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佳日の紫丁香花 (ライラック) 〜For Your Splended Wedding〜
作:みはる



第一章 その2(前)


       2

 真澄が風呂から戻ると、ダイニングには優しいシチューの香りが漂っていた。
 食卓で黄色いホットドリンクを飲んでいた麗子がキッチンの鍋島に言った。
「済んだみたい」
「ん」
 換気扇の下で煙草を吸っていた鍋島は頷き、手に持った灰皿で火を消した。
「麗子、お風呂ごちそうさま」
 真澄は言うと、ドアを閉めて近づいてきた。
 食卓には一人分のテーブルセッティングが整えられていた。鍋島はシチューだけでなく、
簡単なサラダも作ってくれており、それとカットしたフランスパンが先に並べてあった。
「なんか……ごめんね。こんな時間に」
 並んだ皿を見ながら、真澄は鍋島に言った。
「全然。これは俺の得意分野やって、分かってるやろ」
 鍋島はシチューを盛りつけた皿を持ってキッチンから出てきた。そして席に着いた
真澄の前に置くと、腕まくりを解きながら言った。
「冷めへんうちに」
 ほうれん草とサーモンのクリームシチューだった。
「久しぶり。勝ちゃんの料理」真澄は皿を覗き込んだ。「いつもながら、美味しそう」
「まだたくさんあるから」
 キッチンに戻った鍋島はそう答えると、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、調理台の
照明を消して食卓に戻ってきた。
「ゆっくり食べてね。話はそのあとで聞くから」麗子が言った。
「いただきます」
 真澄は合掌して、スプーンを手に取った。一口、二口とシチューを口に運ぶのを、
鍋島と麗子は黙って見守った。
 シチューもサラダもパンも、半分くらい食べ進んだ頃になって、真澄が口を開いた。
「……今日はね、式の最後の打ち合わせで、寛隆さんと二人でホテルに行ったの」
 麗子が頷いた。「そうなの」
「今日じゃなくて、もう昨日ね。寛隆さんは仕事があったし、七時にホテルで待ち合わせ
したわ」
 真澄はスプーンを置いてジャスミンティーを飲んだ。
「終わったのが九時前で、食事がまだだったからどうしようかってことになって。それで、
どこかに食べに行くよりも、新居で夜食みたいなものでも作ろうかって」
「新居には、少し前から中大路さんが住んでるのよね」
「ええ。荷物が入ったときから。マンションだけど、やっぱり無人だと物騒だし」
 真澄はパンを小さくちぎった。シチューに浸して、口に入れた。 
「──それで、部屋に帰ったのは九時半だった。寛隆さんがお風呂に入って、私は
夜食の用意をしたわ。ご飯を炊くのに少し時間が掛かって、結局、彼がお風呂を
出てから二人で作ったの。おにぎりとおうどん、これぞ関西人の好きな最強の
炭水化物セットだって、二人で言いながら。この期に及んで太っちゃったら、
ドレスが着れないぞって、寛隆さん笑ってた」
 鍋島は食卓のすぐ後ろにある一人掛けのカウチ・ソファで、腕組みをして煙草を
吸いながら真澄の話に聞き入っていた。
「食べ始めたのは十一時近かった。そしたら、寛隆さんが突然言ったの。
『マァミちゃん、悪いけどビール買ってきてくれるかな』って」
「一本もなかったの?」と麗子が訊いた。
「うん。もともと、そんなに飲まはらへんから」
「なのに今夜に限って飲みたいって言ったのね。お酒が飲みたくなるような献立でも
ないのに。しかも、夜の十一時に、女性のあなたに買いに行かせた」
「……うん」
 真澄は麗子の指摘を聞いてそのときの状況を思い出したらしく、暗い声で答えた。
「意図的だったんじゃないかしら」
 麗子は鍋島に振り返って言った。鍋島は小さく首を傾げただけだった。
「マンションから一番近いコンビニはね、1ブロック離れた表通りの角にあるの。
ドア・トゥ・ドアでだいたい五分ほど」
 真澄は話を続けた。「そこで缶ビールを1パック買って、部屋に戻るまでに十五分も
かかってなかったと思う」
「行き帰りに、何か変わったことは? 不審な人物とすれ違ったとか」
 麗子が訊いた。
 真澄は首を振った。「特に……誰とも出会ってないし、何も変わったことはなかったと
思う」
「帰ったときに鍵は開いてた?」鍋島が訊いた。
「それが……実はあたし、無意識に開けたような気がするの。出かけるときにカバンを
持って出たから、鍵は持ってたし。自分でエントランスのロックも開けたし、そのまま
自然の流れで部屋の鍵も開けたような……」
「そんなものよね。だって、もともと真澄は何も疑ってないんだから、ひとつひとつの
動作まで覚えてないのが自然よ」
 麗子が言って、鍋島は頷いた。
「それで?」
「帰ったら、寛隆さんが見あたらなかった。あたし、彼が玄関で出迎えてくれるとばかり
思ってたの。だからすぐにおかしいと思った。でも、もしかしたらトイレかも、って
思ってダイニングに入る前に先にトイレの前まで行って、それで声をかけたわ。でも、
返事がなかった」
 真澄は一気に言うと、残っていたジャスミンティーを飲み干した。麗子がお代わりを
注いだ。
「……寛隆さん、部屋のどこにもいなかった。あたし、全部の部屋を探したわ。途中、
あたしの携帯が食卓のテーブルの下に落ちてたのを見つけて、すごく不安になった。
でも反面、自分が携帯を持たずに買い物に行ったんやって気付いて、もしかしたら
寛隆さんはあたしに何か伝えたいことがあって──例えば、ビールの他に買ってきて
欲しいものを思い出したとか──だけどあたしが携帯を置き忘れて出て行ったから、
あたしの後を追いかけて外に出たんじゃないかって思って、またあたし、マンションの
玄関まで下りて──」
 話しているうちに、真澄の息が荒くなってきた。
「真澄、落ち着いて。ゆっくりでいいのよ」
 真澄は頷いた。肩で大きく息を吐くと、テーブルに置いていた両手を膝に下ろした。
「しばらくそこで待ってみたけど、やっぱり寛隆さんは帰ってこなかった。あたし、
心臓が張り裂けそうになりながら、部屋に戻ったわ。玄関の時計は十二時近かった」
「中大路さんの携帯は?」
 真澄は首を振った。「だからあたし、寛隆さんの携帯に電話をかけたの。ずっと
鳴らしてた。その間ももう一度部屋を探したわ。ふざけてどこかに隠れてるんじゃ
ないかって。けど……彼はどこにもいなかったし、電話にも出なかった」
 鍋島が立ち上がった。そして真澄の食事が済んでいるのを確認すると、キッチンに
入って照明を点けた。
「コーヒー淹れるよ」
「そうね。さっきのはもうなくなっちやったし」
 麗子が言って、真澄が食べ終えたあとの食器を引き寄せた。
「ありがとう」真澄は言うと鍋島に振り返った。「勝ちゃん、ごちそうさま。美味しかった」
「おそまつさま」と鍋島は微笑んだ。
 するとそこで、急に真澄の表情が歪みだした。
「……勝ちゃん」
「……うん……?」
 真澄の声で彼女が泣いているのを察し、鍋島は俯いて返事をした。
「……寛隆さん、何かあったのかな……」
「……おそらくな」
 真澄は今度はそばに来ていた麗子に振り返った。
「あたしのこと、嫌いになったの……?」
「バカなこと言わないの」
 麗子は真澄の肩を抱いた。「考えたくないことだけど……きっと、何か急に、ホントに
急に彼に何かが起こったのよ。そしてそれは真澄には関係のないことなのよ。だから
あなたに迷惑かけたくなくて、それで何も言わずにいなくなったんだと思うわ」
 
 すると突然、リビングで携帯電話の着信音が鳴った。
 三人は一斉に振り返った。

「寛隆さんからのメール!」
 真澄が飛び上がるようにして席を立ち、ソファに置いた自分のバッグにしがみつくと、
そこから携帯電話を取り出した。婚約者からのメッセージであることは、着信音で
分かるようだ。
 真澄は震える手で電話を開いた。ソファの前に立ったまま、夢中でメッセージを
読んでいる。麗子と鍋島はじっとその様子を見守った。

「……どういうこと……?」
 やがて真澄はへなへなとソファに腰を下ろした。
 麗子が近づき、肩越しに「見ていい?」と訊いて、真澄から電話を受け取った。
 麗子と鍋島の二人はメールを読んだ。
「何のこと……?」
 麗子が言って鍋島に振り返った。鍋島は麗子から電話を受け取り、黙ったまま何度か
そのメールを読み返していたが、やがて電話を閉じて真澄に返すと、麗子と真澄の
両方を見ながら言った。

「ここにもう一人、あいつを呼んでええかな」













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