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ドラゴンの観察者・捻くれ者のユジン




20年前にその王子が生まれたときに、ユジンは涙を流した。
王や王妃と同じように、ともするとそれ以上に、心待ちにした王子の誕生であった。
国立の図書館館長として数十年の勤めを果たしてきたユジンは、第一王子の教師としての役目をその誕生の10年以上前から与えられてきた。
いつか会えるであろうと信じた王子は、しかし子どもに恵まれなかった先代の王と5人の王妃達に仕える身であったユジンに予想だにしなかった長い年月の待ちぼうけを強要した。
一向に健康に生まれてくる気配の無い王子を尻目に、どんどんと老いていく自分の体。
ユジンは恐怖し、毎朝の運動と徹底した食事の管理を怠らなくなった。
必死なその姿に周りから嘲笑が聞こえてきた事もあった。
それ程までにして権力にしがみつきたいのかと。
いわれのない非難にその身をさらされなければならなかった。
しかし、ユジンはその屈辱によく耐えた。
ドラゴンをシンボルとし、高貴なその精神の下に全ての民に慈愛を注ごうとする信念を下地に500年もの長い時を生き抜いてきたこの国が、ユジンは他のなによりも誇りであったから。
一般の民には目にする事の出来ない蔵書の中に埋もれた数百年まえの王達の手記。
その中に綴られた、国政への温かくも情熱的な記述にユジンは一人涙を流した事さえある。
当時の強国に枯れた大地へとおいやられ、それでも民を捨てる事の出来なかった王がわらをも掴む思いで縋った魔法と、ドラゴン。
その時の信念を忘れるべからずとしてシンボルとなった純白のドラゴン。
この美しい生い立ちを持つ国をユジンは愛してやまなかった。
だからこそ、この国を、傾き腐りかけてしまったこの祖国をこれから担っていく王子の誕生に立ちあった瞬間、喜びと、この王子がこれから経験していくであろう困難の道を思い、ユジンは涙を止める術をもたなかった。
聡明であれ・・・、揺るぐ事の無い存在であれ・・・、何者よりも誇り高い心を持ち続けよと、強要しなければならない幼い命の煌きに、嗚咽をあげながら謝る事でしか、ユジンは報いる術を知らなかった。
王が即位する時に神に誓いを立てるように、ユジンは純白のドラゴンに誓いを立てた。
例えこの身を汚す事となっても、例え王子に恨まれようとも、この小さな命を守り通し、王たるべき王にする為に、この老いぼれの全てを捧げると。



シャルルという女性のその話を聞き終わり、隣で唖然とするバラック王の威厳にかけた態度を注意する事が出来なかったのは、ユジンにとって不覚以外の何物でも無かったといえた。
しかし、それにしてもこのシャルルという女性の話、どこまで信頼して良いものか。
その存在自体は信じられていても、ドラゴンなどとは・・・。
目の前で必死にその目をつむり思い出の恐怖に震える一人の少女がドラゴンであるとは、ユジンにはにわかには信じがたい話であった。
そもそもドラゴンは人と共に生きようとはしないものであったはずではないのか。
ドラゴンについての深い見識があればこそ、その面影にあどけなさすら残す一人の少女の存在が一層不確かなもののように感じられた。
ふと我に返り横に目線をはしらせると、話についていけない様子で目を見張り黙り込むバラック王の姿が目に飛び込んできた。
王たるもの、簡単に動揺を表にだすものではない。
「殿下。」
と対応が遅れてしまった事に内心若干の焦りを感じながら、しかし表面上には無感動を装ってユジンはバラックに声を掛けた。
「・・・あぁ。すまん。予想だにしなかった話だったものでな。」
そういって僅かに咳払いしたバラックは、しかし一瞬で自分を取り戻したようで、心配したほどの動揺も見せずにシャルルに向き直った。
ユジンは無表情を貫いていたが、この若い王のそのような柔軟な姿勢をとても好ましく思っていた。
近親交配が続いた王家においては望むだにおこがましいと思っていた想像以上の聡明さを宿し、何よりも真っ直ぐに、民草を愛する理想の王として成長したこの王が、今はユジンの何よりの誇りである。
「しかしドラゴンとはな、正直な話かなり驚いている。どこからどうみても、人にしか見えぬのだな、その、フリルとやらは。」
バラックの言葉にフリルは怯えたようにその身を震わせ、一層その顔を俯かせてしまった。その様子をみてシャルルがフリルの頭を優しく撫でる。
「あ、あぁ、今のはなんというかその、そなたを奇異の目で見たわけではないのだ。そう、気を悪くせんでくれ。」
フリルの反応にうろたえた様にバラックが取り繕う。
その様子に若い王なりの心の機微を感じたユジンは僅かに鼻を鳴らした。
すぐさまユジンを振り返ったバラックは思いっきり眉を潜めて睨んできたが、なれたものである、ユジンはそ知らぬ顔で二人の女性へと視線を注いだ。
「お気遣い痛み入りますわバラック殿下。ご安心を、フリルは殿下のお言葉に怯えているわけではありません。以前の事を思い出して、少しばかり反応が過剰になっておりますの。」
そういって安心させるように微笑むシャルルにバラックは目に見えてほっとしたようであったが、ユジンはちっとも面白くない。
なんなのだこの女は、完全に場を仕切ってしまっているではないか。
バラックに肩入れするあまり、苛立つ自分の感情に若干の驚きを感じながら、しかし少なからず先ほどのこの女の話で動揺しているのだろうな、とユジンは一歩引いて自分の心を見つめていた。
「殿下、少しばかり、私も聞いて見たい事があるのですが。」
今まで押し黙っていたのを破り、重々しくそう告げると驚いたようにバラックがユジンを見つめた。
無理も無い、普段はバラックをたてるように、公の場では極力無駄な発言をしないようにしているユジンが自ら言葉を発しようとするのは、バラックにとってはとても珍しい事だった。らしくもない、王を前にして良いように仕切る女にでも、対抗心を燃やしているのか、とユジンは内心自嘲した。
「・・・構わぬ。申してみよ。」
「ありがとう御座います殿下、では・・・。」
そういってシャルルとフリルを交互にゆっくりと見つめるユジンの目は、しかしその二人を見ていないかのように焦点が朧げで、簡単には心の動きを読めない類のものであった。
「まずは最初にお二方には不躾な質問になるかもしれない事を、先に謝らせて頂きます。」
そう言うと、シャルルはさもありなんといった様子で頷いて見せた。
「構いませんわ。にわかには信じがたい話であること、重々承知いたしております。」
「結構。ではまず一つ目は、そのフリル殿がドラゴンであるという事の証明。今この場でする事は出来るでしょうか。」
「ユジン!」バラックが驚いたようにその腰を浮かせとがめるような目つきでユジンを睨んだきたが、ユジンはその行動には目もくれずにシャルルとフリルを見つめ続けた。
「聞くに魔法とやら、今はフリル殿は意識的に扱う事が出来ないそうですが、そうですな、ゴラン王がやっていたように、その身を傷つけ一瞬で再生する様など、見せてはいただけないだろうか。」
「ユジン!いい加減にしろっ!」
バラックは怒り心頭といった様子で拳を机に叩きつけた。
「失礼にも程がある!この様に青ざめた顔をしたフリルを見れば嘘をついているかどうかなど一目瞭然であろう!?ましてやその身を傷つけてみよなどと・・・っ!如何に宰相といえども余の前でそれ以上民を貶める様な発言は許さん!!」
しかしユジンはバラックの様子にも動じる事無く、冷え切った視線をバラックに向けた。
「殿下、民を信じようとするその心構え、大いに結構。しかしこの少女の怯えが演技ではないとどうして言い切れます。殿下はもう少し自分のお立場というものをわきまえなさった方がよろしい。今回の事に限らず、弱い者の立場をもってして殿下のそばへ近寄ろうとする者はこの先必ず現れる事でしょう。目の前の事に捕らわれるあまりに、他の多くの民の命運を危険に晒すだけのお力をその身にお持ちになっておられる事、よもやお忘れになっている訳ではありますまい。」
そう言いきったユジンの表情は鉄のように微動だにせず、二の句を接げなくなったバラックは傷がつくのも忘れたように唇をかみ締めた。
これで良いのだと、ユジンは思う。
どこまでも純粋で、慈愛に満ちた王に出来ぬ仕事は、その汚れは自分が全て負う。
今更たったふたりの民に恨まれる事など、僅かほどにも心を動かす力とは成り得ない。
「あの、構いません・・・。」
うっかりすると聞き逃してしまいそうなか細い声に、にらみ合っていたユジンとバラックは同時に顔を向けた。バラックは素直に衝撃をその表情に浮かべ、一方のユジンは鉄のような無表情のまま。
二人に見つめられたフリルは怯えたように目線を左右に躍らせたが、しかし今度は俯く事はせず、しっかりと背筋を伸ばしていた。
「フ、フリル、無理はしなくて良いのだ。私は・・・、私はそなたの話を疑ってなどおらぬ。理屈ではユジンの言っている事も確かであろう。だが・・・。」
「ありがとう御座いますバラック殿下・・・。でも、私、大丈夫です。」
そう言うとフリルは初めて僅かにバラックへと微笑みかけた。
呆気にとられたように呆然とするバラックから視線をはずし、おもむろに立ち上がると、フリルは静かな表情でユジンを見つめた。
その表情の中に先ほどまでの怯えた様子は伺えず、凛とした光りを瞳に湛えている。
その変化に少女の奥底にある強さを見たようで、ユジンは内心この少女への評価を改めた。
存外、しっかりとした精神の持ち主なのかもしれぬ。
「何か、刃物をお借りできますでしょうか。」
「フ、フリル・・・。」
動揺するバラックを尻目にユジンは立ち上がると、自身が腰に下げていた一振りの銀製の短剣をフリルへと渡した。
シャルルは声を発する事も無く、しかし強い視線で持ってしてフリルを見つめていた。
「ありがとうございます。」
そう軽くユジンに会釈すると、フリルは躊躇いなどは微塵も感じさせず一気に




その左手を切り落とした。





―――部屋にバラックの悲鳴が木霊した。
ユジンでさえ、まさかこの少女がそこまでの行為に出るなどとは思ってもおらず、言葉を失った。
バラックの悲鳴を聞きつけた近衛兵が慌てて部屋に殺到した時に、その部屋の中では



何も起きていなかった。



ただ呆然と、バラックとユジンが言葉も無く立ち尽くし、シャルルが僅かに目を見張ってフリルの手元を見つめている。
件のフリルはというと激痛に耐えるようにしてその顔を歪め、左の手首を苦しそうに握り締めていた。
時が止まったかのような部屋の中の状況に困惑した近衛兵達であったが、しかし素早く巡らせた視線の隅にフリルの足元へと落ちている短剣を目に止めると、数人が同時に剣を抜いてフリルへと殺到しようとした。
「止まれ!」
突然の怒号に近衛兵達は飛び上がるようにしてその動きを止める。
一瞬誰が発した声なのかが分からなかったが、どうやらいつも寡黙を貫き通している自分達の宰相が発した声らしいという事に気付くと兵達は素直に表情を驚愕させた。
「よい、何も危険な事は起きておらぬ。下がれ。」
憮然とその表情をしかめながらそう言い放つ宰相に驚きながら、しかし部屋の中の異様な空気を感じ取った兵達は困惑したように顔を見合わせた。
「ユジンの言うとおりだ、何も心配はいらぬ。下がっておれ。」
そうバラックが息も絶えだえといった様子で兵士達に声を掛けると、兵士達は訳が分からないといった様子で、しかし無言のままバラックとユジンに頭を垂れ、ようやく部屋から静かに出て行った。
「信じ難い・・・。血すらも、こぼさぬのか・・・。」
バラックが驚愕に目を見開いたままフリルの手首に視線を釘付けにした。
「・・・。」
ユジンも無言のまま改めてフリルの手元を見つめる。
その手首には傷の一つすら見当たらず、上手い手品でも見させられたような感覚だった。
しかし、このフリルという少女は、確実にその左手を切り落としていた。
ユジンは確かに少女の左手に自身の短剣が食い込み、血が飛沫となって吹き出る様を見た。
少女の左手が一瞬宙に浮き、その体から切り離される様を確かに見た。
だが、これは一体なんの冗談だ。
僅か一瞬の後に、切り離された少女の左手と吹き出た血は砂のように霧散し、気付いたときには行為に及ぶ前となんら変わらない様子で元の通りに存在していた。
「これ程の・・・。」
これ程のものなのか、失われた魔法というものは。
かつて始祖と呼ばれる一人の女性が完成させ、しかしこの国が一人で立ちあがれるだけの力を備えたと同時にその全てを持って、深い山中へとその身と共に隠してしまったとされる魔法。
具体的な記述は今となっては殆ど見る事は叶わなかったが、その力は乾いた大地を一時と経たずして緑溢れる楽園へと生まれ変わらせ、山あいの土地に広大な平野を生み、万もの軍勢を一瞬にして退けたという。
しかし、今の今迄ユジンはその描写を頭からは信じていなかった。大方、当時までは人と共にあったとされるドラゴンでも使役した話が手を加えられたもので、実際には魔法というものは存在すらしなかったのではないかとすら考えていた。
ドラゴンに関しては実在している事は疑いようが無かったが。
最近に至るまでにもその目撃例が後を絶つ事は無かったし、実際にその頭骨などが発見される事も稀にある。
今まではその真偽を疑っていた魔法の一端を目にした事で、自分の培ってきたものの一部が音を立てて崩れていくような衝撃をユジンは感じた。
「これで、信じて頂けるでしょうか。」
そう小さな声で呟くフリルの声に我に返ったユジンは、それでも一瞬でそれまでの驚きをその顔の下にしまいこむと、僅かにフリルに頷いて見せた。
「改めて非礼に対してお詫び申し上げる。」
ユジンの言葉を聞いたフリルは微笑むと、床に落ちていた短剣を拾い上げ、刀身を持ってユジンへと差し出した。
「お返しいたします。ありがとう御座いました。」
「・・・。」
黙ったままそれを受け取ると、ユジンは無表情のまま元の席へと戻った。
バラックはというと、戻ってきたユジンと目があってようやく我に返った様で慌てて浮かせていた腰を椅子へとおろす。
しかしその表情は未だ呆然としており、目の前で起こった事がうまく飲み込めていないようであった。
「貴女がドラゴンであると言う事に関して、信じる事にしましょう。」
そう言うとフリルは頭を下げ「ありがとう御座います」と礼を言った。
「ですが、そうなるとやはり不思議に思う事がある。そもそもドラゴンは数百年前に人から決別した、と聞いた事がある。実際にこの国が建った500年程前を境にしてその姿は突然深い山中へと消え、見る事も叶わなくなった。何故今になって、貴女は人の世界へと降りてきたのだろうか。しかもそれ程悲惨な目に遭いながら山中へ帰ろうともなさらない。」
ユジンの言葉に、それまでの凛とした態度を再び奥へと仕舞い込んでしまったようにしてフリルが俯く。
「それは・・・。」
ユジンは言いよどむフリルの事を静かに見つめた。フリルは数瞬迷った様に身をよじらせると、おずおずといった様子で口を開いた。
「私にも・・・よく分からないのです。」
「・・・分からない?」
「はい・・・。」
そう言うとフリルは申し訳無さそうに眉をひそめ、泣きそうな表情になった。
「私が気付いたときには、とあるお方の部屋で寝かされていました。それまでの記憶は一切ございません。初めは言葉すらもわからず。そもそもお前はドラゴンなのだと言われても、それが何なのかすら私には分かりませんでした。」
「・・・失礼ですが、その方の名を聞いてもよろしいか。」
「・・・グロアー様と仰います。」
・・・グロアー?
ユジンにはその名前に聞き覚えがあった。
たしか・・・、最近暗殺されたというボルドの高官の名前ではなかったか?
ボルドはその高官の暗殺に神経を尖らせ、先日遂にチャンツへと続く街道の封鎖を断行したと聞いている。
「グロアー様は私をボルドの西のオベリウス渓谷で見つけてくださったそうで、右も左も分からなかった私の事を引き取ってくださったんです。」
「・・・。」
フリルの表情が見た目にも柔らかくなる。よほど、そのグロアーとやらを信頼していたのであろう。フリルのその無垢な態度に、ユジンは柄にもなくその少女を哀れに思った。
恐らく、その男の死を知らないのではないだろうか。
そこまで考えてユジンは、その高官が暗殺された背景にこのフリルとやらが絡んでいたのであろう事に思い至った。
「だから、私は人の世界に自ら降りてきた訳ではありませんし、普通の人と同じようにこの世界以外知らない私には、到底ここからどこかへと去る事など、考える事が出来ないのです。」
そういって、フリルは俯いた。
「・・・。」
「ユジン。」
いつの間にか先ほどの光景のショックから立ち直ったバラックが、ユジンの事を見つめていた。
「もう、良いだろう。」
先ほどまでの怒りや苛立ちに任せた様子とは打って変わって、ユジンが誇りとする知性的な表情をたたえたバラックは静かにそう言って、フリルを見つめた。
「フリルは嘘は言っておらぬ。余はそなたから見れば経験も、思慮も浅い王であろうが、これだけは分かる。」
力強く、しかし淀みない声でそう告げるバラックの瞳には強い意思の光りが見て取れ、ユジンは心躍るような、しかし一抹の不安も残るなんとも言いがたい思いに胸中を満たされた。
「そうですな・・・。それにもう大分長い事お二人をつき合わさせてしまった。・・・殿下、この後の事はまた追々相談する事にして、お二人に休んで頂いては如何でしょうか。」
「もとよりそのつもりだ・・・。ユジン、侍女達に良い紅茶でも用意させてくれ。疲れには甘いものが良いと聞く。ハチミツも良いものがあれば用意するように伝えてくれ。」
「は・・・。」
紅茶、と聞いた途端にフリルがビクンと大きく反応したように見えたのは、気のせいだろうか。隣のシャルルとやらも不思議そうな顔をしてフリルの事を見つめている。
・・・まぁ、たいした事ではあるまい。
・・・。
冷や汗をかいている・・・。
・・・侍女にフリル殿の反応を見させて、苦手なようなら無理をさせないように伝えておかねばならないな、とユジンは小さくため息をついた。



それから数週間の後。
ユジンは非公式ながら、数名の護衛と共に単身ボルドへ訪問を行っていた。
あれから毎日のように、ゴランからフリルを引き渡せとの催促を受けている。
たかだか使者風情に「貴国がその様に非協力的であられるならば、ゴランはいかなる手段をも禁じ得ない」などと屈辱的な言葉を吐かれる有様だった。
国力的に圧倒的にゴランに劣るダグラスは、間にボルドという豊かな国力を持つ中立国を挟まなければ、とうにゴランに侵略されていてもおかしくないとかねてより噂されていた。
はからずも一応は公式の場で、そのような立場と認識を示されたバラックは怒り心頭といった様子で「そちらがその様な態度であるならば、我が国も誇りをかけて対応させていただく」等ときわどいセリフを叩きつけてしまっていた。
バラックも何も考えずにその様なセリフを吐いたわけではないだろうが、おそらく頭の中にあるのはボルドとの中立条約があってのことだろう。
しかし確かにボルドはゴランにとってある種良いけん制になっていると言えたが、完全であるとは言いがたい。
もとよりゴランは軍事力によって成り立っているような国であったし、何よりも今はチャンツと非常に結びつきが強いと聞く。
同じようにダグラスから独立していったボルドとは違い、一般の市民達が寄り集まって形成された珍しい体勢の町はダグラスへの思い入れが些か弱いことで知られていた。
大陸の流通の中心地であるチャンツがゴラン側に回ってしまうとなると非常に痛い。
ユジンとして見れば一も二もなくチャンツと何かしらの形で条約を結んで起きたいところだったが、ボルドが難くなにチャンツへの警戒を高めている事が災いした。
今ここでチャンツとダグラスが条約を結べたとしたら、今迄友好な関係を結んできたボルドがどの様な反応を見せるかが未知数だったのだ。
最悪、全てを敵に回してしまいかねない。
ゴランの王が暗殺されたという話がゴランに放っている密偵から流れてきている、国内の情勢は混乱を極めているだろう事が容易に予想された。
もしも・・・、もしも国内の混乱を外へ向けさせる事で緩和させようという思惑がゴランの中にあるとしたら、ゴランがチャンツとの友好な関係を築いている今、たった一人の少女をきっかけとして国家間の争いに発展してしまう可能性は十分にある。
冗談ではない、とユジンは思った。
あの少女は守ってやらねばならぬ、そうは思っている。
そこはバラックと考えは変わらない。
しかし同時にユジンは戦争というものを知っていた。
数十年前におきたファルデル、ゴラン、ダグラス、そして西方の大国ジラルード王国の四国がヨレンジヴァ丘陵地帯において幾度も激戦を繰り広げた大戦であった。
戦争の中で傷つくのは民だ、とユジンは使者との会談を終えたバラックを叱り飛ばしていた。
珍しく声を荒げる様子にバラックは驚いたようであったが、しかし彼なりに熟考しての対応ではあるのだろう。結局意見は平行線のまま、どっちつかずの状態でまとまる事は無かった。
バラックは、仮にこのままゴランの思惑道理に事を運んだとしても、お互いの国の立場を決定付けてしまうであろう事に危機感を持っているのかもしれない。
もっともであろう。ユジンとて、ゴランの犬になりさがるつもりは毛頭ない。
このままでは対応が後手に回ってしまう、日に日にユジンは危機感を募らせたが、そんな折にバラックよりボルドを訪問せよとの下知が下った。
ユジンは反対した。
今ここでボルドとの不穏な動きを見せればゴランに開戦の格好の口実を与える事になる。
バラックがボルドと一度正式に話し合いの場を持ちたい気持ちも良く分かる。
不安定な状況のままではゴランに対して下手にでるしかなくなってしまう事は勿論であったし、何よりも彼にとってはグロアーという男の情報が今は喉から手が出るほどに欲しいのだろうと思う。
バラック殿下は、フリルという少女に恋をしている。
ユジンはそう感じていた。
「八方ふさがりとは、この事か・・・。」
王を、民を、国を愛しているユジンは己の不甲斐なさが情けなくて仕方がなかった。
バラックの即位から数年の間、もっと先を見越して行動していても良かったのではないか、と自分を責めた。
非公式な訪問であったとしても、恐らくゴランはこれを機に「ダグラスに不穏な動きあり」として軍備を増強させるだろう。
一気に軍備需要を高める事で国内を活気づかせ、交易によって一層チャンツとの結びつきを強固なものとして。
動きだしてしまったからには、止められない。
若い王を諌め切れない浅はかな自分が、殺したい程に憎かった。
深い渓谷を抜け、視界の隅にボルドの街並みが映った。
ユジンにはそれが、これから母国を死地へと誘う死刑場のように思えて仕方がなかった。


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