そして当然のように一緒に風呂に入る
(目の毒だ)
と、晶は思った。これは、妹と風呂に入る度に毎回思っている。
ふしだらな意図はないのだろうが、沙夜香はいつも背中を流しに入ってくる。
服も下着も全て脱いで。バスタオルを使うという発想はないらしい。
沙夜香の裸体はとても綺麗だ。ほっそりとした腰、どちらかといえば身長の低い華奢な身体なのに、形の良い胸だけがたわわに実っている。
そういえばこの世界に来る少し前、ブラジャーを買うのに付き合わされた。Fサイズでないと合わなくなったらしい。試着室を少しあけ、無邪気に下着姿の感想を求める妹の前で、平常心を保つのに苦労したのを覚えている。
普段は下ろしている髪をアップにした顔立ちはいつもと違い、彼をどぎまぎとさせる。
沙夜香は可愛い。
けれど髪型を少し変えると、大人びた、綺麗という言葉が似合うようになる。
十五歳の、まだ少女という言葉が似合う年頃。しかし王族の血が混じったハーフの妹は、同年代よりも発育がよかった。
「にいさま?」
少し、顔が固まっていたのをいぶかしんだのだろう。少女が尋ねた。
羞恥心とは無縁な顔である。
『兄の前に裸を晒し一緒にお風呂に入る行為は妹にとってごくごく普通の事である』と心の底から考えている顔である。
つまりは、無邪気。
ある意味、アホだ。
「なんでもねー」
「生傷が絶えませんね……」
晶の後ろにしゃがみ、悲しげな声で言う。
妹のほっそりとした指が、すうっと、一直線についた傷を優しく撫でた。そこは、数日前についたかすり傷だ。もう痛くはない。
愛撫に似たその動作は、ただ肉親を心配する真情だけがこもっていた。
晶は自分を恥じた。柔らかそうな胸を、その頂にある桜色の蕾に目をとらわれ、ふしだらな事を考えてしまったことを恥じた。
「納得ずくで引き受けた話だからな。それにサフィーリアさんはそう危ない事はしないように配慮はしてくれてるよ。大丈夫」
安心させる為に言う。
わけの分からぬまま紛れ込んだ異世界。今住み暮らしているこの家も、毎晩はいることの出来る風呂の薪も、妹が作ってくれる暖かい食事も、その元となる金は晶が稼がねばならない。仕事を手配してくれたサフィーリアには感謝しているし、少々危険な場所へ行くのも、生きる為だと割り切っている。
「にいさま」
不意に。
少女の吐息が、首筋にかかる。
ふにゃりと、背中に柔らかい感触が当たった。少女の、大きな胸。
晶の二の腕に、少女の小さな手が添えられている。背中にのしかかられ、首筋に顔をうずめられた態勢。柔らかく、暖かい。
「あまり無理はしないでくださいね」
呟くように、沙夜香。
心底から兄のことを心配している。そういう声だった。
「ああ」
晶は、頷くより他はない。
背中に当たった乳房の柔らかさに、神経が集中している。身体が、かっと熱くなっているのがわかる。
とくん、とくん、と心臓の鼓動が伝わってくる。抱きつかれ、首筋にかかる妹の呼吸が、やたらとなまめかしく感じられた。
すっと、妹の身体が離れた。
「髪から洗いますね」
「よろしく」
シャンプーもリンスもないので、手で石鹸を泡だ立てる。わしゃわしゃ。ある程度泡だったところで、頭に手を添えられた。わしゃわしゃわしゃわしゃ。
「痒いところはありますか?」
問いかけながら手を動かす。たゆんたゆんと揺れる胸が、たまに晶の背にあたる。
「いや、ちょうどいい塩梅だ」
「ふふ」
嬉しげに笑う。実際、嬉しいのだろう。兄とスキンシップをとれるのが。
沙夜香との風呂は、わりと小さな頃からもう数え切れぬほど何度も一緒に入ってきた。だからその手つきは手馴れている。
「耳のうらごしごし」
「うむう」
泡をすりこむようにして垢を落とし、ついでに頭のツボを指圧してくれる心地よさに思わず声が漏れる。
「頭流しますね。目を閉じてくださいまし」
「おう」
暖かいお湯が湯桶から頭へと注がれ、泡を洗い流される。さっぱりした。
「次はお背中を」
「楽しそうだな」
「にいさまに触るの好きですから」
沙夜香は、何のてらいもなく言う。兄と同じ部屋で自分が素肌を晒していることも、今触れている兄が裸であることにも頓着がない。
「痛かったら言って下さいね」
ヘチマを乾燥させて作られたスポンジに石鹸をつけ、背中をごしごしとこする。むろんのごとく、傷口は避けながら。
そんな感じで背中を流され、前は流石に自分で洗い……。
晶が、妹を洗う番になった。
妹が背中を向ける。白い素肌と、華奢なつくりの肩甲骨。
晶の手が、まとめていた少女の髪を下ろす。
「はふう」
沙夜香が声をたてた。
石鹸をあわ立たせた手で髪を撫でるようにすると、沙夜香はいつも心地よさげな声を出す。
「にいさまの手、好きです」
まっすぐな好意を、てらいもなく言う。どう答えていいものか迷って、晶ははにかんだ笑顔を浮かべた。
「流すぞ」
「はい」
目を閉じる。湯桶を傾け、泡を洗い落とす。少女の艶やかな髪が濡れ、前髪から垂れた雫がぽたりと胸元へ落ちる。雫が連なり、胸の上でひとすじの線をかたどって下に流れ落ちて行く。
扇情的な光景に、晶の目は吸い寄せられる。
「にいさま?」
動きが止まったのを不審に思ったのだろう。沙夜香が尋ねた。
「悪い」
「いえその……見られるのは嬉しいですから。あ、勘違いしないでください、私がそう思うのはにいさまだけです」
「あまり嬉しいこと言うなよ」
言いつつ、背中を洗う。
「本心ですのに」
「だからこそなおのこと……困る」
右腕をとり、上げさせて、脇へスポンジを当てる。くすくすと、沙夜香が笑う。かまうことなく、晶はごしごしとこする。
沙夜香が身じろぎした。
「あっ」
声をあげる沙夜香。
晶の手が滑って、胸に当たっていた。ふよんと、大きな胸の側面に、スポンジがあたっている。その上にあるのは、大好きな兄の手だ。
「むう……」
ほんの一瞬まよった後に、沙夜香は兄の手に自分の手を添えた。
「悪い」
「……触り、ます?」
声が、かすかに震えている。頬が、赤い。
「いやその、そうしたら色々と危なくなる気がする」
「私もそのように存じます、はい」
気恥ずかしげに、沙夜香は左腕で乳房を隠した。
「ただその、にいさまがいいなら、わたしはいつでも……」
「はいはいその話は後でな」
「わっぷ」
沙夜香の頭から湯を浴びせた。
「ううう、ひーどーいー」
沙夜香が、笑う。
こんな調子で、いちゃいちゃしながら身体を洗いっこしあい。
仲良く湯船に浸かって、のぼせる前に風呂を出た。
夕食は卵と豚肉のドリアであった。
ドムロムという鳥の卵に、ぶつ切りにしたフマトト豚のベーコン。炊いた米に具材を載せ、粉チーズを振りかけて薪のオーブンで加熱する。
仕上げに湯通したクスリ菜の葉を乱切りにして色合いをつけ、栄養バランスを整えた。
「美味そうだなあ」
「ふっふー」
胸を張る沙夜香。パジャマの上に羽織ったエプロン姿がかわいらしい。
化粧っ気のないすっぴんだが、少女の肌は若さゆえの張りを帯びていて、ぱっちりとした瞳はくりくりと愛らしい。というかやはり、十五歳では化粧はほとんどない方がいいと晶は思う。
「ここに来て料理に目覚めたみたいです」
「確かに」
メシマズの国の血のせいか、沙夜香は料理が壊滅的に下手だった。卵焼きを作ろうとして小火を起こしたこともあるし、カップ焼きそばの作り方もわからない。もっとも上流階級の人間ゆえにカップ麺全般など無縁な生活だったのだが。
それが何故か、このクアドフォリオに来て料理のスキルが開花した。
三日で、簡単な料理が作れるようになり。
一週間で、レシピ本に書かれている料理は本通りそのままに作れるようになり。
三週間が経つ頃には、未知の食材を捌き、適切な味付けをし、栄養バランスを整え、あろうことか万全の温度管理とハーブを使っての防腐処理まで覚えた。
店に陳列された品を見れば、何が腐っているか、何が薬草として使えるか、どこの部位が食べられてどこの部位が食べられないかがなんとなく分かるらしい。
異能の才である。
中世世界において、食にまつわる衛生管理は冗談ではなく生死にかかわる。生の卵はサルモネラ菌に汚染されているし、火で炙ってない肉は線虫などの寄生虫の住処だ。
この世界に来てから三ヶ月。沙夜香は家事の傍ら、騎士団の糧食のチェックも任されるようになっていた。腐敗した食材や毒の混じった食材を迅速により分けるのに役立ってるらしい。
「来た頃にはどうなるかと思ったけど、意外と順応できたな」
「はい。綾香がいないのが残念ですけど」
綾香は、沙夜香の双子の妹だ。沙夜香と同じく、晶になついていた。なつきすぎている、と言える。やはり王族の一員だが家庭の事情のあれやこれやがあり、晶と一緒に暮らしていた。
「あー……。寂しがってるだろうな」
「三ヶ月ですか。あっという間に過ぎましたね」
「新婚夫婦みたいな暮らしだな。今もかもしれんが」
「はい……」
沙夜香は、うっとりと頬を染めた。
「もし、戻れなかったら……その、もらっていただけますか?」
「はっはっは」
晶はわざとらしく笑いながら、沙夜香の頭に手を伸ばした。
優しく撫でる。
「まだ俺たちは子供だから、大人になったらな」
「……戻りたくなくなってきました」
「はは」
その夜。
兄妹は、手を繋いで眠った。