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鉄鎖の王子
作:浅葉りな


 普段は決して考えないが、ふと思ってしまうことがある。
「もしも、出会わなかったなら」と。
 それは本当にくだらないことだ。もう既に出会ってしまっていて、その上離れられはしないと分かっている。
 けれど、言わずにはいられない。
「もしも出会わなかったら」
 そうだったとしたら、ふたり、今とはずっと違った道を歩いていただろう。今よりも幸せだったりさえするかもしれない。
 ふとそう思うのは、裏切りなのかもしれなかった。
 彼女なら笑って、「そんなことないですよ」と言うのだろう。
 だけれど、彼女の笑顔を見るたびに辛くなる。彼女を苦しめているのは、自分という存在なのだ。



 だから、今日も祈りを捧げる。
「彼女には、僕のような忌まわしい運命をお与えにならないでください」と。
 すべてを統べる運命の三女神――その末妹の、未来の女神に。

 風が舞っている。幾分伸び気味になっている髪を巻き上げて、散り散りに乱してしまう。
 手で髪を押さえながら、切ってしまえばよかったかなと考えた。
 まるで星のない夜空のようだ、と評する者さえいる髪を、実は彼はあまり気に入っていなかった。髪質のせいか、すぐに絡まって鳥の巣のようになってしまうし、手入れを怠るとすぐ傷む。
 ついでに言ってしまえば、瞳を蒼き星のようだと形容されるのも気に入らなかった。そんなふうに言われて喜ぶ男がどこにいると言うのだろう?
 そろそろ空気に冷たさが混じり始めていた。彼はわずかに身を震わせる。あまり肉付きがよいとは言えない身体に、冷たい空気は染み入ってくる。
 ぽつぽつと明かりが灯り始めた家々や、帰っていく人々が小さく小さく見える。全てが箱庭で、自分はそれを組み立てている。そんな気がして、彼は笑った。
 ふと肩が叩かれた。
 叩いた相手をだいたいの見当をつけて振り向くと、犬のように人懐っこい笑顔に出くわした。
 肩にかかる程度の蒼い髪、決して鋭さを失わない紅の瞳が印象的な青年だ。
 飾り気のない神官衣が全くと言っていいほど似合っていない。肌が白過ぎるせいだ。
「またこんなとこにいたのか、ラティール王子殿下」
「別にいいじゃない。僕はここが好きなんだからさ……シャナンにはわからないだろうけど」
 蒼髪の青年――シャナンはあくびする。彼がこういう態度を取るときには、退屈しているのではなく、面白がっているのだとラティールは知っていた。わざと王子殿下などという呼び方をしていても、さして敬意など払っていないのと同じように。
「リラーナが守ろうとした街が、一目で見渡せるんだから」
 彼女の名を口にしただけで、胸が温かくなる。ラティールはシャナンから目をそらす。こんな顔を見られたら、また何を言われるか分からない。
「最近変だな、お前。何かあったか?」
 問いかけに、ラティールは首を横に振る。口に出してみるまでもない。
 何もなかったのだから。
 何もないこと、そのものが問題なのだから……。
「――出会わなければよかったのに、って」
「誰と?」
「リラーナと」
 夕日はわずかに地平線から顔を出しているのみで、あと一刻もしないうちに沈みきり、夜になってしまうだろう。
「君は……どうしてぼくが彼女と出会ったんだと思う?」
「――俺とお前が親友だったからだろ」
 わずかに間を置いてシャナンが答える。臆面もなく言っているように見えるが、その実かなり照れているのだ。ラティールはそれくらいのことは、とっくに把握していた。
「そうじゃないんだ。僕はね……鎖なんだよ」
 窓の縁に腰掛けて、上体を低くしてシャナンの瞳をのぞき込む。リラーナとシャナンは兄妹だというのに、あまり似ていない。それが、ラティールがこの角度から見たときだけわずかに似ているような気がして、好きだった。
 紅の瞳は感情を隠している。
「彼女を縛る鎖なんだ、僕は。リラーナという存在を、人の中に留めておくために、僕は彼女を縛りつける。僕自身が望むと望まざるとに関らずね」
 皮肉な話だ。
 ラティールは心の中でつぶやく。
 彼女の幸せを願えば願うほど――
 彼女のそばにいたいのだと望めば望むほど――
 傷つけてしまうことになる。
 辛い思いをさせてしまうことになる。
 ラティールの想いは、重荷でしかないのだ、リラーナにとっては。それさえなければ、彼女はどこまでだって行けるのだ。はばたいて行くこともできるのだ……。
「もう定められていたんだよ、あらかじめ。神々によって仕組まれていたんだ」
「神なんて――いやしないさ」
「……神官なのに、何てこと言うんだよ、全く。でもね、シャナン。これは本当のことなんだ。僕の存在が消える前に、新たな鎖が用意されるんだから」
「どうしてお前がそんなこと知ってるんだよ」
「分かるんだよ、そうとしか言いようがない。リラーナは人の心を持った魔だから、鎖は常になくてはならない。人の心は弱いから――彼女がいつ仲間の元へ向かうか分からない」
 ぱしん、と乾いた音がした。
 ラティールははじめ、何が起こったのか分からなかった。やや間を置いてから、やっと、頬を張られたのだと気付く。先ほどの乾いた音は、シャナンの悲鳴のようだったな、と今更ながらにラティールは思った。
 じんわりと染み込んでくるような痛みに、ラティールは頬に手をやった。右の頬が熱を持っている。まるで頬そのものが独立した生き物のように、脈打っている。
「リラーナはお前のことを信じてるんだ」
 シャナンの声は思いのほかしっかりしていた。細めの眉を吊り上げて、怒ったような顔をしている。けれどもラティールには、シャナンが泣き出してしまいそうに見えた。
「こういうことを言うと自惚れに聞こえるかもしれないけど。だから、なんだよ。もしぼくがいなくなったら、彼女は拠り所を失ってしまう。ひとり異質なものとして、彼女はどうやって生きればいい?」
 ラティールは立ちあがって、一歩シャナンに寄った。
「君はほとんど人間だ。だから、ずっとリラーナのそばについていてやれない。そうして、リラーナはただの女の子なんだ。本当だったら、年相応に服のことを考えたり、友達と遊んだり……そういうことをしているはずだったんだ」
 シャナンの表情が歪んだ。端正な顔に翳りが生まれる。
 ラティールは長く息を吐く。
「バカだな」
 シャナンは額を押さえて言った。呆れているかのような口調だが、ラティールは彼がそういう風に言うのは、本当に馬鹿だと思っているときくらいだと知っている。
「……どういうこと?」
「さぁな。お前が考えろよ。俺が教えた答えじゃダメなんだよ」
 シャナンがつかつかと歩み寄ってきて、ラティールの頭をくしゃくしゃなでた。これで、風に乱されてとんでもないことになっていたラティールの髪が、さらにとんでもないことになった。
 少し面白くなかったが、それも仕方ないことなのかなと、ラティールは思った。
 シャナンは、ラティールとリラーナが出会うよりもずっと前から、彼女の鎖であったのだから――














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