第37話 ~美咲との夏祭り その2~
「……あのさ」
帰ろうとした美咲を強引に引っ張る形で歩き始めて数分後。黙って歩いていた美咲についに声をかけられた。
強引だったから怒られるんだろうなぁ、と思いながら足を止めて振り返る。
「な、なに?」
「……はぁ」
「なんだよそのため息は」
「別になんでもない」
なんでもないならため息はしないだろ。
それが顔に出てしまったのか、美咲はもう一度ため息をついてから口を開いた。
「あんたさ、私に怒られるんじゃないかってビクビクするんなら、最初から強引なことしないほうがいいよ」
「で、ですよねー」
「まあ強引っちゃ強引だったけど、あんたの言い分は正しかったわけだから、あんたが帰るまでは付き合うよ」
……ということは、美咲は怒ってないってことだよな。
よ、よかったぁ……これで楽しもうとする心を邪魔する引っ掛かりがなくなった。正直歩き始めてから今までの間、後ろを歩いている美咲からいきなり殴られるんじゃないかって、不安で緊張しっぱなしだったから背中とか汗かいてたんだよな。
「まあ、『へぇ、こいつ結構男らしく引っ張るんだ』って少なからず思っただけに、普段よりへたれ感が感じられたけど」
「お前、怒ってなさそうで本当は怒ってるだろ」
「怒ってないよ。ただ事実を言ってるだけ」
「嘘付け! 普段はそこまで毒舌じゃないだろ!」
「――ッ!」
俺が大声を出してしまった直後に美咲の顔が歪んだ。
いったい何が……と思った矢先、自分が美咲の手を掴んだままなことを思い出した。俺が手を放すと、美咲は俺に握られていた手を胸の前に持ってきて、もう片方の手でさすり始めた。
「その……悪い」
「……はぁ。あんたって何か私に謝ってばかりな気がするんだけど」
「それは」
「あのね、私はあんたの従姉だよ。これくらいのことで怒るわけないでしょ」
……そっか。
もっと感情込めて言ってくれたら色々と疑わなくて、すぐに理解できたんだけどな。
「そうか」
「あぁ、でもひとつだけ言っておきたいことがあるわ」
「(なんで流れを安定させないの! 怒ってるのか怒ってないのか分からないじゃないか!)……なんだよ?」
「さっきみたいに男らしいことするのやめときなよ。私とか亜衣たちみたいに身近な相手じゃないと誤解するから」
あのさ美咲、俺相手に誤解するやつはいないと思うけど、言いたいことは分かった。だけどさ、男らしいことするのやめろって言い方はないんじゃないか。
「あのさ、言いたいことは分かったんだが……もうちょっと別の言い方があったんじゃないのか? まるでずっとへたれでいろって言われた気分になったし」
「え? いや、あんたは正真正銘のへたれじゃん」
おい、なんでそんなマジで驚いてんだよ!
それと、俺はへたれじゃねぇよ。度合いを表すなら、いまどきの一般的な男子高校生って表示されるくらいのへたれ具合だろうから。よって、平均に位置する俺はへたれじゃない。
「よく面と向かって人にへたれって言えるな……」
「事実だからね。あんたって自分から異性に何かするってことがないし」
……それはそうだけど。
でもそれって普通のことじゃないの? 思春期を迎えてからは、部活とか趣味とかで繋がりがない限り、用事もないのに異性に話しかけないだろうし。
それに、俺の周りにいる女子っておかしいやつが多いんだもの。
具体的に言うと天然、ドS、ロリの先輩たちとか、妄想癖があるイケメン、変態の同級生とか。
「…………こんな話してないで、祭りを楽しもうぜ」
考えるのが嫌になったので、再び美咲の手を握って歩き始めた。
また美咲が急に引っ張るな、という意味がこもった声を上げたが、無視することにした。
「はぁ……あんたね」
「私の言ったこと理解してないわけ、とでも言いたいのか?」
「分かってるんなら――」
「お前は誤解しないんだろ?」
そう言うと、美咲は口を閉じて、視線を俺から並んでる屋台のほうに逸らした。
「――あんた、恥ずかしくないわけ?」
「そんなわけないだろ。ガキの頃ならまだしも、今は高校生だ。恥ずかしいに決まってる」
「だったら」
「でも、はぐれたりするよりはマシだ。こんな人が大勢いるところではぐれたら探すのが面倒臭すぎるし、お前がナンパされたりしたら――」
ナンパしてきた相手がどうなるか分かったもんじゃないから不安で仕方がないんだよ。とは言えない。言ったら俺の身に何をされるか分からないし。
「――あれだからさ」
「あれってなに?」
「……従姉の嫌そうにしてる顔とか見たくないんだよ」
「……ふーん」
誤魔化して答えた俺が言うのも違うだろうけどさ、そんなに興味なさそうみたいな反応するなら聞かなくていいじゃん。
まぁ、ただ感情が顔に出てないだけで、何かしら考えてる可能性も充分にあるけど。
「まあそれで納得してあげる。けど、知り合いに見られて誤解されても知らないよ」
「この人ごみの中から見つけるだけでも大変なのに、手を繋いでるのを見れるやつはそうそういないだろ?」
「それはそうだけど。……まぁあんたの場合、そもそも見られて困る相手がいないか」
いやいるから。お前の言ってる意味の方で困る相手はいないけど、見られて困る相手はいますから。
具体的に言えば、普段仮面を被ってるドSな性格の先輩とか、普段変態になっている茶髪の同級生とかになる。
このふたりに見られたら間違いなく最低でも1週間は弄られるだろう。そうなったらストレスで胃に穴が開いてもおかしくない。
「ま……まあな」
「なんか微妙な反応ね。学校に気になってる子でもいるの?」
「いない」
休み時間とかは秋本が来襲するし。誠だけならそんなに疲れないんだけど……誠だけで来ることはないに等しいしな。
放課後に生徒会活動があれば、会長と千夏先輩もいるのでさらに体力を消費する。
だから誰かを好きになる暇とか出会いなんてなかった。……まぁある意味では生徒会のメンツが気になってると言えるんだろうけど。
「そこまで言い切られると疑う余地がないわね。灰色の青春送ってるんだ、とも思っちゃうけど」
「灰色の青春を送ってるのはお前も――ッ!」
「私はあんたと違って男に言い寄られたりするから」
そ……そうでしたね。さっきもナンパされたんでしたよね。
ごめんなさい。俺よりも青春してると思います。だから握る力を緩めてください。このままじゃ俺の手が壊れちゃう。
「あぁ……よかった、ちゃんと動く」
「それは私が怪力女だって言ってるの?」
「言ってねぇよ! なんで今日は悪い方ばかりに取るんだよ。俺をいじめて楽しいか!」
「楽しいか楽しくないかって言ったら楽しいけど」
こいつはなんでこういうときだけ本当に楽しそうな声で言うんだろう。こういうときにこそ、いつもの淡々とした感じに言って欲しいのに。
「何かおごるんで、もう勘弁してください」
「冗談だから本気にしない」
「……お前、もう冗談言うのやめて」
普段の話し方が淡々とした感じだから、感情を出されて冗談言われると本気にしちゃうから。
まぁ普段からもっと感情を表に出してくれるなら冗談を言ってくれてもいいけど……待てよ。なんか秋本だけじゃなくて俺もMになってきてないか。前ほどダメージを受けなくなってるし……。
いや、俺はMじゃない!
今までの経験から慣れが出てきただけだ。きっとそうだ、そうに違いない。
「……話してばかりいないで、そのへんで何か買おうぜ」
「あのさ」
「なんだ?」
「……ごめん」
「……? なにが?」
「あんた……元気なくなったからさ」
つまり、こいつは自分の冗談のせいで俺の元気がなくなったと言いたいわけだな。
別に美咲の冗談で元気がなくなったわけじゃないんだけどな。きっかけになったといえばなってるから全くというわけじゃないけど。
「別にお前のせいじゃないぞ。俺が考えなくていいことを考えただけで」
「本当に?」
「本当だ」
「……ほんと?」
美咲、意外と面倒くさい性格してるな。
まあ普段は自分から他人に迷惑になるようなことをしたりはしないだろうし、冗談とかも言わないだろうからな。昔からこいつは善い子だったし。
亜衣、由理香が怒られてる記憶はあるけど、美咲が怒られてるところは見たことないしな。俺はもちろん怒られたぞ。1番上だから妹たちだけが悪くてもお前はお兄ちゃんなんだから……って。
「じゃあ何かおごってくれ。それでチャラだ」
「分かった。なに食べる?」
「食べ物限定なんだな」
「そりゃね。昔からあんたって夏バテするやつだったし。食べれるときに食べさせておかないと」
お前は俺の母親かよ。
まあ母親に怒られた回数よりも美咲に怒られた回数の方が遥かに多いけど。仕事の都合で顔を会わせないこと多かったし。一時期は「あれ? 俺の親の顔ってどんなだったっけ?」みたいな感じまでなったときもあったな。
「じゃあ……あそこのアイスで」
「アイス?」
冷たいもの? 家でも冷たいものばかり食べてるんじゃないの? そんなものばかり食べてたら夏バテするよ、みたいな目で見ないで。人口密度高いから夜でも暑いんだから。
「ダメ?」
「……ぷっ。いいよ」
「なんで吹き出したんだよ」
「いや、何かあんたが私の子供みたいだったからさ」
その容姿でこんなデカい子供がいるわけないだろうが。俺の反応が子供みたいだったのは……まぁ認めるけど。
「すみません」
「おぅ、らっしゃい」
美咲、プロレスラーみたいにがっちりしてて、いかつい顔をしてるおっさんに普段どおり話しかけられるなんて凄いな。
「チョコミントひとつ」
「あいよ」
いかつい声で元気に返事をしたおっさんは、テキパキとした動きでアイスを作り始めた。
アイスが出来上がるまでの間、俺はある疑問を美咲に投げかけることにした。
「なあ美咲」
「なに?」
「チョコミントって」
「ん? ダメだった?」
「いや、それにするつもりだったからダメじゃないけどさ。俺、お前に何味にするか言ってなかったよなって思って」
「あのね、私はあんたの何?」
「それは……」
従姉なんだから、あんたがどんな味が好きかくらい知ってる。と言わんばかりの顔で言ってきた美咲に返事をしようとしたとき、ちょうどアイスが出来上がったようでおっさんが話しかけてきた。
「なんでいなんでい。嬢ちゃんが食べると思いきや兄ちゃんのだったか。おい兄ちゃん」
「はい……何でしょう?」
「こういうときの財布は男が持つもんだぜ。嬢ちゃんは兄ちゃんのコレなんだろ?」
おっさんは小指だけを立てながら、にやついた顔で言った。
一瞬何をやっているのか分からなかったが、昔の人は恋人とかのことをこうやって表していたことを思い出した。
何を勘違いしてるんだこのおっさん。と言いたくもなったが、年頃の男女がふたりでいれば誤解されるのも仕方がない。亜衣や由理香ならまだしも、俺と美咲では顔が似ていないのだし。
「はぁ……おじさん違うよ。私はこいつの彼女じゃない」
「ん? てぇことはあっちか。いいねぇ、新婚で祭りとは」
なんで新婚!?
普通さ、恋人じゃないなら友達以上恋人未満の関係とか姉弟って線に考え行くんじゃないの。このおっさん、営業でわざとやってる? それとも多少天然が入ってるのか?
なんて考えていると、おっさんが「俺も新婚の頃は……」と話し始めてしまったので、俺と美咲はアイスの代金を置いて静かに去ることにした。
「あのおっさん、勘違いが凄いな」
「そうだね。姉弟って考えは浮かんだけど、新婚ってのは私も予想外だったよ」
「俺たち今年で16のはずだよな。周囲からは老けて見えてるのか?」
「あんた、女相手に老けて見えるとか話題振る?」
「ごめんなさい」
あぁー昔はこういうやりとりはなかったのになぁ。
人間って年取っていくと会話が面倒になる、ってことがしみじみ理解できるぜ。それと関係ないけど、俺って美咲に謝ってばかりだなほんと。
「ふふ、これじゃあさっきのおじさんに見られたら、兄ちゃんは尻に敷かれてるなって言われるね」
「お前が奥さんなら誰だって尻に敷かれるさ」
「それは自分がへたれだってことを遠回しに否定してるの?」
「お前、そのネタ引っ張り過ぎだ――」
俺が言い切る直前、美咲が突然こちらに手を伸ばしてきた。
何をされるんだ、と身を硬くした俺の口元を、美咲の細くて長い指がなぞった。美咲はその指を自分の口に運び、指についていたアイスを舐める。
その光景を見た瞬間、自分の口周りがアイスで汚れていたことを理解した。
高校生にもなって他人に汚れを取ってもらった、ということに恥ずかしさを覚えながら、アイスを持っていないほうの手で急いで口元をぬぐった。
「――な、なにするんだよ」
「なにって、アイス取ってあげただけでしょ」
「俺は小さい子供じゃないんだから、口で言えよ」
「ふふ」
「なに笑ってるんだよ」
「いや、あんたって亜衣たちの前だと一見しっかりしてるのに、私の前だと子供っぽいと思ってさ。そしたらあんたのこと可愛いかもって思っちゃって」
笑顔でそういうこと言うんじゃねぇよ。すげぇ恥ずかしいだろ。
それにせっかく異性じゃなくて従姉として見れてたのに、今のでドキドキしてきたじゃねぇか。どっかに弟みたいでって言ってくれたらまだ違った――
「――なっ」
誰かに今のを見られたのではないかと思い、ふと周囲を見渡した俺は、ある光景を目にして手に持っていたアイスを落とした。
視線の先にいたのは、喜びの表情を浮かべている先輩が1人。驚きの表情をしている先輩と同級生が3人。にやけている同級生が1人だ。
誰かは言うまでもなく会長を始めとした生徒会メンバーだ。
……なんでだよ
なんであの連中がここにいるんだよ。
そりゃ会長が祭りに誘ってきたことから、生徒会のメンツが今日祭りがあるのは知ってるだろうし、俺が会長の誘いを断ったからみんなで行こうって話になるだろう。だから祭りに来ていることには文句は言わない。
だけど、なんで俺がもっとも望んでいない、ここぞというタイミングで現れるのさ。現れるならもう少し後か、あのおっさんとのやりとり……はダメか。恋人だの新婚だのあの人らに弄られるネタがあったし。1番良かったのは待ち合わせ場所、または重森さんあたりか。いや、重森さんあたりは微妙か。
「知り合い?」
「……まあ」
どうしよう……あとで面倒なことになるけど逃げるか。そうすれば美咲を巻き込むことはないので、美咲に迷惑はかけない……かもしれない。
「おぅおぅ、奇遇だねぇ。真央はこんな綺麗な人とデートか? デートなのか?」
早い、早いよ秋本。近づく早さが今日は瞬間移動並みだよ。そして、いつもよりも絡み方が3割増しくらいでウザいよぉ。
「デートじゃないって言ったら信じるか?」
「ん、そんなの信じるわけないじゃん。どっからどう見てもデートだったし」
ですよねー、ってちょっと待て。どっからどう見てもだと……
「おい」
「なんぞや?」
「お前、いつから見てた」
「うーん……まあ少なくとも手を繋いでるとことか、アイスを取ってもらってるところはバッチリ見たイタッ! なんでいきなり叩くのさ!」
「なんとなく」
お前の言い方がウザくてムカついたからに決まってるだろ。……またやっちまった。こいつのMッ気の成長の手伝いはしないって決めてたのに。
「なんとなくって、1番理不尽な理由じゃん!」
「お前が叩きやすいのが悪い」
「いや、別にあたしが叩きやすいわけじゃないし! 基本的に叩くの真央だけだし! 悪いの真央だし!」
秋本がギャーギャーと騒いでいるが、無視してどうやってこれから始まるであろう体力をどっと使う展開を乗り切るかを考えよう。
残りの生徒会メンバーも今のやりとりの間に近くまで来てしまったし。
「こんばんわ真央くん」
「こんばんわ。今日も元気ですね」
「うん。元気だけが取り柄だからね」
会長、それは笑顔で言うことじゃない。せめて言うなら「元気は取り柄のひとつ」に今度からしなさい。元気だけが会長の取り柄じゃないんですから。
……待てよ、元気も天然もなくなった会長は面倒じゃなくていいかもしれないな。……でも、それはもう会長じゃないか。なんて思ってる場合じゃないか。
とりあえず……会話はしたから逃げてみるか。
「じゃあ俺はこのへんで」
「待とうか」「待てよ」「待ちなさい」
やっぱダメかぁ。
それにしても腰辺りを掴んでる氷室先輩と右肩辺りを掴んでいる千夏先輩は分かるんだけど、まさか誠まで俺が逃げようとするのを邪魔するなんてな。しかも1番力を腕に込めて。おかげで掴まれてる左腕が痛い。
「ねぇねぇ真央くん」
「会長、拘束されてる人相手にいつもどおり話しかけられるなんて凄いですね」
「えへへ、そうかなぁ」
褒めてないんだけどなぁ。
恋愛とかあっち系の話には疎いってのは分かってたけど、嫌味も通じないんだな会長って。まあ基本的に会長って善い子だしな。悪気がなくて問題発言とかする善い子だけど……これって善い子とは言わないんじゃないだろうか。
「桐谷、話を逸らそうとするのは良くないと思うよ」
「そうだぜ」
「桜、真央くんはあなたのこと褒めてないからね」
「え……ガーン」
誠さん、笑顔だけど千夏先輩のするような作り笑顔になってますよ。あなたの笑顔は爽やかな笑顔でしょ。今日はなんで怒ってるんですかね? 俺、あなたに何もしてませんよね?
氷室先輩、面白いもんが見れそうだみたいな顔をしないでくれませんか。なんだかここ最近、俺を助けてくれる回数が減ってる気がしてなりませんよ。あなたは生徒会の良心でしょ。かわいそうな後輩を助けましょうよ。
千夏先輩、何を思っているか分かりませんけど会長に当たるのはやめましょうね。
「まぁまぁ会長さん、元気だしなって。真央だって本気で言ったわけじゃないだろうし」
「うん、そうだね。真央くん、なんだかんだで優しいもんね」
「……会長さん、病院行こうか」
「なんで!? ここは話を進めるところじゃないの!?」
会長に優しくした覚えは特にないが……秋本、お前は少しぶっとんだ返しをしてる気がするぞ。って、会長がまともなこと言っ――
「――うおっ!?」
突然誰かに力強く腕を引っ張られた。
先輩達や誠は会長と秋本のやりとりに気を取られていたため、俺は引っ張られた方向にすんなりと……こけそうになりながら移動した。
何事だと思って顔を上げたが、そこには誰もいなかった。
なので振り返ってみると、生徒会との間に美咲が割って入っていた。美咲の顔は無表情に見えないこともないのだが、どことなく不機嫌そうに見える。
「こいつと話すのは勝手だけど、普通に話すべきだよ」
美咲から圧力が発せられているのか、氷室先輩は誠の後ろに隠れた。氷室先輩って純粋な敵意とか怒気には弱いよな。
まあ一般人より遥かに高い戦闘力を誇る誠でもビビってるくらいだから、大抵の人間はビビるだろう。言い換えれば普通に属さない人間はビビらないということだ。だから千夏先輩はビビらず、美咲の前に立っているのだろう。
「どこの誰で、真央くんとどんな関係かは知らないけどごめんなさいね。でも、これが私たちの普段のやりとりだから。ひと段落するまで待っててもらえるかしら」
「……あぁ、あんたが真央の言ってた先輩か」
あのー美咲さん、なんでどんどん顔つきが不機嫌になって行ってるんですかね? まだ美咲さんを怒らせるようなことは生徒会のメンツしてないと思うんですけど。
「あら、真央くんが私のことを言っていたの。なんて言ってたのか気になるわね」
「別に大したことは言ってないよ」
「そう言われると余計に気になるわ。真央くん、なんて言ったのかしら?」
ひぃぃ! 正の感情が全くこもっていない笑顔をこっちに向けないで!
千夏先輩に何をされたとか、詳しいことは何も言ってないから。色々あったとしか言ってないから。
「あのさ、そうやってこいついじめるのやめてくれない? こいつはあんたが思ってるほどタフじゃないから」
「失礼ね。私は別にいじめてなんかいないわ。ただ聞いてるだけよ。それに、さっき言ったでしょ。これが普段の私たちのやりとりだって。あなたの耳は飾りなのかしら?」
「まさにいじめてるやつの言い分だね。学校でもこいつが反抗できないのを言いことに色々と言ったりしてるんだろうね。少し話しただけでも、あんたの性格の悪さは分かるし」
や、やばい……やばすぎる。
ふたりの視線が重なっているところで火花が散っているように見えるし、ふたりの周囲の温度が数℃下がっている気もする。
俺や誠、氷室先輩といった生徒会で比較的一般人に分類される人間はおろか、あの生徒会一と言える変態の秋本でさえ身動きを止めているのが良い証拠だ。
関係はないのだが、美咲は俺の味方で話してくれているはずだよな。ところどころに俺の精神が弱いみたいなことを言われている気がするけど。
「性格が悪い? あなたにだけは言われたくないわね」
「は? あんたよりも遥かにマシな性格してると思うけどね。あんたみたいに作った笑顔で人とは接しないし」
「素直に怒りをぶちまけても何もいいことはないって分かってるだけよ。それと、今のもあなたにだけは言われたくないわね。あなただって自分を偽っているのでしょう?」
千夏先輩の最後の言葉に、美咲の身体は一瞬震えた。
美咲が自分を偽っている? ……確かに今日の美咲は普段よりも俺のことを弄ってきたりしたな。おそらく俺との距離を昔くらいに戻そうとしてやったことだろうけど。
「……あんたほど気に入らないやつに会ったのは初めてだよ」
「奇遇ね。私もあなたくらい気に入らない人は初めてだわ」
なにこの普段落ち着きのあるふたりが殴り合いそうな一触即発の雰囲気。
こんなところに長い時間いたら体調崩して寝込みそうだ。誰でもいいからこの雰囲気をどうにかしてくれ。平凡な俺じゃ会話に入ってくるなって言われるのがオチだから。
っておい、なんで目を逸らすんだよ! 誠は戦闘力高いし、秋本はMになりつつある変態だろ! 氷室先輩はなんだか泣きそうだから何もしなくていい。というか、泣いたらどうしたらいいか分からないので何もしないでほしい。
「ふたりともケンカはメッ! だよ」
ゆ、勇者いたぁぁぁぁッ!
す、すげぇよ会長。前から勇者だとは知っていたけど、こんな状況まで怖気づかずにマイペースで入っていけるなんて思ってなかったよ。
「千夏、真央くんが自分以外と仲良くしてるからってプンプンしちゃダメ」
「桜、別にそこに怒ってるわけじゃないのだけれど」
「嘘つかない。ふたりが仲良くしてるところを見た千夏、今みたいにろくでもないこと考えてる笑顔してたんだから」
「なんでそっちで解釈するのかしら。からかえるネタが手に入ったからとは考えられないの」
「えーと、真央くんの知り合いの……」
なんか会長がマイペースというか傍若無人にも見えてきた。
一方的に千夏先輩に説教した挙句、きちんと最後まで会話せずに美咲に移るなんてことをしたのだから。
だけど千夏先輩は、怒りを増すことなくどこか毒気を抜かれた顔をしている。無邪気な子供のような会長だからこそ、こういう結果になったのだろう。
「そういえばお名前聞いてなかったね。私、真央くんと同じ学校の2年生で生徒会長やってる天川桜です。あなたは?」
「私は……あいつの従姉。歳はあいつと同じ。名前は……綾瀬美咲」
「美咲ちゃんかぁ。ぴったりのお名前だね」
おぉー千夏先輩に引き続き、美咲の毒気を抜いたよ会長。ある意味、会長の特殊能力と呼べ……美咲、普段お前がぐいぐい言い寄られるタイプじゃないのは理解できる。だけど、会長に言い寄られたくらいでどうしたらいい? みたいな視線を俺に向けないでくれ。
「美咲ちゃん、ごめんね。千夏、意外と人見知りする子だから」
いやいや、あれは人見知りって言わないでしょ。と、内心でツッコミを入れていると、同じ疑問を思ったのか、美咲が俺に話しかけてきた。
「ねぇ真央……」
「この人は……その天然だから」
「……そっか」
会長、天然なんて言っちゃってごめんね。でもこれしか、短い間で会長のことを美咲に理解させられる言葉がなかったんだ。馬鹿だとは思ってないから許してね。
「ねぇねぇ美咲ちゃん」
「な、なに?」
「美咲ちゃんは真央くんとデートしてたんだよね? 楽しかった?」
……何を言ってるのあんた!?
「いや、別にデートってわけじゃ」
「え? 異性と一緒にどこかにお出かけするのってデートって言うんじゃないの?」
「それは……そうだけど。私とこいつは従姉弟だからさ」
「従姉弟だから?」
会長、そんな「従姉弟でも異性は異性でしょ。異性とお出かけしてるんだからデートでしょ」みたいな言葉で美咲をいじめないであげて。
「……もうデートでいいよ」
「どんなことしたの?」
「どんなことって……あなたたち見てたんじゃないの?」
「うん、真央くんのアイス美味しそうだなぁって見てた」
会長は恋路よりも食い気を大切にするお子ちゃまだもんな。他の連中のような目で俺たちのことを見ていたはずがないか。
……こんなことばかり考えてないで美咲に助け船でも出すか。さっきからどうにかしてって目でチラチラとこっちを見てきてるし。
「会長、アイスおごってあげましょうか?」
「え、いいの!? ……ねぇ真央くん」
あの欲望に忠実に生きている会長が持ち直しただと!?
「な、なんでしょう?」
「私におごっていいの?」
「なんでそんな返しが来るんですかね?」
「だってさっき真央くんたちがアイス買った屋台のおじさんが、男がおごるもんだみたいなこと言ってたでしょ」
「ええまぁ」
「それで真央くんは美咲ちゃんとデートしてる。ってことは、いま真央くんのお財布は美咲ちゃんが握ってるってことでしょ。勝手におごったりしていいの?」
真面目な口調でなにぶっとんだ理論を言ってるの?
会長の理論だと、世の中の男は全て尻に敷かれてることになるよ。というか、デートそのものをする人が減る気がする。
デート=男が金を出す。ならまだしも、デート=女性に財布を預けるなんて嫌だし。それに相手が女詐欺師さんとか泥棒さんだったら色々と終わってしまう。
「会長、そういう天然な発言はいりません」
「むぅ……。真央くん、私馬鹿じゃないもん。というか、人に馬鹿って言っちゃいけません」
「会長と俺の言ってるバカは別なんだけどなぁ……今後気をつけます。すみま――」
「ひゃ!?」
「――せん」
…………何が起きているんだ?
あの撫でられたりすることが大好きな会長が、俺がお詫びのつもりで頭を撫で撫で付きで謝ろうとしたら後ずさるなんて。
イケメンでも幼馴染でもないのに女子にそんなことをすれば当たり前。と言われたらそのとおりではある。だがこの人は、出会って間もない頃の俺に頭を撫でて欲しいがためにしばらく黙り、帰り際に撫でてと言ってきた人だ。無論すっごく嬉しそうだった。
……俺、会長には何もしてないはずだよな。でも俺が気づいていない可能性はある。
いつの間にか会長に嫌われ……この会長が人を嫌いになる気がしないなぁ。って、よくよく思い返せばひとつ心当たりがあるじゃん。
「えーと……」
「会長さん、もしかして真央にデート断られたこと怒ってんの?」
秋本、なんでお前はここで入って来るんだよ……ここには美咲がいるんだよ。入るにしたって「怒ってる?」だけでいいじゃないか。
ほら、美咲の機嫌が悪く……あれ? 機嫌が悪くなってない。むしろさっきより良くなってる気がするぞ。なんで……って、なんで俺はこんなことを考えているんだ。これじゃまるで俺が美咲と付き合ってるみたいじゃないか。
「ふぇ? 別にそのことには怒ってないよ」
「え……じゃあ」
「純粋に真央のことが嫌いになったと」
なんだろう……今日の秋本は、なんだか普段よりも容赦がない気がする。見た感じは人のことをからかって楽しんでるようだけど……何か怒らせるようなことを俺はしただろうか?
……いや、してないよな。容赦ないこと言ったり叩いたりするけど、それは俺と秋本の普段どおりのやりとりなわけだし。最近Mっぽくなってきてるから普段のやりとりを変化させようとは思ってるけど。
うーん……って待てよ。よく思い返せばMっぽくなる前はこんな感じじゃなかったか。千夏先輩とのタッグで苦労した記憶があるし。そうだ、そうに違いない。
「恵那ちゃん、勝手なことばかり言うと怒るよ」
これまでの会長なら「プンプン!」とか言いながらほっぺを膨らませていたはずだが、今日の会長はほっぺを膨らませているのは変わらないが、目に怒りの色が見えた……気がしないでもない。
頬を膨らませている時点で、小動物が怒ってるようなイメージに見えるため、どうにも緊張感が霧散してしまうからだ。
「会長さん、冗談、冗談だからさ」
「冗談でもそういうこというのはメッ! だよ」
「はーい、以後気をつけま~す。で、実際のところどうしたんですか?」
「え……えーと」
……会長は誤魔化すために普段と違う怒り方をしたのだろうか。
…………いや、会長にそんな千夏先輩じみた真似ができるわけがない。表裏がない天然な性格が会長の良いところであり……悪いところでもあるのだから。
「その……なんて言ったらいいのかな」
会長は顔を赤らめながら、両手の人差し指を何度もつんつんしたり、両手を絡めたりともじもじし始めた。
このような様子を見て行き着く答えは、普通に考えれば恥ずかしがっているだろう。だがしかし、会長は高校2年生にもなって異性というものを全く意識していない女子高生だ。身体は大人、心は子供と言っていい。
故に、会長が恥ずかしがるなんてありえない。
「真央くんから近づいたりすることってあんまりないから驚いたというか――」
「「「あぁーなるほど」」」
「おい、なんであんたら納得してんの?」
「あんたがへたれだからでしょ」
「おい、なんでここで入ってくる? というか、それ引っ張るのやめて。少なからず心にダメージ来るから」
「――真央くんに触れられると思ったら、急に恥ずかしくなったというか……」
生徒会のメンツや美咲と会話している間に会長が何か言ったような気がするんだけど……気のせいか。会長に視線送ってみたけど「ん?」みたいに赤みの消えた顔で首を傾げてるし。
「あのよ、話は変わるんだが、いつまでここに突っ立ったまま話すつもりなんだ?」
「つまり『奈々ぁ、おなかすいたのぉ。わたあめとかりんごアメとか食べたいぃ。早く食べに行こうよぉ』ということね」
「そうそう、ってちげぇよ! 人の声真似して、ぶりっ子みたいな口調でしゃべんじゃねぇ!」
相変わらずツッコミのレベル高いなぁ。
だけどあのレベルにはなりたくないぜ。あのレベルになる=生徒会色に染まった、みたいな感じがするし。
「わたしが言いたいのはな……!」
「真央たちはあたしたちに合流して一緒に回るのか、回らないのかはっきりさせようぜってことだ」
「そうそう……って、なんでアキモトが言うんだよ! 最後までわたしに言わせろよな!」
……氷室先輩、少し変わった気がするのは俺の気のせい?
前は最後まで自分に言わせろなんて言わなかったような……普段どおりに見えて意外と千夏先輩が言ったようなこと考えてるのだろうか? 気分が高揚しているなら普段と違う言動をすることにも納得ができるし。
……しかし、秋本と氷室先輩はもうちょっと静かにしてくれないかなぁ。周りに俺たち以外の目もあるんだし。まあ、先輩をいじる秋本の気持ちも分からなくもないんだけど。今の氷室先輩、何か普段よりもずっと子供っぽいし。
「桐谷、どうするの?」
秋本と氷室先輩のやりとりに、話が全く進む様子がなかったためか、いつもの調子に戻った誠が話しかけてきた。
「え……俺が決めるの?」
こういうときって普通は、みんなの意見で決めるもんじゃないわけ? と続けようとしたら、全員が「そんなの当然だろ」みたいな目で俺を見てきた。
俺の反応は間違っていないはずなのに……俺が間違っているみたいで実に嫌だ。
「ちょっと待とう、な?」
「真央は本当に優柔不断というかへたれだねぇ」
「おい秋本、ちょっと面貸せ」
「お、怒るの反対! あたしの言ったこと間違ってないし、真央が綾瀬って人とふたりっきりがいいのか、そうでないのかはっきり言えば解決することだし!」
「ぐ……」
優柔不断とかへたれとかはともかく、俺が選べば解決するというところは間違っていない。いつ打ち合わせしたのか分からないけど、俺が決めろって話になってるし。
うーん……ここで一緒に回るという選択は正しくないよな。美咲と千夏先輩、理由は不明だけど犬猿の仲だし。一触即発のふたりがいたら気まずくて祭りを楽しむことはできないよなぁ。
……でも、一緒に回りたい。美咲ともっとお話ししたい、的な眼差しでこっちを見ている純粋な子供がひとりいる。
って、なんで俺は会長を気にかけているんだ。妹みたいなものだ、と思っていたせいか、最近会長に甘くなってきてるのか? ……というよりは、ここ最近の会長は前よりもまともになってる気がするから。というほうが可能性が高いか。
でも、よくよく思い出すと会長とは他のメンツより夏休み顔を会わせていない。それが理由で……なんて考えてる場合じゃないか。
とりあえず美咲と千夏先輩の意見を聞こう。このふたりが俺の選択左右する最大の要因なのだから。
「あんたの好きにしたら。どうせ私はあんたに付き合ってるだけだしね。あんたが楽しめるほうにしな」
「真央くんの好きにすればいいじゃない。あなたの意見に従うって話になっているのだから、私も大人しく従うわ」
ぐすっ、聞く前にバッサリ切られた。しかもほぼ同時に。
こういうとき息が合うなら仲良くしてくれたらいいのに……口に出してないんだから「こいつとは無理」みたいな目で俺に返事を返さないで。
……とにかく答えを出すしかなくなったわけだから考えよう。まず、この後美咲とふたりだけで回った場合だ。
昔から美咲はよく不機嫌になっていた。理不尽になったりすることもあったが、主に俺や妹たちのせいが多かった。そのときどうやって機嫌を直していた……美咲がため息ひとつ吐いて割り切るって大人の対応してくれてたっけ。
昔のことを思い出してみたけど全くダメだ。むしろ俺には美咲の機嫌を直せないということをはっきりさせてしまった。
美咲とふたりっきりの場合、美咲が大人の対応をしてくれるかもしれないが、すぐさま帰るということにも充分になりえる。楽しめないまま今日を終えたとなると、今後また俺と美咲は疎遠になるのではないだろうか。そうなった場合、亜衣とかから確実に文句を言われる。それに千夏先輩が今日のことを理由にどういった行動に出るか……。
くそ、考えれば考えるほどプラスの要因が全く見つからん。これなら一緒に回ったほうがいいんじゃないか。会長あたりが美咲に話しかけ続けるだろうから、千夏先輩とやり合うことがない可能性だって充分にある。それにもしかしたら、会長とかがきっかけで美咲と千夏先輩の仲が良い方向に向かうかもしれない。同じ敵がいる場合、共闘するということはよくあることだし……ゲームとかアニメでは。
「…………一緒に回りましょう」