夢の虜囚の眠る国PDFで表示縦書き表示RDF


夢の虜囚の眠る国
作:浅葉りな


 魔族との戦いの続いたフェリシア女王の治世が終わり、その息子のラティール王子がティルカを治めた平和な時代が終わりを告げてから約五百年もの歳月が過ぎ去った。魔族はなりをひそめ、魔物の脅威は消え去ったかのようであった。かりそめの平和は、今も続いていた。
 ティルカ王国の西にうっそうと茂る森があった。昼でさえもほとんど日が射すことはなく、夜ともなれば闇に閉ざされる場所である。
 人々は森を『魔女の森』と呼び、恐れていた。森の中には魔女が住んでいたのである。
 今や魔術は一般的なものではなく、魔法と名を変え、魔術を操るものたちは魔女、または魔法使いと呼ばれていた。
 森の中に館があった。魔女は、日課となっている野草摘みに出かけようと館を出たところであった。
 魔女、とはいっても、見かけは若い。絹糸のように滑らかな金の髪に、珍しい青みがかった銀灰色の瞳。まだ、二十歳には達していなさそうである。ヴァイオレットのローブを身に纏っていた。どこか悲しげに翳りのある表情だ。
「魔女リラーナ」
 不意にかけられた声にはっとして魔女リラーナは振り返る。
「あら、お客人かしら? 珍しいわね」
「ええ、そうでしょうね。ティルカの民は魔女を恐れて誰も近づこうとはしない」
 声をかけたのは少年であった。漆黒の髪を麻の紐で束ねている。宝石のように輝く青い瞳の美しい、神の造った工芸品のように繊細で綺麗な少年であった。
「それで、あなたはこの魔女に何の御用かしら?」
「あなたの力をお借りしたいのです」
 少年は、恭しく頭を垂れた。
「どこのどなたか知らないけれど――私にはあなたに力を貸す理由はないわ」
 五百年という歳月は、リラーナにとってはけして長い時間ではなかった。それでも、失望するには充分すぎるほどな時間だった。
「すいません、申し遅れました。ぼくは、ティルカ王国の王子、リルフェ。この王国のため、あなたのお力が必要なのです」
「そう。どうりで、あの人に似ていると思ったわ。でもあなたの言葉を信じるとしたら、どうしても分からないことがでてくるのよ」
 リラーナは微笑みさえも浮かべて、だが挑戦的な目つきでリルフェを見つめていた。5百年前の彼女ならけしてしなかったであろう表情だ。
「王子が一人で出歩くなんて、今では考えられないことでしょう?」
「……そうですね。でも、非公式ですからね、ぼくの訪問は。ここに来たのは、ぼくの独断ですから」
 貴公子然とした顔に微笑みという仮面を貼りつけて、リルフェは答えた。
「祖母が、困ったことがあったら西の森に住む魔女リラーナを訪ねるといい、と昔話してくれたことを思い出しましたので」
「私にはもうあなたたちを救う義理などないのよ。帰りなさい。あまり聞き分けのないなら、ヒキガエルに変えて王城に送り届けてもかまわないのだからね」
 もう、リラーナは人と関わりたくはないのだ。信じても裏切られるだけなのだから。命短き者たちは、彼らには想像もつかないほど長い時を生きてきた彼女を、人としてみることはないのだ。
「ヒキガエルにでもなんでもなりましょう。あなたが力添えを約束して下さるまで、ぼくはここを動きません。あなたの望むものなら、なんでも報酬として差し出します。だから――」
 少年らしい情熱で、彼はここまで来たようだった。この森はリラーナでさえもすべてを把握しているわけではないのだ。
「無理よ。私の望むものは、あなたたちでは手に入れられない」
「分からないでしょう。言ってみて下さいよ」
 あっさりと言われたので、リルフェはムキになっているようだった。これも若さゆえなのだと――リラーナは思った。
「なら、あなたたちに死んだ人間を生き返らせることができるというの?」
 まだ忘れてはいないのだ。もう五百年も前のことだというのに。
「……すみません。知りもしないで――」
「知らないということは罪じゃないのよ」
「――でも、ぼくは帰りません。幸い、この館は広いようですし、しばらく居候させてもらいますよ」
 変わり身の早い王子である。
「だめよ。帰りなさい」
 有無を言わせない強い調子で、リラーナは言った。
「今ごろ、城中大騒ぎになっているはず。王子なら、その辺のことも考えて行動するべきよ」
「では、また来ます。あなたの助力を得られるまで、毎日でも」
 大人しく引き下がるような王子ではなかったが、今回ばかりは別だった。触れて欲しくないであろう過去に触れてしまったという負い目もある。そして、王子としての責務を放り出した、という事実を指摘されたということもあった。
「無駄な努力はやめることね。報われないと分かっているなら、無意味だわ」
 冷淡に、彼女は感情を見せずに言う。心を凍てつかせて、凍土の中で生きること――それが彼女の生きかたなのだ。誰も変えることはできない。
「努力は、行為そのものに意味があるのだと思います。でなければ、ぼくがここにいる意味はないに等しい」
 リルフェは理解に苦しむほどのかたくなさでもって答えた。
「……もう、止めはしないわ。愚者は理解できないから愚者なのだもの」
「愚者、ですか。ぼくにぴったりの呼称ですよ。それでは、また」
 颯爽と――これ以外には適切な表現は見当たらない――去っていくリルフェの姿を見つめ、リラーナは一人ため息をついた。
 似ているのだ。五百年前、愛したあの人に。容姿、という点ではまったく違う。リルフェは美少年ではあるが、それだけである。彼――あの人は見るものすべてを魅了するような不思議な容貌をしていた。
 だが、持つ雰囲気は同一のものであった。自分の正しいと思った道を生き、他人さえも自分と同じように愛していた。分かり合うことができないと知った上で、信じようとしていた。ふざけたようなフリをしていつも気を遣っていた。強いように見えはしても、本当は弱いただの人間だった。そんな雰囲気を、リルフェもまた持っていた。
「……どうか、してるわ」
 リラーナは首を振り、天を仰いだ。もう、かなり時間がたっている。すっかり遅くなってしまった。野草摘みに適した時間は、とうに過ぎてしまっている。
「まったく、野草摘みをしなかったなんて、いったい何十年ぶりかしらね?」
 誰にともなく訊ね、リラーナは首を傾げた。
 何はともあれ、今日はもう野草摘みは止めにした。日が昇ってからは、森の中を歩き回るべきではない。
 夜の森と同じように、魔女の森は昼でも危険なのだ。植物さえも、この森の中では安全とは言いきれない。安全なのは、まだ森さえも眠りについている早朝くらいのものである。
 回れ右をして館に戻ると、人形がリラーナを出迎えた。長いダークヘアにブルーアイ、透けるように白い肌の男の人形である。生気というものに欠けていた。あくまで人形であることを強調するため、あえてそうしたのだ。少年らしき輪郭線は幼さを感じさせる。かつて愛した人に似せて作られた生きた人形であった。
 玄関は大理石――模造石ではあろうが――で、歩くと硬い小気味良い音が響く。入ってすぐのところに女神の彫像が置いてある。昔、とある王族の別荘として使用されていた館は、それなりに豪華である。ただ、贅の限りを尽くした、というものではない。
「おかえりなさいませ。今日は、野草摘みには行かなかったのですか?」
 人形が声を発する。繊細なガラスのような硬質の声である。
「ええ。ティルカの王子が訪ねてきたのよ。すっかり調子を狂わされたわ」
 髪をかきあげる。すっかり癖になってしまっていた。
「ティルカの王子が、ですか? 何か用があったのではないのですか?」
 人形は問いかける。それが役目である。寂しさを紛らわすために作られた人形なのだ。“彼”は。人間をそばには置きたくなかったリラーナは代わりに人形を置いた。
「用があったようね。でも、私にはもうティルカ王家を助ける義理はないもの」
 定められたことを繰り返しているだけだとしても、リラーナはしっかりと答えを返した。
「そうですか。では、今日はどうするのですか?」
「書斎の本でも整理するわ。何かあったら書斎に来てちょうだい。あなたはいつも通りにしていなさい」
「はい」
 人形は終始無表情であった。表情の変化をつけられるほど精巧にリラーナは人形を作っていなかった。
 リラーナは慣れているのでさほど驚きもしない。当然といえば当然ではあるが。
 書斎は地下にある。書斎、というよりは書庫に近い。五百年の間にリラーナが集めた本がすべて収納してある。魔法の書物、歴史書、ジャンルはさまざま――といえば聞こえはいいが、実のところ無節操にかき集めただけに過ぎない――で、彼女は気の向くままに読み、ごくたまに分類・整理をしたりもしていた。
 長く生きていると、ひまを持て余すものなのだ。まるで余生を送る老人のように彼女は生活していた。
 傾斜のきつい階段をしばらく降りると扉がある。扉の中にはかび臭いにおいの充満した空間が広がる。
 明り取りの窓さえもない、彼女の身長の倍はある書棚に囲まれた部屋だ。太陽の光を浴びると、書物は劣化するのでわざと窓は作っていない。
「光よ」
 彼女が言うと、皓い光が天井近くに生まれた。熱くはない。明るいだけである。
 てのひらほどの大きさではあるが、三十メートル四方を照らし出している。
 同じような光球をいくつも作って、彼女は本棚を見上げた。入り口付近は整理されている。問題は奥。だが、今日は本を読んで過ごすことにした。
 分類してある本の中から何冊か選び、扉のすぐ右にある机の上にどさりと置いた。
 時間をつぶすにはもってこいである。難解な古ティルカ語の本は。
 リラーナがまだ実際に十八歳だった頃――つまりは五百年以上は前のことだ――に、ここティルカ王国で使われていた言葉である。今は極端な口語化が行われてしまっているので、この文字を読める者はリラーナくらいのものだ。
 彼女はひまだったため、今のティルカの言葉をはじめとしてたくさんの言葉を覚えている。
 彼女は分厚い革表紙を開いた。

「リラーナさま」
 人形が呼びかけた。
 まだ本を半分しか読んでいない。外の光は入ってこないのでリラーナには分からないが、多分夜になっているだろう。
「何かあったの?」
 顔を上げさえせず、リラーナは言った。
「リルフェさまが来ています」
 人形は端的に述べた。
「で、今はどこにいるの?」
「ここにいます」
 人形の言葉に驚き、リラーナは顔を上げた。
 人形の後ろからリルフェが顔を出している。まるで家出でもしてきたかのような大荷物を背負い、楽しげに笑っている。
「何しに来たの? 答えによっては、ただじゃすまさないわよ」
 静かな怒りが感じられた。普通の神経の持ち主なら、すぐに逃げ出したくなるような。
「今度は、ちゃんと断ってから来ました。どこに行くか、詳しくは言いませんでしたけど」
「……あなたねぇ……断ったからいい、というものじゃないでしょう? あなたは子供かもしれないけど――一応は男で、私は女なのよ。私の館に泊り込むなんて、ばかなことはやめなさい」
「どうしてですか? ぼくはその気はありませんし――あなたも、ない。どこか不都合があるんですか?」
 まったく気づいていないらしく、リルフェはあっけらかんとしている。
「わからないの? 人に知れれば、いらない誤解が生まれるわ」
「――ああ! つまり、ぼくの名前に傷がつくってことを心配して下さってるんですね?」
 リルフェは感激したかのように手を組み、叫ぶ。
「やっぱりお優しい方だったんですね。ぼくの目には狂いはありませんでした。魔女リラーナ、今日からよろしくお願いします」
 ふつつか者ですが、という言葉が続きそうな様子だ。
「言っても無駄ね、その様子じゃ」
 嘆息するリラーナに人形は声をかける。
「置いてあげたらどうでしょうか」
「そうね。これの世話はお願いするわ。だから、私にやっかいごとを持ちこまないように」
 リラーナは再び本に視線を落とした。
「分かりました。ところで、ここってたくさん本がありますね。ちょっと借りて読んでもいいですか?」
 リルフェは興味津々といった様子である。ブルー・アイを輝かせ、ぐぐっとリラーナに近付いてくる。
「それはいい心掛けだけど――多分、ここにある本は読めないんじゃないかしら? 古ティルカ語なんて今はもう誰も知らないでしょうしね……」
 年月の重さ、というものを感じさせる言葉である。
「……そうですか。残念です。何か、ぼくにも読めそうなものはありませんか?」
 リルフェは明らかにがっかりしているようであった。落胆が顔にありありと表れている。
「多分、何冊かあるとは思うけど――そうね、私が今の言葉を覚えるのに、辞書みたいな本を書いたの。それを使えばここの本も読めるかもしれないわね」
「借りてもいいんですか? ぼく、がんばって覚えます!」
 リルフェは力いっぱい叫んだ。
 積もっていたほこりがぶわっと舞った。
(掃除が不充分だわ……)
 リラーナは心の中でつぶやいた。

 部屋には机と、テーブルと、椅子、ベッド――つまり必要最低限の家具しか置かれていない部屋、そこがリルフェのためにリラーナの屋敷の中に用意された部屋だった。家具などはすべてリラーナが用意したものだ。彼が持ってきたものはそれほど多くない。
 彼がここに来て、もう四日になる。古ティルカ語もだいたいは覚えたので、書庫から勝手に本を持ち出して読んでいた。中には、まったく異質の言葉――そう、それはまったく別の生物の言葉のようだった。基本は同じなのだろう、文法は古ティルカ語とよく似ていた――で書かれている書物もあった。
 魔法の本はどうせ読んでも分からないので、彼が読むのはもっぱら戦記、歴史書、物語、そんなものだった。
 今はベッドに寝そべって、ティルカの歴史書を読んでいるところだった。王家に残されているような正規のものではなく、名前も知られていないような魔術士が書いたものだ。だいたい四百年ほど前に書かれたもののようである。
 赤い革表紙の本で、タイトルは複雑な古ティルカ語の飾り文字でこう記されていた。
 ――ティルカの裏の歴史、と。
(きっと、ぼくが知っているのは表の歴史だけなんだろうな)
 そう思うと、リルフェは愉快な気がしてならなかった。
 流れるような字体で序文は記されていた。

『歴史というものには、ほとんど知る者のない側面というものが存在する。側面ならば発見することもできないことではないが、裏側となるとそうはいかない。だが、私は幸運にも歴史の裏を知ることができた。これは他国に誇れる歴史ではない。それでも私はあえてこれを記す。私と同じように、真実を追い求める後世の魔術士たちのために――』

 多分、そんな感じの意味のことが書かれているのだろう。リルフェの語学力では細かいニュアンスの違いなどは分からない。
(でも、これは――歴史書っていうよりは、物語みたいだ)
 書かれているのは途方もない壮大な物語だった。難しい単語や専門用語が多すぎて、分からないところの方が多いけれど。
 主人公は一人の少女のようだった。名前はリラーナ。彼女のたどった数奇な運命とその人生が緻密に描かれている。彼女の、常に王家と関わり続けた人生が。最後には、彼女がどうなったのかは定かではないとあった。五百年ほど前の話である。
 なぜか気に入って、何度も何度も読み返しているので、大方のあらすじは彼の頭に入っている。
(ここ、十ページくらい切り取られてるのはどうしてだろう。魔法に携わるものが書物を傷つけるなんて)
「やっぱり、持ち主に聞いてみなきゃ」
 リルフェは立ちあがり、部屋をばたばたと出ていった。
 もう、彼はとうに当初の目的など忘れているに違いなかった。
 
 この時間は、リラーナは自室にいるはずだった。リルフェは部屋に飛び込んだ。とてもではないが、一国の王子のすることではない。
「どうかなさいましたか?」
 人形のクリフが訊ねた。
 もとは名がなかった人形に、リルフェはクリフという名を与えた。リラーナが人形に名をつけていなかったのは、必要を感じなかったからだが、リルフェにはどうにも不便で仕方がなかったのだ。
「ええと、リラーナを探しているんだけど」
 リルフェはこの館の住人として定着しつつある。もう、すっかり打ち解けていた。
「そんなに慌てなくても私はここにいるわよ」
 優雅な様子でティーカップを傾けるリラーナは、どうも魔女という言葉には不似合いである。
「すいません。でも、聞きたいことがあったんです」
「何かしら?」
 リラーナはティーカップをことり、と置く。
「この本に、ページがなくなってるところがあるんです。どうしてかと思って……」
 と、赤い革表紙の本を胸の前に持ち上げた。
 リラーナの顔色が変わった。以前、リルフェはこんな表情をした人間を見たことがある。確かやたら仰々しい、二十日以上もかけて準備した儀式の用意をリルフェの可愛がっている猫に台無しにされた大神官の顔がああだった。
「私が切り取ったのよ」
 言葉を選ぶようにしてリラーナ。
「思い出したくもないことが書いてあったから」
「思い出したくもないこと?」
 リルフェは無遠慮に、オウム返しに言う。
「その本に書いてあるのはね、ほんとのことなのよ。私はかつて、ティルカの大神官だった。魔王アウリュリレリウスの血を引く者だと知られ、魔王を倒す旅に出るまではね。そして、魔王を封じ、ティルカに帰ってきてから当時の王子が死ぬまで、彼の妃だった」
 リルフェは黙って聞いていた。口を挟むことなど許されないのだと思っていた。
「でも、彼が死んでから私には魔女の嫌疑がかけられた。有力貴族たちは、いつまでたっても若いままの私を恐れたから。子供が何人かいたけど、その子たちは何の力もないただの人間だから無事だった。力を使えば逃げられたけど、誰かを傷つけることになるから、逃げなかった」
 リラーナはさびしそうに瞳を翳らせる。
 リルフェが所在無く立ち尽くしていると、クリフが黙って椅子を勧めた。
「私の生徒だった子がいたんだけど、その子がこっそり逃がしてくれたの。だけど、代わりにあの子は火刑に処された――」
「切り取られたページに書いてあったのはそれだったんですね……」
 リルフェの頬に涙が伝った。一筋だけではなく、幾筋も、幾筋も。ほっそりと形の整ったあごの稜線からぽたぽた水滴が垂れる。
「泣くことはないでしょう――もう、過去のことだもの。だから、私はあなたの先祖にあたるわけで、しっかり血縁者なのよ」
「あなたがティルカ王家に関わりたくなかったようやく分かりました。本当なら、ぼくに会うのもいやだったでしょうね」
 リルフェは零れ落ちる涙を拭おうとさえせず――少年らしいまっすぐな眼差しでリラーナを見つめていた。強い意思を秘めた光が瞳にともっている。それと同時に、心の傷をも秘めている。だから強い光を持っている。
「気にはしていないわ。でも、心配はあった。あなたみたいな年頃の子供はえてして年上の女にひかれるものだし――」
「その点なら大丈夫です」
 クリフの勧めた椅子にかけてリルフェは笑った。泣きながら笑っているので、嬉しいのか悲しいのかよく分からない表情である。
「それは、私に魅力がないってことかしら?」
 青みがかった銀灰色の双眸にいたずらっぽい光をたたえ、リラーナは訊ねる。このような表情を見ていると、年齢以上に幼く見える。
「――いいえ。ぼくは、本物の王子じゃないんです」
 突然語り始めたリルフェを、リラーナのみならずクリフも驚いたように見た。
 クリフは生きている人形ではあるが、感情や表情を持たない。それが、最近は微々たる変化ではあるものの、表情、感情を見せるようになっていた。
「本物のリルフェ王子は、五年も前に病死しました。でも、今は王室も弱体化が進んでいます。後継ぎの王子が死ねば、これ幸いと王室廃止に乗り出すでしょう」
 リルフェは額に手を当てて、呟くように続ける。
「王家の血を受け継ぐ王妃も王子が幼いころに亡くなりました。つまり、新しい御子に恵まれる可能性は皆無――王家を継げるのはリルフェ王子以外にありえません」
 淡々と感情のないリルフェの顔は、まるで人形のようだった。
「ぼくは、王家を潰さないために有力貴族たちがたてた偽者です。本当は片田舎の平民の息子ですよ。名前だって、リルフェなんて立派なのじゃない。クリフ、っていうんです」
「あなたは私に自らの名をお与え下さったのですね」
 クリフはすっと目を細め、リルフェの頭をなでた。
「――そう。ぼくは、名前には意味があると思ってる。クリフはもう、クリフなんて名前はいらない。だから与えた」
 リルフェは強い光を宿した瞳でクリフを見つめる。
「分かったでしょう? ぼくは、ただのマリオネット。王家とは何の関わりもない平民です。あなたとの血縁関係はない」
「……どうして私にそんなことを話したのかしら?」
 リラーナは優しい眼差しでリルフェを見ていた。ここ最近は、いや、大切な者たちを失ってからは一度も見せたことのない眼差しだった。
「あなたも話してくれたからですよ。それに――ぼくは誰かに聞いて欲しかったのかもしれない」
「そう。ところで……あなたは何か私に用があってここに来たようね? もういちどだけ、あなたなら信じてもいいような気がするわ」
 リラーナはかつて“仲間たち”に見せたのと同じ微笑を浮かべた。
「聞いてくださるんですか?」
「ええ。いいわよ」
 こともなげにリラーナは返す。
「……父を助けていただきたいのです」
 リルフェはためらうかのように視線を虚空にさまよわせ――
「父はしばらく前から眠りつづけているのです。宮廷付きの魔法使いによれば、夢に囚われているのだということでした。原因は不明です。国中の魔法使いをかき集めても治せないと――そう言われました」
「本当の父親ではないのでしょう?」
 クリフが言う。形のいい眉を歪ませて。
「でも、ぼくのことを本当の子供のように可愛がってくれた。あの人は血のつながりなどなくてもぼくの父です」
 真摯な瞳でリラーナを凝視する。果たして、助けてくれるのかどうかを見極めるように。
「やってみるわ。私にもそういう人がいたの」
 リラーナは言うこととは裏腹に自身に満ちた様子である。
「クリフ、城へ行くから、留守は任せたわ」
 クリフは黙ってうなずいた。彼は所詮は人形、リラーナの忠実な人形であったのだ。

 リラーナはフードで顔を隠し、下を向いて歩いていた。まさか、もう彼女の顔を知る者もいるまいが、念のため、ということである。
 その隣にはリルフェがいる。館に来たときに着ていた服に着替えていた。
「どうしたの? 顔色が悪いわよ」
「……ええ……多分……大丈夫です……」
 途切れ途切れに答えるリルフェは、誰が見ても大丈夫そうには見えなかった。
「日差しが強いせいかしらね……とりあえず、木の陰で休みましょう」
 細くて華奢なリルフェだが、それなりに体重はある。リラーナひとりでは、近くの木陰までひきずっていくのが精一杯であった。
「……すみません」
「いいのよ。まったく、私も落ちたものだわ。昔はこう見えても百人以上のティルカ正規兵と魔術なしで渡り合えたのよ」
 どこか自慢げな響きだが、不思議といやみな感じはしなかった。
「しばらくさぼってたからかしらね。だめだわ、年には勝てないものよね」
「年だなんて……まだ、充分若いですよ」
 苦しそうにではあるが、リルフェは笑みを浮かべた。
「何言ってるの。もう、私も五百四十二歳よ? おばあさんだわ」
 リルフェの顔色は悪くなる一方である。彼の気を紛らわそうと、他愛もない話を続ける。
(……おかしい。何か、強い魔力が動いている)
 リラーナは違和感を感じていた。
 どこかで感じたことがある。でも、かすかな“感覚”――
 リルフェのまぶたが舞台の幕のようにゆっくりと閉じられる。眠りにつくのと同じように。
「リルフェ――?」
 リラーナの呼びかけにもリルフェは答えない。こんなところで眠るなんて、ありえないことである。
 リラーナはベルトポーチからつまようじのように小さい棒を取り出すと、もごもごと呪文のような言葉を呟いた。
 棒は瞬時に大きくなって、神官の持つような杖になる。杖の長さはだいたいリラーナの身長と同じくらいである。白く塗られていて、てっぺんに聖印がついている。銀色の鎖がじゃらじゃら下がっていて、仰々しいことこの上ない。
 その杖を手に、リラーナは土が剥き出しの地面に図形を描き始めた。古の――古ティルカ語よりも古い言葉を唱えながら、複雑な魔法陣を描いていく。
 できあがった陣の上にリルフェを横たえ、リラーナも陣の中に立つ。
(この子の夢の中にダイブして……元を絶たないと……)
 杖を掲げると、どこからともなく風が吹いてきて、彼女のロングヘアを揺らした。陣全体がうっすらと蒼い輝きを放つ。
(精霊よ……しばしの間、私たちを守って……)
 リルフェの額に杖の先を触れさせて、リラーナは左手で印を結んだ。
 彼女の体が吸い込まれるように消えた。後に残ったのは、眠り続けるリルフェだけであった。
 木の葉が陣を覆い隠す。これは、精霊の力であった。

 空は透けるような蒼、綿を千切って浮かべたような雲。のどかな田舎の風景が、どこまでもどこまでも続いている。
 小さな家々が軒を連ねていて、ろくに整備もされていない砂利道を子供たちが駆けていく。
「ここは――どこなのかしら」
 リラーナはあごに手を当てて言う。
 先ほどからかすかな魔力を感じていた。きっとここは、相手の手の中なのだろう。
 道の真ん中で立っていたものだから、子供がぶつかってくる。
「あ、ごめんなさい!」
 明るい声で謝罪したのは、漆黒の髪に青い瞳の少年――
「リルフェ!」
 幾分幼くはあっても、少年はリルフェであった。瞳の輝きは変わっていない。
「お姉さん、どうしてぼくの名前知ってるの? あ、もしかして魔法使い?」
 現在の――リラーナの知っているリルフェとは違った雰囲気ではあるが、少年はリルフェであろう。無邪気な田舎の少年である。
「まあ、そうかな。ねえ、ここはどこなの?」
「ここ? ここはね、ミストフィールドだよ」
 無邪気に答えるリルフェと、あの王子とが同一人物だとは、いまいち信じられない。
「じゃあね!」
 リラーナは走り去っていくリルフェを見送った。
(きっとここは、彼の望んだ世界なんだわ……一番幸せだったころにいるのね)
「……あなたは、幸せなんでしょうね。夢を見続けている方が」
 風が吹いた。暖かい春風が。
「でも、それじゃいけない。私は夢を終わらせるわ」
 リラーナは歩き出す。夢の中心はリルフェの近くにいる。そんな気がした。
 しばらく歩くと、どこかしら違う感じを受ける家があった。外観は他と変わりない。
 たてつけの悪そうな扉を叩くと、先程の少年――リルフェが顔を出した。
「あれ? さっきのお姉さん……」
 意外そうな顔で訊ねてくる。
「何か用でもあるの?」
「え、ええ……ちょっとね。入ってもいいかしら?」
「別に、いいけど。お姉さんは悪い人じゃなさそうだし」
 リルフェに案内されるままにリラーナは中に入った。
 ――と思うと、リラーナは外にいた。
「ここに入られることを拒否してる……?」
(……でも、私の方が強い)
 今度は魔力を中和するシールドを張ってから扉を開ける。中には亜空間とでもいうべき歪んだ空間が広がっていた。上も下もなく、左右の感覚すらない。
 そこに浮かぶ人影がふたつ――
 ひとりはリルフェ。うつろな瞳でどこかを見ている。拘束されているかのように、ぴくりとも動かない。もうひとりは十三、四の少女。こちらは意思の強そうなエメラルドグリーンの瞳でリラーナを見据えていた。
 少女は柔らかそうな栗色の髪、ほどよく日に焼けた肌をしていて――リラーナの見知った顔であった。
「……ミレーシャ……」
 リラーナはうめきに近いつぶやきをもらす。
 彼女の代わりに、魔女として火刑に処された生徒の名――
「――あたしの名前を知ってるの?」
 一変してミレーシャの表情が無邪気な笑みへと変わる。
「あたし、記憶がないの……あるのは、ティルカ王家への憎しみだけ。生まれ変わる前は人間だったんだ、って聞いたけど」
 ごくまれにだが、悲惨な最期を遂げた人間を、憐れんだ妖精が人間の魂を妖精として生まれさせることがある。ミレーシャも、きっとそうなのだろう。
「馬鹿なことはやめなさい、ミレーシャ」
 リラーナは静かに話し掛ける。かつて、毎日していたのと同じように、優しく厳しい声音で。
「あなたはあたしのこと知ってるのね。じゃあ、分かるでしょ? ティルカ王家が許せないのよ。だからこの子を眠らせるの。王家の人間なんて、ずっと眠りつづければいいんだ」
 リラーナは答えずに、ミレーシャを凝視した。
「分かるけど、それだけは許せない。あなたが王家を恨むのは仕方がないことだけど、リルフェには関係ない」
「この子は王子。ティルカの王家の人間でしょ?」
 ミレーシャは楽しげに回転した。
「違う。リルフェは平民の息子だわ」
「でも、今は王子サマ」
 ミレーシャはうつろなリルフェの身体を抱いて、微笑む。
(説得は無意味なのかもしれない)
 リラーナは血が滲むほどに唇を噛んだ。
「――どうあっても、やめる気はないと?」
「もちろん」
 リルフェを抱えたまま空間を飛び回って、ミレーシャは愉快そうに笑い声を立てた。
 彼女は、以前のミレーシャではない――五百年前とは、すべてが変わっている。かつて愛した男は死に、兄も今は亡く、自分は過去を見つめて生きている。
「無理にでも引き剥がしてやるわ。私は――ティルカの大神官だったんだから」
「やってみれば?」
 余裕綽々の態度でいるミレーシャにリラーナはかすかな苛立ちをおぼえた。
 足場も何もなく、ただ意志の力だけで留まらなければならない空間に唄うような呟きが流れた。
 人間の言葉ではなく、妖精たちの使う言葉。今のミレーシャになら、それが何を意味するのか分かるはずだ。
「あたしを封印するつもり? ここには何もないっていうのに」
 嘲るように、ミレーシャ。
 彼女はまだ気付いていない。リラーナが何をしようとしているのか、少しも。
(さようなら、ミレーシャ。しばらくの間、お眠りなさい……)
 光に包まれたミレーシャの顔は、驚愕でも恐れでもなく、ただ安らいでいるかのようだった――

(息が苦しい……)
 意識を取り戻したリルフェが真っ先に考えたことはそれだった。
 顔を葉っぱが覆っている。これでは苦しいのも無理はない。
「ああ、もう!」
 乱暴に振り払い、辺りを見回した。
 隣にリラーナが寝ている。
 ――いや、寝ているのではない。目は開けている。
「リラーナ……?」
 リルフェはただ呟く。
「ぼく、夢を見てました。昔の夢です。そこに、あなたとか色々出てきて――」
 リラーナの頬を指で軽くなぞる。
「ちょっ、と、やめなさいってば……くすぐったい。……それは本当の話なの、ある意味では夢だけど」
 リラーナは起き上がりもしない。実際、起き上がる気力さえ残っていないのだろう。
「あなたは夢に囚われていた。妖精によって、ね」
「じゃあ、あれは本当のことだったっていうんですか?」
「……だから、夢なのよ。あの子は……あなたを捕らえていた妖精は、昔の私の生徒なのよ……」
 つらそうに呟くリラーナを切ない想いでリルフェは見ていた。
「あのとき、光が生まれましたよね? あれはどういうことなんですか?」
「封印した、ただそれだけよ」
 短くリラーナは答えた。顔には疲労の色が濃い。
「私の中にね。長い時間を経て、あの子が落ち着いたら出してやるつもり」
「どれくらいの時間ですか?」
 眉を寄せて訊ねるリルフェにリラーナは花のような微笑を見せる。
「さあ……あなたにしたら、永遠とも思えるくらいの長い時間なのは確かだけど」
「……ありがとうございます。助けてくださったんですね?」
「そういうことになるわね。きっと、あなたのお父さんももう目覚めてるはずよ」
「本当ですかっ! じゃあ……」
 リルフェは思いきり歓喜の声を上げた。子供のように無邪気に喜ぶ。
「ごめんね……ちょっと、肩貸してくれない? 一人で歩くのつらいから」
 リルフェは吹き出した。

 国王はいまだ床に伏したままだった。
 絨毯は蒼くて毛足が長い。カーテンも同色で分厚い。壁にはしみ一つなく、天蓋付の大きなベッドが良く合っていた。ティーテーブルは今は片付けられて、端の方に寄せてある。机も最高級の樫材であることは一目で知れた。
 ベッドの周りには誰もいない。リルフェが人払いをしていた。
「……父上」
 リルフェが王に呼びかける。
「リルフェか……すまない。心配をかけたな」
 いまだ白髪もない若々しい王は、儚く笑った。
「いいえ、父上。そんなこと……」
 リラーナは黙ってリルフェの後ろに控えていた。
「この方が助けてくださらなかったら、ぼくには何もできませんでした」
 リルフェはリラーナを見て、目で促した。
「はじめまして、ティルカ王」
 昔宮廷で身につけた礼法を必死に思い出してリラーナは礼をする。
「……すまない。褒美を取らせよう」
 あくまで王らしく振舞おうとしている様子がおかしかった。
「そんなものいりませんよ。私はただ助けたかったから助けたんですから」
「リラーナはこう言ってますけど……ぼくの滞在費くらいは払ってあげてください」
「……?」
 王は怪訝な表情でリルフェとリラーナとを交互に見る。
「ぼく、ちょっとの間リラーナの館に泊まってたの」
 あっけらかんと言うリルフェを顔面蒼白になって王が見つめた。
 わなわなと震えているのは誰の目にも明らかだった。リルフェは気付いていないようだったが。
「え……と、全然そーゆーことはないですからっ!」
 リラーナは慌てて否定するが、それがかえって怪しい。
「リラーナ殿……ふつつかな息子ではありますが、よろしくお願いいたします」
 完全に勘違いされている。
「だからぁ、違うんですってば!」
「いいじゃないですか! ぼく、あと五年もすればあなたと同じ位の年齢に見えるようになりますし。青田買いってやつですね。今が買い時です!」
 熱心に力説するリルフェを半眼で見つめ、リラーナは叫ぶ。
「そんなこと急に言われても……私はおばさんだし……記憶は風化していない」
「それでもいいです」
 王の存在も忘れ、リルフェは言った。
「ぼくはまだ十五です。何年だって待てます。ぼくが記憶を風化させて見せます」
 真摯な瞳で見据えられ、リラーナは目を伏せた。
 リルフェの言葉が、プロポーズだと気付くまで、しばしの時間を要した。
「……そういうわけですので、どうぞよろしくお願いします」
 頭を下げるリルフェに、リラーナは閉口した。
「とりあえず、まずは婚約発表から……」
 王はもはやヤケである。
「まだ私、承諾してない!」
 リラーナの叫びなど、王もリルフェも聞いてなどいなかった……














ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう