。では、私はこれで」
それで、サウィルダーナハはスキラに角研ぎ用のやすりを渡すと、旅の続きをするとか言って、お茶も飲まずに出立してしまった。僕は慌てて金を包んで、耳長女に渡そうとしたが、彼女は何故か受け取らず、僕はただ繰り返しお礼をする事しか出来なかった。
「ご主人様。とってもいい人でしたね」
「……うん。そうだね」
夕暮れに向かって歩いてく耳長女を見送りながら、僕と赤竜は手を振って、角を切らずに済んだ水龍はただ胸をなで下ろした。
ここで終わればいい話だなあ、めでたしめでたしと終わるわけだが、この話にはちょっとした落ちが付く。
それは僕の伯父であるソマおじさんが久しぶりに遊びに来たときの話だった。
おじさんは、僕に竜の卵をくれた野生モンスターの専門家で、つまりは竜の専門家でもあるのだが、彼は赤竜スキラを見た瞬間、「ああっ!」と悲鳴に近い声を上げた。
「お、おい。スキラの角はどうしたんだ!?」
「はい。随分と伸びてしまったので、旅の床屋に切って貰ったんですよ」
「なら、その切った角は!?」
「角ですか? そういえばどこに行ったんでしょうかね……」」
ソマおじさんに問われた事で、僕は初めて切った角の行方に思いを巡らせた。だが、散髪をやってから、何度か庭を掃除したけど、スキラの角を見かけた記憶はない。
「あれは、耳長がもってったよ。あたし見てたもん」
角の生え替わった紫雲が呟くと、ソマおじさんは「やられた……」と呻いた。
何でもソマおじさんは語るところには、赤竜の角というのは非常に高価な薬の材料となるそうだ。基本的に赤竜の身体その物が火のエレメントを多分に含んで、そうした火のエレメント欠乏症、あるいは水のエレメント過多などに抜群に効く。その上、強い強壮作用もあるから、海運などをよくする沿岸国では、金の何倍もの値段で取り引きされる事も珍しくはないのだという。
「あたしのはー?」
「水龍は、毎年乾期毎に抜け替わるから、そんなに高くはならねぇよ。しかし、ああ、勿体ない。本当に勿体ないことをさせちまったもんだ!」
とても悔しそうに言いながら、ソマおじさんは旅装を解くため、ドカドカを足音立てて、上がって行く。
僕は参った参ったと頭を掻いていると、スキラが呟いた。
「……だからあの人、散髪代を受け取らなかったんですね」
成る程、確かにあれは僕の差し出した散髪代を頑として受け取らなかった。となると、あれはサウィルダーナハなりの正当なる褒賞だったのかもしれない。
「だとすると、随分と高い散髪代になったみたいだ」
「けど、ぜんぜん痛くありませんでしたし、腕が確かなのは間違いなしでしたよ?」
まあ、確かに。
我が家の竜が満足しているのだから、それならそれで良かったのかもしれない。