「これは、どういうことなんですか!」
礼儀知らずとはわかっていた。それでもあえて、エルティアナは叫びながらアルトの部屋の戸を開けた。
「ああ……どうしたんだい、エルティアナ」
アルトはティーカップを傾けていた。優雅な仕種でそれを机に戻す。
「どうしてそんなにのん気にしていられるんです、あなたは! 私は――私は……!」
「知っているよ。アルト王子は先日の事件の責を負い、自ら塔に幽閉されることを望んだ。騎士は不要。よって、任を解く。そういう書状が届いたんだろう?」
エルティアナは口をぱくぱくさせた。その通りだった。
「気にすることはない。ばれないように君を通させることくらい造作もないことだよ」
「そういうことを言ってるんじゃありません!」
エルティアナは叫んだ。
どうして、そのような扱いに黙っていられるのか。
たしかに、フェルキアで騒動を起こしたのはアルトだ。だがあれは、ルーティカ王女を救うためだった。それなのに。
それなのに、ディディエル王家はアルトひとりを罪人にしようとしている。
「エルティアナ。仕方のないことだよ。僕は特別だからね」
アルトのあきらめにも似た言葉に、エルティアナは胸を痛めた。
彼の瞳には、魔女が封じられている。
かつて、魔女は世界を滅ぼしかけた。そのことを知らないものはいない。
だが、魔女はあるときを境に消えてしまった。そのあと魔女がどうなったのか、知る者は少ない。
魔女は彼の血族が、その身をもって封じていたのだ。アルトは母から、その封印を受け継いだ。
そのため、秘密を知る者は彼を畏れる。負の遺産ゆえに、アルトは隣国へと追いやられようとした。そうして今度は、暗く冷たいところへ閉じ込めてしまおうとしている。
「そんな顔をするものじゃない。どうせ、僕の生活は変わりやしないんだから」
アルトの、その、感情を隠した様子がつらいのだとは、エルティアナには言えなかった。
エルティアナの考えを察したのか、アルトが薄く笑う。
アルトは少々庶民的であるきらいがあるが、なかなかに美しい少年だ。笑顔を見せられれば悪い気はしない。
肌は白いものの、髪は日に焼けたような金色をしている。目鼻立ちはまだ幼く、少年らしい可愛らしさがあった。仕立てのいい服を着ているというのに、それが時折借り物のように感じられるのは、彼の性質のせいもあるのだろうか。
「僕の顔に何か?」
アルトは首を傾げた。
「いえ」
エルティアナはあわてて目をそらす。見とれていた、などとは口が裂けても言えない。
「まあ、いいけどね、ちょっとそっちに座って。お茶につきあってくれないかな? 最近、ひとりで過ごすのにも飽きてきていてね」
そう言うと、アルトは手ずからエルティアナのぶんのカップを用意しはじめた。
そんなことは私が――
エルティアナが言いかけた瞬間、突風が吹いた。
息苦しい。エルティアナは目をすがめ、風が生まれているあたりを見やる。
腰にはいた剣に手をやる。風は渦を巻き、エルティアナやアルトを近づけまいとしているようであった。
風の中心に光が生まれる。
小さな小さな碧の光は、次第に大きくなり、やがて人の形をとった。
その頃にはもう、風はおさまっている。光も消えてしまうと、そこには少女がひとりいた。
「はじめまして。アルト王子」
彼女は優雅に一礼する。
闇をかためて糸にしたかのような黒髪は肩ほどで切りそろえられ、枯葉色の瞳はアルトをまっすぐ見つめている。黒い、金糸・銀糸の縫い取り模様がついた衣服は、肌の白さを引きたてていた。
まだ幼い。アルトよりも幼いかもしれない。14、5歳といったところか。だが、年相応ではないと思わせるなにかが、彼女にはあるようにエルティアナには思えた。
「誰だ」
エルティアナは短く言い、剣を抜く。
「リューネ。王子の母君と同じ一族の者です」
「エルティアナ」
アルトに命じられ、エルティアナは剣をおさめた。
「その、母上の同族であるきみが、僕にいったいなんの用だい?」
リューネはアルトに近づいた。アルトの頬に手を触れさせ、左眼をのぞきこむ。
「――封印がとけかけているのよ。だから、王子。あなたには私とともに来ていただきます。北の都へ」
「なにを、勝手な!」
「勝手なのはあなたでしょう? 王子の封印が解けてしまえば、悲劇はまたくりかえされる」
「だが……!」
エルティアナは奥歯を噛みしめた。
「いいよ。行こう。ただ、準備もある。少し待ってくれるね?」
アルトはあっさり承諾した。エルティアナは思わず、アルトをにらみつける。
「わかったわ。準備が整ったら、私を呼んで頂戴」
また、風が吹いた。
今度は先ほどとは逆だ。吸い込まれるように、リューネは消えていった。
「王子……!」
「エルティアナ。仕方のないことなんだよ?」
さとすようにアルト。
納得がいかない。エルティアナはアルトの双眸をひたと見据えた。
「封印を守るのが、僕の役目だ」
「でもあなたは、王子です」
「不要の、ね。いないほうが王家も安泰というものだよ」
「そんなことは……っ!」
ない、とはエルティアナには言えなかった。
たしかに、ディディエル王家にとって、アルトは邪魔者に相違ない。
「本当のことだよ」
悟ったようなアルトの顔。
けれど、彼は知らない。自分がどれだけ寂しげな、悲しそうな顔をしているのかなど。
だから、胸が痛む。
夜会を催す、と急に命が下った。
それにしても急な話だ。旅芸人がやってきたため、王が気まぐれを起こしたようだ。
本来なら、王子づきの騎士であるエルティアナにはそのような任務がまわってくることはほとんどない。王子の護衛はすべてに優先される。
だから、アルトは追いやられてしまうのだ、とエルティアナはあらためて実感した。
憂鬱な気持ちを抱えつつ、仕方なくエルティアナは任に当たった。
とはいえ、平和なこの国でのこと。警備といっても、実際にはただ立っているだけのようなものだ。いつしかエルティアナは、気を張りながらも、旅芸人たちの芸に見入っていた。
今は、白く塗られたピアノをピアノ弾きが弾くのにあわせて、少女が透明な声を響かせている。
少女はとても、とても白い。凍てつくほどの南に住まう、珍しい種族なのだという。
プラチナブロンドの巻き毛は、足下まで流れている。耳があるべき部分には、羽根状の長い器官があった。
背からは、6枚の白い翼が生えている。彼女の声にあわせて、それらは小刻みに震えた。
まるで、祈りを捧げる巫女のようだ。胸の前で組んだ手は、かたく、まるでなにかを拒絶しているかのようにすら思える。
エルティアナ同様、先の珍しい獣の曲芸や人形使いの芸のときにはざわめきがあったというのに、今はみな、静まりかえっている。息をのむ音さえ響きそうだ。
――とそのとき、兵士のひとりが倒れた。
だが、それさえも曲の一部であるかのように、旋律は響き続ける。
また、ひとり。今度崩れ落ちたのは、ディディエル王家傍流の青年貴族だった。
ひとり、またひとりと、曲が盛り上がるにつれ、人々は倒れていく。
誰もおかしいとは思わないらしく、一同の視線は少女に集中していた。
頭の芯がくらくらする。エルティアナは首を振った。
ふと、背後にあらたな気配が生まれた。エルティアナは振り返る。
でくのように立ちつくす着飾った人々の中、アルトがいた。
「――王子」
うまく舌がまわらない。脳が痺れているような感じだ。
「いいかい、エルティアナ。僕の言うことをよく聞くんだ」
まるで、魔法のような言葉。アルトの言葉が、エルティアナの中の靄を払った。
「きみは人を逃がせ。兄上や姉上はすぐには理解しないだろうけど、緊急時だ。多少の手荒な真似なら、僕の名において許可する」
「どういうことですか?」
エルティアナが問うと、アルトはかすかなため息をついた。
「聞いていてわからないのかい? これは魔法だ」
「でも、ただの歌にしか……」
「特別なのさ。僕と同じだ」
アルトは一歩進み出て、エルティアナを後方に押した。
エルティアナはバランスを崩した。手近な貴婦人の豊かな胸元へと、顔を押しつけるかっこうになる。白粉のにおいがした。
聞き返す間はなかった。ピアノは不協和音とともに演奏を中断した。声もやむ。
エルティアナは立ち上がると、まだ正気を保っていそうな人間の耳に、逃げてください、と叫んでまわった。
悲鳴が上がる。
うしろを振り返ると、ピアノ弾きは床に倒れ、ただの土くれになっていた。
少女は容姿に似合わぬ無骨な槍を、アルトにつきつけていた。
「王子ィっ!!」
アルトは振り向かなかった。
人々はやっと自体を把握したらしい。3つある出口へとむかって、レミングの群れのように走った。
エルティアナの手は空をつかむ。アルトはもう、遠い。
「……お前が、封印か」
少女の紅の瞳には、憎しみの炎が燃えている。アルトはそれを受け流し、薄く笑んだ。
広間にはもう、人はいない。エルティアナも半ば強制的に外へ出た。
「きみは?」
「フェイ・レン。お前たちが魔女と呼ぶものの、血に連なる者だ」
フェイ・レンの手がわずかに動いた。槍の穂先が、アルトののど皮をうすく傷つけた。
「だから?」
アルトは槍の穂先をつかんで横にのけた。血が、白い腕へと流れる。
「だから、どうしたって言うんだい。罪を他人に負わせておきながら、この狼藉。呆れるね」
「ふざけるな!」
フェイ・レンは槍をアルトから奪い返すと、アルトに向かって突き出してきた。
アルトは退いて避ける。
「あまり挑発されませんように」
空からリューネが現れた。アルトの前で、ロッドで槍をはじく。
「エルティアナは?」
アルトは無視し、問う。
「外です。人々を鎮めています。いいんですか?」
「かまわないよ。彼女は――人間だ」
苦しげにうめくかのような、アルトの声音。リューネは顔をしかめた。
「なにを悠長に話している!」
フェイ・レンが槍を大きく振りかぶった。
アルトはリューネを押しのける。無造作に歩み寄り、腕で柄を受けた。
「帰るがいい」
アルトの瞳の色が変わった。
まるでオパールのように刻々と色を変える双眸は、まっすぐにフェイ・レンを見つめている。
「きみは勝てない。憎しみがある限り」
「その子は魔女の末裔よ。今、ここで殺してしまうべきではないかしら」
リューネの言葉には、誰も答えない。
フェイ・レンの翼が動いた。
6枚のそれをはばたかせ、彼女は舞い上がった。
槍を反して天窓を割り、外へ飛び出す。 砕けたガラスが、雪のように振った。
「アルト王子……」
責めるようにつぶやくリューネに、振り向き、アルトは微笑した。瞳の色はもう戻っている。
「罪を負っているのは、僕だけでいい」
「おやさしいこと。甘すぎるわ」
「世の中が辛すぎるのさ」
今まで閉ざされて開かなかった扉が、ゆっくりと開いた。
もうすでに、ほとんどの貴族たちはいなくなっている。義務のように、王とわずかな側近たちだけがそこにいた。
「――父上」
リューネを伴って出てきたアルトは、王の前で膝を折った。
「このたびは騒ぎをおさめるためとはいえ、命を破ったことは事実。いかような罰も受ける所存にございます」
「かまわぬ。下がれ」
王は言った。
彼はアルトにはあまり似ていない。立派な髭に覆われた顔は、どこか冷たささえ感じさせる厳しさをそなえている。
アルトは立ち上がると、一礼した。そのまま去っていく。リューネも続いた。
「私が、先に!」
アルトの後姿を見送るのもそこそこに、エルティアナは声を張り上げた。
昨日のあれは――と、王子のもとを訪ねたはいいが、いくら待っても返答はない。
失礼は承知で、声をかけてから戸を開けた。
中には誰もいなかった。ものも少し、減っているようではあった。
「王子……ッ」
エルティアナは壁にこぶしを叩きつけた。
行ったのだ。彼は。
北へ。
|