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佳日の紫丁香花 (ライラック) 〜For Your Splended Wedding〜
作:みはる



第一章 その1(中)


 ドレッサーの前を通るとき、鍋島は鳴り続ける携帯電話に視線を送ると、
チッと舌打ちして手に取った。電源を切ろうとしたのだ。
 そして、その手が止まった。
「……違う」
「えっ?」
「真澄や」
 鍋島は電話のメインディスプレイを麗子に見せた。
「真澄が?」
 麗子は身を乗り出して、ベッドの端まで来た。鍋島から電話を受け取ると、
視力の悪い目を細めて画面を見た。
「……ホントだ」
「早く出てやれよ」
「うん」
 麗子はスイッチを入れた。「──ごめん、待たせちゃって」
《……良かった……ごめんね麗子、こんな時間に》
「いいのよ。いったいどうしたの?」
 麗子は言って鍋島に頷いた。鍋島はほっと大きく息を吐くと、そこでようやく
部屋の灯りをつけ、ベッドに腰を下ろした。
《……助けて、麗子》
「えっ?」
 真澄の声が小さすぎて、ちゃんと聞き取れなかった麗子は顔をしかめた。
「どうしたの? 何があったの?」
《寛隆さんが──》
 真澄は声を詰まらせ、そして泣き始めた。
「真澄? 中大路さんがどうしたの? 喧嘩でもしたの?」
「ここへ来てるのかって訊いてみ」鍋島が小声で言った。
 麗子は頷いた。「真澄、あなた今どこにいるの? もしかしたらうちの前まで
来てるんじゃない?」
《……うん、来てる……》
「やだ、風邪ひいちゃう」と麗子は呟いた。「すぐに下りるわ」
 電話を切り、麗子はベッドから出てドレッサー横のクロゼットの抽斗を開けた。
「どうしたって?」鍋島が訊いた。
「分からない。助けてって。中大路さんと何かあったみたい」
 麗子は黒のセーターを無造作に頭からかぶった。
「喧嘩か」
「そんな感じ。でも、こんな時間にここまで来るってことは、ただごとじゃ
ないのかも」
「……そうやな」
「式の五日前になって、ドタキャンなんてシャレにならないことしないでよ──」
 鍋島は顔を上げた。「まさか」
「マリッジブルーってやつかも知れないけど、一昨日電話で話したときには
そんな感じはなかったわ」
 麗子はジーンズのファスナーを上げた。
「でも喧嘩したんやったら、それとは違うぞ」
「そうよね。とにかく話を聞いてみなくちゃ」
 麗子は金色のビーズアクセサリーが付いたゴムで髪をまとめると、ドアに
向かいながら鍋島に言った。
「式の前に風邪ひかせられないわ。勝也、悪いけどコーヒーれてくれる? 
それとも、スープか何か作れる? 冷蔵庫に何かと入ってるから」
「いいけど、俺が出て行ってもええのか」
「どうして?」
「もしもマリッジブルーとかやったら、俺が出て行かん方がなんとなくええのと
違うか」
「……そうかな」麗子は俯いた。
「とにかく、まずは様子を見てみ。コーヒーやったらおまえが淹れられるし、
もしも俺が出て行っても良さそうなら、呼びに来てくれよ。スープでも何でも
作るから」
「分かった」
 麗子は部屋を出て行った。
 鍋島はベッドに仰向けになると、頭の後ろで手を組んだ。

 ──マリッジブルーか。そう言えば、妹の純子じゅんこも結婚式の二週間ほど前になると
何となくふさぎがちになってたな。 女ってやつは、何かと面倒臭いように
できてるんやな──

 すると、またドアが開いて麗子が入ってきた。
「何やねん、まだ行ってないんか」
「あたし、ノーブラだった」麗子はクロゼットを開けた。
 鍋島は呆れて溜め息をついた。「どうでもええやんけ、相手は従妹やろ。
それに、今はそれどころやないはずや。はよ中に入れてやらな、ほんまに風邪ひくぞ」 
「だって、おさまりが悪くて」
 セーターを脱いだ麗子はキャミソールの中でブラジャーを着け始めた。
「見栄えだって悪いし」  
「……おまえ、なに見栄張ってんの? 着けてようと外してようと、たいして
変わらへんのに」
 鍋島はにやにや笑いながら言った。「俺のおかげで、ほんのちょっと大きくなった
程度やろ」
 麗子は怖い顔をして鍋島を睨みつけた。
「……いい。真澄の用件がたいしたことなくて早くカタが付いたら、そのあとで
あんた許さないわよ」
「ええから、はよ行け」
 鍋島は追い払うように手を振った。
 麗子が出て行ったあとのドアを見つめながら、鍋島は思った。

 ──あいつに限っては、マリッジブルーなんて辛気くさいもんは百パーセント
ないんやろな──。

 こうして、この時点では、鍋島にしても麗子にしても、まだ全然と言っていいほど
この状況を深刻に受け止めてはいなかった。
 前述の通り、少し程度の大きなマリッジブルー、くらいに考えていたのだった。


 ドアを開けると、白いコートとマフラー姿の真澄が、石畳の先の外灯のともった
門柱のそばに立っていた。
「ごめん、遅くなって」
 麗子は小走りで歩み寄った。門を開けると、真澄がなだれ込むようにして入ってきた。
「麗子……助けて、麗子……」
 真っ青な顔をした真澄が念仏のように呟くのを聞いて、麗子は少し驚いた。
 これはちょっと、まずいところまで行ってるのかも知れない。
「とにかく入って。熱いコーヒーを淹れるから」
 麗子は真澄の肩を抱くとゆっくりと玄関に戻った。
 途中、真澄が石畳のくぼみに足をとられ、前のめりに倒れかけた。麗子は慌てて
真澄を抱え、しっかりと手を握った。
「ごめんなさい……」
 麗子は首を振った。「いいのよ。つまらないことで謝らないの」
 真澄は顔を上げ、麗子を覗き込むように見た。やつれきった顔は、五日後に式を控えた
花嫁にはとても見えなかった。
「……麗子だけは、信頼できるよね。してもいいよね」
 真澄は言った。
「当たり前よ」
 麗子は怒ったように答えた。

 その様子を寝室の窓のカーテン越しに見ていた鍋島もまた、このときようやく事態の
深刻さを認識したのだった。













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